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本稿は2017年3月に執筆された本国版の翻訳です。
『不思議の国のアリス(原題:Alice's Adventures in Wonderland)』の作中に、言葉なんてゲームの駒に過ぎず、ルールを変えようと思えばいつでも変えられる、というハンプティ・ダンプティの有名な台詞がある。「俺様が言葉を使うとき、その言葉は俺様が選んだとおりの意味を持つ。それ以上でもそれ以下でもない」と、彼は言う。それに対してアリスは、「問題は……、言葉にそんなにいろいろな意味を持たせることができるかどうかだわ」と、懐疑的ではあるが機転を利かせて答える。ウォッチメイキングの歴史において1714年に初めて登場し、それ以来変幻自在に姿を変えてきた“クロノメーター”ほど、この言葉が当てはまる単語はないと多くの人は思うことだろう。
さて、クロノメーターがクロノグラフと同義でないことは、時計にあまり詳しくなくてもすぐにわかると思う。言うまでもなく、後者は基本的に時計とストップウォッチを組み合わせたものだ。そして前者は、少なくとも現在ではISO規格に準拠した国(スイスは準拠している)で製造された時計であり、独立した検定機関によって認証され、一定の基準を最低限満たしていることが確認された時計であることを指す。
ロレックスが製造する近代的なクロノメーターウォッチ。
今日、その管理を担う機関は(悪名的な意味でも)有名なスイス公認クロノメーター検定協会(Controle Officiel Suisse des Chronomètres)であり、世界中の時計ファンには単にCOSCの名称で知られている。現在のCOSCは1973年に設立されたものだが、それ以前はいわゆる時計歩度公認検定局(Bureaux officiels de controle de la marche des montres、時計学の文献では一般にBO機関とも記されている)で試験が行われていた。BO機関の数は時代によって異なり、最も古いもののひとつはビエンヌで1877年に設立された。1973年に集約されてCOSCと呼ばれるようになるまで、クロノメーター認定を求める時計に対して第三者的な立場から検査を行っていたのはこれらの機関であった
機械式時計のCOSC規格は非常にシンプルだ。大半の時計愛好家にとって最も重要な基準は、10日間のテスト期間における1日の平均歩度に関するもので、合格するには1日の平均歩度が-4/+6秒を維持しなければならない。ロレックスはかつて自社の時計をダイヤル上で“Superlative(高精度) Chronometer”と称していたことでしばしば非難を浴びていた。しかし2015年、ロレックスは新たにデイデイト 40を発表し、1日平均-2/+2という最高精度のクロノメーターの内部認定を導入。そして2016年には、これを今後すべてのロレックス製時計に適用すると発表した。
これが20世紀と21世紀における要旨だ。しかし、19世紀に目を向けてその用法や変遷を遡れば遡るほど、言葉の意味が変化していくのがわかるはずだ。
クロノメーター脱進機(クロノメーターエスケープメント)
19世紀半ばに製造された、ジラール・ペルゴによるクロノメーターエスケープメント付き懐中時計。
上の写真は、1860年ごろにジラール・ペルゴが英国市場向けに製作した鍵巻き式の高級懐中時計である。以前この時計の技術的特徴について考察したが、その特徴のひとつは“クロノメーター”という用語の歴史に直接関係する(ムーブメントのダストカバーに刻印されているのが見えると思うが、この時計はイギリス市場に向けて製造されたものであったため、フランス語ではなく英語表記になっている)。
1860年ごろに製造されたジラール・ペルゴ製のデテント脱進機。
その技術的特徴は、いわゆるデテント脱進機と呼ばれる機構を搭載したことにある。デテント脱進機は私たちが把握している限り、1748年にフランスの時計学者ピエール・ルロワ(Pierre LeRoy)によって発明され、1775年にジョン・アーノルド(John Arnold)が開発したピボテッドデテント脱進機により初めて実用化に至った。そしてアーノルドと同時代の英国人であるトーマス・アーンショウ(Thomas Earnshaw)が、のちに最も広く使われるようになったデテント脱進機の設計に携わっている。なお下の写真は、1896年発行の『Britten's Clock and Watchmaker's Handbook』に掲載されている、スプリングデテント脱進機の基本的な構造である。
仕組みはいたってシンプルだ。ガンギ車はロッキングパレット(d)によって回転しないように保たれ、このロッキングパレットは板バネ(f)によって定位置に固定されている。テンプのハブであるインパルスローラー(b)が反時計回りに回転すると、その中心に近い石(図ではラベリングされていないが、ディスチャージング、もしくはアンロッキングパレットと呼ばれることもある)が金バネ(i)の先端に接触し、わずかに短いホーン(h)を押し、デテントを横にずらす(図では下向き)。これによりロッキングパレットがガンギ車の歯から外れ、ガンギ車が時計回りに回転できるようになる。このとき、歯車の歯がローラー上のインパルスパレット(c)に接触し、これを押してテンプに推進力を与え、テンプの振れを維持する。インパルスパレットが金バネから外れると、バネ(f)の作用でデテントが元の位置に戻り、そのタイミングでロッキングパレットが次のガンギ車の歯に引っかかり、ガンギ車を再びロックするのだ。
