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本稿は2022年7月に執筆された本国版の翻訳です。
リシャール・ミル RM UP-01 フェラーリの発売が最初に発表されたとき、その反応は意外にも賛否両論だった。この時計は、機械式腕時計をどこまでフラットに仕上げられるか、そしてある程度実用性を確保できるかという、究極の目標に向かって極限まで突き詰められたウォッチメイキングのひとつの到達点なのである。発売当時、リシャール・ミルは以下のよう語っている。
「厚さわずか1.75mmのRM UP-01 フェラーリは卓越したテクノロジーの勝利であり、これまで以上に技術力が時計の美観を左右するという、機械式時計への新たなアプローチを体現したものです」
要するにこの時計のデザインは、美的感覚や人間工学的な配慮からというよりも、実質的に25セント硬貨のような薄さの時計を製造するために必要とされる技術的な理由から生まれているということだ。
RM UP-01は、いかにしてこのような外観を実現したのか。それは、伝統的な時計のムーブメントを取り入れようと試みながら、それらを限りなくフラットにするために、再配置するもの、そして省くものを考え抜いた結果なのである。
どうやって時計をフラットにするか
伝統的な時計ムーブメントの構造は、200年前からほとんど変わっていない。片側(時計職人はトッププレートと呼ぶが、多くの場合、裏蓋側からムーブメントを鑑賞することができるため“ムーブメント側”と称される)には、実際に時計を動かす部品が並んでいる。主ゼンマイ香箱、輪列/駆動輪列、脱進機、テンプなどであり、これらの部品はブリッジによって固定されている。ダイヤル側には、針を実際に進める歯車にあたる運針機構、軸を含む巻き上げとセッティングのためのキーレス機構、そしてダイヤルと針そのものがある。
超薄型手巻きムーブメントの有名な例として、ジャガー・ルクルトのCal.849が挙げられる(厚さ2mm以下の例としてはほかに、フレデリック・ピゲのCal.21、オーデマ ピゲのCal.2003、ヴァシュロンのCal.1003、そして1976年に発表された厚さ1.2mmのジャン・ラサールによるCal.1200がある)。Cal.849の厚さは1.85mmで、他社の厚みのあるムーブメントとの大きな違いのひとつが、主ゼンマイの香箱が片側のみで支えられていることだ。いわゆる“ぶら下がり”香箱である。これは香箱の構造上、安定性が若干犠牲になることを意味するが、その代わりに1mm単位の大幅な削ぎ落としが可能になる。
これ以上薄くするには、ムーブメントの基本的な構造を変えなければならなくなる。ここ数年、最薄時計の記録を保持者する2社がまさにそれをやってのけた。ピアジェのアルティプラノ アルティメート・コンセプト(AUC)とブルガリのオクト フィニッシモ ウルトラは、従来のムーブメント構造を採用せず、ケースの裏蓋を時計の地板として使用したのだ。また、両モデルともダイヤルの厚みを抑えるため、ダイヤルをゼンマイを巻き上げるための歯車や時刻設定用の歯車と同じ平面に配置している。ピアジェのAUCは従来の分針と時針を備えたサブダイヤルを有していたが、ブルガリのオクト フィニッシモ ウルトラは時針と分針でふたつの独立したダイヤルを持っていた。また、ウルトラでは巻き上げと時刻合わせのためのリューズと軸が廃止され、その代わりにケースバックと同じ高さに取り付けられた、ローレット加工を施した非常に平らなふたつのつまみにその機能が分散されている。
オクト フィニッシモ ウルトラとRM、AUCの大きな違いは、オクト フィニッシモ ウルトラが3モデルのなかで唯一ランニングセコンド表示を備えていることである。
どちらも超薄型時計製造の記録を打ち立てているが、それぞれの時計が示すマイルストーンは異なる。AUCは私が知る限り、リューズや同軸上に配置された時分針など従来の時計の見られた機能を最低限残した最も薄い時計である。しかし、オクト フィニッシモ ウルトラは、従来のムーブメントの構造からさらなる脱却を試みたものだ。AUCは厚さ2.0mm、ウルトラは1.8mmで、どちらも偉大な技術的業績であり、記録更新という次元をはるかに超えた興味深いものだと私は考えている。そしてどちらの時計も、それぞれのメーカーが持つ独自のデザイン言語を継承している。特にウルトラは、ひと目でオクト フィニッシモだとわかる。
