1ヵ月前に、オーデマ ピゲ リマスター01をご紹介しました。確固たる腕時計ブランドであるオーデマ ピゲが、自社カタログに全く新しいコレクションを加えましたが、その中の自動巻きクロノグラフです。前回は主に時計そのものに焦点を当てて基本的なスペックと評価をお話しし、今回はオーデマ ピゲがこの時計で何をしているかの背景情報も取り入れました。ですが、このリマスター01には最初の記事だけでは十分に語り切れないものがあり、個人的にはここ2、3年に発売された中でもかなり興味深い腕時計のひとつだと考えています。今回は、その背後にあるものをすべてお話しするつもりで再び取り上げていきましょう。
幸運にも僕は3月の発売前にこのリマスター01を1度ならず2度、目にする機会に恵まれました。オーデマ ピゲから初めてこの時計を見せてもらったときには、じっくりと席について「リマスター」プロジェクト全般についての話を聞くことができ、うちのカメラマンのティファニーがこの記事の美しい画像を撮影する際には再び、ルーペでじっくり眺めたり腕に着けてみたりすることができました。この、2度の機会にいくらか時差があったことも幸運でした。その間に調査をしたり、専門家の意見を聞かせてもらうなどして自分の考えをまとめることができたからです。リマスター01は、真価を十分に理解するには少しばかり考察を要する時計であり、紋切り型の反応は受け付けない時計です。そしてまさにそれこそが、僕がこの時計にこれほど惹かれる理由なのです。
始まりへと戻る
リマスター01のストーリーは約80年前に始まります。オーデマ ピゲはツートンケースとゴールドの文字盤をもつ希少なクロノグラフウォッチを作りました。「希少」という言葉はここに補足説明として付いてきます。当時のオーデマ ピゲには「希少」でないクロノグラフはありませんでした。20世紀前半に同社が作ったクロノグラフは、同社が数えるところによればわずか307本です。この数がまるでピンとこない方は、この比較はどうでしょう。現在のオーデマ ピゲは、2日間でそれよりもっと多くの腕時計を作っています。
特大ケースはツートンで、目立つディテールとしてはSS製のケースバンド、ラグ、裏蓋と、ピンクゴールドのベゼル、プッシュボタン、リューズ。ラグは長めのティアドロップ形で、リューズはフラット、プッシュボタンはアーモンド形、ベゼルはわずかに丸みを帯びて、高さのある構造感を時計に与えています。そして、フィリップスがオークション目録でロゼシャンパンカラーと的確に表現したあの文字盤(これについては後でもっと触れます)。ピンクゴールドのケース部品に近い色ですが、より濃厚でやや深みを増した色合いです。文字盤には、最上部に縦長のアールデコ調で「12」の刻時が、またスリムなアワーマーカーが配され、外周沿いにはブルーのタキメータースケール、そしてクロノグラフのミニッツカウンターにはサッカーの前後半を測るための赤い「4|5」表示が付いています。そして仕上げに「Audemars, Piguet & Co.」と「Genève」ロゴが12時位置に入っていますが、これは、同ブランドが本社をおく村名の「Le Brassus(ル・ブラッシュ)」では世界の顧客にはピンとこないからでしょうね。
オークション目録や書籍で調べたりグーグルで少し検索してみたりすれば、これら307本の腕時計がこの時計も含めていずれも一点ものか、あるいは非常に小規模シリーズのものであったのかすぐに分かります。オーデマ ピゲは、同時期のパテック フィリップやヴァシュロン・コンスタンタンとも異なり(ヴァシュロンは当時どの型も36本しか作りませんでした)、複雑機構についてはどれもシリーズで出してくることはありませんでした。ここで話題にしているクロノグラフはRef.1533ですが、これは9本作られ、そのうちピンクとスティールのツートンケースは3本のみです。これらの時計のどれもが独自性をもっていたという僕の言わんとするところは、2018年11月にフィリップスが販売した、この3本のツートンモデルのうちの1本(下写真)を見れば納得いただけるでしょう。ケースは同じかも知れませんが、文字盤はグリーンがかったゴールドで、時針と分針は幅広の剣形です。この2本は全く異なる個性をもっていますが、近い将来に3本めのバージョンが現れるかどうかを見守るのは興味深いです。
