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Four + One ヴィンテージウォッチをもっと楽しく、手ごろでカラフルにすることを使命とする31歳のカエル愛好家

ゼニスのヘリテージ部門に勤めるジョエル・ラプラス氏は、仕事の合間に、手ごろな価格の究極のヴィンテージウォッチを探し求め、人気を博している自身のInstagramアカウントで世界中にシェアしている。

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本稿は2022年5月に執筆された本国版の翻訳です。

Photos by Janosch Abel

ジョエル・ラプラス(Joël Laplace)氏のInstagramアカウント(@jojolamontre)は頭から離れないほど強烈だ。ラプラス氏のソーシャルメディアや時計の売買に対するアプローチは、よくいるヴィンテージウォッチ愛好家とはまったく異なる。

 1万1800人のフォロワー(記事公開時)を有し、この記事の公開時にはさらに増えているであろう彼のアカウント@jojolamontreでは、無駄に真面目な時計の世界は存在しない。変な小道具(半分だけ中身が入ったエスプレッソカップをあとひとつでも目にしたら、私は悲鳴をあげることになるだろう)や散文的なキャプションの代わりに、蛍光ペンのような色彩の背景に飾られた、興味深く、しばしばファンキーな外観を持つヴィンテージウォッチの、シンプルかつありのままの写真が並んでいる。傷や磨耗を見えにくくしたり隠したりするのではなく、前景や背景のコントラストが、思いがけない形で時計に生命を吹き込んでいるのだ。

Joël Laplace

 ラプラス氏が愛する時計たちは、時計界のニッチな界隈から生まれたものだ。彼はスイス以外に住んでいるほとんどの人が聞いたこともないような、小規模で地元の人々向けのさまざまな時計見本市を精力的に回っている。結果はと言うと、ラプラス氏が入手し、Instagramで紹介している変わり種の時計たちを見れば一目瞭然だ。彼はヴィンテージウォッチだけでなく、それにまつわる付随する小物や装飾品も調達している。たとえば、ラプラス氏が最近見つけたもののなかで私が個人的に気に入っているのは、インカブロックの衝撃保護システムの形をした1970年代の灰皿シリーズだ。懐かしさと秘めたる魅力が絶妙に組み合わさり、ヴィンテージウォッチの世界をたまらなく魅力的なものにしているのである。

 ジュネーブで生まれ育ったラプラス氏は、早くから時計の世界に足を踏み入れた。16歳ぐらいのときに友人のタグ・ホイヤー フォーミュラ1に目を奪われたのがきっかけだ。それから15年後、彼は31歳になったが、相変わらず古めかしい時計に夢中である。いっときはロースクールに挑戦したこともあったが、その後は過去10年間のほとんどを、ヴィンテージウォッチの世界に参入すべく過ごしてきた。サザビーズ・ジュネーブの時計部門でアシスタントを務めたり、フレデリック・コンスタントやブルガリでアフターサービスやカスタマーサービスを担当したりと、あらゆる仕事を経験してきたのだ。

Joël Laplace

 これらの経験が、現在の彼のハイブリッドなキャリアにつながっている。ラプラス氏は毎週数日、ル・ロックルにあるゼニスのヘリテージ部門に勤務し、ゼニスのヘリテージ・ディレクターであるローレンス・ボーデンマン(Laurence Bodenmann)氏のアシスタントとして同社の膨大なアーカイブを扱っている。また自身のInstagramや、ジュネーブのパテック フィリップ・ミュージアムの真向かいにある小さなコワーキングスペースで、ヴィンテージウォッチの売買も行っている。

 ラプラス氏は自身のエキセントリックな一面をためらわずに見せるが、これは概して画一的なスイスの時計業界では特異なことだ。たとえば、彼はカエル(そう、ケロケロ鳴く緑色の両生類だ)に目がない。カエルは、彼と現在のガールフレンドのあいだで生まれた内輪のジョークから始まり、そのあと巧みなブランディングの手段へと発展した。今では、持て余すほど多くのカエル関連の置物や記念品が彼のもとに集まっている。

Joël Laplace's frog logo

@jojolamontreのロゴは、コートの内側に並ぶ時計を見せびらかした(そして売り込もうとしている?)カエルの絵だ。

 ラプラス氏には、自身の増え続けるヴィンテージウォッチコレクションから、今後絶対に手放さないであろう4本を選んでもらい、さらに時計関連のお気に入りアイテムをもうひとつ教えてもらった。彼が選んだものがこちらだ。


彼の4本
ミドー マルチフォート、フランソワ・ボーゲル社製ケース(1940年代)

 数年前、ラプラス氏は友人たちとパリに行き、遊び、騒ぎ、街で大いに騒いだ。

 いろいろなことが重なり(これは今のガールフレンドと付き合い始める前の話だと彼は強調する)、ラプラス氏は思いがけない場所で一夜を過ごすことになった。翌朝ジュネーブに戻るために出発したとき、彼は購入したばかりの腕時計を置き忘れてしまった。それは1940年代の、とてもきれいな状態の非常に小さなミドーで、夜光塗料の施されていない黒文字盤にアラビア数字、32mmのフランソワ・ボーゲル社製ケース、ゲイ・フレアー社が製作したオリジナルのボンクリップブレスレットの時計だった。

Joël Laplace's Mido

 当然ラプラス氏はその時計を忘れたことに落胆したが、次にパリを訪れたときに取り返せばいいと考えた。パリはジュネーブから列車で5時間ほどしか離れていないのだ。しかし、気づけばパンデミックで全世界がロックダウンされてしまったため、彼はその小さなミドーとの再会をほとんど諦めていた。パリのアパートのナイトテーブルに置き忘れてから1年ほど経ったある日、突然郵便でそれが送られてくるまでは。