テンプが戻る際にテンプは時計回りに回転し、テンプローラーのディスチャージ/アンロッキングパレットが再び金バネ(i)の先端に接触する。テンプが戻る際にテンプは時計回りに回転し、バランスローラーのディスチャージ/アンロッキングパレットが再び金バネ(i)の先端に接触する。しかしこの場合、金バネの先端がデテントのホーン(h)から浮き上がり、デテント自体を動かすことなくジュエルを通過させることができるようになる。テンプの戻りでガンギ車のロックが解除されないため、衝撃は与えられない。このように全体が機能するためには、すべてのバネの張力だけでなく、クリアランスも非常に慎重に制御されなければならない。とても繊細な機構ゆえに、製作にはかなりの技術を要する。しかしその成果として、非常に正確で効率的な脱進機が完成するのである。脱進機がどのように駆動するのかは、このアニメーションを見れば一目瞭然だと思う。
ジョン・アーノルド(John Arnold)によるポケットクロノメーター(上)とそのムーブメント。1781年製。
デテント脱進機がクロノメーター脱進機と呼ばれるようになったのは、この言葉がデテント脱進機を搭載した高精度時計の呼称として使われるようになったからだ。クロノメーター脱進機を搭載した時計に対して“クロノメーター”という言葉を最初に使ったのは、1782年に“ポケットクロノメーター”という言葉を作ったジョン・アーノルド自身にほかならない。それ以降しばらく、“クロノメーター”は主に(少なくとも英語圏での時計製造においては)デテント脱進機を備えた高精度時計を意味するようになった。
しかし、フリッツ・フォン・オスターハウゼン(Fritz von Osterhausen)が『Wristwatch Chronometers』のなかで指摘しているように、「クロノメーターの主な特徴はその精度である」。そして、レバー脱進機の時計が次第に高精度を達成するようになると、クロノメーターという言葉は20世紀には非常に精度の高い時計全般を意味するようになっていく。オスターハウゼンは次のように記している。「1925年、スイスのクロノメーター協会はクロノメーターを次のように定義した。“クロノメーターとは、天文台の認定を受けた時計のことである”」。古めかしい用語を愛する一部の熱狂的な愛好家を除き、“クロノメーター”はデテント脱進機を備えた時計にのみ使用されるべきであると主張する人は今日では皆無に等しい(ロレックスやオメガ、ブライトリングなど、クロノメーターの格付けをセールスポイントとする多くのブランドにとってはありがたいことである)。
では、その少々奇妙な点とは?
さて私は長年、この言葉を誰が発明したのか、ほかの時計愛好家に尋ねてきた。答えはたいてい「いや、知らないな」だったので、ルパート・T・グールド(Rupert T. Gould)著『The Marine Chronometer: Its History And Development』(やそれ以外)に見られるような通説を堂々と繰り返すことにしよう。クロノメーターという言葉は、1714年に出版された経度問題に関する小冊子のなかで、ジェレミー・サッカー(Jeremy Thacker)というイギリスの時計職人によって作られたのだという。ありがたいことに情報は日に日に入手しやすくなってきており、この記事のために調査をしているうちに、この小冊子は“風刺である可能性が高く”、実際、時計学者で先駆的な経度学者であるジェレミー・サッカーという人物は存在しなかったのではないかという主張に出くわすようになった。
ジェレミー・サッカーの小冊子に掲載された、彼が提案した真空密閉式海洋時計を示す図。
その証拠を見てみよう。1714年に出版された1冊の小冊子、その著者の名前はジェレミー・サッカーとされている。この小冊子のタイトルを考えてみたときに、これが風刺である可能性にもっと早く誰かが思いいたらなかったのかと興味深く思ってしまった。小冊子のタイトルは、『The longitudes examin'd: Beginning with a short epistle to the longitudinarians, and ending with the description of a smart, pretty machine of my own, which I am (almost) sure will do for the longitude, and procure me the twenty thousand pounds.』。直訳すると、『経度についての考察:経度測定師への短い手紙から始まり、経度測量に役立って私に2万ポンドをもたらすと(ほぼ)確信している私自身のスマートで可愛い機械の説明で終わる』となるだろうか。
まるでからかわれているような表現だ。少しその背景について説明しよう。