多くの場合、これらの腕時計は提携する販売業者向けにそれぞれの市場の嗜好に合わせるか(この時代のオーデマ ピゲのクロノグラフにダブルサインされたものが少なからずあるのはこの理由からです)、あるいは直接エンドカスタマーに向けてデザインされていました。
少し余談になりますが、このような作品で披露されている時計づくりの水準は、まさに驚愕に値することはここで触れておくべきでしょう。文字盤上の数字は僕がこれまで目にしたエナメルダイヤルのうちでも最良の部類に入り、ゴールドの分針がカーブして文字盤を包み込むその様は非常にエレガントで気が利いているうえ、内部の手巻きムーブメント13VZAHは紛れもなくクラス最上品です。この時代のオーデマ ピゲの複雑機構を目にする機会があれば、何をしてでも実現させるべきです。真面目な話、その価値は十分にあります。
さて、僕らの腕時計に話を戻しましょう。話題にしている1533は1940年代初期に作られたもので、ムーブメントは1941年に完成し、1943年にイタリアの小売り販売業者カサノバ・ボローニャへと売られました。お気づきでない方のために説明しましょう。この時計は世界大戦の最中に製造・販売され、スイス南の国境を越えて新たな持ち主へと渡りました。その後、半世紀ほど足跡が途絶えましたが、それはやがてコレクター界隈へとたどり着き、紛れもなく世界で最も偉大な腕時計コレクターのひとりであるアルフレド・パラミコ氏(Alfredo Paramico)の手に渡りました。そして僕が以前、2014年にこの時計を見ることができたのは、Talking Watchesでアルフレド氏の回があったからです。これは本当に素晴らしい時計です。「まるで新品の腕時計に見えます」と動画でアルフレド氏は述べていますが、それもまんざら間違いではありません。
彼はその後、2015年11月にフィリップスのオークションでこの時計を売却しました。見積金額は10万から15万スイスフラン(約1104万~1656万円)でしたが、最終的には2倍以上の30万5000スイスフラン(約3368万円)で落札されました。その幸運な落札者は誰かって? オーデマ ピゲです。同社はこの時計を自社博物館の大規模なアーカイブに加えるために購入しました。しかし、オーデマ ピゲはこの時計で何か別のことも思い描いていたことが判明するのです……。
「リマスター」にとって重要なこと
オーデマ ピゲは2015年までRef.1553を入手していませんが、「リマスター」プロジェクトの構想はそれよりもかなり前に遡ります。オーデマ ピゲのコンプリケーション部門責任者であり同社の元歴史研究担当であったマイケル・フリードマン氏(Michael Friedman)によれば、この構想は実際には20年前、彼がクリスティーズに勤めていてオーデマ ピゲのフランソワ-アンリ・ベナミアスCEO(François-Henry Bennahmias)に初めて会ったときにスタートしました(ベナミアス氏は当時、オーデマ ピゲ北米支社の責任者でした)。
二人は初開催となるチャリティーオークション『Time To Give』に向けたモダンウォッチの開発に共に携わっており、同社アーカイブのエレガントな複雑機構に思いを馳せていました。オーデマ ピゲが、いつかまた過去から着想を得ることがあれば素晴らしいだろうと二人は同時に感じていたのです。時は13年進み、ちょうど新しい博物館の建設に着手しようとしていた際、ベナミアス氏はフリードマン氏をブランドアンバサダー兼歴史研究担当として理事会に招き入れました。「リマスター」プロジェクトが本格的に開始されたのはその頃です。
