ルイ・ヴィトンと言えば、ラグジュアリー製品の代名詞となって久しい。パリを拠点とするこの企業のモノグラムは、豊かさと繁栄のシンボルとして世界中で認知されている。(ルイ・ヴィトンはフォーブス誌の、2019年に世界で9番目に価値の大きいファッション/ラグジュアリーブランドとして、マクドナルド、ナイキ、AT&T、VISAなどの巨大組織を抑えて堂々ランクインしている-凄い)。ルイ・ヴィトンのトランク、バッグ、レザーグッズ、アクセサリー、プレタポルテ(高級既製服)、フレグランスは、地球上のあらゆる国に多くのファンを擁するほどだ。しかし、今回私たちは時計について語りたい。ルイ・ヴィトンは時計製造について何を知っているのだろうか?
ルイ・ヴィトンは、1854年にパリで有名なフラットトップの革製トランクを発表したが、時計を初めて発表したのは1988年、ガエ・アウレンティ(Gae Aulenti)がデザインした“モントレーI”だった。この時計は、アラーム機能とムーンフェイズ表示を備えたクォーツ式のワールドタイマーで、ラグのない球形の18KYG製ケースに収められ、12時位置にリューズが配置された、明らかに変わり種で80年代後半の世界を騒がせるには程遠いものだった。
ルイ・ヴィトンで本格的に時計製造が始まったのは、専門部門である「ルイ・ヴィトン ハイウォッチメイキング」が設立され、現在も独自の時計製造言語の中心にある太鼓型のタンブールが発表された2002年とする方が正確だろう。ルイ・ヴィトンの時計部門は、LVMHという巨大な国際的コングロマリットを構成するパイのなかのごく小さな一片に過ぎないが(とはいえLVMHという巨大なベーカリーの鍵を握る存在ではある)、それでもルイ・ヴィトンの時計部門は、当ブランドが160年かけて築いた高い品質水準を満たす時計を送り出すなど、過去20年にわたり重要な戦略的投資を続けてきた。
ルイ・ヴィトンの高級時計製造にとって、過去20年間で最も重要な出来事は、2011年10月にミシェル・ナバス(Michel Navas)氏とエンリコ・バルバジーニ(Enrico Barbasini)氏という高名な時計製造デュオが設立したハイコンセプト・ムーブメント製造会社、ラ・ファブリク・デュ・タンを買収したことだ。その5ヵ月後の2012年3月には、ルイ・ヴィトンがダイヤル専門メーカー、レマン・カドランを買収し、サプライチェーンマネジメントをさらに盤石なものにした。そしてついに2014年10月、ジュネーブ郊外のメイランに、4000㎡を誇るルイ・ヴィトン高級時計専用の真新しい最高級製造施設が完成したのだ。
その施設は、現在もラ・ファブリク・デュ・タン、別名“時の工場”として知られているが、数週間前、私はまさにその場所にいたのだ。私は嘘偽りなくルイ・ヴィトンが近年リリースした時計のほとんど全てが個人的に魅力的であると思っている‐これらの作品は一般的にルイ・ヴィトン特有の大胆なデザイン言語が色濃く反映されていて、その点では、時計製造やファッションにおける私の美的感覚からは外れている。しかし、これらの時計の多くは、純粋に時計学的な優位性が完全に勝っており、突き抜けた感がある(昨年発表されたタンブール カルペ・ディエムの、分毎に繰り返されるジャックマール・メメント・モリをご覧になっただろうか?あれを見て冗談だろうと思わなかっただろうか?ダイヤルにオーデマ ピゲやリシャール・ミルのロゴがあったら、インスタ映えしそうだ)。
現在も日々の時計製造に深く関わっているナバスとバルバジーニの経歴を高く評価している私は、多くの時計愛好家が、ルイ・ヴィトンの時計製造のレベルの高さを理解していない現状も相まって、この旅を何年も前から心待ちにしていた(実話だ:その証拠にナバスとバルバジーニが現代の独立系時計製造に与えた影響について、私が詳細なIn-Depth記事を公開した2年以上前のジャックと私のSlackメッセージがまだ保存されている)。
あ、それと、この場で一度だけ触れておこう。ルイ・ヴィトンは、もちろんファッション企業であり、時にはスマートウォッチを製造することもある(ジャックはそのファンだ!);これらの属性は、ラ・ファブリク・デュ・タンで行われている素晴らしい時計製造とメティエ・ダール(métiers d'art)を奪ったり、評判を貶めたりするものではない。“ファッションウォッチ”などと侮らず、時計製造そのものに焦点を当ててみよう‐そのために本記事を書いた。準備は良いだろうか?
