Photos by Mark Kauzlarich
F.P.ジュルヌのダイヤルとケースに特化した最新鋭の製造会社、レ・カドラニエとレ・ボワティエ・ドゥ・ジュネーブに招待され、これからご紹介する幾多もの設備、特注設計の施設、優秀なスタッフたちに投資した数千万スイスフランは、ブランドの総生産(本)数を増やすものではないと伝えられたことは、考えてみればおかしな話である。
F.P.ジュルヌは、年間約1000本の機械式時計と、約500本のクォーツモデル“エレガント”を生産し続けている。ジュネーブ郊外にあるメイランに昨年竣工した新社屋には、ジュルヌ氏が単独支配するダイヤル/ケースメーカー両社が入居しており、数十年にわたるジュルヌの自社製造へのこだわりが、ほかのブランドには類を見ない形で表現されている。しかしこれらの新しい施設は、拡張のための余分なスペースをほとんど持たずに設計された。実際、レ・ボワティエ・ドゥ・ジュネーブの地下室には、将来的に数台の新型機械を置くのに十分なスペースしか確保されていない。確かに、こうした制約要素はジュネーブの旧市街にある本社の敷地が、そもそもムーブメントの製造と組み立てを行うという前提に依る。しかし、それは本質ではない。F.P.ジュルヌは自社の目標をよく理解しており、今日のマーケットにおける最高峰の時計を作りながら、彼らなりの生産方式に注力しているのである。
これこそが“ジュルヌ”の真髄だ。彼自身と彼の会社(モントル・ジュルヌSA)は、スイスの時計業界において安定した力を持ち、独立系時計メーカー特有の緩慢ながら有意義な成長を続けてきた。しかし、昨今の時計業界の盛り上がり(そして顧客のブランドに対する飽くなき需要)にもかかわらず、ジュルヌにはひとつのシンプルな真理がある。それは「変わるものと同じくらい、変わらないものがある」ということだ。ジュルヌにとって成長とは、“拡大”よりも“革新”を意味するのである。
見学を始めるにあたり言っておくが、この記事は長く、かつ詳細にわたるので、部分的に読むことをおすすめしておこう。多くの場合、ブランドは製造現場のほぼすべてを取材するために時間を割くことができなかったり、機密のため非公開だったりするものだ。しかし今回の取材にあたり、F.P.ジュルヌはこの春先の2日間、本記事のために惜しみなく門戸を開いてくれた。
本社と旧市街のマニュファクチュール
生産数が増加しないからといって、何も変わっていないと揶揄することは、F.P.ジュルヌがジュルヌたる真髄を見逃すことになる。ジュルヌは、何世紀にも遡る時計製造のプリンシプル(原理原則)に革新をもたらしながら、製造技術を融合させ、過去の偉人たちと未来の可能性をつなぐ存在として歩を進めている。彼のヒーローであるアンティード・ジャンヴィエ(Antide Janvier)、アブラアン-ルイ・ブレゲ(Abraham-Louis Breguet)、ジャン-アントワーヌ・レピーヌ(Jean-Antoine Lépine)、そして師であるジョージ・ダニエルズ(George Daniels)の面影さえも、ジュルヌの作る時計には窺えるのだ。
多くの独立系時計メーカー(および一部の大手ブランド)がさまざまな外部サプライヤーに依存しているのとは異なり、ジュルヌの機械式時計は、ほぼすべての部品が自社製造されている。レ・カドラニエはF.P.ジュルヌのダイヤルを製造しているだけでなく、ほかのブランドのダイヤル修復(フィリップスのこの記事を参照して欲しい)や現行モデルのダイヤル製造も手がけている。現時点でF.P.ジュルヌが製造していない部品は、風防、ヒゲゼンマイ、受け石、脱進機の一部、ストラップのみである。エレガントの電子回路もスイス国内で製造されている。しかし、この解説については別の機会に譲ろう。