オーデマ ピゲの人たちと話した中で、リマスター01についてひとつ非常に明確なことがあります。これはヴィンテージ品のオマージュでも復刻版でもないということ。時計自体がこのプロジェクトの目的なのではなく、オーデマ ピゲの姿勢でもなく、彼らが提供しようとした成果でもないのです。
「私たちにとって重要なのは、過去を美的に喚起させながらもその他の点では現代的な腕時計を作ることであり、過去の時計メーカーや職人たちと今日私たちの時計を作り上げているものとのシンボル的な繋がりを生み出すことです」と、モダンとヴィンテージそれぞれの要素のバランスについてフリードマン氏は言います。この取り組み方を好む方もそうでない方もいるでしょうが、いずれにしろこれがプロジェクトの真実です。
これは僕が最初、リマスター01について一番の難題であると思った点です。僕の本能は、元の1533と比べ、オーデマ ピゲが「適切にできていない」全てのものを探そうとし始めます。オリジナルの腕時計はただただ見事なのに、なぜそれに変化を加えるのかが理解できませんでした。これをお読みの皆さんの多くが、同じ反応をもっていることと思います。しかしこれは僕の期待値や要求の問題なのであって、時計の問題ではありません。それについてもう少し詳しく述べていこうと思います。
結論
リマスター01はメタル製の、臆面もなくモダンな腕時計です。直径40mmで厚さは14mm、そのサイズをあらゆるところに感じます。実際に着けてみるとその数値が示す以上に大きく感じられます。切り立ったスリムなベゼルが文字盤を実際より大きく見せ、先が窄まったケースは手首に着けたときの厚みを感じさせます。もしヴィンテージクロノグラフだと期待していればこれが不快になるかも知れませんが、現代の競合と比べるならこの時計は全く標準的だと感じられます。もうひとつ際立つのは、ケース表面全般の仕上げに非常に輝きがあること。明るくて鮮明で、この時計の独特な形状を見事な方法で際立たせています。基本的なデザインと配色、特異なラグ、アーモンド形のプッシュボタン、SSとピンクゴールドのツートンの組み合わせなど、1533そのままです。個人的にはこの奇抜な色の組み合わせが実に魅力的だと感じますが、多くの方にとってはこれの好き嫌いは分かれるでしょう。
さらに文字盤には、依然としてこの時計らしい持ち味があると僕は思います。これは偶然、この時計がRef.1533を一番踏襲している部分でもあり、おそらく今回僕がこの記事を書くに至った理由を明らかにするものでもあります。この文字盤の色は、1533よりも少し温かみがありオレンジがかっているように見えますが、直に見ると驚くべき明瞭さがあります。全てが刀のように鋭く、サブダイヤルの計器に加わった立体的な奥行きがその効果を増幅させています。オーデマ ピゲが従来のロゴと「Genève」のサインをそのまま残したことには好感がもてます。たいていのブランドなら真っ先に改変する部分であったろうと思います。数字や文字などは、赤で小さく配された"45"に至るまで全てそのまま残しています。この45がなければこの時計は違ったものになっていたことでしょう(ムーブメント内のクロノグラフのレイアウトの関係で、反対側に付くことにはなりましたが)。
ムーブメントに関しては、これがおそらくリマスター01の最も物議を醸す点です。Ref.1533に使われたCal. 13VZAH.は、13リーニュのバルジュー製クロノグラフムーブメントのオーデマ ピゲ・バージョンで、おそらくは20世紀の最も典型的な手巻きクロノグラフムーブメントです。リマスター01用には、オーデマ ピゲはもっと近いところに目を向け、昨年CODE 11.59でデビューした自社製の自動巻きムーブメント、Cal. 4409を採用しました(CODE 11.59バージョンには日付の表示もありましたが)。ケース同様、このムーブメントも間違いなくモダンです。4Hz 振動で、自動巻き、フライバック機能があり、それがケース裏に緻密に収まっています。オーデマ ピゲは、このキャリバーを軸にリマスター01を構築したのだということが僕には明確に分かり、これは、同社の実際的特性の全てを発揮するということと併せて、この時計の裏にある哲学の重要な部分です。