ナバスとバルバジーニは、今日のルイ・ヴィトンの高級時計製造の歴史を知る上で中心的な存在だが、その物語はもっと前に遡る。ナバスは1980年代にキャリアをスタートさせ、オーデマ ピゲ(1986年には世界初のトゥールビヨン腕時計を製作)、ジェラルド・ジェンタ、パテック フィリップ、フランク・ミュラーなど、さまざまな一流ブランドで高度な複雑機構やトゥールビヨンの開発に携わってきた。フランク・ミュラーのクレイジーアワーという複雑機構を覚えているだろうか?そう、あれはすべてナバスの手によるものだった。
2004年、バルバジーニとナバスは、同じ時計職人のマチアス・ブッテ(Mathias Buttet)と共同で、外部ブランドの複雑機構やムーブメントの開発に特化したハイテク専門工房、BNBコンセプト(3人の頭文字をとった)を設立した。この大きな将来性を感じさせる若きビジネスは、即戦力を求め、才能に恵まれた時計職人を引き寄せた;若き日のレジェップ・レジェピ(Rexhep Rexhepi)は、この時計工房を2年余り在籍した後、F.P.ジュルヌに転じ、2012年には自身の会社アクリビアを創業した。
このトリオに亀裂が生じるのには、長くはかからなかった;ブッテは、ナバスとバルバジーニが望む以上のスピードでBNBコンセプトの拡大を望んだと伝えられている。2人は2007年に事業から撤退し、すぐに新しい事業、ラ・ファブリク・デュ・タンを立ち上げた。(BNBコンセプトは2010年に破産し、その事業資産はウブロに取得され、ブッテ氏は現在も同社のR&Dディレクターを務めている)。
ラ・ファブリク・デュ・タンは、創業後も多くの仕事に恵まれ、ナバス氏とバルバジーニ氏も認める持続可能な成長を遂げることができた。ラ・ファブリク・デュ・タンの初期の顧客には、ジェイコブ&Co.,(サイクロントゥールビヨン)、スピーク・マリン(ルネッサンス トゥールビヨン ミニッツリピーター)、ヴァン クリーフ&アーペル(バレリーヌ アンシャンテ)、ラルフローレン(トゥールビヨン搭載の特別モデル)など、多数の企業が名を連ねている。最も有名なのは、ローラン・フェリエが2010年にパテック フィリップから独立して以来、ラ・ファブリク・デュ・タンは同社の専用ムーブメントを製作していることだ(フェリエ、ナバス、バルバジーニはいずれもパテック フィリップで同じ釜の飯を食った仲間である)。
ナバス、バルバジーニ、ラ・ファブリク・デュ・タン、そしてルイ・ヴィトン ハイウォッチメイキングの関係は、2000年代後半にこれらの時計職人たちがオリジナルのスピン・タイムのプロトタイプを完成させた時点から始まった。2022年発売予定のスピン・タイム エアー クァンタムについての記事で詳しくご紹介したように、ナバスとバルバジーニは、ルイ・ヴィトンの当時黎明期にあった時計製造部門は、複雑機構にこそ適しているかもしれないと互いに考えていた。“タンブールの形状に着想を得たのです。”ナバスは当時をそう振り返る。“スピン・タイムのムーブメントには厚みがあり、歯車や立方体などが立体的な構造になっています。プロトタイプはタンブールケースのままでした。だから、当時ルイ・ヴィトンに連絡して提案しました。結果的に、彼らはそれを気に入ったのです。”
またとない好機だった。傘下タグ・ホイヤーとともにラ・ショー・ド・フォンで7年間協働したのち、ルイ・ヴィトンはETA、デュボア・デプラ、ラ・ジュー・ペレ、ゼニスからムーブメントを調達し、一目でわかるタンブールの水筒型にケーシングするエタブリスール(établisseur)としての地位から脱却することに興味を持ち始めた。最初の7年間は、年産1万~2万本の時計が生産されたと言われている。ナバスとバルバジーニがLVMHの幹部と接触する頃には、ルイ・ヴィトンの時計製造部門は新機軸を求めるようになっており、スピン・タイムはその要求を満たしていたのである。
