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ジェームズ・ボンドへのコスプレ願望が導く時計収集の真理とは

サイバーパンク小説のゴッドファーザー、ウィリアム・ギブスン(William Gibson)の主張とジェームズ・ボンド(上級者は上官のM)になりきること。

トップ画像はロレックス ビッグクラウン Ref.6538、ショーン・コネリー(Sean Connery)扮するジェームズ・ボンドが劇中で身に着けた時計だ。詳しくはREFERENCE POINTS:ロレックス サブマリーナー 歴代モデルを徹底解説をご覧いただきたい。

遡ること1999年、サイバーパンクと呼ばれるSFジャンルの創始者の一人であるウィリアム・ギブスン(William Gibson)がWired誌に投稿したエッセイを、懐かしさのあまり何度も読み返したが、時計愛好家なら今でも不気味なほど身に覚えがあることが書かれている。このエッセイのタイトルは“My Obsession(私が執着するもの)”だが、時計愛好家の間では、ギブスンの“Tamagotchi Gesture(たまごっち呼び出しサイン)”という概念でよく知られている。

2008年当時のウィリアム・ギブスン氏。Image, Wikipedia

 “執着”という単語がまさにぴったりだ。このエッセイは、一人の男が機械式時計に執着するようになるまでの個人史であり、時計学的教養小説とでもいうべきものだ。ギブスンは、機械式時計が愛されるのは、可愛がらないと死んでしまう“たまごっち”と呼ばれるデジタルペットのように、気配りと世話が必要だからだと言う。彼は時計について、「本質的は不必要なものであるが、世話をしなければならないからこそ安らぎを与えてくれる存在」と記している。

 それは機械式時計の楽しみの大きな部分を占めているが、それだけではない。たまごっち呼び出しサインに加えて、私は時計の正当化を示す辞書に、もうひとつの言葉を加えることを提案しよう ‐ コスプレ効果である。

何かになりきることで得られる快楽

 コスプレとその派生形であるLARP(ライブRPG)は、オタクコミュニティの普遍化の副産物である。オタクコミュニティは、実在しない登場人物や異世界に対する不健康な執着によって集まった人々が形成する。そもそも“オタク”とは、アニメや漫画に夢中になっている人のことを指す日本語である。もともとはアメリカのアニメ『シンプソンズ』に出てくる“コミックブック・ガイ”のように、少し侮蔑的な意味合いを持っていたが(彼の風体を見れば、私が言っていることが理解できるだろう)、オタク文化は長い道のりを経て進化してきた。今や時計愛好家でさえも主流となりつつある。

 “コスプレ”とは、自分が夢中になっている架空の世界から描かれたコスチューム(コスチューム+プレイ)で着飾ることだ。いわば年齢制限のないハロウィン仮装だが、コストもかからず(細部まで作りこまれたコスプレ衣装は、製作者が数千ドルの材料費と数百時間の製作時間を費やすこともある)、そして何よりも、コスプレをしてお菓子をもらって家に帰る人はいない。もしコスプレに長けていれば、オタク仲間から賞賛されるだろう ‐ それは昔ながらの創造的努力と、仲間からの評価があって初めて得られる暖かい輝きだ。

MCMロンドン・コミコンでのスペースマリーン(ウォーハンマー40,000)。Image, Altan Dilani, Wikipedia.

 ライブRPGは、コスプレと、今ではすっかり一般化したオタクのお気に入りであるファンタジーRPGゲームを組み合わせたものだ。語源となった“LARP”とはLive Action RolePlayingの頭文字で、コンピュータ(古いタイプならゲームボード)で遊ぶのではなく、戦士や魔法使いに扮して、モンスターと戦ったり宝を探したりするふりをして郊外を歩き回ることを指す(おそらく、治安を乱す行為とみなされて逮捕されないことを祈りながら)。

 さまざまな形態があるが、私が好きなのは、ハリー・ポッターの世界に出てくるクィディッチ(Quidditch)のライブRPGだ。天気の良い日には、箒(ほうき)に跨った人々が金のスニッチを追いかけてニューヨークのイースト・リバー・パークを走り回る姿を実際に目にすることができるし、ライブRPGの醍醐味であるルールについての議論を楽しむこともできる(もちろん、利害関係なく純粋に激しい議論を交わす特徴は、時計愛好家界隈と同じである)。

トニー・ソプラノ(Tony Soprano)のコスプレ(時計のみ)を楽しむ著者

 私はコスプレもライブRPGもしない(子供時代は除く)。しかし、私にとって興味深い特定の時計に関しては、紛れもなく両方の要素を感じている。読者諸兄も思い当たるのではないだろうか。

見てママ、ボク宇宙飛行士だよ!