本機にこれを採用することの是非はさておき、Cal. 4409は見事なムーブメントです。これはCODE 11.59で僕が唯一気に入っているもので、この先何年も多くのオーデマ ピゲ・ウォッチに使われて欲しいと思っています。頑丈で技術的な強みがあるだけでなく、非常にユニークな構造をしており、そこらにあるムーブメントとはひと味違います。ブリッジが水平方向にシースルーになっていて、クロノグラフ機構のユニークな構造が露わとなり、プッシュボタンを押せば全てが調和しながら動くのを見ることができます。それはとても素晴らしく、他では得られないものです。
僕は、HODINKEE本社の周辺でそれを着けてみて、その快適さに感心しました。サイズ、特にその厚みが僕の細い手首には大きすぎると思っていたのですが、全く問題なかったのです。これは、オーデマ ピゲが本機と合わせた素晴らしいヌバックストラップのせいでもあります。フレキシブルでソフト、多くのブランドがラグジュアリーを体現するとしている強張ったアリゲーターストラップとは違います。それらは実際には「着け心地が悪く」て「高価なのに安っぽい」と言われています。参考のため。
人々の意見
僕は初めてリマスター01を見た瞬間に、これがは物議を醸しそうな腕時計であると思いました。実際、これに無関心な人はそうそういないでしょう。そこで僕は、腕時計の世界で最も尊敬する何人かの人々に接触して、オーデマ ピゲの最新コレクションとその第1作目について、どのように思うかを訊ねてみることにしました。コレクター、オークション専門家、ヴィンテージ販売業者、学者など多様な肩書の方たちで、多くは同じ感想を抱いていたようです。僕が意見を知りたい全ての方と話をすることはできませんでしたが、この時計について僕の引っかかる点について、もっと大局的な見地から理解することができました。
さあ、まずはアルフレド・パラミコ氏です。彼はヴィンテージクロノグラフの世界的エキスパートであるのみならず、上で述べたように、リマスター01の着想元になった実際の時計を所有していた人物でもあります。彼をおいて話を聞くべき人は他にいないでしょう。
「インスパイアしたあの時計は、私が所有する栄誉に浴したヴィンテージウォッチの中でもおそらく最上級のものでしょう」と彼は僕に言いました。「従って、私の心はとても暖かくリマスター01を迎えて入れています」。彼は特に、「ラグの形状、文字盤のサテン仕上げ、ピンクゴールドの針、オーデマ ピゲのシグネチャー、印字のクラシックなフォント」など、細部への拘りや、オーデマ ピゲがこの時計の決め手となる特質を正しく取り入れたことなどを評価しています。アルフレド氏は確かにこの時計を見ながら莫大な時間を過ごしたわけで、そのディテールの正当性を知る人がいるとすれば、それは当然彼になります。
文字盤への称賛は、私が話を聞いた人々全ての総意のようでした。
「オーデマ ピゲはどうしたらこんなに文字盤を正しく扱うことができたのだろう」とは、フィリップスのウォッチ部門長であり、アルフレド氏が2015年にRef.1533を売却した際のオークショニアを務めた人物であるオーレル・バックス氏(Aurel Bacs)の言葉です。同じく、腕時計販売業者でありコレクターでもあるエリック・クー氏(Eric Ku)も、オーデマ ピゲがダイヤル上の文字を扱うそのやり方に非常に感銘を受けていました。