ジュネーブ市内に拠点を有することは、それなりの利点がある。新しい施設がオープンして間もなく、ルイ・ヴィトンはジュネーブ・シールとして知られるポワンソン・ド・ジュネーブを取得した初の時計、ヴォヤジャー フライング トゥールビヨン ポワンソン・ド・ ジュネーブを発表した。ジュネーブ・シールは、1800年代後半からスイスの時計製造において最も厳しい品質基準のひとつとされ、現在でも独立した外部機関がシールを取得した時計をひとつひとつ検査している。現在では、ショパール、ヴァシュロン・コンスタンタン、カルティエ、ロジェ・デュブイ、アトリエ・ド・モナコ、そしてもちろんルイ・ヴィトンなど、ジュネーブ・シールを取得している時計メーカーはごく僅かである(パテック フィリップは2009年に自社規格導入に伴い離脱したのは有名である)。
ラ・ファブリク・デュ・タンを正式に買収してから11年、ルイ・ヴィトンはさまざまな時計を発表し、その過程で新しいケース形状やコンプリケーションを導入してきた。タンブール レペティション・ミニッツ、タンブール ツインクロノ、スピン・タイム セントラル フライング トゥールビヨンと同様、2014年に発表されたハンドペイントのエスカル ワールドタイムはかなりの注目を集めた。
そして、2021年度のGPHGではタンブール カルペ・ディエムとルイ・ヴィトン タンブール ストリートダイバー スカイラインブルーがともに賞を獲得するなど、この1年半でさらに盛り上がりを見せている。その他にも、メテオライトとダイヤモンドをあしらった“タンブール カーブ GMT フライング トゥールビヨン”や、暗闇で光る“スピン・タイム エアー クァンタム”など、ラ・ファブリク・デュ・タンがスピードを決して緩めないことを証明するようなモデルが数多く発表されている。
全てがハイエンドな高級時計だというわけではない。ルイ・ヴィトンは、低価格帯の時計製造にも力を注いでおり、そうした時計は一般的にムーブメントを外部調達している。これらの時計は、メイランの同じ工場で組み立てられるが、その規模は大きく異なる。4人の時計職人が年間1万3000~1万8000本の“中核”モデルを製造し、ハイウォッチメイキング部門には15人の時計職人が在籍して年間400本の時計を製造している。ジュネーブのラ・ファブリク・デュ・タンでは、時計職人、デザイナー、機械工、職人など、合計100人弱の従業員が働いている。
“エンリコと私の2人だけで始めたのに、(ここまで)成長したのですから、とても誇りに思います ”とナバスは語る。“私たちは人で成り立っている会社なのです。職人の技とノウハウを第一に考えて、2007年にラ・ファブリク・デュ・タンを設立しました。私たちは、他とは違う存在でなければならないのです。時計業界では非常に若い会社ですが、ジュネーブに拠点を置いています。ジュネーブ・シールも取得しています。ミニッツリピーターを開発することだって可能です。部品を手作業で仕上げます。やりたいことは何でもできるのです。シンプルな時計はもちろん、カルペ・ディエムやそれ以上の複雑機構まで実現できる夢のようなチームなのです。このチームは、少数チームながら、非常に複雑な時計を開発するためのスキルがあるのです。私たちは、高級時計製造の原点に敬意を払いながら、大胆に他とは違うことをしなければならないのです。”
そして、他と違うことが一体どのようなものだろうか。ラ・ファブリク・デュ・タンの内部を覗いてみた。
ルイ・ヴィトンのハイエンド高級腕時計は、常に手作業によるスケッチやペインティングから生まれる。手作業で描かれたオリジナルのアウトラインは、各部門で確認され、承認された後、初めてPhotoshopにデザインが転送される。この古典的手法を採用するメーカーは想像以上に少ない;私は、CADでレンダリングする前にスケッチする独立系メーカーを知っているが、ルイ・ヴィトンほどの知名度のあるブランドで、このような工程を採り続けているところは知らない。
