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Designed To Win. ライアン・ゴズリングとの語らい

俳優でありタグ・ホイヤーのアンバサダーでもあるライアン・ゴズリング氏が示唆に富む(そして個人的にも)。新たなタグのキャッチコピーについて、それが自分にとって何を意味するのかを語る。

1990年、ブラジル出身のF1チャンピオン、アイルトン・セナ(Ayrton Senna)はキャリアの絶頂にあった。そのとき彼は、元レーシングドライバーであり現在は解説者のジャッキー・スチュワート(Jackie Stewart)氏との緊迫したインタビューに臨んでいた。白熱するやり取りのなかで、スチュワート氏はセナのレース中の接触事故の多さを厳しく追及し、特に物議を醸した日本グランプリでのアラン・プロスト(Alain Prost)氏との一件を取り上げた。このレースでセナは優勝を果たしたが、その運転が一因となりプロスト氏がクラッシュして結果的にレースを失ったとも言われている。インタビュー中にセナは繰り返し反論するが、最終的には自らの勝利が汚い運転によるものではなく、むしろ自身の運命の表れであると認めざるを得なくなる。そして彼はこう断言する。「僕は2位や3位になるために生まれたのではない。僕は勝つために生まれたんだ」

senna

アイルトン・セナ。

 これは派手な広報用の決まり文句などではなかった。セナのこの発言は、当時のフィルターのかかっていない時代だからこそ生まれ得た、むき出しの情熱に根ざしたものだった。しかしこの言葉はのちに歴史的な名言として語り継がれ、今や最も人々を鼓舞する引用のひとつとして知られている。そして本日、この言葉が正式にタグ・ホイヤーの新たなスローガンとなり、ブランドにとって大きな転換点を迎えることとなった。

 1990年から掲げてきた“プレッシャーに負けるな(Don't Crack Under Pressure)”というキャッチフレーズに終止符を打ち、これからは“勝利のために(Designed to Win)という言葉が、タグ・ホイヤーのマーケティングマテリアルの多くに登場することとなる。その幕開けを飾るのは、ブランドの筆頭アンバサダーであるライアン・ゴズリング(Ryan Gosling)氏がナレーションを務めるシネマティックな映像だ。この名言を前面に打ち出す方針は、今年1月に発表されたF1公式タイムキーパーへの復帰とも完全に足並みをそろえたものである。そして、1990年代初頭にアイルトン・セナがタグ・ホイヤーのブランドアンバサダーを務めていたという事実は、1994年の早すぎる死を経た今もなおこの新たなスローガンに一層の説得力を与えている。

tag in f1

 「発表されたときは驚いたよ」と語るのは、ライアン・ゴズリング氏だ。「考えさせられる言葉だし、なにより個人的に響くものがある」と続ける。彼にとって“ゴール”はときにもっと曖昧なものになるという。たしかに、俳優にとって“勝つ”とはオスカー受賞以外に何を意味するのだろう? では、この新しいスローガンは、私たち一般人にとって何を意味するのか? オリンピックの金メダリストや正真正銘の大スターであるライアン・ゴズリング氏は、たしかに“勝つために生まれた”存在だろう。だが我々は? あなたは? この新たな方向性のなかで、私たちはどう歩んでいけばいいのか? そしてなぜそのことに関心を持つべきなのか?

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 ここでひと言、挟まなければならない。たとえこのスローガンに共感するかどうかは別として、広告というものは現代の時計産業の成功に不可欠であるということだ。というのも、機械式時計という存在そのものが、技術的には常に時代遅れの烙印を押されかねない…つまり、絶滅の危機にさらされているのがデフォルトなのだ。だからこそ我々時計愛好家は、少なくともいま何が大衆に向けて発信されているのかについて、好奇心を持つ義務があるとも言える。なぜならそれらは看板広告やCMを通じて、少しずつ我々の潜在意識へと染み込んでいくのだから。