賞金2万ポンドを制定する初の経度法がその年の初めに可決され、それに対してサッカーの小冊子は多くの反響を呼んだ。ご想像のとおり、経度問題の解決に莫大な賞金が提供されたことでたちまち大勢の変人が湧き出した。サッカーはこの小冊子のなかで、経度問題に対するあり得ない解決策から、特にひどい例をいくつか取り上げている。彼はまた、“クロノメーター”という言葉を、英語の印刷物のなかで初めて使用した。信頼性の高い海洋時計のアイデアを長々と述べた後に、彼はこう記している。
「要するに、私の読者がフォノメーター、パイロメーター、セレノメーター、ヘリオメーター、バロメーター、そしてすべてのメーターを、私のクロノメーターと比較するに値しないと理解し始めたことに私は満足しているのだ」
ルパート・T・グールドからダバ・ソーベル(Dava Sobel。彼女の代表作は『Longitude: The True Story of a Lone Genius Who Solved the Greatest Scientific Problem of His Time』で、経度問題を初めて一般に知らしめたベストセラーだ)に至るまで、サッカーが実在の人物であり、彼の提案は真剣なものであったという考えを額面どおりに受け止めているようだ。しかし、2011年に出版された『Documenting Eighteenth Century Satire in Historical Context: Pope, Swift, Gay, and Arbuthnot in Historical Context』において、著者のパット・ロジャース(Pat Rogers)よりサッカーはジョン・アーバスノット博士(Dr. John Arbuthnot)の創作であるという主張が挙がった。アーバスノットは医師であり数学者でもあったが、最も重要なことはアレキサンダー・ポープ(Alexander Pope)やジョナサン・スウィフト(Jonathan Swift)を擁する風刺作家グループ、スクリブレルス・クラブ(Scriblerus Club)のメンバーであったことである。
科学者であり、医師であり、風刺家であったジョン・アーバスノット博士。ゴドフリー・ケネラー(Godfrey Kneller)による1722年の肖像画。
詳細は省くが、ロジャースはこの仮説を裏付けるためにかなり綿密な調査を行っている。まず第1に、ジェレミー・サッカーという人物は当時の記録には一切残っていない。彼が生まれた記録も、専門家として活躍した記録もなく、結婚や子供、ましてや死亡記録もない。また、このほかに彼の著作や書簡も存在しない(その後数十年、数世紀にわたって彼の小冊子を参照したほかの著者は、彼を時計職人、アマチュア楽器職人、アマチュア科学者に数学者などとさまざまに表現しているが、いずれもそれを裏付ける資料はない)。
第2に、スウィフトとその他のスクリブレルス・クラブのメンバーは、経度賞の受賞を動機とする試みは実にばかげており、風刺の格好の題材であると言及していた記録がある。また、スウィフトは友人のエスター・ジョンソン(Esther Johnson)にこう書き送っている。「経度とは何かをご存じか? あるプロジェクター(古風な用法で、事業を立ち上げたり計画したりする人物の意)が、経度を解明したように装って、私に省への推薦を申し込んできた。私は、彼が私の臀部について知っている以上には、経度について何も見出せていないと思っている」。
チャールズ・ジャーヴァス(Charles Jervas)によるジョナサン・スウィフトの肖像画、1709年。ナショナル・ポートレート・ギャラリー。
スウィフトとアーバスノットは親しい友人であった。スウィフトは概して2本足で歩くものを風刺したがらなかったが、アーバスノットについては「彼の歩き方が少しよちよちしていることだけが、敵が彼を非難できる唯一の欠点だ」と言ったとされている。さらに興味深いことに、温厚な人柄のアーバスノットは自分の仕事やアイデアで手柄を立てることに無関心であったことでも知られている。このことはジェレミー・サッカーの背後に彼がいたのではないかという説に、さらなる信憑性を与えている。
サッカーの存在を示す証拠が何もないことや小冊子の大仰な語り口調に加え、主な動機として金銭的利益の希望を恥ずかしげもなく公表していることは、ロジャースの言うとおり、著者の意図が風刺的なものであった可能性を示す興味深い材料である(この小冊子は、アーバスノットの死後まもなく出版されたアーバスノット著作のアンソロジーにも収録されているが、その出典元である『The Life And Works Of Dr. John Arbuthnot, MD, MRCS』は完全に信頼できる資料とはみなされていない)。とはいえ、この疑問は未解決のままであり、出生記録や死亡記録のようなものがない限り、はっきりしたことはおそらくわからないだろう。
もうひとつ興味深いことがある。サッカーの“クロノメーター”という表現が一般に広く受け入れられているにもかかわらず、実は英語で最初に使われたのはこのときではないのだ。結論から言うと、この言葉が印刷物に登場するのはサッカーの小冊子の前年、1713年の神学者であり哲学者でもあったウィリアム・デラム(William Derham)の本が最初である。デラムは聖職者でありながら多作な作家であり、非常に精力的な科学者、博物学者であり、そして結局のところ時計職人でもあった。彼の著作のひとつに、『Artificial Clockmaker』がある。彼は数学者、物理学者であり、時計学者であるクリスティアーン・ホイヘンス(Christiaan Huygens。初めて正確な振り子時計を発明した人物)の研究に精通しており、彼の著作のいくつかを訳している。