需要の増加以外にも、この10年で起こった大きな変化は数えきれないほどある。2015年のマニュファクチュール訪問を振り返ってみると、まず目に飛び込んでくるのは、2006年以来メゾンの主力であったアイコニックなソヌリ・スヴランの製造が終了したことだ。フランソワ・ポール(François-Paul)自身が2018年、(当時)彼らがつくる最も複雑な時計が特別とされた理由のひとつに、わずか50本強というその限定生産数にあるとの判断から、このモデルを2019年に製造中止としたのだ。
この製造中止はひとつの収益源を絶つ代わりに、アストロノミック・スヴラン(私がHands-On記事を執筆したなかでもっとも複雑な時計のひとつ……、とまで言わないが)やFFCのようなほかの複雑モデルへの扉を開いた。このような時計は、ジャンヴィエやブレゲ、ともすればダニエルズの想像の域をも超えているのではないだろうか。同時にこのような時計は、極限に近づくためにCNCマシンのような近代的な工業生産技術を採用したからこそ可能となったのだ。そうでなければ、このブランドの総生産本数に説明がつかないだろう。しかし、彼の時計をつぶさに観察すると、(適切に介入する)手作業と、(必要に応じた)工業化のバランスに対する理解と対策が、ほかの伝統的な独立系メーカーが到底及ばないようなスケールで行われているのが見て取れる。
手作業は喜ばしいのことに、いまでも必要とされている。ジュルヌは価格の割にムーブメント仕上げは最高とは言えない、という時計コレクターの批判をよく耳にする。実際そのとおりだ。ジュルヌはあっさりと認めるだろう。しかしそれは、その分野に力を注いでいないからにほかならない。その代わりに、時計製造の革新に時間と資金と人手を費やすことを選んだのだ。もちろん、手作業による仕上げも行っているが、その目的は、デュフォーやレジェップの二番煎じのような存在になることではなく、ジュルヌをジュルヌたらしめるためなのである。
F.P.ジュルヌはスイスの工場で約150人雇用している。しかし、先に述べたふたつの非常に複雑なモデル(アストロノミックとFFC)を組み立てることができるのは、社内ではわずか3人(F.P.ジュルヌ自身を含めて4人)しかいない。しかし、ジュルヌは常に革新を続け、新たな挑戦をチームに課している。フランソワ・ポールの歴史的な快挙の一部は、毎年新しいムーブメントを作ることにある。そのような作品を作り出すためには、ジュネーブのシナゴーグ通りにある本社に出勤し続けなければならないが、そこはジュネーブのモントル・ジュルヌを訪ねるほとんどの人が目にする場である。建物内部は前回2015年の訪問時とほとんど変わっていない。ブランドに対する需要がどれだけ増えても、核となる部分は変わらないというのはある意味安心できる。
レ・カドラニエとレ・ボワティエ・ド・ジュネーブ - スイス、メイラン
レ・カドラニエとレ・ボワティエ・ド・ジュネーブの物語は、F.P.ジュルヌの初期に遡る。フランソワ・ポールは、トゥールビヨン・スヴランとクロノメーター・レゾナンスのすべてのスースクリプションモデル(およびレゾナンスの同制度導入前のモデル)のダイヤルを製作した。これらの作品はもっともコレクターの多い作品のひとつだが、ブランドの歴史のなかで最高のダイヤルでないことは明らかだ。ジュルヌはすぐに、独立性を保ちながらダイヤル製作を拡大し、向上させる必要性を認識した。今回、メイランで目にするものはすべて、初期のジュルヌから生まれたと言える。
ダイヤルとケースの製造施設を自社で所有するメリットは語り尽くせないが、その何点かをもう少し詳しく紹介しよう。まずは何よりも、供給面を自社でコントロールすることで、需要の増加に追いつけない外部サプライヤーからの脆弱な流通に頼らざるを得ない多くの時計メーカーを悩ませてきた“ボトルネック”を必然的に避けることが可能となる点だ。そしてもうひとつ、明らかな利点がある。F.P.ジュルヌは、望むものを、望む方法で、望むときに、望む水準で作ることができるのだ。