 実のところ、広告は創業当初からホイヤー、そしてのちのタグ・ホイヤーブランドにとって中核的な存在であった。1920年のオリンピックに先駆けて登場したホイヤーの広告展開に始まり、1969年にはジャック・ホイヤー(Jack Heuer)がF1マシンにロゴを初めて掲出するという先見的なアイデアを打ち出し、1971年には初のチームパートナーシップを実現させている。現在のF1マシンは、まるでタトゥーで覆われた腕のようにロゴだらけだが、1969年当時のこの取り組みは、スポーツマーケティングの歴史に革命をもたらす一大事件だった。そしてそれは今日のスポーツ広告の基盤を築くこととなる画期的な一歩でもあった。

max verstappen

マックス・フェルスタッペン(Max Verstappen)氏。

 時は進んで1990年、“プレッシャーに負けるな”というスローガンのもと、ミハエル・シューマッハ(Michael Schumacher)やアイルトン・セナらが登場するモノクロのビジュアルで、タグ・ホイヤーのキャンペーンが展開された。これに続き、1995年の“成功、それはマインドゲーム(Success, It's a Mind Game)”、1998年の“秘めたる強さ(Inner Strength)”などが続き、私たち一般人に、偉業というつかみどころのない約束のなかで、自分がどこに位置するのかを考えさせる内容となっていた。

 「勝つことの意味は、人それぞれにあるはずだ」とゴズリング氏は続ける。この言葉が、自分にとっては90年代にセナが語った運命の概念へのひとつの窓を開いてくれた。たしかに、オリンピックで金メダルを獲得したり、F1マシンに乗ったりするわけではないかもしれない。“勝利のために”の映像に登場する3人(オリンピックで4つのメダルを持つハードラー兼スプリンターのシドニー・マクラフリン-レヴロン(Sydney McLaughlin-Levrone)氏、3度の金メダルに輝く競泳選手サマー・マッキントッシュ(Summer McIntosh,)氏、そしてゴルフ界のチャンピオン、トミー・フリートウッド(Tommy Fleetwood)氏)のように。だが、それでもあなたなりの勝利があるかもしれない。タグ・ホイヤーのこのスローガンは、まさにその瞬間にこそ意味を持ち、そして理想的には、あなたを鼓舞するのかもしれない。

 会話のなかで私が、時計は実用的な道具だと言うと、ゴズリング氏は即座にこう反論した。だからこそ僕にとっておもしろいんだと。彼が語るのは、2021年に映画『グレイマン(原題:The Grey Man)』の公開とともに正式に始まったタグ・ホイヤーとの関係についてだ(同作では、彼がカレラ キャリバー5を着用していることが目立つかたちで描かれている)。ブランドアンバサダーのなかでも、ゴズリング氏は特に関与度が高い人物とされている。緻密でときに執拗なほどのこだわりぶりで知られ、カレラ60周年記念のフォトシューティングではクリエイティブ・ディレクターとしてクレジットされ、さらにデヴィッド・リーチ(David Leitch)監督によるブランドの短編コメディ『The Chase for Carrera』にも主演している。

the chase for carrera

 「僕はいつだって、時計を使ってキャラクターのさりげない一面を伝えてきた。そんなつもりはなかったけどね」と話す。『ハーフ・ネルソン(原題:Half Nelson)』の撮影中、「小道具係が大きなトレーいっぱいに時計を持ってきたんだ。そこで初めて、時計が物語を語る助けになるんだって気づいた」と振り返る。最終的に選ばれたのは、輪ゴムで留められたカシオの電卓付きウォッチ。「それが、この教師がもう限界にきているってことを伝えてくれたんだよ」と彼は語った。

 ここでゴズリング氏は、映画やテレビにおける時計の役割の核心に触れている。我々のようにその意味を理解している者にとって、タイムピースは脚本上の台詞なしでも千の言葉を語ることができるのだ。それは、分かる人には分かる、いわば“IYKYK(知っている人は知っている)”記号であり、スクリーン上でも現実の世界でも同じように目立つ存在だ(誰しも1度は、他人がつけた時計でその人物を即座に判断したことがあるだろう)。