 「ラジウムもトリチウムも何も施されていない、このような黒い文字盤はあまりないためとても気に入っています」とラプラス氏は言う。「もちろんボーゲル社製のケースは、この時計をさらに特別なものにしています」

ユニバーサル・ジュネーブの時計2本、1本はベネズエラ小売業者のシグネチャー入り(1940年代中期)

 ラプラス氏は、1940年代に製造されたこのユニバーサル・ジュネーブ Ref.20964を2本所有している。1本には20世紀中頃にベネズエラでユニバーサル・ジュネーブの時計を販売していたHenrique Pfeffer Caracasのイニシャル(H.P.C.)が記されている。もう1本は彼がアメリカで見つけたもので、シグネチャーはない。「どちらも素晴らしいコンディションで、とても、とても美しいです」とラプラス氏は語る。

One of Joël Laplace's Universal Geneve watches

ラプラス氏お気に入りのユニバーサル・ジュネーブには、スモールセコンドの上に“H.P.C.”と記されている。

 このふたつの時計はケース番号まで似ているが、約6年前にこのふたつの時計を手に入れて以来、ラプラス氏を魅了し続けているのはH.P.C.のイニシャルが入っているモデルだ。驚くべきことに、2017年にこの2本の時計を相次いで発見して以来、彼はほかにこの例を目にしたことがない。

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ロンジン Ref.4473 ステンレススティール製懐中時計(1942年)

 「私はどんな懐中時計も好きですが、特にステンレススティール製の懐中時計が好きで集めています」とラプラス氏は語る。「このような懐中時計は1930年代から40年代にかけて製造されていましたが、40年代の終わりにはSS製懐中時計の製造はほとんど中止されていました。SS製のモデルは、懐中時計そのものの人気が終わりに近づいていたため、全体的に生産期間が短かったのです。特に30年代後半から40年代にかけては、ステイブライトと呼ばれる種類のスティールを使用した非常に特殊なデザインな素材が使われており、その時代ならではのデザインが施されている点がとても気に入っています。なかなか見つかるものではありません。シルバー製の懐中時計は多く見かけますが、SS素材は私にとってとても重要なのです」

Joël Laplace's Longines Pocket Watch

 ラプラス氏は、自身のコレクションの一部を整理していたスイスの時計職人からこのきわめて精巧なロンジンの懐中時計を譲り受け、1年余り所有している。6時位置にスモールセコンドを配し、Cal.37.9Mを内蔵する伝統的なレピーヌ型だ。ラプラス氏はサン=ティミエにあるロンジンのアーカイブで、彼の時計が1942年6月25日に当時のスイスのロンジン代理店であったヴィルト社で販売されたものであることを確認することができた。この懐中時計は、ユニバーサル・ジュネーブの3つの特大サイズモデルとともに、彼がここ数年で築き上げた小さな懐中時計コレクションに加えられた。

 「見つけるのは難しいかもしれませんが、このような懐中時計が非常に素晴らしいオリジナルコンディションで保存されていることはよくあることです。懐中時計は普段はポケットに入れておき、使用時は一瞬見るだけですからね」とラプラス氏は述べている。 

ジラール・ペルゴ 新古品のブレスレット一体型ウォッチ、スターリングシルバー製(1970年代)

 ラプラス氏が直近で自身のコレクションに加えたのは、この1970年代のジラール・ペルゴだ。彼は昨年秋に新型コロナウイルスに関する規制の多くが解除されてから、初めてラ・ショー・ド・フォンで開催されたスイス時計見本市のひとつでこの時計を発見した。新品同様の状態で、925スターリングシルバー製、オリジナルのステッカーが貼られたままである。

Joël Laplace's Girard-Perregaux

 「こんなジラール・ペルゴを見たのは初めてです」とラプラス氏。「70年代風のデザインですね。私はこのデザインにとても興味がありましたし、ケースがシルバーでできているのも非常にクールです。オーデマ ピゲとパテック フィリップはホワイトゴールドで同じようなブレスレット一体型の時計をつくりましたが、この時計ではシルバーが使われていることで少し手ごろになり、私にとってより身近に感じられるものとなっています」


もうひとつ
かつてミドーのマスコットとして活躍した1940年代の木製ロボット玩具

 1930年代から40年代にかけてという短命に終わったミドーのロボットマスコットは、筆者が最も好きな時計トリビアのひとつだ。2018年のミドーの創業100周年記念には、スピーカーにもなるプラスチック製のロボットマスコットが配られ、筆者はそれを誇らしげに書斎に飾っている。だが、ラプラス氏が自身のオフィスからこのロボットを引っ張り出してくるまで、オリジナルのものを見られるとは思ってもみなかった。

A vintage Mido mascot toy, Robbie The Robot.

ミドーのロボットマスコット。

 「1939年、ミドーは皆に、特に若い人たちにブランドを宣伝するためにロボットのマスコットをつくりました」とラプラス氏は話す。「ミドーに手紙を送ると、子どもたちは自分専用のロボットマスコットを受け取ることができました。ですが、それが柔らかい木でつくられていたため、現存しているものはほとんどありません。これをミントコンディションで見つけるのはとても、とても難しいんです。耐久性や防水性など、ミドーの時計に関するさまざまな事実をアピールする元々のステッカーが本体に貼られているものとなるととくにそうです」

 「私が初めてこれを見たのはジュネーブにある小さな時計工房で、これを見るたびに買えないかと尋ねていました」とラプラス氏は言う。「ある日、ネットでコンディションの悪いものを見つけたため、自分で修理しようとしました。もっと最近では、昨年ある男性から電話があり、完璧な状態のものを提供してくれました。なので私はすぐに購入しなければなりませんでした。それがこれなのです」