両社の現在の製造施設は、本拠地としている建物の3年にわたる改修とメンテナンスを経て昨年オープンした。ヴェイロー通りにあるこの建物は、ラ・ファブリク・デュ・タンを含むその他多くの時計メーカーの工場に隣接しているため、近くにあるレストランで昼食をとっていると他ブランドの時計を見ることは珍しくない。ジュルヌの工場がある建物は3年前に取得するまでしばらく空きビルになっており、建物全体を解体して完全にオーダーメイドで建て直された。ブランドの要求に応えるため、床材はダイヤル製造などに影響を与える振動を遮断する必要があり、空調管理やセキュリティもすべて最新式に改められた。
メイランの施設はひとつの建物を共有しているが、ふたつの子会社は互いに完全に隔離されたうえで運営されている。ケース製造施設で行われる作業(振動、金属粉塵など)は、ダイヤル製造の微細な公差に悪影響を及ぼす可能性があるからだ。しかし後述するように、レ・カドラニエとレ・ボワティエ・ドゥ・ジュネーブはそれぞれ異なる顧客にサービスを提供している。
フランソワ・ポール・ジュルヌ(François-Paul Journe)にとって、すべての始まりは常にダイヤルからだ。現在でも、ジュルヌはひとりで研究開発部門を担っている。探求する価値のあるあらゆるアイデアは素早くさまざまな部署に伝達され、そのなかにはレ・カドラニエ・ドゥ・ジュネーブのR&Dダイヤルデザイン部門も含まれる。彼らはそれぞれのアイデアを取り入れ、可能性を追求し、その結果をF.P.ジュルヌにフィードバックして成果を共有する。私が好きなほかのメーカーのムーブメントには、ダイヤルデザインがさほど美しくないものも数多く存在する。ムーブメントのレイアウト上、インダイヤルは決まった位置に配置する必要があり、ときにはダイヤル中央や下方に押し込まれ、視覚的なバランスを崩してしまっている。ダイヤルレイアウトを起点にムーブメント設計に向かう場合、設計そのものは難しくなるが、その結果として手首のうえでは常に美観を保てるようになる、というわけだ。
レ・カドラニエに関してもっとも興味深い事実のひとつは、それをF.P.ジュルヌのためだけに供給しているのではなく、ほかの時計メーカーを含む時計業界全体にとって最高のハイエンド・ダイヤルメーカーのひとつとなっているということである。これはすべて、レ・カドラニエがその歴史とF.P.ジュルヌのもとでの最終的な独立を経て歩んできた、長く曲がりくねった道程を思い起こさせる。
F.P.ジュルヌは、初期のハンドメイドダイヤルの作品を経て、(当時マックス・ブッサーの指揮下にあった)ジュエラーの雄、ハリー・ウィンストンおよび時計師セドリック・ジョナー(Cédric Johner)と提携し、F.P.ジュルヌ設立からわずか1年後の2000年にレ・カドラニエを設立した。この経緯を振り返って印象的なのは、ジャンヴィエ・クロックの初期の買収と同様、ジュルヌはブランド設立からわずか2年という黎明期に大胆な(そして率直に言って高額な)経営の意思決定を下したということだ。しかし、それが功を奏した。2012年までに彼のほかのふたりのパートナーはレ・カドラニエを去り、ヴァシュロン・コンスタンタンが事業の50%の株式を取得して参入した。2016年、ジュルヌはヴァシュロンから買い戻したが、同ブランドは依然として優良な顧客である。
F.P.ジュルヌのムーブメントと同じように、レ・カドラニエ・ドゥ・ジュネーブのダイヤル製作は、テクノロジーと手作業の絶妙なバランスで成り立っている。そして、ダイヤルメーカーとしての独立性と高い技術力よって彼らはさまざまな技術に挑戦し、業界をリードするようになった。なかでも興味深いのは、ひと目でわかる夜光塗料を使った同社の技術である。もしシャープな形状の立体的な夜光が、囲いもなく堂々と切り立っているダイヤルを持つ時計を見たことがあるなら、それはレ・カドラニエの作品である可能性が非常に高い。ジュルヌのエレガントに限らず、UVライトの下でも明るく輝き、暗い斑点が文字盤に滲みを生じさせないような全面夜光のダイヤルを見たことがあるのなら、それもおそらくレ・カドラニエの仕事に違いない。