 今やウォッチ・スポッティングはSNS上で非常に人気となり、小道具係たちは誰がどの時計をつけるかについて、これまで以上に熟慮を重ねるようになっている。その結果、ペイドプレイスメント(有料での製品露出)の数も急増した。実際、ゴズリング氏がタグ・ホイヤーと組んだ3作品(『グレイマン』『バービー(原題:Barbie)』『フォールガイ(原題:The Fall Guy)』)もその例にあたる。それでも彼は、どのキャラクターがどの時計をつけるかについて、常に自分の意見を反映させてきたと断言している。

gosling in the fall guy

『フォールガイ』でのライアン・ゴズリング氏。

 「こうしたコラボレーション、そして今回のようなインタビューを通じて、時間が映画や自分の人生にどう関係しているのかを考える機会が与えられているんだ」とゴズリング氏は語る。たとえば『バービー』では、「あるキャラクターが僕の演じるキャラクターに時間を尋ねるシーンがあって、でも僕は時計を持っていなかった。普通ならそれで終わりかもしれないけど、僕は“ちょっと待って、その次のシーンで、僕が金の腕時計を3本もしてたらどうだろう”と考えた。そうすれば、そのやり取りが彼にとってどれほど意味のあるものだったかが伝わるんじゃないかと思ったんだ」。このように、その場面での時計は機能性を取り払われ、完全に象徴として使われている。

 続けてゴズリング氏は、クリスチャン・マークレー(Christian Marclay)の『The Clock』(2010年)にも言及する。これは、何千もの映画やテレビ作品から時間や時計にまつわる映像をつなぎ合わせて構成された、24時間のモンタージュ作品だ(現在、ニューヨーク近代美術館で展示中。まだ見ていない人は、歩かず走って行くべし!)。

gosling in a car

 「ある意味、すべての映画は“時間”についての作品なんだ」と話す。「上映時間はどれくらいか? 物語は24時間のあいだに起きるのか? それとも何世代にもわたる長いスパンの話なのか? 時計や腕時計にシーンを合わせて緊張感を生み出すのは、古典的な編集の手法でもあるし、“1秒の重み”を伝えるうえでとても効果的なんだ」

 彼はスタンリー・キューブリック(Stanley Kubrick')の『現金に体を張れ(原題:The Killing)』や『カサブランカ(Casablanca)』のような、重要な時間演出のシーンを挙げる。そして私は、『ドライヴ(原題:Drive)』で彼の演じたキャラクターが、撮影用のパテック フィリップ カラトラバ 5196Gをクルマのハンドルに括りつけていたのを思い出す。「映画の歴史と腕時計には、実は深いつながりがある…タグ・ホイヤーと仕事をするようになって、ようやくそのつながりをちゃんと意識するようになったんだ」と彼は付け加える。この言葉は、多くの時計マニアにとっても共通する実感だろう。手首にある小さな機械は、時として過去をのぞき込むための窓なのだ。

 私自身が時計にハマったのは2020年のことだが、それ以降、高校時代のAPクラス以来と言っていいほど多くの歴史を学んだ。ロイヤル オークはクォーツショックについて教えてくれたし、それを通じて当時の技術的・経済的背景を知ることができた。タンク ルイ カルティエからは航空の黎明期や第1次世界大戦がいかにこの“タンク”型デザインに影響を与えたかを学んだ。そして、ブランド初のF1アンバサダーであるジョー・シフェール(Jo Siffert)が着用していたホイヤー オータヴィア 1163Tは、スポーツ広告の草創期について教えてくれた。そしてもちろん、話は現在へとつながる。タグ・ホイヤーは再びF1と切っても切れない関係になり、象徴的なモデルのひとつであるフォーミュラ1はその証しでもある(とりわけヴィンテージモデルのカルト的な人気が、今回発表された1980年代風のフォーミュラ1 ソーラーグラフ誕生の背景となっている)。

gosling at the oscars

Photo: Getty Images

 こうした背景を知っていれば、“勝利のために”は単なるキャッチーな名言の焼き直しではなく、数々の瞬間、日々、年月、あるいは何十年という積み重ねの果てに生まれた結晶なのだと理解できる。タグ・ホイヤーはモータースポーツ抜きには語れないし、モータースポーツもまたタグ・ホイヤーなしでは今の形にはならなかった。だからこそ、ブランドにはこの言葉を掲げる正当な理由があるのだ。

 広告というのは不思議なものだ。我々は売り込まれていると感じると、つい身構えてしまう。この華やかな舞台の裏には、契約交渉や書類へのサイン、支払いがあり、俳優たちが義務として時計をつけていることもわかっている。それでもなぜか心に響いてしまう。たとえそれがほんの一瞬、自分は“勝つために生まれた”人間なのか? と考えるきっかけになるだけだったとしても。少なくとも、私とライアン・ゴズリング氏にとってはそうなのかもしれない。

 詳しくは、タグ・ホイヤー公式サイトをご覧ください。