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Photos by Mark Kauzlarich
先週の木曜日、時計メディア、インフルエンサー、セレブリティグループが、オーデマ ピゲとトラヴィス・スコット(Travis Scott)とともに1日を過ごした。同僚のプレス関係者と私は、店舗占拠、製品発表会、そしてシークレット・ショーに出席した。しかし、私は個人的な倫理的危機の真っ只中にいることに気づいた。私はこのコラボウォッチレビューを実際の製品で行い、文脈についてのコメントを丁重に断るつもりだったのだろうか? それとも、今回のような立ち上げに際して必ず出てくる難問に、HODINKEEが身を乗り出す必要があるのだろうか? なぜトラヴィス・スコットなのか? なぜヒップホップと手を組んだのか? これを誰が気にするのか?
まず私が“アンチ・エスタブリッシュメント”(従来の習慣を支持する人・モノを反対すること)疲れを抱えていることを先に述べなければならない。私はこの限定版ロイヤル オークを、公平性の問題にするのではなく、独自の技術的・美的なメリットに基づいて分析したいと強く願った。しかし時計業界全体、時計メディアの状況、ときには一緒に仕事をしている人たちのあいだにさえ、このような考え方が蔓延している。変化に適応できない、あるいは何か新しいものが現状に対する侮辱ではないと考えることさえできない愛好家や専門家を見つけるのは難しくない。
その偏見はしばしば覆い隠され、時計の種類から販売方法まで、私たちは何が重要で何が重要でないかについての無意味なレトリック(情報を発信する側が効き手側を説得する手法)に移行することを余儀なくされる。もちろんその言説はブランドの経営幹部の気まぐれである。これでは本物の愛好家は高級品業界の攻撃的なヒエラルキーに翻弄され、その結果コミュニティ間で非常に厳しい意見を生み出すことになるのだ。
だから、オーデマ ピゲがヒューストン生まれの32歳のラッパー、トラヴィス・スコットと、彼のレコードレーベルであるカクタスジャックとコラボすると聞いたとき、当然のことながら、私は腰を上げて注目をした。私がトラヴィス・スコットのファンだからというだけでなく、これは紛れもなくひとつの文化的瞬間だったからだ。アメリカ最大の文化輸出品であるヒップホップが、今やスイスの高級時計業界に“公認”、共同署名され、影響を与えていることが目に見えた日である。2005年のジェイ・Z(Jay-Z)とのコラボレーションを考えれば、オーデマ ピゲのラウンド2と呼ぶ人もいるかもしれない。しかし、その考えは短絡的だ。オーデマ ピゲはジェイ・Zのようなアーティストとトラヴィス・スコットのようなアーティストの違いを見分けるのに十分な知識を持ち合わせている。彼らは25歳近く離れ、異なる音楽を作り、異なるオーディエンスの注目を集めている、別のアーティストなのだ。
歴史的なレンズをとおして見ると、ジェイ・Zのときの限定オフショアは、21世紀の時計デザインのなかで最も重要な時計のひとつであった。確かに、当時ジェイ・Zの10周年を記念したオフショアは、ハリウッドやスポーツと交差する無数のオフショアリミテッドエディションとともに人気のあるリリースだった。ただジェイ・Zの時計は、はるかに重要なものを意味するようになった。それは高級時計製造におけるレガシーブランドと、史上最高のラッパーのひとりとの融合だ。当時、彼自身のキャリアはわずか10年だったがすでにヒップホップ界の重鎮として君臨し、私たちの世代で最も重要な文化的人物のひとりとなる道を歩んでいた。
この時計のリリースは、ヒップホップとラグジュアリーの“公式な合併”であり、オーデマ ピゲの現CEOであるフランソワ-アンリ・ベナミアス(François-Henry Bennahmias)氏はこの偉業を誇りに思っている。「ビフォーとアフターがありました」とベナミアス氏は言う。「オーデマ ピゲの世界や時計製造の世界だけでなく、ラグジュアリーの世界にも」。ジェイ・Zとブランドのコラボレーションは、ベナミアス氏によるオーデマ ピゲの全体的な先進的姿勢を象徴するものとなり、ラグジュアリーブランドが最終的にどのような方向に向かうのか、鋭く予言していた。