次に素材についてだ。真鍮製のダイヤルは、今回登場することはない。F.P.ジュルヌはローズゴールドやホワイトゴールド無垢でできたダイヤルを使うことで有名だが、レ・カドラニエはシルバー無垢やジャーマンシルバーも扱っている。その工程は、CNCによる地板の削り出し、サブダイヤル用の穴あけ、開口部、ダイヤルの足、アプライド用数字マーカーを配置するための穴あけから始まるが、この穴周辺にも面取りが施されるなど、細部にまで細心の注意が払われている。工程が進むにつれ、手作業はますます重要になってくる。
部品の製作に続いて、私たちは次の工房を訪れた(レ・カドラニエには全部で13の工房がある)。そこでは、ダイヤルが繊細で複雑なタイミングを合わせた順序で、いくつもの化学薬品に浸される。ダイヤル(写真はインダイヤル)によっては作業員が吊り棚を異なる浴槽のあいだに移動させ、その合間にダイヤルは吊りフックの上で洗浄のためにゆっくりと回転する。これらのダイヤルは、軽微な汚染も抑えるために、薬液槽のなかで丁寧に洗浄される。私たちは実際にこの作業場に長時間滞在し、クロノメーター・ア・レゾナンスのサブダイヤルがそれぞれ処理でどのように変化するのかを見学した。
廊下の突き当たりにあるのがエナメル工房で、作業台の上に大きなディスプレイを設置してくれているおかげで、作業風景を眺めることができる。現在、クロノメーター・フルティフ・ブルー以外のエナメル加工は、トゥールビヨン・スヴランの3時位置にあるグラン・フー エナメル製ダイヤルのみである。レ・カドラニエのほかの部門と同様、エナメル工房はほかのブランドからの注文にそのスキルを遺憾無く発揮している。
見ていてもっとも興味深い(そして頭痛の種となる)作業のひとつが、ダイヤルのアプライド数字マーカーの選別と植字である。数字(植字部門で組み立てられるその他のダイヤルパーツ)はすべてCNCマシンで切り出され、手作業で研磨される。時計を組み立てるには、まず同じような色の金属材料でいっぱいのトレイから数字を見つけなければならない。そして、後で簡単に正しい数字を見つけられるように列に並べ替えてから、そっと貼り付けるのだ。この様子を見て、なぜか私はアルファベットスープ(アルファベットを模ったパスタの入ったスープ)から英単語を綴ろうとする作業を思い出してしまった。
40年以上前にスターン・フレール社に入社したのち、2000年からF.P.ジュルヌ(およびその他のブランド)のタンポグラフィ(パッド印刷)部門で働いている従業員、ディン=サン・ゴー(Dinh-Sang Ngo)には、素晴らしい話が好きな私は特に感銘を受けた。最近まで、彼はF.P.ジュルヌのダイヤルで扱う、ほぼすべてのパッド印刷を担当していたが、彼が老齢になったため、会社はノウハウを学ぶために新たな人材を迎え入れた。とはいえ、ゴーの仕事は弟子とは異なる。天然の動物性ゼラチンで手作りしたスタンプを使い、目視でダイヤルを慎重に合わせ、インクを転写し、少なくとも5回にわけてスタンプを押す。彼の作業台の向かい側では同じことが弟子によって行われているが、シリコンの型を使った較正されたマシンを使用しているため、工程に対する“熟練”はあまり必要とされない。
見学の途中、写真撮影が最も制限された瞬間は、夜光塗料の印刷エリアに到達したときだった。使用される素材の組み合わせや、ダイヤルへの塗布の方法(および組み込み方)は極秘事項だが、私はこのスペースで何時間でも、部門責任者と彼らの仕事について語り合うことができた。その工程がいかに難しいか、そして夜光塗料を作る素材メーカーでさえどれほど驚いているかを聞き、F.P.ジュルヌの技術力について知るのはとても興味深い体験だった。
