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本稿は2019年4月に執筆された本国版の翻訳です。
編集部注:この記事が最初に公開されて以来、この時計の誕生と起源を詳述した関連資料を見る機会がありました。これらの資料の詳細な独占公開記事はここでチェックしてください。
ここ数年、多くのコレクターにとって紙媒体の学術書がオンラインカタログに取って代わられたことで、オークションカタログの“カバーロット”の概念が少し変わってきています。それでも大手オークションハウス各社は季節ごとに、大きな話題を呼ぶ時計を提供しています。今度フィリップスで開催される、The Geneva Watch Auction: NINEのカバーロットは、間違いなくこのヴァシュロン・コンスタンタンです。では、今見ているのは具体的に何なのか? その答えは複雑です。
フィリップスがこの時計を販売すると発表したのは1カ月ちょっと前のことで、その際は背景、文脈、時計についてかなり詳細なレポートをお伝えしました。それ以来、フィリップスの人たちと話をしたり実機に触れる機会があり、この時計が何なのか、なぜこの時計に意味があるのか、どのような経緯でオークションに出品されることになったのか、少し理解が深まりました。
簡単に説明します。1935年、フランシスコ・マルティネス・ラノ(Francisco Martinez Llano)というコレクターが、マドリードの小売店ブルッキング(Brooking) を通じて、ヴァシュロン・コンスタンタンにレトログラードカレンダーコンプリケーションを搭載した特注のミニッツリピーターを注文しました。1940年代初頭、その時計は南米に住む彼のもとに届けられ、それ以来ずっと家族のもとで大切に保管されていました。この時計の唯一の外部的証拠は、1992年に出版された本に掲載された、1枚の白黒写真のみです。そして昨年、フィリップスのオーレル・バックス(Aurel Bacs)氏がこの時計を発見し、ヴァシュロン・コンスタンタンと協力して正常に作動する状態まで戻し、正しく資料に記載されました。オークションにも出品されています(もっと詳しく知りたい方は、上で紹介したオリジナル記事をご覧ください)。
この時計の実機を見ると、まるで時計製造のタイムマシンに乗ったかのような感覚に陥ります。この時計のすべてが、長いあいだ忘れられていた日々を思い起こさせるのです。ケース形状、爪の形をしたラグ、12時位置にセットされたリューズ、文字盤に施されたフォントと数字のミックスといった魅力的なデザインは、いずれも現代では真似できない、手作業で時計を製造する特殊な方法を物語っています(ヴァシュロンのような大企業はともかく、どの時計メーカーもそれを再現したいと思うことが前提です)。フィリップスが最初のプレスリリースで指摘したように、ケースコンディションは信じられないほどに良好です。すべてが鮮明で、オリジナルの仕上げは無傷のように見え、ポリッシュホイールの痕跡もまったく見られません。裏蓋のモノグラムからリピータースライドの形まで、すべてが1940年1月にラノがこの極めて珍しいキーパーを引き渡したときと同じように見えます。
さて、“オリジナル”コンディションの時計が、なぜこんなにクリーンかつきれいな文字盤なのか、おそらくあなたは不思議に思っていますよね。現在取り付けられている文字盤は、ヴァシュロン・コンスタンタンがレストアの過程でオリジナル仕様に置き換えたものだからです。オリジナルのラジウム文字盤も付属しており、これを見ればフィリップスとヴァシュロンが発見したものを披露する前に、もう少し手つかずのものを取り付けておきたいと思った理由が想像できるでしょう。ここでもうひとつ注意しなければならないのは、この時計の唯一の白黒写真に写っているダイヤルと針は、実際には別のものが取り付けられているということです。VCの記録によると、この時計にはふたつのオプションが用意されていました。ひとつは写真に写っている夜光がないブレゲ針のようなものを持つドレッシーなバージョンと、もうひとつは大きな夜光数字とはしごスタイルの針を持つ、ややスポーティなバージョンです。
正直に言うと、これはちょっと変な筋書きです。通常、僕たちHODINKEEは、文字盤が交換されていたり、出自が変わっていたり、あまり単純ではない資料が掲載されている時計にはあまり興味がありません。しかしこれは、ヴァシュロン自身が関与しており、ふたつのダイヤルの配送や小売店の署名などを確認するための証跡があると考えると、購入を検討している人は、いざ自分のパドル(入札札)を上げるときに非常に安心できると思います。
さて重要なのは、この時計を身につけるときです。これは夢のようなものです。トノーケースは12時位置のリューズに特によく合います。リューズがケースの右側から突出していないので、すっきりとしたデコ調のラインが楽しめます。スライドは少し出っ張っていますが、非常に繊細で、つけ心地のよさや時計全体の外観には影響しないと思います。ある意味究極のステルス記号でもあるのです。知っている人は知っていて、それが現れると、誰かがかなり真剣な何かを抱えているとわかる。文字盤の文字が比較的密集しているにもかかわらず(小売店のサイン、長いブランドのサイン、レトログラード数字は、かなりのスペースを占めています)、文字がごちゃごちゃしているようには見えません。時計を落札した人が身につけてくれることを切に願います。このようなものを金庫のなかでさらに数十年過ごさせるのは、本当にもったいないことなのです。
結局のところ、今回のような時計の場合、ふたつの可能性が考えられました。ひとつは時計製造の歴史において、非常にユニークな時代を象徴する一生に1度の発見となるか、そしてもうひとつは疑わしい歴史を持つ、慎重に近づくべき奇妙な珍品に終わるかでした。このふたつが組み合わさったと見るのが妥当でしょうが、ヴァシュロン・コンスタンタンはその裏付けとなる事細かな書類を用意しているようです。
来月ジュネーブで、これのためにパドルを上げるコレクターは、自己選択的なグループの一員だと思います。なぜこの時計が特別なのかを理解するにはかなりの洞察力が必要ですし、そもそもこれに興味を持つポイントに到達するには、すでに相当数の経験を積んでいる必要があります。そして、もしそこに到達したなら、どのチェックボックスにチェックが入り、どのボックスがクエスチョンマークのままになっているのか、自問する必要があります。最後の部分については個人差があるかもしれませんが、僕はそこがはっきりしません。
この時計にどのような関心が寄せられているのか、週末のオークションでどれほどの熱気に包まれるのか、非常に興味があります。僕たちはフィリップスおなじみの、ちょっとした演劇やスペクタクルが見られると確信していますし、ハンマーが落ちたときには非常に興味深い結果になるはずです。