「私はフォントに強い執着があるのですが、『Audemars Piguet & Co. Genève』のシグネチャーの本物らしさを非常に気に入っています」と氏は言いました。「私が所有する似たようなヴィンテージクロノグラフでも、私が拘るのはその点でした。そしてそれはリマスター01にも受け継がれているのが分かります。ささいなディテール、『&』が正しいものであるとか、『Co』の『o』に入れたアンダーラインとか、『Audemars』のフラットな『A』とか……それらが全くの違いを生み出すのです」
同じく、僕が話をしたコレクターや専門家のほとんどが、オーデマ ピゲがこのプロジェクトに取り組んできた姿勢を楽しんでいました。例えばバックス氏は、腕時計ブランドが、ただ昔の時計を再現するだけの最近のトレンドについては、「新たな良いアイデアがないとでもいうのでしょうか? 最上の腕時計のデザインは本当にもう過去のものなのでしょうか?」と嘆いていました。しかしリマスター01は、新旧のコンビネーションでその落とし穴に嵌まり込むことを防いでいます。「オーデマ ピゲはオリジナルのコピーを目指したのではないと思います」とクー氏は述べた。「この時計は現代的なキャリバーを持つヴィンテージデザインなのであり、その点でオーデマ ピゲは上手くやっています」
さらに、元となるオリジナルのヴィンテージ品の希少さも考慮する価値があります。リマスター01をインスパイアした元の時計はオーデマ ピゲ・ミュージアムにあり、その姉妹品である2本目は最近6桁(日本円8桁)で競り落とされ、残る3本目はどこかに隠れているのかあるいは紛失してしまったのか、純正のヴィンテージ品は基本的に入手困難なのです。
「オリジナルのヴィンテージ品の購入には、何も取って代わることができないのも事実ですが、満足できる状態で出所も正しいこれらのヴィンテージウォッチを、適正な価格で入手するのも次第に難しくなってきています」とコレクターのアーメド・ラーマン氏(Ahmed Rahman)は言います(彼にはTalking Watchesに登場してもらったこともあります)。「これら引く手あまたのヴィンテージウォッチで状態の良いものは、ほとんど目ざといコレクターたちがたちまち買い取ってしまう状況がもう長く続いており、見つけるのはなかなか困難です。主にモダンウォッチを収集する私のような新世代コレクターにとって、こういった復刻は歓迎すべき息抜きになります」
しかし誰もがこの時計に賛同しているわけではありません。「リマスター01は、オーデマ ピゲの希少なクロノグラフウォッチのひとつを自社の最新テクノロジーで再解釈したものですが、レトロスタイルの罠に嵌ってしまっています」と、コレクターであり書籍も出しているジョン・ゴールドバーガー氏(John Goldberger )は言います。「彼らは新たな博物館を建て、自社の歴史的な時計作品についての本を出版し、優秀な修復部門を強化するなど、ヘリテージ部門に大きく投資していますが、 イノべーション企業であることへの関与をなおざりにしています」。
ゴールドバーガー氏は、オーデマ ピゲのカタログにある別の腕時計を、より成功した過去と現在の架け橋として見ています。「オーデマ ピゲは新たなロイヤルオーク エクストラシンの、イエローゴールドのものや、ブラックとホワイトセラミックのパーペチュアルカレンダーなどで素晴らしい仕事をしました。今回のクロノグラフは、文字盤とケースの仕上げは非常に良い仕事をしていますが、サイズやガラス張りのケースバックなどが好みではありません。過去の遺産と現代性のこのような融合は、私としてはあまり興味をそそられません」
最後にもうひとつだけ。これらの紳士方に、リマスター02としてどの腕時計を見てみたいかと尋ねない訳にはいきませんでした。基本的に答えは半々に分かれ、半分はパーペチュアルカレンダー、残る半分はパーペチュアルカレンダーのクロノグラフが見たいとのことでした。どちらの意見にも、僕は100%同意します。オーデマ ピゲが30年代から50年代の高度な複雑機構をもつエレガントな自社製腕時計を取り上げるという発想には支持が多く、もっと見てみたいという欲求は間違いなくあります。
