ADVERTISEMENT
ブレゲがタイプ XXをリバイバルさせ、当時の軍用/民生用のテイストを反映させたふたつのフライバッククロノグラフを発売したことはすでにご存知だろう。時計やムーブメントについての詳しいレビューは、すでに米国の同僚であるマークが執筆しているので、今回僕はプレス向けのツアーで巡ったフランスの航空博物館、およびそこで見た過去のタイプ 20/XXなどの展示を踏まえて、ブレゲによる航空計器の歩みについて触れてみたいと思う。
ル・ブルジェ航空宇宙博物館は、パリとシャルル・ド・ゴール空港のちょうど中間くらいに位置し、あのコンコルドの展示(しかも2機も!)で有名だ。19世紀の航空黎明期からの歴史が学べ、木や布で作られた飛行機や第一次世界大戦時の戦闘機、開発段階だった初期のヘリコプターにいたるまでがところせましと展示されている。そこにはあのアルベルト・サントス=デュモンが製作・搭乗したドゥモワゼル号や、ルイ-シャルル・ブレゲ製作によるXIなども含まれる。正直、現在の飛行機の姿とかけ離れているため、1900年代初頭の有人飛行というものがいかに先進で危険の伴う開発だったか、まざまざと感じさせられた。
ルイ-シャルル・ブレゲ(1880〜1955年)は、アブラアン-ルイ・ブレゲ(1747〜1823年)から5代目に当たる人物で、ブレゲ・アビエーションの創業者。時計製造から始まったブレゲが、最先端の産業だった航空関連の事業に進出しているあたり、フランスにおいてブレゲがいかに先駆的な会社だったかが伺える。思えば、ルイ・ブレゲはフランス海軍御用達時計師を務めており、1800年代にはマリンクロノメーターを開発していたし、その子孫も同じような役割を果たしていたことはむしろ必然だったともいえる。この話は、展示の写真とともに後半改めて触れるとして、まずはブレゲによるアビエーションウォッチを見ていきたい。
今回ル・ブルジェ博物館で見ることができたのは、新作のみならず第1〜3世代のタイプ 20/XXだ。積算計の計測時間が15分、30分と異なるツーカウンターのもの、3カウンター仕様になり回転ベゼルも追加されたものなど様々な仕様のものがあり、数年単位で技術が進歩していった様子がうかがえた。ブレゲは当時、腕時計とコックピットクロックの両方を製造し、1900年代初頭にはパイロットウォッチを製造しており、1930年代まで戦火のなかで軍への納入を続けた。ブレゲ一族が創業した時計製造会社は1954年にフランス海軍航空隊(Aéronavale)への正式サプライヤーとなり、それ以降にタイプ 20/XXという名の腕時計が製造され始める。軍からの要求により、すべての時計がフライバッククロノグラフと積算計、回転ベゼルを備えることとなった。
タイプ 20/XXは、第1世代が1953〜1970年、第2世代が1971〜1986年、第3世代が1995〜2020年と大まかに分けられている。第1世代が主に軍用だったのに対し、第2世代以降は民生品としての販売も広がりを見せ、スウォッチ・グループ傘下となる1999年以降には複数のコンプリケーションを搭載したタイプ XX/XXIを生み出すにも至った。
原点回帰ではなく新しいタイプ XXのはじまり
2020年に製造を終えた第3世代から、一体どんな進化がもたらされるのか、多くの愛好家も発表の会場であるプティ・パレにいた関係者も固唾をのんでそのお披露目を待った。その答えは軍用と民生用のオリジナルの意匠を思わせるふたつの時計だったわけだが、少なからず落胆の声があったことも知っている。その理由の多くは日付表示の存在だったり、先代からの価格の上昇幅だったりしたわけだが、前者はまだこの時計を手に取っていない人の感想だろうと思う。そもそも僕は、日付の有無はそのデザインのされ方によって評価すべきと考えていて、今回のタイプ XXは十分に考慮されたものだと感じた。
わかっている、4時半位置が最も嫌われる日付表示の位置ということは重々承知だ。けれど、インデックスと異なるフォントが採用されて時刻や日付を見にくくさせることもなく、他の位置(例えば3・6・9時)でインデックスを潰したりカウンターのバランスを崩したりすることもない。位置に関してはノーチョイスだったように思えるが、それでも嫌という人は実機を見てそのバランスの取り方を観察して欲しい。さて、後者は現代のブレゲによる新しいフライバッククロノグラフが搭載されたことを思うと十分に納得できるものだろうと思う。
会場のプティ・パレは1900年のパリ万博のために建てられたもので、現在では美術館として運用されているもの。古代ギリシャ様式の荘厳な建築で、時計の発表にはいささか不釣り合いに思えた。けれどブレゲのタイプ 20/XXに対する誇りを改めて感じると、会の主役としてふさわしく思えるし、そもそもこの会場が使えるということ自体から、パリが栄華を誇った時代にブレゲが果たした役割がやはり大きかったのだと理解した。
ル・ブルジェ航空博物館
さて、最後にル・ブルジェの展示をお目にかけて終わろうと思う。黎明期の飛行機は実際に見るのが初めてで(正確にはここにあるものすべて初めて見たのだが、似たものを見たことがないという意味で)、ただただ言葉を失った。戦時中に用いられた戦闘機もその進化の過程を追うことができるし、その後1950年代に訪れるジェット旅客機の時代までを包括的に楽しめるので、航空ファンにとって垂涎の場所だろうと思う。そのすべてを掲載することはできないが、わずか50年ちょっとのあいだに凄まじい発展を遂げた航空史の一端を感じてもらえたら嬉しい(個人的にはコンコルドに注目!)。
冒頭に触れたが、ブレゲで5代目にあたりブレゲ・アビエーション創業者であるルイ-シャルル・ブレゲは、航空機用のコックピットクロックにとどまらず機体開発にも乗り出していた。第一次世界大戦は航空機が投入された最初の戦争であり、ブレゲ・アビエーションはブレゲ14という名の複葉機などを製造して貢献。戦後にはそうした戦闘機を航空貨物のために有効活用し、一方で航空科学に務めてヘリコプター開発なども勤しんだという。ブレゲは、世界が近代の扉を開き、その後のジェットエイジにつながっていく土台の一部を間違いなく築いたのだ。
本記事のほとんどがフランス航空界にかかわる内容になってしまったが、航行に必要な計測をするうえでブレゲはフランスにおける紛れもないパイオニアなのだ。タイプ 20/XXを身につけるときに思い出す事実としてお伝えしたかったし、ブレゲは現在パイロットウォッチを製造する時計メーカーのなかでも指折りだと思う。クラシカルかつ上品な時計としてのブレゲとは違ったイメージを宿すタイプ 20/XXは、航空計器というツール開発に邁進していた、創業者の次の時代を想起させるアイコンなのだ。