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In-Depth パテック フィリップ カラトラバ 5196が、傑作とされている理由

カラトラバの本質は、ラグと一体成形されたケースの優れた耐久性、そして、太いラグ幅がもたらす安定した着け心地にある。そして、5196こそ、現代における本当のカラトラバに他ならない。

 パテック フィリップのカラトラバ。 時計愛好家であれば、多くの方がご存じだろうが、言わずと知れた、ブランドを代表する傑作の1つである。これまで、歴史、そしてダイヤルやムーブメントなど、さまざまな切り口から多くの人たちが、カラトラバの魅力を紹介してきたが、本稿では、その中でもデザインという視点から、現行カラトラバコレクションのアイコンモデルとなっている5196の魅力について、深堀りをしてみたいと思う。

 まずはカラトラバが、一体どんなモデルであるのか、ということから見ていきたい。インターネット上では、カラトラバに関する多くの見解を見ることができるが、パテック フィリップ ジャパンより提供された資料を基に解説する。

2004年に発表された、パテック フィリップの現行カラトラバ、5916。左から18Kローズゴールドモデル(5196R)、18Kイエローゴールドモデル(5196J)、18Kホワイトゴールドモデル(5196G)、プラチナモデル(5196P)だ。(画像提供:パテック フィリップ ジャパン)

 5196が登場したのは、2004年。今から16年前のことである。当時の報道資料に目を通すと、次のように紹介されている。

「パテック フィリップは今、カラトラバコレクションに新たな《偉大なクラシック》、5196モデルを加えた。印象的な直径37mmのケースサイズ、ポリッシュ仕上げのフラットベゼルを備える」

 《偉大なクラシック》とは、1932年に発表された96モデル、Ref.96のことだ。資料では、このモデルが初代カラトラバであり、5196モデルは、そのオマージュであると紹介している。

 現在、パテック フィリップでは、2針、ないしは3針(スモールセコンド、デイト表示付きのセンターセコンドを含む)のシンプルなラウンドケースの腕時計を、カラトラバコレクションとして分類している。いわゆる“広義のカラトラバ”である。ブランド自身が、このように分類しているのだから、カラトラバとは、こうしたラウンドケースウォッチを指すのであろう。しかし、筆者はこの分類について、あえて異を唱えたい。カラトラバとは、96モデルがもつ特徴を受け継いだモデルだけであると。

 それはなぜか。単なる個人的な感情に基づいた意見からではない。改めて、5196モデルが発表された当時の報道資料を読むと、以下のような説明がある。

「カラトラバのオリジナルデザインは、バウハウスの造形芸術運動、特に「機能がフォルムを決定する」と主張する哲学の影響を色濃く受けている。(中略)。また、時計の第一目的は時刻を表示することであるから、バウハウス派は、ダイヤルに指針の表示から注意を外らすような一切の装飾的要素を排除することを推奨していた。1932年のカラトラバは、この《無駄を排した》デザインを、この上なく体現しているのであり、この意味で今日も時計デザインに並々ならぬ影響力を与え続けているのである」

 上記の解説から推察すると、機能がフォルムを決定するというバウハウスの哲学に基づいた、無駄のないデザインをもつモデルを、カラトラバとして定義しようと、パテック フィリップ社自身も考えていたことがうかがえる。多くの方の異論を承知でいえば、96モデルに見られる特徴を受け継いだものこそ、カラトラバと定義するべきではないだろうか?

 では、96モデルのもつ特徴とは、何か。ここで、2本のRef.96をじっくりと見てみよう。

左は、18KYGのRef.96。右は、ステンレススティールケースをもつRef.96 SC。(画像提供:パテック フィリップ ジャパン)

 上記の2本は、パテック フィリップ ジャパンより、提供いただいた画像だ。左は同社のホームページにおいて、まさにカラトラバの96モデルとして掲載されているRef.96。パールドロップとも呼ばれる、ダイヤルを削って成形されるドット型のミニッツスケールと、極めて立体的なシェイプをもつアプライドのアワーマーカー、そしてドフィーヌ針をもつスモールセコンドモデルである。

 一方、右のモデルはRef.96 SC。こちらはアール・デコを代表するデザインとして、時計愛好家から非常に人気の高い、円周と放射状のラインを組み合わせたセクターダイヤルを採用している。針はローザンジュ(菱型)型で、センターセコンド仕様である。