異なる方向
今日の市場においてヴィンテージ品に触発された高級クロノグラフは、もちろんオーデマ ピゲのリマスター01だけではありません。実際、オーデマ ピゲの二大競合相手であるパテック フィリップとヴァシュロン・コンスタンタンはもうかなりの期間、この分野で時計を出してきました。とはいえ、世界三大高級時計メーカーはこのタイプの腕時計に対して、それぞれ違った取り組み方をしています。オーデマ ピゲが新たにこのカテゴリーに参入した概要は上に述べた通りですが、パテックとヴァシュロンの取り組みについてもざっと目を通し、コレクションにこの手の時計が欠けている方々にとって、どのような選択肢があるかを見ていきましょう。
ヴァシュロンから始めましょう。ヒストリーク・コルヌ・ ドゥ・ヴァッシュ1955は、全てのブランドからリマスター01に最も近い比較対象として挙げることのできるモデルです。ヴァシュロンは、自社アーカイブを振り返って昔の傑作モデルを見つけ、それをモダンウォッチとして再構築しました。そしてコルヌ・ドゥ・ヴァッシュが5年前のSIHH2015でプラチナモデルとして初登場。それは好評を博し、ローズゴールドモデルが2016年に、SS製のHODINKEE限定モデルが2017年に発売され、2019年にオフィシャルとしてSS製モデルが加わりました。それは「ヒストリーク 」シリーズの花形となり(アメリカン1921もすこぶる魅力的ではありますが)、ヴァシュロンはコレクション全体を自社の豊富かつ忘れられがちな歴史を巡って構築させてきました。現世代の「オーヴァーシーズ」コレクションがデビューしたのも、コルヌ・ドゥ・ヴァッシュのお陰と見ることも可能です。それがヴァシュロンに、豊かな過去を新たな方法で活用する自信を与えたからです。
ただし、コルヌ・ドゥ・ヴァッシュは独自の考え方で作られています。着想元としたのは1950年代中盤にわずか36本だけ作られたRef.6087です。ケースはオリジナルの35mmからより現代的な38.5mmへと刷新され、文字盤はオリジナルリファレンスを識別しやすいモデルから色濃く引用して、12時と6時にアプライドのローマ数字「XII」と「VI」、それ以外の時間にはアプライドのバーインデックス、そして2レジスターの文字盤の周りにはタキメーターが配されています。手巻きのCal.1142は、どちらかといえば従来型。これは評価の高いレマニア2310の同社による現代版と言えますが、振動数は上がり、仕上げは非常にエレガントで(コラムホイールのマルタ十字など特別な装飾も施されています)、ジュネーブシール認証も受けています。
これら全てが合わさり、非常にオールドスクールな趣がありながら、着け心地と仕上げ感はこの上なく現代的な腕時計になりました。奇妙なことですが、この時計は、僕にはリマスター01ほど真剣に「ヴィンテージインスパイア感」を出そうとしていないように感じられるのです。文字にすると確かに、再構想というよりも真のオマージュに近いと言えるのですが。モダンウォッチのようなサイズと仕上げに一新したことで、ヴァシュロンはこれを着ける人がオリジナルの素晴らしさを享受しつつも、これらのどの要素も邪魔になることがないようにしています。
ヴァシュロン・コンスタンタンがヴィンテージウォッチをモダンに刷新するやり方をとる一方で、パテック フィリップは正反対のアプローチで、全くのモダンクロノグラフにヴィンテージ的な風合いと特徴を加えています。ここで取り上げる腕時計はRef.5172Gです。この時計は1年前のバーゼルワールド2019で紹介され、Ref.5170モデルの全ラインナップに取って代わりました。後者は2010年の発売以降、10年近くパテック フィリップ主力製品の2レジスター クロノグラフだったので、同社がそれを縮小させてこの単一の新たなリファレンスを押し出してきたのは一大事件でした。