ジェイ・Z、ファレル(Pharrell)、タイラー・ザ・クリエイター(Tyler the Creator)ら(彼らは皆、何らかの理由で、ヒップホップを楽しむ大衆に“受け入れられる/よろこばれる”人物とみなされてきた)以外のメインストリームヒップホップアーティストにも、腕時計をコレクションしている人たちがいることを思い出して欲しい。おそらく、これらのラッパーはあなたの琴線に触れないかもしれないが、彼らは時計に興味のある、多くの個人の願望や嗜好を、ときにはライフスタイルやデザインの角度から定義している。ところで、それは機械の理解と歴史への愛着を持ってこの趣味に取り組むことに劣らない美徳である。この層は、時計に興味のある傍観者だけで構成されているわけではない。今日の脆弱な市場で時計のエコシステムを維持するために、完全に必要なものなのだ。彼らは歌詞にイメージを使ったり、ゲッティに届く前に写真を掲載したりすることでこの趣味を売り込んでいるほか、Instagramに投稿される、腕時計を探すための高度なキュレーションされたフィードに投稿をしている。彼らは、多くの人が必死にしがみつき、私的な聖域として存在しようとしているサブカルチャーの歯車を回し続けている。“本物”の愛好家は、このカテゴリーの消費者を見下している。特にウォッチスポッティングのコメントを見ていると、“ひよっ子は下がってろ”的な状況になっていることが多い。
大局的な意味で、つまり私たち全体を見据えた意味だと、オーデマ ピゲがここで何をしているのか、コンセプトカーのなかにあるブラックパンサーやスパイダーマンのミニチュア彫刻と同じように正確に把握している。トラヴィス・スコットはスーパースターだ。彼はこの世代のラッパーであり、ヒップホップ界で最も若いビジネスリーダーのひとりであり、カーダシアン&ジェンナー家のふたりの子どもの父親であり (セレブの大空で彼を不滅にしている) 、グラミー賞に10回ノミネートされたアーティストであり、マルチプラチナレコードを達成したメガスターである。彼は真の実力者だ。
スコットはポップカルチャーの世界に慣れていないわけではない。彼は2015年に音楽をリリースし始め、カニエ(Kanye)のプロデューサーであるマイク・ディーン(Mike Dean)のような業界トップのおかげで注目されるようになった。ジャンルの好みやラップ音楽への思いに関係なく、作品的にスコットの音楽は文句のつけようがない。ジャーナリストでありニューヨーク・タイムズ紙のポップミュージック評論家、ジョン・カラマニカ(Jon Caramanica)氏は、「(しかし)トラヴィスのセレブリティは音楽的成功を凌駕するかもしれません」と語る。「インターネットが発達したヒップホップ時代には、ストリーミング楽曲で大成功を収めても、自分をフォローしてくれる人たちの輪の外では極端に知られていないことがあります。トラヴィスはある意味、その逆かもしれません」
スコットはナイキ、マクドナルド、ディオールなどのブランドとコラボレーションしてきた。2020年の米郵政公社危機の際には、トラヴィス・スコットの切手がUSPS(アメリカ合衆国郵便公社)を救うと、ザック・ボーマン(Zach Bowman)の冗談めいたツイートが拡散された。私はくすぐったくなったと同時に、同意したい気持ちもあった。トラヴィス・スコットは企業ブランドの囁き手だ。もし彼がマクドナルドにクォーターパウンダーをもっと売らせ、カクタスジャック×ナイキ・ジョーダンのリセールバリューを元の小売価格の400%アップさせ、オーデマ ピゲのパーペチュアル カレンダーのムーンフェイズ表示に実際のカクタスジャックロゴを入れることができれば...彼の勝利だ。
先週のリリースの際にはふたつの製品が登場した。主力商品は、“チョコレート”ブラウンセラミックでリリースされた限定版ロイヤル オーク パーペチュアル カレンダー オープンワークだ。200本の限定で、価格は20万1000ドル(現在すべて予約・売約済み)。文化的な関連性はさておき、時計自体に興味がなければ、心からそれを認める覚悟はある。しかし、私は本当に気に入っている。スコットがこの色を“カクタスジャック”と名付けたように、チョコレートブラウンは、少なくともファッションにおいては本当に誤解されている色のひとつだ。しかし、イッセイ・ミヤケやグッチ在任中のトム・フォード(Tom Ford)が証明しているように、正しく行われた場合はその勇気に対するバロメーターとなる。ミウッチャ・プラダ(Miuccia Prada)は、“醜いもののなかにある美しさ”を信条としており、クールで峻厳なブラックに、豊かで暖かみのあるブラウンをよく組み合わせているが、それはある種素っ気のない“ファッションではない”ものだ。ブラウンは基本的に美的なニュアンスを楽しむ人向けの色だ。プラダ夫人がそうしているのなら、私たちもよろこんで従うべきである。