構造を根本から見直す: RM UP-01
RM UP-01において重要なのは、伝統的な腕時計同様、ケースのなかに独立したムーブメントが組み込まれているという点である(AUCとオクト フィニッシモ ウルトラは、ケースの裏蓋を地板として使用していることを思い出して欲しい)。
ムーブメントもケースもグレード5チタン製で、チタン90%、アルミニウム6%、バナジウム4%の合金となっている。これは最も広く使われているチタン合金だと読んだことがある。非常に剛性が高く、幅広い温度範囲で形状が安定し、ほかのチタン合金と同じく表面層は耐食性に優れている。この素材が持つ剛性は、ケースとムーブメントにとって不可欠なものだった。 しかし、ムーブメントのレイアウトやケースのデザインにも、時計の剛性と優れた装着性につながるポイントがある。
上の写真では、ムーブメントがケース内の最終的な位置に対して時計回りに180°回転しているため、少しわかりにくい。しかし、中央の目立つ位置にスケルトナイズされたゼンマイ香箱があり、その周囲に配置されたローラーによって姿勢を安定させているのが見えるだろう。
ケース上部と左側には計4つの開口部がある。左側のふたつは、ファンクションセレクターと専用のコレクターを差し込むソケットになっている。中央上部の開口部は時針と分針用で、右端の開口部はテンプを視認するためのものだ。テンプとダイヤルの開口部にはサファイアクリスタルが使用されており、その厚さは時刻表示とテンプの部分が0.45mm、センターが0.2mm、エッジが0.3mmと非常に薄くなっている。中央上部にあるのはファンクションセレクターと手巻き用のふたつの歯車で、どちらも回すには特別な工具が必要となる。このふたつの歯車にはRMが長年使用している5つ型スプラインネジのヘッドに合わせたスプライン加工が施されており、そして、かなり複雑な形状のケースに合わせたパッキンがセットされている。ただ、パッキンがあるもののケースの防水性能はわずか10mしかない。しかし記録的な超薄型時計としては珍しくない。ピアジェのAUCは20m防水、ブルガリのオクト フィニッシモ ウルトラは10m防水となっている。
時計のムーブメントでは通常、地板の上で針は輪列、香箱、脱進機とは反対側にあり、ムーブメントのセンターホイール(輪列の最初の歯車で、ムーブメントの中心にある)を支点に回転する。センターホイールは1時間に1回転し、ダイヤル側では調速機構によって時針の1時間分の回転が12時間分の回転に減速される。RM UP-01では、ゼンマイ香箱の右側に縦に配置された輪列があり、上面のケースによって完全に覆われていて(場所はフェラーリのロゴの下だ)、脱進機とテンプを駆動させている。テンプはフリースプラング式で、調整可能なタイミングウェイトとフラットなヒゲゼンマイを備えている(巻き上げヒゲは高さが増してしまうため、この時計を超薄型時計の候補から即座に外す要因になる)。テンプのアームにはわずかな段差があり、これによってヒゲゼンマイがテンプの平面により近い位置に収まるようになっている。これも、厚みを抑えるための措置だ。テンプ全体は、3本の腕を持つテンプ受けによって固定されており、テンプはまるでトゥールビヨンのようにも見える。
レバーについて再考する
厚みを抑えるために重要な手段のひとつが、脱進機に関係している。これはおおよそ平均的なクラブトゥース型脱進機だが、若干の改良が加えられている。
ここにスイスの標準的なレバー脱進機がある。図の1では、石(時計用語でパレット)のひとつがガンギ車の歯に噛み合っている。脱進機の力は画像の時計回りに回転“しよう”としており、図の2の位置でレバーをドテピンのひとつに押しつけ、テンプがスイングしているあいだレバーを固定する。3では、テンプのインパルスジュエルがレバーの隙間に入り、レバーのロックが解除され、ガンギ車の左側の歯がパレットに沿ってスライドし、レバーを右に押してテンプを駆動させる。テンプのちょうど中央に、三日月形に切り取られた小さな円が見える。これは小ツバ(セーフティローラー)であり、レバーの先端にある小さな突起(ダート、またはガードピン)が三日月の切り込みを通過してローラーを通過できるときのみレバーを動かすようになっている。