 カラトラバの魅力が語られる際、しばしばダイヤルのシンプルさについて言及されることがある。たしかに、時刻表示のみで機能としてはシンプルであるが、カラトラバのそれは、装飾性を排するというバウハウスのデザイン哲学とは一線を画しているように思う。
 

 そもそも、バウハウスのデザインは、機械による大量生産が進み、時代が大きく変わろうとしていた時代に生まれたものだ。そうした中で、バウハウスの芸術家たちが辿り着いたのが、機械生産を前提としながらも美を追求して、余計な装飾を排除した、シンプルで機能的なデザインだった。
 合理主義・機能主義の思想を根底にもつ、バウハウスのデザインに基づいて生産されるプロダクトは、概して、フラットなディテールをもつ場合がほとんどだ。ユンハンスの時計は、その最たる例であろう。洗練されたデザインだが、悪くいえば、バウハウス的なプロダクトでは、立体的で細部まで美しく仕上げられたディテールに象徴されるような、職人の優れた手仕事の魅力は感じられない。

 だが、前述のカラトラバのダイヤルは、どうだろう。デザインはそれぞれ異なっているものの、立体的で美しく仕上げられたインデックスや針を備えている。全て時刻表示を見やすくするという、機能に即したものではあるが、この美しいディテールをもつダイヤルを、バウハウス的なシンプルデザインと呼ぶことには、少々違和感を感じざるを得ない。

 では、カラトラバにおけるバウハウスデザインの影響とは、どこにあるのか。両モデルは共に幅の広いフラットなベゼルと、ミドルケースとラグが一体となったケースをもっている。筆者はダイヤルではなく、このケースのデザインこそ、バウハウスデザインの影響を色濃く受けているポイントであり、カラトラバにおいて、最も見るべきディテールではないかと考えている。

Ref.5196R。(画像提供:パテック フィリップ ジャパン)

 では、5196を見てみたい。ドット型のミニッツスケールと、バトン型の立体的なアワーマーカー、そしてドフィーヌ針と、ダイヤルは初代の96モデルを彷彿とさせる。
 一方、96モデルと同様、5196も幅の広いフラットなベゼルと、ミドルケースとラグが一体となったケースをもっているのが、よく分かるだろう。やはり、初代モデルから脈々と引き継がれるカラトラバの本質とは、そのケースデザインにあるのではないだろうか。

 そして、もう1つ。筆者が“バウハウス的”ディテールとして、注目すべき共通の特徴だと考えているのが、ケースサイズに対してラグ幅が太いという点である。
 

 カラトラバが登場する以前から、腕時計は作られていた。アンティークウォッチに馴染みのある方なら、すぐに思い浮かぶだろう。当時、クッションケースやレクタンギュラーケースは、ケースに合わせた太めのラグ幅を備えるものが多く、ラウンドケースの腕時計は懐中時計をベースに、ラグを後から付けたスタイルがほとんど。ケースサイズに対して、ラグ幅が狭いものも多く、また、その形状も細く繊細なものが多かった。
 

 対して、カラトラバは、当時としては異例の太いラグ幅が採用された。31mmのケースに対して、ラグ幅は18mm。同年代に作られた、同じくらいのケースサイズをもつラウンドウォッチのラグ幅が、概ね12〜16mmくらいであったことを考えると、かなり太い。

5196モデルのストラップを伸ばし、正面から時計を見ると、37mmのケースサイズにしては、ストラップの幅が太めであることが、分かりやすい。

 再び、5196ではどうか。5196は、直径37mmのケースに対して、ストラップの幅が21mmある。やはりこちらも、そのケースサイズにしては、ラグ幅が明らかに太い。比較的サイズの大きな時計がスタンダードになっている現代だが、たとえばケースサイズが40mmくらいの時計なら、ラグ幅は20mmくらいが標準だ。ラグ幅が20mmを超える時計というと、スポーツウォッチなどの頑丈な作りの時計がほとんどである。

 幅の広いフラットなベゼルと、ミドルケースとラグが一体となったケース、そして太いラグ幅こそ、ファーストモデルの96モデルから現行の5196モデルにまで共通して見られる、カラトラバ最大の特徴である。こうしたディテールが腕時計にもたらすメリットとは何か。
 たとえば、ミドルケースに後から別パーツのラグを溶接するのと、ミドルケースとラグを初めから一体成形した場合、どちらが丈夫であるか。いわずもがな、それは後者である。そして、ケースサイズに対してラグ幅が太い、つまり太いストラップを与えられた時計は、細いストラップのものと比べると、腕に乗せた際の安定感が増して着け心地に優れるという利点をもつ。