私が初めて目にして所有したいと思った時計は、オメガのスピードマスター プロフェッショナルだった。最近時計を集め始めたばかりの人には理解しがたいかもしれないが、宇宙飛行士が使っていた時計を所有することは、昔の子供が憧れる最もクールな関心事だった。ほぼ同時期(主に1960年代)には、自動車や航空機など、クールな別世界に触れる時計には事欠かなかった。しかし、宇宙旅行を感じさせるものはなかったのだ。もっとも安価なものだとランチボックスに入っていたスペース・フード・スティックが、ツインキーやドリー・マディソンのカップケーキを全国の茶色い紙袋から駆逐するほど、宇宙旅行に密接する物は少なかったのだ。

月面でオメガのスピードマスター プロフェッショナルを身につける宇宙飛行士バズ・オルドリン(Buzz Aldrin)

 最近、スピードマスターを購入する人には、アポロ計画に縁もゆかりもない若年層が多くなっている。しかし、現行のスピードマスターは厳密にはムーンウォッチではないが、乗組員による宇宙ミッションとの絆は十分にあり、スピードマスターのパブリックイメージにも貢献している。少なくとも、Amazon創業者のジェフ・ベゾス(Jeff Bezos)にとっては、宇宙飛行士への憧れを掻き立てるものだったようだ。ブルーオリジン社の初の有人飛行については多くを語ることができるが、少なくとも部分的には歴史上、最も費用の掛かったライブRPGの例のひとつといえそうだ。

 時には、時計も着用者も、ちょっとしたコスプレに耽ることがある。パイロットウォッチはその好例だ。ヴィンテージのパイロットウォッチは、航空史との繋がりや、純粋でシンプルなデザインで愛されているが、最近のパイロットウォッチは、実際のパイロットが身につけるというよりも、パイロットに憧れる人たちが身につける存在になっている ‐ マーケットが求めているのは真のパイロットウォッチというよりは、一般大衆が想像するパイロットウォッチのイメージだ。

 現在のパイロットウォッチコレクションは、コックピットの計器類を模したデザインを採用していることが多く、それ自体はシンプルで純粋なデザインとは一致しないが、ターゲットとなる人々にとっては、2005年の映画『Wild Blue Yonder』の精神をどれだけ呼び起こせることの方が重要なのだ。高度計を模した日付表示はその典型的な例だ。

ボンドになりきるのに際して

 時計は、憧れの現実世界のプロフェッショナルだけでなく、自分が好きなフィクションのキャラクターのコスプレを可能にしてくれる。例えば、ボンド、ジェームズ・ボンドだ。ボンドのコスプレをする上で嬉しいのは、本や映画の影響で比較的敷居が低いことだ ‐もちろん、ヴィンテージのロレックスや最近ではオメガの時計も候補に挙がる。特にコスプレと言っても、コスプレではなくライブRPGの観点でジェームズ・ボンドになるのは莫大な費用を要する ‐ 映画『007 カジノ・ロワイヤル』では、ヴェスパー・リンド(Vesper Lynd)はボンドにバカラゲームの予算として1000万ポンド(約15億円)を渡し、賢明な投資と判断した場合にはさらに500万ポンド(約7.5億円)を準備すると言質を与えている(ジェームズ・ボンドは、ジェイソン・ヒートン(Jason Heaton)が“ジェームズ・ボンド効果”について書いたほど、ダイバーズウォッチのアンバサダー的存在となっている)。

1000件ものオークションに出品されてきた時計。『007 サンダーボール作戦』(1965年)に登場したボンドのRef.6538

 私たち007ファンのほとんどはそのような資金は与信されないので、モンテネグロのカジノで危険なライブRPGに身を晒すよりも、お気に入りのロレックスやオメガでボンドのコスプレをした方が、間違いなく安く上がる(ヴィンテージロレックスが流行する前は特にそうだった)。予算に余裕のある007には、『007 ドクター・ノオ』の冒頭のカジノのシーンでボンドがシルビア・トレンチ(Sylvia Trench)と会話するときに身につけている、完璧に美しく、より控えめなグリュエン プレシジョンを検討するのがいい。あるいは、ロジャー・ムーア(Roger Moore)が身につけていたボンドセイコーもいいかもしれない(ムーア時代のボンドがセルフパロディに陥っていることを考えると、これはあまり魅力的ではないかもしれないが)。オクトパシー(Octopussy)という題名は、綴るのが憚られるほど間抜けだが、それに比べれば『007 私を愛したスパイ』の方がまだ古典文学的香りがする。

