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午後遅く、ミールダルスヨークトル(Mýrdalsjökull)氷河に北から近づいていく。冬の景色のなかで、冬の氷河がどのように見えるのか自分でもよくわからないが、確かにこれではなかった。これは、まあ、イージーにみえた。
クリス・バーカード(Chris Burkard)とレベッカ・ラッシュ(Rebecca Rusch)という探検チームと一緒に、平らな火山の平原を自転車を漕いでいると、今まで経験したことのないような緊迫感を感じた。旅の目的が、あらかじめ決められた目的地に無事に到着することだけであるならば、自分を危険にさらす可能性のあるものを積極的に排除しようとする。焦りはリスクになるからだ。しかし、この瞬間はそれが必要なのだ。
アイスランド北の海岸線から最南端までの330マイルの旅も300マイルを過ぎ、最後の挑戦はこの氷河を自転車で越えることだった。これまでに誰もやったことのない偉業だが、それには理由がある。
我々は氷河を越えるつもりはなかったが、アイスランドのベテラン探検アドバイザーであるレイニル(Reynir)はコンディションが良ければ可能かもしれないと言っていた。それは2日前のことで、条件はまだ我々に有利だが長くは続かない。明日の早朝にはかなり深刻な天候が予想されているので、今しかないのだ。
私は冬の遠征についてはまったくの素人だ。しかし、予測不可能な地形での数日間の旅を何度も経験しているため、通常の旅のペースがどうであれ、ここではそれが当てはまらないことを知っている。でこぼこの地面、頻繁なルート変更、体温管理など、我々は無数の細かな要因に翻弄されているのだ。そこで私は、まだ前進していることを確認するために腕時計をつけるようにした。腕時計を見れば、どれだけ遠くに行っても、どんな方向に進んでも、成功してもしなくても、常にゴールに向かって進んでいることがわかる。私はこれを「数値化できない進歩」と呼んでいる。
時間を確認すると、午後5時45分。
良い時計とは何か。私が勝手に考えた基準以上のことは言えないが、安くて、見やすくて、正確であることだ。その基準を満たす時計のなかで、私が愛用しているのが、カシオのクォーツ“Easy To Read”、別名MW240だ。安くて、約束通りの読みやすさでしっかり時間を刻み、ゴールドの針もついている。
氷河の上に押し上げられたことでエネルギーが高まり、6日前に旅を始めて以来、その緊迫感が私たちを生き生きとさせている。頂上と思われる場所に向かって前方の傾斜を見渡す。少し青みがかったガラスのような部分はライディングに最適な極めて堅い表面だ。いくつかの波のような白い部分は乗れない場所だが、全体的には期待できそうだ。
先行するクリスの足跡は、登り坂で前後に弧を描き始めている。良い雪を探している証拠だ。私の雪は良くない。一見完璧に見えるが、タイヤが雪面を割り始めている。リアタイヤが埋れて止まってしまった。袖を歯で引っ張って時計を見ると、午後6時だった。
地平線上の点となったクリスはペダルを踏み続け、私はしぶしぶ歩いている。
嵐の雲が近くにできているのがわかるが、ここに来るのはあと11時間ほど先のことだ。これは私の距離感がいかに歪んでいるかを示す指標だと思い心配しないようにした。心を落ち着かせて時間をつぶすために、10を何度も数えながら歩き始めた。私のなかのメトロノームだ。
歩いているときはあまり時計を見ないようにしているが、ポケットに穴が開いているような気がしてきた。午後8時30分。あまりの時間の経過に驚きを隠せない。気温を測ろうと思ってGPSユニットの電源を入れると、予想以上に寒くて-20℃だった。しかし、今晩中に渡りきるしかないという緊迫感が私を勇気づけてくれる。
アルバート・アインシュタイン(Albert Einstein)は時間を観察者に対する相対的なものと表現し、ラスティン・コール(Rustin Cohle)刑事は時間を平らな円盤と表現したが、遠征中の私は時間をアコーディオンと表現したい。予測できない方法で伸び縮みするようだ。
今度は私がトレイルを切り開く番だ。グループをリードし、深い雪のなかを切り開いていく。私はこの役割を楽しみながらしっかりとしたテンポで進んでいく。ほんの数分のように感じたが、袖をめくると午後10時を回っていた。
汗びっしょりだ。冬の遠征といえば、汗をかかないことが第一だ。すぐにベースレイヤー(肌に直接触れるアウトドア用ウェアのこと)を脱いで着替えなければならないことはわかったが、その場で着替えるのはやめておいた。10数えることを開始すると、心の底から重大なミスを犯していることがわかったが、そのまま続行する。
ライトがすぐに消えてしまい、クリスはパンクしてしまった。我々は機械的な問題に対処するとき、チームで作業する。そうすれば、一人が長時間、風雨にさらされることはない。馴染みのある震えが始まるが、手は動かず寒すぎて集中できない。頭の中は四肢に忍び寄る焼け付くような痛みで一杯だ。
困ったことになったと思い、そっと席を外して自転車に戻る。バッグの中から必要な服を取り出して順番に並べ、ダウン、ソフトシェル、ミッドウェイト、ライトウェイト、そして最後に着ている水に濡れた合成繊維のベースレイヤーを素早く取り出した。
自転車を整備するチーム