 まさに「機能がフォルムを決定する」というバウハウス哲学の影響が、この特徴的なディテールに見て取れる。

ミドルケースとラグが一体となった、特徴的なケースフォルム。その流麗なシルエットは“カラトラバライン”とも呼ばれる。

 さて、こうしたカラトラバならではの、特徴的なスタイルをもったモデルには、過去、どんなものがあったのか。少し見てみよう。

 1938年に登場した570モデル。これは、いわゆる“ビッグ カラトラバ”と呼ばれているもので、こちらは35mmのケースサイズをもっていた。また、1954年にねじ込み式の裏蓋をもつ、フランソワ・ボーゲル社の防水ケースを採用した2545モデルも登場した。そして、1982年には初代96モデルの後継としてリリースされた、3796モデルなどがある。

左は、PTケースのRef.570。右は18KRGケースのRef.3796Rだ。(画像提供:パテック フィリップ ジャパン)

 カラトラバに見られる、この優れたケーススタイルは、誰が生み出したのであろうか。実は、誰が設計したのかということは、判然としていない。インターネット上では、カラトラバのスタイルは、イギリス人時計学者のデヴィッド・ペニー氏がデザインした、という記述がしばしば見られるが、この情報は眉唾ものである。

 パテック フィリップ ジャパンに、この情報に関して問い合わせを行ったが、公式資料等で確認されたもの、パテック フィリップ社が認める正規の情報ではないということを付け加えておきたい。

 改めて5196の魅力とは、一体、何なのだろうか。ムーブメント? 確かにそれもある。5196に搭載されているのは、手巻きのCal.215 PSだ。1977、78年頃から用いられるようになった息の長いムーブメントで、機能こそ時間を表示する以外にもたないシンプルなものだが、時計業界の中でも厳格であるとされている独自の品質基準、パテック フィリップ・シールをクリアする高い信頼性と美しい仕上げを備える。

 あるいは、文字盤を始めとするディテールであろうか。もちろん、これも魅力だろう。熱心な愛好家からはヴィンテージモデルの方が、より手がかかっていたといわれることもあるが、わずかに膨らんだシンプルなダイヤル、立体的なインデックスや針など、5196も極めて丁寧で美しい作りをもつ。

 いくら見た目が素晴らしく作りが良くても、着け心地が良くなければ、初代モデルの誕生から90年近く経つ今もなお、コレクションにラインナップされることは難しいのではないだろうか。
 だからこそ、カラトラバ最大の魅力は、ケースと一体になったラグと太めのラグ幅という、特徴的なスタイルがもたらす着け心地にあると、筆者は考えている。実際に着けてみると、程良い存在感を放ちながらも、太めのストラップがしっかりと時計をホールド。薄型のケースも相まって、極めて良好な着け心地を与えてくれる。

 ラグと一体成形されたケースゆえの優れた耐久性、そして、太いラグ幅がもたらす安定した着け心地。カラトラバは、腕時計のスタイルを決定づけたといわれるが、その理由がまさに、ここにある。これこそ、時代の主役が懐中時計から腕時計へと移り変わる黎明期の中で、実用としての腕時計がもつべき機能とデザインの指針となったに違いない。
 事実、その最たる存在であり、1930年代以降、時代の主役となった軍用腕時計は、カラトラバにも通じるミドルケースと一体成形されたラグを備えたことで、ハードユースにも耐え得ることができた。

 腕時計がもつべきスタイルを決定づけ、それを脈々と受け継ぐカラトラバ。これこそが、今もなお、カラトラバが傑作として、愛され続けている所以ではないだろうか。そして、5196こそ、そんなカラトラバの本質を最も体現した存在なのである。

パテック フィリップ。カラトラバ。Ref.5196R。18Kローズゴールド(RG)ケース。ハンドステッチのアリゲーターストラップ。ケースにマッチした18KRGのバックル(16mm)。ケース径37mm、ケース厚6.8mm。手巻きムーブメント、Cal.215 PS。257万円(税抜)。