このやや長ったらしい説明(スティーブン・ホーキング博士が『ホーキング、宇宙を語る 原題:A Brief History Of Time』で編集者に言われた、「この本に数式を載せるたびに読者の50%を失うことになる」という言葉を思い起こさせる)をした理由は、リシャール・ミルが一般的な時計のムーブメントに新たな改良を加えているからである。ガードピンを取り付ければ厚さが増し、小ツバも厚さを増す。
ロレックスのクロナジー脱進機は、レバーの形状を含むいくつかの主要な点で標準的なスイスのレバー脱進機とは異なるが、ガードピンと小ツバの配置は同じで、左の写真ではガードピンがレバーとガンギ車の平面より下にあることが確認できる。ほんの数mmの差かもしれないが、100分の1mmを追い求めるならこれは重要なことなのだ。RM UP-01において、リシャール・ミルとオーデマ ピゲ・ル ロックル(旧オーデマ ピゲ・ルノー エ パピ)の共同開発者は、ガードピンと小ツバを廃止して、ルビーパレットの形状を変更し、確実なロックを可能にしたサイドレバーを採用した。レバーはムーブメントの地板に対して直接取り付けられている(皮肉なことに、ジュネーブ・シールではドテピンではなく受けドテが規定されている)。
上のビデオはムーブメントのあらゆる要素における大まかな動きを示しており、特にレバーの動きに興味があれば、52秒あたりから見ることができる。
これが静止画だ。レバーの支点がふたつのパレットのあいだに見え、上のパレットはガンギ車の歯に噛み合っている。レバーの上部先端はムーブメントの地盤で直接受け止めるために設けられた切り欠きに押し付けられて(またはぶつかって)いる。
ムーブメントの右側(ケースに収められた状態)には輪列、脱進機、テンプが収められているが、ゼンマイ香箱の左側でもさまざまなことが起こっている。
ムーブメントの左側にはふたつの大きな切り欠きがあり、上がファンクションセレクター、下が巻き上げと時刻調整のためのものとなっている。セレクターをWにセットすると、下の“リューズ”がゼンマイを巻き上げ、セレクターをHにセットすると針合わせができる。このふたつの機能を切り替えるクラッチが、なかなか興味深い。ピンセットの先端部、その真上にあるスライドアームだ。これもビデオからの静止画だ。
上部のファンクションセレクターを回すと、スライディングアームが手巻きの場合は右に、手巻きの場合は左に動作する。静止画ではアームは右に移動し、ゼンマイ香箱を巻き上げるための歯車と噛み合っている。もしセレクターがHにセットされていれば、アームは左に移動し、針合わせ用の歯車と噛み合う。そのときは、ゼンマイ香箱から切り離されている。そして、ゼンマイ香箱の回転によって駆動される別の輪列が左側にあるように私には見えるが、これは針を駆動するためのものである。時分針は通常輪列の先頭の歯車から切り離されているものだが、この場合は右下にある。そこに針はない。しかしながら、香箱の回転速度は当然ながら計時装置によって制御されるので、その影響を受けないムーブメントの左側に運針機構を設置できない理由はない。だが、それでいいのだ。なぜこのようなことをするかというと、やはり可能な限りフラットにするためだ。
剛性を求めて
リシャール・ミルは、時計が最大5000Gの衝撃に耐え、日常使用に耐える十分な剛性と耐衝撃性を備えている事実を誇っている。その大部分は、ケースとムーブメントの構造によるものだ。ムーブメントはケースの上面と底面のあいだにしっかりと挟まれており、ケースは実質的にケースとムーブメントホルダーの両方の役割を果たしている(一般的な時計では、ムーブメントはスペーサーリングで固定されている)。小さすぎて少し見づらいが、底面ケースの内側には、主ゼンマイの香箱と輪列を受け止めるごく浅い凹みがフライスで削り出されている。その深さは0.05mm程度だろうか。いずれにせよ、この凹みは時計全体の平坦さにさらに貢献している。
ケース構造においてもうひとつの興味深い特徴は、ゼンマイ香箱の右上にある大きなネジ穴で、ケースの上部と底部を固定するビスのひとつを受けている。ケースの中央部というのはケースを固定するためのビスを配置する場所としては珍しいが、このビスがあることで上下のケースとムーブメントがしっかりと固定され、ひとつの強固なユニットを形作っている。これは、超薄型にもかかわらず時計の剛性を確保するためのもうひとつの設計上の特徴であり、ビスの配置もまた、ムーブメントが中心部でたわむのを防ぐのに役立っている。
しかし、これはアートなのか?