Ref.5170は直径39㎜で、スムースなベゼルと長方形のクロノグラフプッシュボタンが特徴的な艶やかなケースをもっていました。5170の内部にはパテック初の完全自社製クロノグラフムーブメントのCH29-535が搭載され、これは同ブランドにとっての記念すべき一歩となりました。ここで詳細には触れませんが、5170は5070の後続モデルで、その5070は直径42mmでCH27-70を使用しており、これは、ヴァシュロンがコルヌ・ドゥ・ヴァッシュに使用したのと同じレマニア2310のパテックバージョンでした。お分かりかと思いますが、パテックは2010年に既に別のタイプのクロノグラフに向けて動いており、5170はその方向転換を示すものでした。何年にもわたり5170は、文字盤の処理やケース素材を様々に工夫しつつかなり多くのモデルが生産されましたが、コア要素であるケース、ムーブメント、シンプルな2レジスターのレイアウトは決して揺らぐことがありませんでした。
Ref.5172Gは、このコンセプトやテーマを実に面白い形で取り入れています。サイズは41㎜とやや大きくなりましたが、この大きくなったケースによって、Ref.1463のようにアイコニックなヴィンテージモデルに見られる特徴的なスターバック模様のプッシュボタンや、凝ったステップ装飾を施したラグなど、パテックの過去がより明白に示せるようになりました。針やアラビア数字といった要素もオールドスクール的な魅力を添えています。ムーブメントは全く変えていないため、パテック フィリップの自社テクノロジーがこの時計を動かしていることに変わりはありません。
こうして3つの腕時計を並べてみると、同じ課題に対する3つの異なる取り組み方が見えてきます。そしてその課題とは簡潔に言えば、現代の時計づくりの基準に沿った現代の顧客にアピールできるヴィンテージ・インスパイアのクロノグラフをいかにして作るか、ということになります。
ヴァシュロン・コンスタンタンはできる限りアップデートを抑えて、歴史的要素を何も失うことなく、構造や仕上げの面で期待値を超える時計を提供しようとしてきました。コルヌ・ドゥ・ヴァッシュはヴィンテージウォッチ愛好家の理想です。パテック フィリップは美的バランスで感銘を与えることを選び、ケースを大きくしながらもよりヴィンテージ風に仕上げ、それをモダンな手巻きクロノグラフムーブメントと合わせました。5172はさり気ないコントラストをもつ時計です。オーデマ ピゲは、全ての些細なヴィンテージディテールを文字盤にあしらい、それを、ほどほどにモダンなサイズの見るからにオールドスタイルなケースに詰め、そしてその全てを、最も前衛的なムーブメントで駆動させました。
リマスター01はその結果、ドラマチックなほどのコントラストをもつ腕時計になったといえるでしょう。それはこちらに、何かがモダンであるとかヴィンテージ風であるとかは一体何を指しているのか、そもそもなぜそれがそうあって欲しいと望むのか、そう問いかけてきます。
ここで最後に触れておくべきは価格設定です。リマスター01は555万円、ヴァシュロン・コンスタンタンのコルヌ・ドゥ・ヴァッシュはローズゴールドが680万円、SSモデルが432万円、そしてパテック フィリップのRef. 5172Gはこの中で最も高価な803万円です(全て税抜価格)。ただ、ここで直接比較するのは意味をなさないでしょう。
僕らが話題にしているのは、ひとつはSSとピンクゴールドのツートン、ひとつはSSまたはゴールド、そしてもうひとつはホワイトゴールドの時計なのですから。しかしそれを念頭に置いたとしても簡単に分かる違いはあります。リマスター01はヴァシュロン・コンスタンタンよりも高く、パテック フィリップはそれよりもさらに高いということ。もう一つ付け加えると、この中でリマスター01だけが限定エディションです。
