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本稿は2013年3月に執筆された本国版の翻訳です。
ローマ教皇ベネディクト16世が辞任するというニュースが流れたとき、HODINKEEの読者から皮肉交じりにこう聞かれた。「ローマ教皇は退職記念の時計をもらうんでしょうか?」 過去600年間、ローマ教皇が“退職”したことはないので、引退時に時計を贈られた前例はほぼない。1415年にローマ教皇グレゴリウス12世が引退したのは、最初のゼンマイ式携帯時計が現れる数十年も前だった。
しかし、もしローマ教皇が引退や記念行事で時計を贈呈されるとしたら、もちろんパテック フィリップに違いない。教皇たちがパテック フィリップを身につけてきた歴史は長い。こんなエピソードがある。
パテック フィリップの創業者アントワーヌ・ノルベール・ド・パテック(1812-1877)は敬虔なカトリック教徒で、祖国ポーランドとその信仰を熱心に守った。彼はZmartwycwstancy(私たちの主イエス・キリストの復活の修道会)のために支援を惜しまず、同団体は教会での彼の働きを認めた。パテックはサンマリノ共和国から1865年ごろに伯爵の爵位を授与され、バチカンからも聖座の支持における貢献を認められた。実のところ、現代のパテック フィリップのリューズにあるカラトラバの十字架は1870年代にさかのぼるロゴであり、パテックにとって宗教的な意味を持っていたことは明らかである。懐中時計のケースにカラトラバのロゴの捺印や刻印がされるようになったのは、パテックがカトリックのポーランドを復興させようとしていた時代にさかのぼる。
アントワーヌ・ノルベール・ド・パテック(Antoine Norbert de Patek)の晩年、ローマ教皇ピウス9世(1792-1878)は1846年から亡くなるまで教皇を務め、複数のパテックを愛用していた。彼が着用していた時計のひとつは、彼のために1866年に製作された49mmのオープンフェイスのクォーターリピーターで、ケースバックには教皇の紋章が多色エナメルで描かれ、カバーには“Pater, Rex / Dirigas Intelligentias et Corda, Geneva, 29 June 1867(我らの父、主、あなたは魂と心に方向性を与えてくれる)”と刻まれている。 この時計は1989年にオークションで落札され、現在はジュネーブにあるパテック フィリップ ミュージアムに展示されている。またピウス9世は、1877年にスイスのカトリック団体Piusvereinから贈られたシルバーオープンフェイスのパテック フィリップも所有していた。
1878年にピウス9世が亡くなったあと、次のローマ教皇レオ13世(1810-1903、1878年に即位)は、教皇がパテックを所有するという伝統を引き継いだ。レオ13世は1901年、ローマ教皇になった記念にシルバーとローズゴールドのパテック フィリップの懐中時計を贈呈されたと考えられている。なおこの時計もパテック フィリップ ミュージアムで見ることができる。
1970年まで時を進めよう。ローマ教皇に関連すると思われる最初のパテック フィリップウォッチが、ローマの時計小売店オスマンに注文された。
ミヒャエル・メールトレッター(Michael Mehltretter)著の『Patek Philippe: Cult Object and Investment』という新刊本によると、1971年に12本のRef.3588自動巻きモデルがバチカンに納品された。そしてすべて特注の“教皇パープル”ダイヤルを備え、ファセットの施されたゴールドのバトンインデックスが配されていた。これらの時計は、枢機卿や教会のVIPへ贈呈される意図があった。
1960年代から1970年代にかけて、バチカンはパテック フィリップのマスタータイミングシステムを導入して街中の時報を制御していた。このシステムは当時としては最新鋭のもので、多数の親子時計を用いてバチカンの時刻を何年も守り続けた。
最近引退した教皇ベネディクト16世の退任に際して、パテック フィリップが贈られることはなかったようだが、エアハルト・ユンハンスのテンプス オートマティックが贈呈された。フランシスコには、よりふさわしい時計が贈られることになるかもしれない。
パテック フィリップは何世代にもわたり、カトリック教会の上層部の心をとらえてきたに違いない。というのも、パテック フィリップとカトリック教会は互いに特別な関係を築いてきたからだ。時計界にとって、パテックのアーカイブの秘密を知る探求は、バチカンの知られざる秘密に対する世界的な憧れと似ていなくもない。バチカンの地下深くに、もっと多くの時計学的お宝が埋まっている可能性はあるだろうか? おそらくあるだろう。そしてパテック フィリップのカラトラバ十字が刻まれたものも、少なからずあると邪推している。