オメガ シーマスター300M 007エディション、『007 ノー・タイム・トゥ・ダイ』着用モデル。

 多くの人は、まず何がクールなのかわからず、流行しているものを採り入れてみるものだ。例えば、ビスポークスーツにハワイアンシャツを合わせるのがクールだとか(確かに聞いたことはあるが、私には理解できない)、スティール製のスポーツウォッチがクールだとか…ボンドは確かにクールで、クールの定義にぴったりハマっている。しかし、どこかの時点で、わかりやすい時計のコスプレをやめて、道なき道を歩みたいと思うかもしれない。

 そこで登場するのが、短気な元イギリス海軍士官のMである。

スイスのように電車がいつも清潔に掃除され、無秩序な若者問題に取り組む国を私は尊敬するね。

– M,『女王陛下の007』より

今は無きボンド愛好家のウェブサイト“コマンダーズ・クラブ”の言葉を借りれば、「007の船が、あまりにも過酷で、費用が掛かりすぎ、(何よりも)あまりにも稚拙な追求だと感じ始めたら、Mの船に乗り換える時が来たということだ。あなたが気づく最大の変化は、多かれ少なかれ、自分の新しい役割を受け入れること」だそうだ。

 Mは本でも映画でもジェームズ・ボンドの上司だ。ボンドはもちろん、誰もが憧れるスーパースパイだが、特に本の中のボンドは、現代の礼儀作法や人間性、良識、そして一般的な健康の基準からすると、個人的な趣味や習慣に少々無理がある。1日にハードリカーをボトル半分、タバコを50本吸うなど、キース・リチャーズ(Keith Richards)がロールモデルなのだろうか? 一方、Mはそのような嗜好品を軽蔑している。

 Mは、男らしさや富、評判や名声など、あらゆることを人前で披露することは、仕事上はもちろん、個人的な趣味の面でも好ましくないと考えている節がある(Mの性生活は不明であることからも、恐らく彼はボンドが任務上持つ危険な情事に、映画『ゴッドファーザー』のドン・コルレオーネが長男ソニーに抱いていた程度の苦々しさを感じていただろう)。小説の中でMはロールスロイスを運転しているが、それは誇示したいというよりも、愛国心や少し皮肉な性格からくるものだという印象を受ける(コスプレではなく、MとしてのライブRPGは、パイプやボウタイ、タバコを収納するための空の砲弾など、ボンドとしてのそれよりも少し複雑ではあるが、確かに危険もお金もかからない)。

 読者の中にはパテックを身に着けている方もいるかもしれないが、少なくとも小説の中のMはスミスか、同じようなロンジンかオメガのカレンダーがない時計を身に着けている可能性が高いと私は考えている。ただ、何を選ぶにしても、本の中のMやショーン・コネリー時代のコスプレをしたいのであれば、“スイスのように電車がいつも清潔に掃除され、無秩序な若者問題に取り組む国を私は尊敬するね”と語る男の価値観に共感する必要があることを覚えておいてほしい。(出典:女王陛下の007

 Mは、おそらく世界で最も俗にいうブランド価値に無関心な人種に違いない。もしMが時計をつけるとしたら、前任者から受け継いだものをつけている可能性がある。“ジェームズ・ボンド”のように、Mは人名ではなく肩書き名であるという説が気に入っている。もしそうなら、Mから次のMに時計を引き継ぐといい ‐ボロボロのSSケースのオメガの懐中時計がお似合いだ。

左から右にマネーペニーを演じるルイス・マクスウェル(Lois Maxwell)とMを演じるバーナード・リー(Bernard Lee)、そして007役のショーン・コネリー。映画『007 ロシアより愛を込めて』(1963年)。Image, Alamy

 あるいは、何もないかもしれない…Mはオフィス、パブ、自宅以外の場所には行かないようなので、デスクの置時計から十数ヤードも離れた場所に身を置くことはないだろう。

 ボンドの時計のリストは晴れた夜空の星の数ほどあるのに、Mが身につけていたものについてはほとんど情報がないことは、他人にどう思われようとまったく意に介さないMの性格を物語っていると私は思う。Mが時計のようなものに感傷的な思いを抱くというのは、一見すると馬鹿げているように思える。しかし、もしかしたら彼は外面的にも内面的にも永久に排除してしまった情熱の密かな捌け口を、時計に見出すような紳士なのかもしれない。彼の家(と心)の中には秘密の部屋があり、そこでは、子供にとっての“たまごっち”のように、彼にとって生き生きとした自慢の品々が時を刻み、彼の人生に寄り添っているのか ‐ いわば、慰めの報酬のように。誰か心当たりはないだろうか? Mは一体何を腕に着けているのだろう?