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Four + One 彼は時計が大好きだが、時計との出合いはもっと好きかもしれない

ジャンカルロ・ロッセッリ氏は、祖父のオメガ コンステレーション、そしてそれ以上のものを受け継いだ。

Photos by Rita Harper

ジャンカルロ・ロッセッリ(Giancarlo Rosselli)氏は、共通の趣味を持った人たちを引き合わせるのが大好きだ。例えば時計。特にオリスの時計だ。しかし時計やオリスラバーだけではない。さらにサッカーもだ。なかでも老舗のクラブチーム、ACミラン。「私はただ好きなことしているだけにすぎません」とロッセッリ氏は言う。「人生も文化も違う人たちがたくさん集まり、そして共通の趣味や興味について語り合えるのは、何よりの喜びです」

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 この日、彼は妻のミレーユ(Mireille)氏とふたりだけの時間を過ごすために、すべてのちょっとしたことから離れていると聞いた。10年目の結婚記念日を過ごすローマのホテルの一室から、そうふたりが語ってくれた。このときインターネットの環境がよくなかったため、カメラをオフにした状態で話を伺っていた。ロッセッリ氏はミレーユ氏に促され、アトランタにあるメイヤーズ ジュエラーズ(Mayors Jewelers)で購入したばかりだという、黒文字盤のロレックス デイトナの新品を見せるために、1度だけスイッチを入れた。

 (メイヤーズの)正規販売店から電話がかかってきたときの感想を聞いてみた。「携帯に彼の番号が表示されたときは心臓がバクバクしました」。彼にかかってきたこの正規販売店からの電話は2回目だった。「彼が“やあGC”と、私の名前を言った時点で、何か重要なものが届いたのだと察しました」

a man on a large curved staircase

 42歳のロッセッリ氏は、世界的な物流会社の製薬ヘルスケア部門で副社長を務めており、そして3人の男の子の父親であり、さらにアトランタ時計協会の創立メンバーでもある。ロッセッリ氏はアトランタ出身というわけではなく、2020年に移住してきたばかり。ほどなくして協会を立ち上げたことを考えると、これは驚くべきことである。

 「アトランタに引っ越してきたとき、何事にもすぐに飛び込めるよう、本気で根を下ろしたいと思いました」。その一環として設立したのが、すでに200人近い会員を持つ協会である。「アトランタにはすでにいくつかの時計グループがあるのを知っていたのですが、私はどうしても自分自身でやってみたかったのです」と話すロッセッリ氏。

 彼のコレクションはセイコー、シチズン、カシオから、ロレックスやブランパンといった高級ブランドまで幅広く手を広げている。「私の趣味はあらゆる価格帯のものに当てはまります。持っている時計はどれも笑顔にしてくれるのです。今日は自分にとって、いちばん思い入れのある時計を紹介しようと思います」

 そのなかでも彼のお気に入りの時計4本と、大切にしているサッカーにまつわる写真を紹介していこう。


彼の4本
オメガ コンステレーション
an omega constellation watch

 ロッセッリ氏が幼いころ、家族でメキシコシティのコロニア インダストリアル近くに住む祖父母の家に遊びに行っていたときのことだ。祖父はオメガのコンステレーションを身につけていて、幼いロッセッリ氏に必ずいつも身につけさせたという。「私は彼を尊敬していたし、彼はいつも腕時計をしていました。それがきっかけで無意識のうちにあった時計へのこだわりが、年を重ねるごとに強くなっていったのです」

 ロッセッリ氏の祖父、アルベルト(Alberto)は、彼が20代前半だった1993年に亡くなっている。祖父はこの時計が、自分のためのものであることを祖母に知らせるようにしていた。「パティーナ(経年変化)を帯びている時計の文字盤を見ると、幼いころ、祖父の腕に巻かれた同じ時計が少し違う状態で残っているのを思い出します。当時のたくさんの思い出がよみがえってくるのです」

 答えはわかっているのだが聞かずにはいられない。この時計を売ることはないだろうか? 「絶対にない」と彼は答えた。

ブランパン フィフティ ファゾムス Ref.5015
Blancpain fifty fathoms watch

 ロッセッリ氏は、2019年にこの時計を手に入れている。そのシンプルさ、すっきりとした文字盤、ベゼルが回る感触などに引かれると同時に、彼はその歴史にも魅せられたという。「以前、これが最初のダイバーズウォッチでサブマリーナーの1年前に発売されたと聞いたことがあり、そのときからどうしても欲しいと思っていたのです」

 フィフティ ファゾムスは、ロッセッリ氏が初めて購入した高級時計でもある。「この時計は、それまで持っていたものよりレベルが高い時計であることは意識していました。当時はお金を使うことに少し不安があったのですが、ボーナスが出たのでこの目的のために別にプールしました。それほどまでに欲しかったのです」

 彼はこの時計を、1年間のとても厳しい仕事のご褒美として手に入れたものであり、そして本当にこれを手に入れたんだと心から思っているからこそ、最も満足感を得られる時計なのだという。彼は「時計を眺めるたびに、手に入れるためにどれだけ努力したかが思い浮かびます」という。