その結果、最初から最後までCADだけで仕上げると、ケースやダイヤルのラインが粗くなりがちだが、滑らかさを優先したこの手法の結果、より有機的なデザインに仕上げることが可能だ。また、より広い視点から見ると、1854年の創業以来、トランクをひとつひとつを手作業で作り続けているルイ・ヴィトンにとって、この方法はごく自然なアプローチと言えるだろう。
ラ・ファブリク・デュ・タンで時計の原案を担当するクリエイターたちは、機械的な野心を追求することを恐れてはいない。デザインチームと話すと、彼らが機械式時計製造について理解していることはもちろん、時計製造チームを後押しし、不可能なことは不可能とはっきり言ってもらいたいと考えていることが窺えた。とはいえ、そのようなことはこれまで一度もなかったそうだが。
“私は何が可能かを知っているし、不可能なことなど何もないと思っている”と、デザイナーのひとりは語った。
新しい時計のデザインが承認されると、研究開発チームはムーブメントやケースなど、全体を構成するさまざまなパーツの3Dファイルを作成し、外部のサプライヤーと協力して、実物大のプロトタイプをハードワックスから3Dプリントして、実際に手に取って確認する。立体化されたプロトタイプが確認されると、原材料の調達とプリプロダクションが開始できるようになる。研究開発チームは、特定の新しい時計を開発し、課題を潰す際に、20種類以上の3Dプロトタイプを作成することもある得ると述べている。
新しいキャリバーを開発する必要がある場合は、プロトタイプの段階でムーブメントエンジニアが呼ばれ、ひとつひとつの部品がデザインにどのようにフィットするかを構想する;時計のスケッチやレンダリングをする際、ムーブメントをひとつの部品として考えがちだが、実際には何百もの部品を組み合わせて、時計を完成させるのだ。
この工程には、マーケティングチームもかなり関与していると知り、少し驚いた。ケースの厚みをどうするか、防水性能をどうするか、あるいはその両方(ゲッ)を同時に実現するかなど、マーケティングチームも遠慮なく介在すると、R&Dチームのメンバーは話していた。
研究開発チームが教えてくれた例は、2019年に発表された“ヴォヤジャー ミニッツリピーター トゥールビヨン”で、ムーブメントの345個の内部部品を完全に見ることができる透明なダイヤルを持つ複雑時計である。ヴォヤジャー ミニッツリピーター トゥールビヨンの開発にあたり、ルイ・ヴィトン高級時計のマーケティングチームは、厚さ9.7mmぴったりで、少なくともある程度の防水性能を確保することを要求した(最終的にはダイビングには不向きだが日常的に快適に使える30m防水に落ち着いた)。問題はムーブメント、Cal.LV100自体の厚みが6mmであることで、防水性能を満たすための十分な厚みのガスケット(パッキン)を組み込むためのスペースがあまりないことだった。そして最後に、この時計はミニッツリピーターゆえに、ハンマーがゴングを叩くための十分なスペースが必要だったことだ。
それでも研究開発チームは摺り合わせて要件を満たしていった‐ヴォヤジャー ミニッツリピーター トゥールビヨンのサイズは9.7mm、防水性能30m、そしてより深く響く音を実現するために、ルイ・ヴィトンの時計では初となるカテドラル・ゴングを採用したのだ。
ルイ・ヴィトン タンブール カルペ・ディエムは、昨年発表された時計の中で最も興味深い複雑時計のひとつだ。ムーブメントの設計とエンジニアリングを担当するオフィスを訪ねると、その制作に関する小さな開発秘話を聞かせてくれた。
ジャックのカルペ・ディエムについての記事をお読みいただければ、このモデルがジャックマール(英語では“ストライキングジャック”と表現されることもあるからくり仕掛け)であることがお分かりいただけるだろう。ダイヤル上の3つのアニメーションによって時刻とパワーリザーブを表示する印象的なオートマタで、蛇の頭が右に動くとジャンピングアワー、尾が動くとレトログラードミニッツ表示、左上にある砂時計がパワーリザーブとなる(もちろん、音で時刻を知らせるミニッツリピーターも搭載している)。通常、時刻を確認するには16秒間のアニメーションを作動させる必要がある‐機械的な工夫が凝らされていることは間違いないが、一目で時刻を確認するのには適していない)。