時計自体は明らかに、多くの人が“ラッパーにぴったりのジュエリー”と認識するよう進化したコンセプトだ。このフレーズの順番にはたじろいでしまうが、今日は当たり前のことを叫ぼう。この時計には宝石がひとつもついていない代わりに、私たちが目にするのはオーデマ ピゲとカクタスジャックの真のハイブリッドである。トラヴィス・スコットの手描きスケッチに基づき、特別にデザインされたカレンダーと週表示のタイポグラフィ、曜日のインダイヤルの針がブランドのロゴの形をしているなど、カクタスジャックのグラフィックを参照したデザイン要素が多数盛り込まれている。なかでも最も目につくのは、6時位置にあるムーンフェイズデザインである。通常の地球の衛星表現は、カクタスジャックの象徴である口を縫ったスマイリーフェイスに取って代わられたほか、ブルーとグリーンのコントラストが美しくもかなりイカした夜光を備える。クラブにふさわしい時計だ。
それからストラップがあるが、これは天才的だと思う。この時計をブレスレットにつけていたら、まったく別のものになっていただろうから。ブラックセラミック、フルブレスレットのロイヤル オーク オープンワークも好きだが、このデニムストラップは素朴で意外性があり、セラミックの素材感を引き立てている。ミウッチャ・プラダがブラウンブラウスにブラックショートパンツを合わせたように、意外性があり、脱構築的で洗練されていない感じを与える。そうすることで物事が少しカジュアルになり、ニュアンスが変わるのだ。それはマルタン・マルジェラのデコンストラクションのような、あるいはあえて言えば、カニエの簡素化されたイージー(カニエが手掛けたブランド)の美学をほうふつとさせる。とても現代的だ。チョコレートブラウンのフルセラミックモデルが出てきても、私は決して怒らないだろうし、それは(共同ブランドではなく)今後出てくるかもしれないとも想像している。しかし、ストラップがあることで、従来のオーデマ ピゲ セラミック ロイヤル オークの要素の一部ではなく、カクタスジャックのようになる。
この時計はオフショア(回帰)でも、CODE(強引に押し出す)でもない。そう、これは今業界で話題を集める素材、セラミックでできているが、モデル自体は本質的な“トレンディ”ではない。ブレスレット一体型ではなく、ストラップ付きのロイヤル オークなのだ。また高級時計製造において歴史的に権威のあるモデルだ。Cal.5134の進化版であるCal.5135は、オーデマ ピゲのパーペチュアルカレンダーを大幅にオープンワーク化したものである。最初にリリースされたブラックセラミックは、審美的効果を最大限に高めるための近代的な改良として、意図していたものだった。カクタスジャックリミテッドエディションはカッコいいし、オーデマ ピゲが最も得意とする複雑時計製造の証でもある。「パーペチュアルカレンダーは、私たちのDNAの一部です」と、オーデマ ピゲのコンプリケーション部門長であるアンヌ-ガエル・キネ(Anne-Gaëlle Quinet)氏は言う。「私はこれがアンティークコンプリケーションであるという事実が大好きです。パーペチュアルカレンダーは400年前から存在しています。古いものと新しいもの、ふたつの世界が融合した完璧な組み合わせなのです」。伝統的なコンセプトを正しくリミックスしている。
そしてもちろん付属品もある。“トラヴィス・スコットのウェブサイトのみで販売される服やアクセサリーの限定コレクションの一部収益はスコットが選んだチャリティ・プロジェクトや大義に寄付される”。このチャリティが何なのかが分かれば素晴らしいが、ここでの取り組みをいったん理解しよう。
この商品は新しいオーディエンスを開拓し、すでに歌詞からオーデマ ピゲのことを知っているが、どうやって参加すればいいのかわからないという普段と異なる消費者にもアプローチしようとしている。この時計は明らかに手軽なものではないし、金銭的にも到達は困難だろう。それは言うまでもない。この時点で、私たちはウェイティングリスト/アウトプライスゲームに慣れている。
