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時計は人類の宇宙探検において重要な役割を果たしてきたが、アポロ11号の月面着陸成功とその時着用されたオメガのスピードマスターは、宇宙時計の中でも特に注目を集め、話題の中心となっている。月に注目が集まる傾向にあるが、月の周辺やその先にある宇宙旅行も、時計の伝説と同様に重要だ。今からちょうど60年前の1961年5月5日午前9時37分、アラン・シェパードは、マーキュリー計画の宇宙船フリーダム7を手動で操縦して宇宙に飛び立ち、アメリカ人として初めて宇宙への弾道飛行を達成し、歴史に名を残した。飛行は全体でわずか15分28秒だったが、その影響はその後何十年にもわたる有人宇宙飛行の礎となった。
宇宙時計に詳しい人物といえば、NATOの退役将校であるフィリップ・コルネイユ氏だろう。彼は数十年にわたり、あまり知られていないさまざまな宇宙時計にスポットを当てた貴重な写真を収集し、自身のTumblrであるMoon Watch Universeに投稿している。シェパードの歴史的な飛行から60周年を迎えるにあたり、コルネイユ氏にお気に入りの写真とその背景にあるストーリーを紹介してもらった。
オーデマ ピゲ ロイヤル オーク ユニークピース
2009年10月、シルク・ドゥ・ソレイユのCEOであるギー・ラリベルテ氏は、宇宙ステーションに向かうソユーズTMA-16に自身が所有するオーデマ ピゲを持ち込んだ。我々の知る限り、この時計は宇宙で着用された時計の中で最も高額な時計だ。しかし、10日と21時間の宇宙旅行に必要となる3500万ドルに比べれば、微々たるものだ。このNASAの公式集合写真を見ると、ISSに滞在する彼の腕にその時計が巻かれているのが分かる。
オメガ シーマスター Ref.2296.80.00
セリーナ・オナン・チャンセラー氏は、国際宇宙ステーション(ISS)の56/57次長期滞在のフライトエンジニアだった。彼女は2018年にソユーズMS-09で打ち上げられ、196日と17時間49分を宇宙で過ごした。この特別なシーマスターは、シーマスターラインの中でもたまにしか見られないレッドゴールドでアクセントをつけたチタンケースを採用している。マーク・ケリーがSTS-124で着用したプラネット オーシャンのように、他のシーマスターも宇宙に行っているが、このモデルは最も珍しいリファレンスと言えるだろう。
オメガ スピードマスター “FROM THE MOON TO MARS”
OK、おそらく少し浮気している。これはスピードマスター プロフェッショナルだが、標準的なムーンウォッチのリファレンスではない。日本の宇宙飛行士である野口聡一氏は、2005年7月のSTS-114でスペースシャトル、ディスカバリー号に搭乗し、初の宇宙飛行を行った。彼の腕には、私物のオメガ、スピードマスター “FROM THE MOON TO MARS”が巻かれ、宇宙空間におけるスピードマスターの長年の伝統を引き継いだ。彼は13日間のミッション中、計20時間5分に及ぶ3回の船外活動を行った。
ロレックスのGMTマスターとGMTマスターII
GMTマスターやGMTマスターIIといえば、宇宙にまつわるイメージがあるが、公式に宇宙開発に関わったことはない。その代わり、個人的に人気のある時計として取り上げられている。NASAの宇宙飛行士であるロイド・ブレイン・ハモンド氏とリロイ・チャオ氏は、1990年代にチャオが3回、ハモンドが2回、それぞれ多くのミッションでこのモデルを着用していた。
ジン 140S
ドイツ人物理学者のラインハルト・フューラー氏は、スペースシャトル、チャレンジャー号に搭乗したSTS-61Aミッションにおいて、私物のジンの140Sクロノグラフを着用した。STS-61Aは、STS-30やD-1とも呼ばれ、“D”はドイツを表し、それは西ドイツが資金を提供して運営した“スペースラブ(Spacelab=宇宙実験室)”ミッションだった。8人のクルーは、単一の宇宙船で打ち上げから着陸までを行った最大のクルー数の記録を保持している。
ブローバ アキュトロン アストロノート
それは名前にも表れている。アキュトロン アストロノートは、NASAの宇宙飛行士ゴードン・クーパー(1963年5月のマーキュリー“フェイス7”ミッション、1965年8月のジェミニV)、ヴァージル・グリソムとジョン・ヤング(1965年3月のジェミニIII)、ノーマン・サガード氏(1983年6月のスペースシャトル、チャレンジャー STS-7)が使用した。この時計は1960年に発売され、電子制御式音叉ムーブメントのCal.214が宇宙カプセルの過酷な環境に耐えられるという理由で、61年までにX-15のテストパイロットとマーキュリー7号のNASA宇宙飛行士全員にアキュトロンGMT(後にアストロノーツと改名)の腕時計が支給された。
グリシン エアマン
グリシンのエアマンは、宇宙飛行士のチャールズ・ピート・コンラッドが1965年8月のジェミニV号と1966年9月のジェミニXI号で着用したものだ。ジェミニXIのミッションでは、カプセルのコックピットが開いていたため、同僚のリチャード・ゴードンが2時間41分の宇宙遊泳をしている間、コンラッドのグリシン エアマンは宇宙空間にさらされた。このことからグリシン エアマンは、宇宙空間にさらされた最初の自動巻き腕時計であると言えるだろう。
モスクワ第一時計工場 ストレラ クロノグラフ
1959年にソビエト空軍のために製造されたこのクリームカラーダイヤルのクロノグラフは、1964年まで宇宙飛行士に支給され、64年10月のボスホド1号の最初の3人の乗組員によって着用された。ストレラの“アロー”クロノグラフは、1965年3月にアレクセイ・レオーノフが初めて宇宙遊泳を行った際にベルクート宇宙服の下に着用され、1973年までソユーズ宇宙飛行ミッションでも着用された。