レ・カドラニエの複雑さに比べると、姉妹会社であるレ・ボワティエ・ドゥ・ジュネーブ(メイランの施設の下層階の大部分を占める)は比較的シンプルに構成されているようだ。ケース製造施設では外部メーカー向けの仕事は一切行っていないため、同社の全生産量はF.P.ジュルヌに捧げられている。そうは言っても、高価なCNCマシンは他社のように24時間365日稼働しているわけではない。そして、人の手作業が必要な部分はまだまだたくさんある。
レ・ボワティエ・ドゥ・ジュネーブは2012年から操業しているが、ここで使われている技術は常に刷新されている。私が見たいくつかの機械は、2023年の新施設のオープンに向けて購入されたものだったが、その他の機械は数週間前に納入され、新しいケースの製造に取り掛かるためにキャリブレーション(較正)を行ったばかりだった。CNCマシンは新しければ新しいほど、許容される公差が大きくなる。ゴールド、プラチナ、チタン、スティール、タンタルなど、ジュルヌで使用される素材はそれぞれ異なる速度で部品を摩耗させるため、工具を常に監視する必要がある。よく言われることだが、タンタルは非常に延性が高いため、もっとも手間がかかる。そのため、F.P.ジュルヌはタンタルの使用に積極的な数少ないブランドのひとつとなっており、クロノメーター・フルティフ・ブルーで初めてこの素材からフルブレスレットを製作した。
素材はケースの形を作るためにゆっくりと成形され、少しずつ洗練されていく。多くの場合、裏蓋、ミドルケース、ベゼルの3ピース構造で、ビス(裏蓋とミドルケース)またはレーザー、ハンダで接合される。また、ここでは紹介できないが、F.P.ジュルヌはブレスレットのすべてのパーツ(ラインスポーツのチタンやゴールド製ブレスレット、またはクラシックラインのRGやプラチナの追加の“オーダーメイド”ブレスレットを問わず)をここレ・ボワティエ・ドゥ・ジュネーブで製造していることも注目に値する。これはその他多くのブランドが外注する理由である、このメーカーのもうひとつの要素である。
F.P.ジュルヌの施設への訪問が終わりに近づくにつれ、私はこのブランドに対して新たな興味を抱かずにはいられなかった。幸運なことに、ジュルヌのコレクターコミュニティに数人の友人がいる。その結束おそらくどのブランドよりも固く、大切に育まれている。しかし、ここ数年の需要の高まりとともに、ジュルヌは手の届くブランドという認識はもはや過去のものとなった。
自分の目で設備を見たのち、私は初めて初期の真鍮製ムーブメント“レゾナンス”を手にしたときに感じたのと同じ感動を覚えた。それはまるで、目の前に複雑に配置された天才の頭のなかの一部を目にしているようだった。今回私が見せてもらった製作過程はすべて、時計愛好家が求める最高水準を保ちながら、少量生産のビスポーク時計からはるかに壮大な存在へと会社を成長させた、たったひとりの頭脳の賜物であることに大きな感銘を受けた。生産量の拡大を拒否したり、ほかのブランドが得意とする複雑な仕上げを避けたりと、いくつかの決断は理屈に反しているように思えるかもしれない。しかし、ひとりの人間の決断のすべての部分が、独立時計製造における最大勢力のひとつになったことを目の当たりにすると、一縷の希望が湧いてくるようだ。F.P.ジュルヌは、フィリップ・デュフォーやロジャー・スミスのような小規模な時計メーカーにとどまる可能性も十分にあっただろう。しかしそうはならず、素晴らしい時計を作りながら成長を続け、あとに続くほかの時計メーカーの活路を切り拓いたのである。
F.P.ジュルヌの詳細については、公式ウェブサイトをご覧ください。