ルイ・ヴィトンのムーブメント技術者は、カルペ・ディエムの開発中盤でこのことに気づき、即座に時刻表示を可能にする特別な機構を搭載することに舵を切った。時刻を合わせるようにリューズを引くと、ヘビが頭と尾を動かして正しい時刻を示し、時刻が表示されるとその動作は停止する。リューズを押し込むと、アニメーションは問題なく終了する。
ラ・ファブリク・デュ・タンの最上階にあるハイエンド・コンプリケーション・ワークショップは、太陽の光が降り注ぐ部屋に位置する。15人の時計職人たちが、ほぼ無言で、それぞれの作業に集中している。ここの時計職人たちのアプローチは昔ながらのものだ‐組み立てラインはなく、すべての時計が一人の時計職人によって最初から最後まで組み立てられ、仕上げられる。この工程は、時計によっては数カ月、数年かかることもある。ムーブメントのネジを磨くのも、最終的にケースのネジを締めるのも、同じ時計職人だ。そして、その時計が何年後かに修理が必要になると?それを作ったオリジナルの時計職人のもとへ戻ってくるのだ。
“各時計職人が自分の時計に責任を持っています”と、チームと作業台で作業するナバスは解説する。“どの時計がどの職人の手によるものなのか、一目瞭然です。彼らは時計を愛しています;最初から最後までの全工程を経て、品質管理部門に時計を納品します。彼らは全ての組み立て、精度調整、ムーブメントをケースに収めるハビラージュ(habillage)、ダイヤルと針の取り付け、防水性と精度のチェック、そして納品と、すべて自らの手で行うのです。これは完全な仕事であり、時計職人の醍醐味である長期的な[プロセス]なのです。”
私が工房を訪れたとき、2人の時計職人がカルペ・ディエムの製作に専念していた。この時計は当初、限定モデルとして発表されず、ルイ・ヴィトンのチームが生産できる数に自ずと制限されていた(また、この時計の装飾を担当する職人の工数も考慮されている;需要の高いエナメル職人のアニタ・ポルシェは、カルペ・ディエムのダイヤルを1個製作するのに6カ月要するそうだ)。
LVのガイド担当によると、ルイ・ヴィトンは残りの注文を満たし次第、カルペ・ディエムの生産を完全に終了する予定であり、世界で約30本が生産されるにとどまるとのことである。
ラ・ファブリク・デュ・タンの最下階に位置するルイ・ヴィトンは、伝統的な真鍮製のディスクからMOP(マザー・オブ・パール)、メテオライト、石などのエキゾチックな素材まで、様々な素材を用いてダイヤルを自社一貫で製作している。現代でもダイヤルを自社製造しているメーカーは、たとえハイエンドの時計メーカーであっても極めて稀である‐そのためには、極めてデリケートな素材を超微細な形状にカットまたはトリミングし、必要な化学処理(通常はガルバニックコーティング)でダイヤル素材をメッキまたはコーティングすることができる、専用のCNCフライス盤が必要となるからだ。
ルイ・ヴィトンは、この下層階にある工房で、フライス加工の工程で必要となるダイヤルのディテールに応じ、3軸/5軸のCNCマシンの両方を使い分けている。3軸CNCは通常、よりオーソドックスなフラットダイヤルに使用され、5軸CNCは、サブダイヤル、フランジ、開口部の追加など、より細かい加工が必要な場合に使用される。今年初めに発表されたヴィヴィエンヌ ジャンピングアワーはその一例で、帽子、頭部、開口部などすべての形状が5軸CNCマシンで加工されている。CNCマシンが達成できるディテールのレベルは驚くべきもので、私は厚みが僅か0.16mmの格子模様のMOPダイヤルを見せてもらった。ダイヤルにダイヤモンドをセットする必要がある場合は、フライス加工が完了後に手作業でセットされる。
