私はあまり気乗りのしない信者だが、それでも“獣”の証を持っていると思う。
オーデマ ピゲの最新モデル、フルブラックセラミックのロイヤル オーク オフショア クロノグラフを手にしたとき、私はこれをごく普通のものだと思った。しかしその大きさと重厚さから、“ビースト”という異名を持つ初代オフショアを忠実に再現したこの時計は、とりわけオフショアを愛してこなかった私のような人間にとって、かなり重々しいものだった。だからこその『エンド・オブ・デイズ(End of Days)』(アーノルド・シュワルツェネッガーのダジャレを意図したオフショア)なのかもしれないが、この新しい“ブラックビースト”によって、私はAPに心を奪われたのだと思う。
最近も、私や、私のよき友人であるジェラルド・ジェンタ(ジェリーは私のイマジナリーフレンドだ)は、「オフショアを作るのはやめよう」と、隅に座って言い合うクールで意地悪な女の子たちのような思考を持ち、オリジナルの“ジャンボ”ロイヤル オークのエレガントなデザインは、我々の洗練されたセンスによって支えられていると思っていた。デザイナーのエマニュエル・ギュエがオフショアをデザインした際、ジェンタが「ロイヤル オークのデザインを台無しにした」と責めたとき、彼は特にいじめたつもりではなかったと思うのだ。ロイヤル オークには、不朽ともいえるエレガントな魅力があり、オフショアは間違いなく時代の先端を行くものだった(そしてかなり時代錯誤なものであることも主張しておく)。
時計市場というのは移りかわりが早いもので、現代における復活劇の渦中にいると想像がつかないかもしれないが、30年前のオフショアが発表された当時、ジャンボをはじめとするロイヤル オークの売り上げは減少の一途をたどっており、ギュエのこのデザインはブランドが必要としていた救いの一手となったのである。そしてジェンタと一緒で、当初は信じてくれる人がほとんどいなかった。
実はAPの長年の責務とは、派手さではなくいかに型破りであるかだったようだ。CODE 11.59のローンチは、APが一本調子であるという非難と同じように、丸ごと否定された。しかしこのときの判断は、歴史的に見てもAPの救いだった。ローンチから4年経った今、CODE 11.59は当時と同じムーブメント、ケースデザインでありながら、成長過程で起こる問題を乗り越えたように見える。それから30年、オフショアの人気は急上昇し(最近は少し落ち込んでいるが)、現在に至っている。同ブランドは、“オフショア”という枠のなかで、ケース素材やデザインなどほぼすべての面に可能な限り手をつくしていたものの、私にはまったくピンと来なかった。だが30周年を記念して、APがオフショアに無関心だった私に対して一石を投じてくれたのだ。
腕の上で適度に存在感を放ちつつ、身につけられる時計の条件には、魔法のような方程式があるわけではない。1万ドル(日本円で約136万円)以下の価格帯では、たった1mmの厚みが非常に重要になってくる。しかし老舗ブランドが、例えば「この時計は大きくあるべきだから大きくした」と言って、直径42mm、厚さ15.3mmの新型セラミックオフショアを1045万円(予価)という高額な価格を付けると、なぜか人々はそれを意図的なデザインのひとつとして受け入れやすくなる。結局、それがオフショアのそもそもの目的だったのだ。しかし、初代“ビースト”の巨大な金属の塊のようなプロポーションはあまり変わっていないが、新しい“ブラックビースト”は、ブラックセラミックによりさらに扱いやすく、魅力的に仕上がっている。
この時計を紹介したとき、セラミックを“自分のものとしている”ブランドはないが、APはそれと密接した関係であると述べた。彼らはさまざまな素材を使いこなす匠である。だからこそこのオールセラミックのオフショアは、私がこれまで見てきた数百モデルのうちのひとつに過ぎないと思っていたが、ブランドの担当者は、フルセラミックという特殊な素材でできたブレスレットの製造がいかに難しいか、何度も説明してきたため、私はどうやらAPが持つ技術の高さを信用しきっていたようだ。これまで多くのフルセラミック製ロイヤル オークが発売されているのにだ。なぜそうなるのかあまり明確ではないものの、このモデルは、なにか大きな記念に沿って発売される予定だったのだと感じる。しかし、たとえそうだったとしても、待った甲斐があったというものだ。