このうちどれかが「お値打ち品」かそうでないかはもっぱら、あなたが何を求めるかによります。この記事でしっかりと概略を述べ切ることができたことを祈りますが、これらの腕時計は基本コンセプトでいえば似ているようでも、実際には違うのです。僕は正直、この中のどの時計についても、お買い得とするにしろ、非常に高いとするにしろ、いずれも妥当な議論だと見ることが可能です。ですから時計の価値ついてはご自分のクレジットカードを取り出す方にお任せするとして、ここで議論するのは遠慮しておきます。
最終結論
結局のところ、世界最高級時計メーカーのモダンながらヴィンテージインスパイアされたクロノグラフの市場において、リマスター01は注目に値するものです。この時計が内包しているのは、今日の時計業界の有様についての複雑な意見交換であり、コレクターやカスタマーは何を求めているのか、メカニカルな腕時計の世界において過去と現在はどのように共存できるのか、そして時計に関する全てに情熱的意見をもつ評論家としての僕らにとって、目に留まった時計との関わり方についてどう考えるべきか、といった問いかけなのです。
リマスター01が浮き彫りにする非常に重要なもののひとつは、「It 問題」と「Me 問題」との衝突、とでも呼びたいものです。「It 問題」とは、腕時計そのものにある過失です。高級であるはずの腕時計にある不味い仕上げ、正確さの欠落、手首のサイズに関係なく着け心地の悪いケースやブレスレットなどは、ここに含まれます。それらは現実の問題です。誰か個人か集団が間違いを犯し、その間違いが時計に染み出てきてしまったということです。もしあなたが批評家の目をもっているなら、それは避けられません。
一方で「Me 問題」とは、僕ら自身の時計に対する向き合い方に関するもの。自分は文字盤の色や針の形状などといった特定の美的選択を気に入っているか? 自分の手首にフィットするよう時計はもっと小さくあって欲しいと希望するか? ストラップよりもブレスレットを好むか?
僕がリマスター01を初めて目にしたとき、オーデマ ピゲとの打ち合わせ後すぐに思ったのは、「まったく、なぜこの時計にはもっと薄い手巻きムーブメントを採用しなかったのだろう」といった感じでした。そしてその後、僕は全てが腑に落ちたのです。つまりはこういうことです。僕は依然として、もっと薄くて小さくて手巻きムーブメントがよかったにしても、それは、この腕時計の別バージョンですらなく、全く別の腕時計なのだということです。それは復刻版やオマージュであって、オーデマ ピゲが今回作ろうとした時計ではないわけです。
これこそが、リマスター01が全面に押し出してくる「It 問題」vs「Me 問題」のせめぎ合いです。この時計はそれ独自の価値を帯びていて素晴らしいのです。それはまさにオーデマ ピゲが目指したことを成し遂げており、現代的なテクノロジーを採用しつつ自社ブランドの過去へと繋がる深い美学をももち合わせた、著しくモダンな時計に仕上がっているのです。もしヴィンテージの復刻版か、あるいは1940年代から直接現れたような趣のあるものを探しておられるのであれば、がっかりすることでしょう。でもそれは、そもそもこの時計は初めからあなたを満足させようとはしていなかったということです。
これが、僕がリマスター01を好きになった理由であり、時計業界において本機は良いきっかけなのだと考えるようになった理由です。単純にファンサービスをしたり既存マーケットに迎合したりする代わりに、オーデマ ピゲは、ここ2、3年の間、腕時計業界を席巻してきた「ネオヴィンテージ」のトレンドに乗って新たなやり方を提供することに決めたのです。そもそもなぜ腕時計が好きなのか、そして僕らはそれらをどのように評価するのか、時計自身も僕らに売るために自らを評価するような、そんな本物の視点をもつ腕時計をこのブランドは作ったのです。リマスター01は間違いなく美しい時計ですが、それ以上に賢い時計です。そしてそれこそが、僕が支持したいと思う時計のトレンドです。
さらなる詳細についてはオーデマ ピゲ公式サイトへ。