「そこに“お金がある”かどうかはわかりません。ただ、トラヴィス・スコット、カクタスジャック、オーデマ ピゲと書かれたシャツを着て歩くなんて、10年、20年前に横行していた非公式のような夢物語です」と説明するカラマニカ氏。「どのような種類のコラボレーションであれ、そこには“潜在的消費者”の層が存在します。時計を買って、シャツを買って、コアなものを買う。そうすれば参加したことはないけれど、仲間にこのことを知らせたいという人が出てくるでしょう。小さな独占権を手に入れ、それを身につけ、周囲に自慢する方法として製品を利用するのです」。商品は補助的なものだ。時計を買う余裕がないので、次善の策としてこれを買う。カクタスジャックのブランディングはさておき、これはeBayでロレックスのベースボールキャップやポロシャツを買う人たちと変わりはない。ブランドと文化の一致なのだ。
なぜ時計業界はポップカルチャーと足並みをそろえる必要があるのか? なぜブランドは時流に身を置かなければならない立場にあるのか? 2020年、雑誌フォーブスは、スコットが「大手企業のブランド再考を支援し、セレブと企業の付き合い方を変えている」と報じた。このコラボレーションから明らかなように、スコットは企業に何をすべきかを指示しているのであって、その逆ではない。オーデマ ピゲが文字盤に外部ロゴを入れたのは、2000年代初頭のオフショア・アリンギ以来となる。それ以前に外部ブランドのロゴが使用されたのは、オフショアボートのチーム(伝統的な腕時計を身につけている人たち)だけだったという事実は、この業界がいかに二極化しており、社会的な溝がどれだけ広いかを物語っている。
今の状況は、2005年のときと計り知れないほど異なる。これはファンだけでなくアーティストにも言えることだ。「ヒップホップはクワイエット・ラグジュアリーの時代を迎えています」と、『Ice Cold: A Hip-Hop Jewelry History』の著者、ヴィッキー・トバック(Vikki Tobak)氏は説明する。「時計は、より成長した美学を体現しています。ヒップホップの世界ではもう少し上級者向けのものなのです。彼らはダイヤモンドのネームプレートチェーンを依頼するつもりはないと思いますが、時計は買うでしょう」。それはもはや“成功”の物語ではなく、むしろ“私はここに留まり、さらなる成功をキャッチし、役員室での会話をリードするためにここにいる”という物語なのだ。
今回のようなコラボレーションには、潜在的な落とし穴がある。私が最初に感じたのは、このリリースがブランドの不安を引き起こしたというものだった。パニックに陥ったような状況だ。カラマニカ氏もこれに同意している。「これは歴史的に、常に自社製品について話しているわけではないオーディエンスに対して、自社製品の認知度が高まっていることを理解することへの不安を反映しています。これは“コラボこそ正しいブランディングアプローチだと誰かが教えてくれた”という物の見方にあります」
これは何の根拠もなく関連性を維持するための試みだったのだろうか? ベナミアス氏は、トラヴィスは確かにコレクターの世界の一部だと主張している。「トラヴィスに初めて会ったとき、彼はすでに私たちの時計を8~10本所有しており、私たちから直接購入していました。なので彼が誰であるかを知っていました。外から見つけてきたジェイ・Zと比べて。これは大きな違いです」。彼はこう続ける。「10回中9.9回は、すでに顧客だった人たちと提携してきました。なぜなら、彼らがすでにクライアントであれば、ああ、私はあなたにXX円払うから、これが最も美しいと言ってくれと伝える必要がないからです。まさにオーガニックな循環なのです」
スコットの音楽ファンや消費者は、彼のブランドが美的に何を表しているのか、必ずしも完全には理解していないかもしれないが(それはサウンド的にもビジュアル的にも変化しやすいのだ)、スコットのブランドは間違いなく、彼の遍在性と懐に入りこむ能力にある。この種の成功は、真にクリエイティブな才能を持つ人たちへの非難と読むこともできるし(私はよくそうする)、政治的な現状の変化をポジティブに反映していると読むこともできる。その両方だと考えるのが最も賢明なアプローチだ。ラッパーがこれらのカテゴリーに進出し、彼らの背後にいるファンがこれらのカテゴリーに触れ、興奮するにつれて、ラグジュアリーブランドは岐路に立たされている。それは彼らに「私たちは今までと同じように毅然とした態度で臨み、彼らが私たちのところに来てくれることを願うのでしょうか? それとも意地を見せるのでしょうか?」と尋ねることになる。
