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1909年1月9日、アーネスト・シャクルトン(Ernest Shackleton)卿のチームは南極点に肉薄していた。チームは南極大陸を踏破するために何度も食料を配給されながら、1年半近くを探検に費やし、装備を運ぶためのポニーもすべてを失ったが、シャクルトン卿と彼のチームは奇跡的に生還することができた。だが、シャクルトン卿は敗北を認めざるを得なかった。彼は「我々はすべての力を使い果たした。到達点は南緯88度23分である」と記している。隊は南極点までたった97.5マイルと、これまでの探検家のなかでもっとも近い場所に到達していた。
シャクルトン卿が南極に上陸するはるか以前より存在する、ニムロド号という船があった。それは探検の40年前に製造された木造船で、激しい北極圏の旅にはかなり不向きなものであったが、シャクルトン卿はこの船しか用意することができなかった。この船の名はそのまま、探検隊の名前の由来となる。その旅の案内役として、数あるクロノメーターのなかからチームが選択したのが、ロバート・ガードナー(Robert Gardner)製の2日巻きマリンクロノメーターだ。これは、当時の航海には欠かせないものであった。7月13日にボナムズ(Bonhams)が開催した“ファイン・クロック・セール”に出品されたのが、まさにこの時計である。現在ではマントルクロックとして設置されており、その出自を裏付ける多くの研究がなされている。
マントルクロックとしてケースに収められたガードナー製のマリンクロノメーター。Photo: courtesy Bonhams
“ニムロド探検隊”は目標こそ達成できなかったものの、アイルランド人探検家による3回にわたる南極探検の記念すべき初回にあたるものだ。このことは、アーネスト・シャクルトン卿が単なる有能な探検家としてだけでなく、歴史にその名を刻むにあたり重要な役割を果たしたのである。事実、その2年後に初めて南極点に到達することになるロアール・アムンセン(Roald Amundsen)は、「アーネスト・シャクルトン卿の名は、いつまでも南極探検の年代期に燃え盛る炎の文字で書き記されるだろう」と語っている。
あなたが思い描いていた“ポーラー エクスプローラー”とは違うだろうが、時計史的に見ればこれは探検の歴史のなかでもかなりクールなものだ。ニムロド探検隊は単に南極点に“近づいた”だけでなく、南極で2番目に高い火山であるエレバス山の初登頂に成功し、その後の南極探検の基礎を作った。また、このクロノメーターはその一度きりの遠征ののちも充実した生涯を送ったという。この時計は1899年3月にアドミラルティ(1964年まで英国海軍を管轄していた官庁)に44ポンドで購入された。この時計は何度もシドニーを行き来し、第一次世界大戦時にはトルコの近くにあり、最終的には1920年にインドに上陸した。
ボナムズ(Bonhams)はニムロド・クロノメーターに3000ポンドから5000ポンド(約54万3000円から90万5000円)の査定額をつけている。私はこのようなクロノメーター、特にムーブメントが本来とは異なる形で搭載されている時計の価値についてはまったく詳しくない。しかしマントルクロックは、率直に最近のクロノメーターケースよりはるかに実用的である。後世のアメリカ製マリンクロノメーターはその半額程度で、その価値ははるかに及ばない。探検の歴史に刻まれたクールなピースとしては、妥当な価格だと思う。
Lead photos courtesy of Getty Images
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ボナムズによるニムロド・クロノメーターの販売詳細については、ボナムズのウェブサイトをご覧ください。
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