 フィフティ ファゾムスを愛しているのは彼だけではない。「長男のジャンマルコは8歳ですが、この時計がいちばん好きなのです。彼はいつも私の時計ボックスを漁っては試着し、大きくなったら自分のものにするとはやくも主張しています。今はもう売れません!」

ロレックス サブマリーナー “カーミット” Ref.126610LV
rolex submariner green bezel

 ロッセッリ氏は節目節目を大切にすることを信条としている。そこで40歳の誕生日に、またずっとニューヨークで暮らしていたなかアトランタに移住したことを記念して、彼にとって初となる新品のロレックスとして、この美しいサブマリーナーを手に入れた。

 このサブが登場したことをきっかけに、ロッセッリ氏はアトランタに着くやいなや、メイヤーズの正規販売店から最初のビッグコールを受けた。比較的短い期間で、欲しかった時計を手に入れることができたのだ。「この時計は、私の人間関係をうまく築き上げる能力を意味するほか、グリーンのベゼルはアトランタでの新しい人生の局面における、再生と新生を意味しています」

 彼の最初のロレックスはペプシのGMTだったが、数年前にはそれを売却。自分が本当に欲しいのはディーラーから購入した新しいロレックスであると確信したという。「私の場合、その時点では、受け継がれたものではないヴィンテージには抵抗がありました。ただ、今はその準備ができています」。彼はいつかヴィンテージのノンデイトサブマリーナー、具体的には5513のオーナーになることを夢見ている。しかし今は新しいものを楽しみ、正式に自分のものになったと知った日のことを、今でも懐かしく思っているのである。

オリス アクイス ニューヨークハーバー
oris aquis watch

 「この時計がオリスから発表されたとき、どうしても手に入れたいと思いました」と彼は話す。「ハドソン川のすぐそばで育ち、この時計が支持するもの、つまりビリオン・オイスター・プロジェクト(ニューヨーク湾全体において牡蠣の数を2035年までに10億個にまで復活させる取り組み)に支援しているのですから、当然といえば当然です。特に、私はもうニューヨークにはいないので、この時計は私のルーツをよく表していると思います」

 これは彼にとってのファーストオリスではない。オリス ポインターデイトと、アクイスGMTも所有している。彼は以前から、ブランドの独立性と慈善活動への献身を高く評価している。「この美しいモデルを購入できて、しかも人の役に立てるチャンスもあるなんて、大変素晴らしいことだと思います」

 時計を購入してからわずか数カ月後、ロッセッリ氏はオリスから、オリスソーシャルクラブのアトランタ支部を立ち上げないかという話を持ちかけられた。「すでに数名のメンバーが在籍しています。アトランタの新しいコミュニティで、今後もこのブランドについて語れるのがとても楽しみです」


もうひとつ
ロッセッリとペレの写真(1982年、ニューヨークにて )
man holding a photo

 1回のイベントで、毎回平均60~70人の参加者を集めるまでに成長したアトランタ時計協会。この飛躍的な発展に貢献した、ロッセッリ氏のコミュニティを形作る能力は、彼が2012年にサッカー観戦グループ“ACミラン クラブ オブ ニューヨークシティ”を立ち上げたときに培われたものである。ロッセッリ氏と数人のACミランファンがTwitterで告知し、エンパイアステートビル近くのスポーツバー、フットボールファクトリーで観戦したい人を募った。数年後にメンバーは150人ほど集まり、さらに試合観戦に来る人も50人ほどになっていた。この成功が自信となり、ロッセッリ氏はアトランタでのプロジェクトに飛び込む自信をつけたそうだ。「ニューヨークでフットボールグループを結成してわかりました。作れば来るということを」

 サッカーをこよなく愛した祖父と父の影響を色濃く受けたロッセッリ氏にとって、ブラジルのスターサッカー選手、ペレとのツーショット写真が宝物のひとつであるのも当然うなずける。この写真は1982年に撮影されたもので、メキシコの伝統衣装チャロに扮した若き日のロッセッリ氏が、1982年に5番街を行進するヒスパニックデーパレードでペレに抱かれている写真である。

a framed photo of a child and pele

 当時まだ2歳だったロッセッリ氏は、この出会いを覚えていない。だが2回目にペレと会ったときのことは覚えている。彼は子供たちの識字教育活動を支援するべく、ニューヨークにあるナスダック取引所を訪れていた。ロッセッリ氏の姉はナスダックに勤めており、弟を誘ってサッカースターに会い、昔の写真とストーリーを共有することができたというのだ。そのときペレは、数年前に彼に会ったことを思い出し、「チャロの服を着た赤ちゃんに会うことなんて、そうそうあることじゃない」と伝えたそうだ。「このときは感動的で、とても特別な瞬間でした」とロッセッリ氏は思い出しながら話す。「特にフットボールキングが去った今となっては」

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HODINKEEはブランパンオメガオリスの正規販売店であり、ロレックスの中古時計を販売しています。