Introducingの記事と、ジェームズ・ステイシーによる初期のHands-On写真を見てみると、新しいオフショアのケースはセラミックであっても、APが施した仕上げにより、視覚的にはオリジナルと近く、ブランドの歴史と消費者のノスタルジア(当時の懐かしさを思いしのぶように)に寄り添っていることがわかる。私はこれまで、セラミックという素材は触り心地よりも見た目がいいと思っていたし、あえていえばそれは今でも同じだと思っている。あえて言うなら、それはブラックセラミックが非常に美しく見えるからでもある。
ポリッシュ仕上げされたファセットが織りなすケース、ブレスレット、ベゼルが光とうまく溶け込み、セラミックの筋目仕上げと相まって非常に際立っている。またブラックセラミックは指紋や汚れがつくと目立ってしまうが(写真に写っているものはご容赦を)、セラミックの質感と相まって、まるで木目のようなパターンにも見える。
美観はさておき、わずかな時間のHands-On環境かつ、私の7.25インチ(約18.5cm)の手首では不可能(これは素材や時計自体のせいではない)だったが、この時計を少しつけているうちに、軽ければ軽い素材であるほど、ブレスレットの装着感を左右する重要なポイントだと感じるようになった。また、会場内を見渡すとほかの参加者もHands-On体験のために集まっており、彼らは体格も性別もさまざまでありながら、この時計を軽々と身につけているのが見えた。
このHands-Onタイムへの要望は、間違いなくこの時計全般に対する高い需要を予感させるものである。これは発表されると同時に、歴史に名を残すような作品だといっても過言ではない。CODE 11.59は、オーデマ ピゲを初めて購入する人のための低いハードルとしてよく取り上げられるが、APユーザーは最初に買うモデルとして、オフショアを選んだという話をよく耳にする。しかし、ここでは誰もそのような幸運に恵まれることはないだろう。時計が手元に届くとすぐに、友人に写真を送ったり、Instagramに投稿したりして、これまでオフショアを敬遠していた知り合いのセレブリティや、コネクションのあるAPコレクターも、この時計にはキラキラとした表情で興味を示してくれた。APのなかでも注目されそうだし、いうことはない。もうひとりのジャーナリストが首を振りながらドアを出て行き、その値段を独り言のように呟いているのを聞いたが、彼はその時計を買うためにすでに精神的に悪魔と取引しようとしているようにも見えた。
センセーショナルな言い回しはさておき、この“ブラックビースト”を買うと、この隅から隅まで素晴らしい時計が手に入るのだと理解に落ち着いた。そのなかには、しっかりとコラムホイール式フライバッククロノグラフムーブメント、Cal.4401も含まれている。プッシャーは心地よい操作感で、オリジナルにあった奇妙なラバーカバーが廃止されているのもうれしい。ムーブメント自体の仕上げも美しく、シースルーバックからその仕上げが確認できる。また文字盤は、いくらか時代を感じさせるとはいえ、四角いプチタペストリーの下にカーボンファイバーのような質感があり、この意匠がソフトでエレガントなセリフ付きのフォントと、力強いアプライドのアクセント、球のような形の日付窓と、見事に調和している。そう、このようにAPは、見事に私をノックアウトしたのだ。
もしあなたが、新型“ブラックビースト”を手に入れるため悪魔に魂を売ったとしても、それを支持することも責めることもできないが、多少なりとも理解することはできる。そして、もし私があなたの手首にビースト、“獣”の証を、いや、というか時計そのものを見たら、オフショアのオーナーであるあなたを羨望の眼差しで見るかもしれない。