この時計の美観は実に難解で、デザインの観点からRM UP-01をどう感じるか、私にはまだ判断がつかない。この時計が非常に奇妙なルックスをしていることから、その外観やプロポーションについて安直に批評することはいくらでもできるだろう。厚さはわずか1.75mmだが、幅は51mmで高さは39mmとほとんどフィクションのように広く、上蓋の大きな空白にはフェラーリの跳ね馬が描かれており、これがマラネロとのパートナーシップであることを感じさせつつも(真の技術パートナーはもちろんオーデマ ピゲ・ル ロックルである)、フェラーリの跳ね馬がいかに多くの洗練されていない製品に使われてきたかを思い起こさせる。そして通常は目に見えず、このような時計に期待するものでもないが、ムーブメントには伝統的な時計製造の精緻な仕上げらしきものがまったくない。RM UP-01が従来の高級時計製造の価値観をアピールすることを意図していないことは、明らかだ。
一方、自動車製造技術全般、特にF1レースとの関係はここでは極めてオーセンティックに感じられる。そして言うまでもなく、リシャール・ミルは“手首のためのレーシングマシン”を作っていると謳っている。F1マシンの構造は、勝利を追い求めるというただそれだけの目的によって決定される(もちろん、このスポーツのレギュレーションの範囲内でだが)。動力伝達装置の構造からタイヤの組成、エアロダイナミクスに至るまで、すべてがひとつの目標を追求するために考案されている。RM UP-01は、おそらくその他多くのリシャール・ミルの時計よりも、ただひとつのことをするためにデザインされたという点でF1マシンとの共通点が多い。それは、日常的に着用できる時計にしたいというブランドの思いから課された制約のなかで、可能な限りフラットであることだ。もちろん、単一の目的を念頭に置いてデザインされたものすべてが美しいとは限らない。F1マシンは直感的に、たとえば農業用コンバインよりもずっと美しく見える。どちらもひとつの目的のために作られているにも関わらずだ。
しかし、私はリシャール・ミルがひたむきに目標の達成を追求する姿勢を評価したい。実は同社は、現在生産されている時計という点では間違いないにも関わらず、どのプレス資料でもこのムーブメントや時計について世界記録を誇示していない。いずれにせよ、世界記録というのはおかしなものだ。RM UP-01のムーブメントの厚さは1.18mmだが、私が知る限り最も薄い機械式ムーブメントは、厚さが0.94mmで1926年に製造されたヴァシュロンのCal.10726である。ゆえに、私たちは記録に関してもう少し肩の力を抜いてもいいのかもしれない。
AUC、オクト フィニッシモ ウルトラ、そしてRM UP-01を見れば、さまざまな技術的解決策を比較することに多いに興味を引かれることだろう。リシャール・ミルは、あらゆる要素をフラットなデザインに統合することに最も積極的である。ブルガリは自社の偉大なデザイン哲学を受け継いでいるという点でおそらくこの3本のなかで最も優れており、AUCはクラシカルな時計製造の美しさを保ちながら、競合他社よりもわずかにコンマ数ミリ厚いだけに抑えている。RM UP-01もそうだが、この3本の時計には信じられないほどの独創的なエンジニアリングが施されている。そして、これらが提供する知的エンターテインメントは、おそらく記録よりもずっと有意義なものだろう。