ご想像のとおり、ルイ・ヴィトンはエキゾチックな素材に関しても優れたセンスを持っている。メテオライト、マラカイト、アベンチュリン、ルビー、オニキス、オパール、ヒスイのダイヤルが、CNCマシンの切削音をBGMに目の前に並べられていた。ルイ・ヴィトンの時計に使用できる品質の真珠層を10個見つけるには、200kg分の牡蠣を仕入れ、選別しなければならないそうだ。
ラ・ファブリク・デュ・タンで最後に訪れたのは、2人の職人がダイヤルのハンドペイントに取り組む小さな工房だ。ルイ・ヴィトンは、石の寄木細工や宝石のセッティングなど、他のダイヤル装飾技術も用いることで知られているが、2014年の“エスカル ワールドタイム”のデビュー以来、同社のミニチュアペイント作業にスポットライトが当てられている。
エスカル ワールドタイムのダイヤルには、ハンドペイントとパッド/オフセット印刷の両方が施されている。完成したダイヤルには総計38色もの色が使われており、1マス1マスを手作業で塗るのに50時間以上、色を塗った後に1時間オーブンで焼成して塗料を定着させるという工程が必要だ。塗料は、塗布するのと同じ部屋でルイ・ヴィトンの職人によって調合される。
各々の色は極細の毛筆で色を塗っていくのだが、使われている毛はただの毛ではない。しかも、その毛は馬の毛でもなく、人間の毛でもなく、リスの毛なのだ(ラ・ファブリク・デュ・タンの敷地内にリスの飼育場があるかどうか聞いてみたが、残念ながらリスの毛をどこでどのように入手しているかは教えてもらえなかった)。ダイヤル1個を完成させるのに、着手から完成まで約2週間を要する。
ダイヤルの塗装は、職人がずっと顕微鏡を覗き込んで作業するほど、細かい作業となる。線にそって色を塗るだけなので、一見簡単そうに見えるが、決して簡単ではない。私も試しにやってみたが、顕微鏡を通してダイヤルを見ながら、特定のマス目にミクロの精度で筆を運ぶのは、不可能に近い。ダイヤルも顕微鏡の台座も、赤い塗料まみれになってしまった。
ルイ・ヴィトンのハイウォッチメイキング部門は、“小物”とは程遠い。この記事の冒頭で取り上げた2019年のForbesの収益チャートに目を向けると、ルイ・ヴィトン(親会社のLVMHではなく単体で)の収益150億ドルに対し世界最大の伝統的時計メーカー、ロレックスの同年の収益は50億ドルがやっとである。それでも、ラ・ファブリク・デュ・タンでの体験は、史上最大のラグジュアリーブランドの時計部門を訪れたという実感よりはむしろ、ルイ・ヴィトンの実力を見誤り、過小評価してしまっただけでなく、訪問前はその重要性を完全に見落としてしまったような気がした。
ルイ・ヴィトンは、高級機械式時計に参入する必要はなかった。親会社であるLVMHは、2002年の時点ですでにゼニスとタグ・ホイヤーを所有していたからだ。また、ルイ・ヴィトンの新作スピン・タイムが年間の売れ行きに頭を悩ませる本社の財務担当者がいたとしたら、私はショックを受けること請け合いだ。
ルイ・ヴィトンのハイウォッチメイキングの世界に一日浸ってみた感想は、それはルイ・ヴィトンというブランド全体の特権的な役割であり、ルイ・ヴィトンというレンズを通して、純粋な時計製造の視点を提供しているという点だ。ルイ・ヴィトンは、自分たちの作る時計を買うこと、あるいは好きになることを強要しない;彼らはそれを気にも留めていない。
彼らが大切にしているのは、シンプルなことだ:ルイ・ヴィトンは、自分たち自身が最も興奮し、興味を抱くタイプの時計をデザインし、作り続け、その時計を最高のものに高めていきたいのである。
トップ画像、ルイ・ヴィトン。その他の画像は、特に注釈のない限り、すべて筆者によるもの。
ラ・ファブリク・デュ・タンとルイ・ヴィトン ハイウォッチメイキングについては、公式Webサイトをご覧ください。
ルイ・ヴィトンは、LVMHグループの一員です。LVMH Luxury VenturesはHODINKEEの少数株主ですが、編集上の完全な独立性を維持しています。