1713年、デラム著『Physico-Theology』の表紙。
1713年、彼は『Physico-theology, Or, A Demonstration of the Being and Attributes of God from His Works of Creation』を出版した。これは、自然主義者の視点から世界とそこに住む人間や動物を考察したものである。そのなかで彼は、自然界のあらゆる性質こそが創造主の存在を証明する証拠であると主張している。この本の脚注は非常に詳細で、多くの場合本文よりも長い(動物を使った実験についての彼の記録は、身の毛もよだつようなものだ。彼は地球の小さな生き物を真空チャンバーに入れ、彼らがどれくらいで死んでしまうかを見るのにかなりの時間を費やしたようだ。モグラとコウモリの窒息死は臨床的な冷静さをもって描写されており、読む者をひどく憂鬱にさせる)。しかし、光と光学の章にはこんな一節がある。
“クロノメーター”の単語が初めて確認された。
「しかし、陛下のセイカー砲(当時使用されていた中型の大砲)と非常に正確な振り子時計(クロノメーター)で行った私自身の観察によれば、弾丸は初弾発射時に510ヤードを5秒半で、1マイルを17秒半強で飛ぶ」。
そう。“クロノメーター”という言葉が英語で使われるようになったのは、私が見つけた限りではこれが最初である。しかし、この用語の起源はおそらくデラムの著書よりも古いと言って差し支えないと思う。彼はこの単語を、あたかもすでによく知られた科学的、時計学的な用語であるかのように使っており、その時代の教養ある人ならば自然に出てくるものであっただろうと推測させる。この言葉は古代ギリシャ語を語源とし、“時間を計る”という意味を持つ。1713年からそれほど遡ることもないかもしれないが、精度の高い計時器とそうでない計時器を区別する必要が生じる以前にはこの言葉を用いる必要はなかったろうし、ホイヘンスによる最初の振り子時計も1657年のものである。
しかし、わからないものだ。古代ギリシャ語には“クロノグラフ”(χρονογραφεω)という言葉があるが、これは歴史的な記録を残すという意味である。古代ギリシャ語で時間を計る道具は“クロノラボン”(χρονολαβον)といい、文字通り時間を“計測する”ものだった。この単語は西暦400年ごろに(コンスタンティノープルの大司教、プロクロスの著作に登場する)登場するため、時間を計る道具という意味での“クロノメーター”は、今私たちが解明できているよりもずっと古くからあった可能性がある。現代のギリシャ語においてはχρονομετρο(クロノメトロ)は、ストップウォッチのような特殊なタイマーを意味することもあれば、精密な計時器という意味でクロノメーターを意味することもある。しかし、この言葉は古代の文献には出てこないようだ。
ジョン・ハリソン(ohn Harrison)によるH4マリンクロノメーターのムーブメント。
スウィフトやほかのスクリブレルス・クラブのメンバーが、経度を求める方法は永久運動装置の開発と同じくらい知的好奇心をくすぐる課題だと考えていたにもかかわらず、ジョン・ハリソンは1714年に経度法が制定されてから比較的短期間で実用的なマリンクロノメーターを作り上げた。若き日のハリソンは1713年に最初の時計を完成させ、1761年にはH4をジャマイカまで実証航海し、HMSデプトフォード号の経度をわずか誤差1海里で測位できるようにした。そしてもちろん、そのころには、のちに“クロノメーター”の代名詞となる脱進機がルロイによってすでに発明されていた。
しかし、この言葉の最も古いふたつの用例がこれほど異なる文脈で使われていたことを考えると、とてもおもしろい。ひとつは、宇宙の構造に神の手が加わっていることを示す証拠についての真面目な文章である。しかし一方で、精密計時の代名詞となり、今日この言葉を使うすべてのブランドにとって重要なマーケティングポイントとなっているこの言葉を、ほぼ最初に使用したのは風刺的な意味合いの文章だったのかもしれないのだ。
出典: フリッツ・フォン・オスターハウゼン著『Wristwatch Chronometers』、ダバ・ソーベル著『Longitude: The True Story of a Lone Genius Who Solved the Greatest Scientific Problem of His Time』、ルパート・T・グールド著『The Marine Chronometer, Its History And Development』、パット・ロジャース著『Documenting Eighteenth Century Satire』、ポープ、スウィフト、ゲイ、アーバスノットの歴史的文章『Liddell & Scott, Greek-English Lexicon, 9th Edition』、ジョナサン・スウィフトとジョン・アーバスノットの肖像 by Wikimedia Commons
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