この時計は誰のためのものなのか? ファン? コレクター? ふたつの中間にいる人? 「ヒップホップは依然としてラグジュアリークラスの音楽であることを忘れてはならない」とカラマニカ氏は指摘する。リッチな場所で夏を過ごし、プライベートジェットで頻繁に旅行をして、絵に描いたような自分の完璧な写真(バーキンをしっかりと手に持ち、足元にはゴヤールのキャリーバッグを計画的に積み上げている)を自分のソーシャルメディアにアップロードする、新しくモダンなラグジュアリー層だ。おそらく豪華なライフスタイルを送り、トラヴィス・スコットの音楽と理論的で美的な立場に非常に精通している若い人だろう。「もしそれが従来の時計購入層と重ならないのであれば、それはオーデマ ピゲのような企業にとって最善の利益になるでしょう。というのも次世代のコレクターを育成するには、それ以外に方法があるでしょうか?」
時計の世界に足を踏み入れてみると、従来の時計愛好家が価値を見出しているものと、それ以外の人々が消費しているものとの格差は広がるばかりである。そして私のような個人にとっては、このコラボレーションがなぜそれほど重要なのか、説明するのは難しい。おそらくこのリリースには、スコットのスーパースターの地位に乗っかった、伝統あるスイスブランドの不安の匂いが漂っているのだろう。でも、それがどうした? スコットにとっても非常に有利なことだ。結局のところ、消費者層が消費することで、双方にとっては利益となる。さらに、スイス高級時計の食物連鎖の頂点には、新しいタイプの頭角を現しつつある。いわゆる時計好きの人々とは違った顔ぶれで、うまくいけばまったく異なる文化的規範に共感する、まったく新しい世代にインスピレーションを与えるような人物たち。強くなるために拡大していかなければならない。シンプルな理論だ。
この軌道を継続することは、オーデマ ピゲに大きな利益をもたらすだろう。ああ、ほかの伝統的なブランドが堅苦しいデザインの予測可能性から逃れ、関連性に向かって邁進する姿を見たいものだ。これは前進するすべての人への個人の呼びかけである。復刻はもう必要ない。再構成と再集中が必要なのだ。ヴィンテージウォッチはヴィンテージで十分だ。このリリースはそれほど“目新しい”ものはないから、オーデマ ピゲはオリジナリティを追求しているわけではない。しかし、彼らはクリエイティブな解釈には理解を示している。そう、オーデマ ピゲやリシャール・ミルのような境界を打ち砕くようなブランドは、単に達成不可能な存在であり、ほとんど無意味になってしまう。しかし、私はトリクルダウン効果を信じている。それがファッションの力だ。なぜ腕時計も同じくらい影響力を持てないのか?
もしかしたら、ルイ・ヴィトンのような未来のオーデマ ピゲもあるかもしれない。ヴィトンはファレルを通じて、ひいてはヴァージル(Virgil)を通じてヒップホップの美学を巧みに取り入れることに成功している。「ブランドを理解し、敬意を払いつつも、まったく異なるタッチポイントを持つ、理にかなった人物を見つけるオーデマ ピゲのバージョンはあるのでしょうか? 」とカラマニカ氏は問う。
2021年、アストロワールド・フェスティバルで起きた悲劇的な出来事(大勢の観客がステージ前に押し寄せたことにより、複数人が窒息死した)の長い影のなか、このコラボレーションはスコットの全体的な地位が上昇傾向にあることを示している。名声そのものが、一般的なエンドースメントよりもはるかに有利な起業機会をもたらすようになったのだ。スコットと彼の同世代の人々にとって、それは勇気ある新世界だ。これがヴァージルの力であり、スコット以前の男女の力であり、スコット以後の人々によるパワーなのだ。
オーデマ ピゲの将来が不安なのは認めよう。これはFHB(フランソワ-アンリ・ベナミアス)のマイクドロップなのだろうか。はたまた将来のポップカルチャーとのコラボレーションへのオーデマ ピゲからの挨拶なのか。それか現代の人物との一般的な提携なのだろうか? ブランドの次のステップについて尋ねられたベナミアス氏は、 「数週間ではなく、年単位で応えます。時計を考え、準備するには何年もかかります。半年で終わることではありません。次に何が起こるかはわかっています」。私は彼に、この時計を誇りに思っているかと尋ねた。彼はこう答えた。「それはプライドの問題ではありません。この時計は架け橋なのです。私たちは2005年に橋を架けましたが、18年後の今日、それはこれまで以上に意味のあるものになっています」