今や以前のようなワクワク感ではなく本当に緊迫している。予定よりも遅れていて動きも鈍く、遠征全体が危うくなっている可能性がある。このような切迫した状況は恐ろしい。
新しいベースレイヤーを着ようとしたが、それが裏返しになっていた。素っ裸で立って震えながら正しい向きで着ようとしているベースレイヤーを持つ。後ろからかすかにクリスの声が聞こえてくる。「大丈夫か、ガス?」 その声で気がついた。私はベースレイヤーを正すのをやめてそのまま着てしまった。前腕から下が完全に麻痺したグローブのない手は、もはや私の命令には従わず、ジッパーを握ろうとしてゆらゆらと垂れている。
運が悪い。
ソフトシェル、ダウン、セカンドダウン、ハードシェルを着てみたが、ジッパーを閉めていないと何もできない。私は深刻な状況に陥っている。
どうしたらいいのかわからず、一瞬、弱気になり、恐怖に襲われた。幸運にもレベッカが私を助けてくれた。彼女は冷静かつ適切に私の服のジッパーを閉め、ハンドウォーマーを2つ手のひらに乗せ、手を拳にして手袋の中に押し込んでくれた。クリスは私の自転車を直し、レベッカは私にすぐに歩き始めるように指示した。
しばらく歩いていると脳に血流が戻り、何が起こったのかを理解できるようになった。この状況がどれほどひどいものかを理解しようと私は右手をグローブから出した。右手はまるで調理されたばかりの鶏肉のように病的な黄色をしている。
このままでは後遺症が残ってしまうかもしれない。指一本を危険にさらしてまで遠征する価値があるのだろうか。指の半分を失っても我慢できると判断し、前進する。
拳をグローブに戻したとき、時刻を確認した。10時30分。
また時間が圧縮される。まだ数分しか歩いていないような気がするが1時間以上も歩いていることになる。
クリスのリアタイヤを交換するために今度は真っ暗な中で停車する。人差し指と親指の感覚が戻ってきたので、必要な作業をするには十分だ。何も言わずに作業に取り掛かった。
通常、タイヤ交換は大したことではないが、今夜の我々にとっては大ごとだ。まるでこの瞬間のために準備してきたかのように、このタスクを効果的に実行できるかどうかにすべてのミッションがかかっているかのように。タイヤがポンと大きな音を立てたとき、私は不釣り合いなほどの安堵感を覚えた。この音はクリスを支えるだけの空気がタイヤに入っていることを意味しており、下り坂に向かえばすぐに走れることを意味している。あの音がしなかったら大変なことになっていただろう。装着してボルトを重ねて締め、終わったのが午前1時だった。
疲れがどっと出てきた。地図を見ようとする気持ちを抑えて、それぞれが交代で道を切り開いていく。凍結したトラックの古い足跡を見つけたのでまっすぐに進むことができたが、方向を示す目印がないため、これは非常に難しいことだ。それは私たちが走るのに十分な支えとなっている。雪は予測不可能で読みにくく、一度に短い時間しか走れないが、走っているのは気分がいい。午前2時になった。
傾斜が下に向かって追従し始め、急速に下降している。時速20マイルだが50マイルにも感じられる。雪が点々としてくる。ライトの下には青みがかったこちこちに固まった雪が見える。ペダルが地面を捉えて食い込み、バイクは停止する。氷。雪の下には氷がある。時刻は午前2時30分。
時間の流れが遅くなってきた。氷の現実を目の当たりにすると頭の中が氷でいっぱいになり、1秒1秒がとても大切になってくる。思わず地図を見てしまう。氷河の端まであと少しだ。近いと感じていた雲が今にも出てきそうではないかと、軽い心配をしてみた。再び走り出し1~2分で止まった。ブレーキの匂いがする。下り坂のストレスから解放されようと数ヤードの斜面を走る。しかし、そんなものはない。時間はとてもゆっくりと流れている。休憩中に時計を確認すると、午前2時40分。
神経が高ぶってしまった。私は自転車を下に向けて放っておく。道は二つとないことは誰もが知っているが、それを受け入れるよりも言う方が簡単だ。だから我々はバイクを奈落の底に向けて走らせるのに十分な精神力を取り戻すまで斜面を走ることを続けた。最終的には十分なブーツの牽引力で道にたどり着き、そこから抜け出すことができた。時刻は午前3時。
疲れ果てた我々は誰もいないハイウェイを3列に並んで最後の1マイルを走った。クリスはおしゃべりを続ける。私はただ走って聞いているだけだ。最終的には最後の登り坂の上にあるホテルを見つけた。焦燥感は戻ってきたが、今までとは異なり安全と休息に向けての力となった。ホテルのドアを開けると暖かさが顔に伝わってきた。私はこれまで我々を支えてくれたカシオに目をやった。時刻は午前4時。
ゴールしたチーム。
正午になり、窓の外には我々が避けようとしていた嵐が吹き荒れている。夜を乗り越えるという判断が正しかったことを知ると多少の安心感があった。右手の指が腫れて焼けているのはごく軽い凍傷だが、これは仕方がない。
私は冬用のブーツを履き部屋を出た。ホテルのロビーを歩きながらダイヤルに目をやると時計の針は12時6分を指していた。分が時間になり、それが秒になったことを説明するデータはない。数値化できない目印はすでに消えかかっている。自分はどう変わったのか? 難しい。それが数値化できない進歩の良さでもある。
アンガス・モートン(Angus Morton)氏は元プロのロードサイクリストで、プロデューサーのアイザック・カーセン(Isaac Karsen)氏とともに「Thereabouts」の共同設立者でもある。