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Culture Of Time 時計を通じて、国のために亡くなった人々を追悼する

メモリアルデーはパレードやバーベキュー以上の意味があるのだと、ようやく気づいた。

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私が若い頃、メモリアルデーとは、クラシックカーがメインストリートを駆け抜け、マーチングバンドが演奏し、子供たちはハンドルに輝く愛国的な吹き流しをつけた自転車に乗り、古い消防車がサイレンを鳴らし、そして地元の兵器庫から来た兵士が満載の輸送車から子供たちにキャンディーを配る、その年最初のジャージーショアへの旅行を意味した。ある年、私はパレードで自分で改造した1967年製のポンティアック・テンペストのコンバーチブルを運転していたが、雨が降ってきて中止せざるを得なかった。

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 メモリアルデーではいつも楽しい時間を過ごしていた。グリルに火を入れ、ステーキを数枚並べ、いい感じに焼けたところでビールを片手に、サッカー観戦をしながら初夏を満喫するのが何よりの楽しみだ。

 私は青春時代の大半を、メモリアルデーの意味をよく知らないままに過ごした。私の祖父はふたりとも陸軍に所属しており、ひとりはアメリカで、ひとりは朝鮮戦争に参加したが、彼らは戦争を乗り越えて、戦後の経済発展のなかでアメリカンドリームを追い求めるようになった。メモリアルデーは従軍中に亡くなった人々を称える日であることは知っていたが、その意味を純粋に自分のものとして理解したのは人生の後半になってからだ。

 そして、そこに至るまでには腕時計がひと役買ってくれた。

 私を引きつける時計の物語は、実は時計に関するものではないことが多い。むしろ、時計はわれわれがもっと重要なものを見るためのレンズを提供してくれる。時計は物語を深く研究するための口実であり、時には物語を語るための口実でもある。私は歴史、地政学、軍事、航空、外国文化に興味があり、自然とそのような分野で時計のストーリーを探すようになった。

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 時計収集を始めた頃、私はケースバックの刻印にこだわりを持つようになった。多くの人はコレクションという観点から、ケースバックの刻印が付加価値か減点か、オリジナリティという点でどうなのか、非常に強い意見を持っている。私は正直に言って、そんなことはどうでもいいのだ。私にとって刻印は、常に追いかけたくなる大きな軌跡の最初の“パンくずリスト”なのだ。特に第2次世界大戦時の兵士のエングレービングが施された時計を見つけると、その時計に取り憑かれたようになる。時にはメモや願い事、日付が書かれていることもあった。それらはすべて、その時計の歴史、さらに言えば、それを身につけた人の歴史をたどるのに役立った。第1次世界大戦時のトレンチウォッチを実際に着用していたのは誰なのか、あるいは今日において収集可能な時計を発行したのは誰かを見つけようとした。

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 このこだわりは「#alwaysreadthecaseback」とゆるやかに名付けた継続的なプロジェクトに変化した。2019年、私はかつてアメリカ兵が所有していた数々の腕時計の歴史をたどる物語を発表した。兵士たちのほとんどは帰国して充実した生活を送っていた。だが、そうでない者もいた。このプロジェクトの調査段階で、私は何十人もの見知らぬ人に電話をかけ、従軍した親族について話をすることになった。だが、電話の向こうの人々は相手が誰であろうと、時計の裏蓋とGoogleの検索結果で自分の名前を見つけた変人であろうと、気にも留めないことが多いことに気づいた。彼らはただ従軍した親族、特に国のために命を落とした人々の遺産を不滅のものとし、敬意を表したいと思っているのだ。

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 それは私に大きな衝撃を与え、このプロジェクト全体をよりパーソナルなものにしてくれた。半世紀以上前に国のために尽くし、時には戦死した人たちと時計を通じてつながっているのだ。それが事実かどうかは別として、自分のしている仕事が重要なものであると感じられた。充実していたのだ。私は単に時計に関する商品記事を書いたり、時計メーカーと消費者のパイプ役を務めるだけでなく、自国の歴史の一部を保存しているのである。

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 そして、その使命はアメリカの外にまで及ぶこともある。私が調査したある時計は、オンタリオ州オークビルと重要な関係を持つことになった。この時計はアークレスエステートにあるオークビルミュージアムに寄贈した。時計が遠く離れた場所や人々とつながり、時間や物理的な距離を超えることができるのは、とても魅力的なことだ。

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 記事「The Watch That Came In From The Cold」のリサーチでは、ノーマン・シュワルツ(Norman Schwartz)や、民航空運公司(Civil Air Transport)のこと、50年代の極東における政策形成におけるCIAの役割、そしてCIAのメモリアルウォールの星について、数え切れないほどの時間を費やした。調べ終わるころには、ノーマン・シュワルツと副操縦士のロバート・スノディ(Robert Snoddy)を知ったような気分になっていた。それは執着に変わる話だった。あの奇妙な黒焦げのロレックスは、私をミッションに駆り立て、やがて熱中させることになった。仕事が終わってHODINKEE本社を出ると、家に帰り、シュワルツの生きた世界を理解するための当時の一次資料に没頭したものだった。

 私は時計を通じて、ある人々が国のために捧げたものに新たな光を当てて感謝するようになった。時計は「国家のために犠牲になった」という抽象的な概念に、名前と顔と物語を加えてくれたのだ。今では毎年メモリアルデーになると、ビールを飲み、鉄板の上のステーキのジュージューという音を楽しむあいだの静かな時間に、自由の名の下に命を落とした人々について、そして時計を通して彼らのストーリーを考えるようになった。