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本稿は2019年6月に執筆された本国版の翻訳です。
ベイスター(マサチューセッツ人)、ニューヨーカー、カリフォルニアの3人がバーに入ってきて話をした。実はそこは、ミッドセンチュリーモダンデザインの父のひとり、工業デザイナーであるジョージ・ネルソン(George Nelson)のニューヨークオフィスだった。戦後のオフィスではよくあることだったが、1947年の夜に提供された飲み物は、どこのバーにもある美味しいものだった。やがてネルソンと、建築家で未来学者、そして彼の親友であるバックミンスター・フラー(Buckminster Fuller)、工業デザイナーのアーヴィング・ハーパー(Irving Harper)、芸術家のイサム・ノグチが順番に製図台に立ち、壁掛け時計の候補を書き出していった。
これらのスケッチは、ハワードミラー社からの依頼に応えるためのものだった。同社はもともと、家具会社であるハーマンミラーの分社で、独立したネルソンは家具デザイナーからデザインディレクターに昇格したばかりだった。鉛筆が半透明の製図用紙のロールを引っ掻き、笑い声や冗談、コルク栓のはじける音が響く。彼らはデザイン史に名を残そうとしていただけでなく、パーティー好きで外交的でもあった。真偽の怪しい話によると、“バッキー”フラー(Buckminster Fuller)は過度のパーティー好きが原因で、ハーバード大学を追放されたと言われている。話が逸れた。
単純な球体の形や、思いつくままに言葉を弄ぶ遊びは、はるか昔の時計製造にまでさかのぼる。1500年代初頭の、最初の携帯時計は球形の傾向にあった。もともとはアメリカの時計メーカーで、現在はスイスの時計メーカーであるボール ウォッチは、時計の精度を示すために“to be on the Ball”(常に周りの様子を察知できる状態)という表現を長いあいだ使ってきた。カール F. ブヘラやオメガなどのスイス宝石商は、球状に膨らんだペンダントウォッチをボールウォッチと呼んでいた。しかしデザインマニアにとって、すべてを支配するボールはひとつしかない。1949年に発売されたボール クロックである。
ボール クロックはまさに時代の申し子だ。1950年代によく使われたモチーフであるスターバースト(星型)とアスタリスクシンボルを使ったデザインが特徴である。また、物理学者のニールス・ボーア(Niels Bohr)とアーネスト・ラザフォード(Ernest Rutherford)が30年前に初めて発表した原子がモデルの可能性もある(放射線状)。その9年後、アトミウムビルは第58回のブリュッセル万博で、丸いボールと金属棒を披露した。ネルソンは1981年のインタビューで、この時計の多くの功績をノグチに捧げているが、私はこの時計を、フラーの将来のキャリアに不可欠なジオデシック・ドーム(正多面体)のような、ある種フラット化されたテンセグリティ構造と見ることもできる。
スタンリー・アバクロンビー(Stanley Abercrombie)の伝記、『George Nelson: The Design of Modern Design』のなかで、ネルソンは1947年の夜、彼のオフィスで過ごしたことを回想している。
「ボール クロックが開発された夜は、本当におもしろい一夜であった。(イサム)ノグチが来て、バッキー・フラーも来た。その頃バッキーとはよく会っていたが、そこにアーヴィングがいて、私がいて、ノグチは何事にも手を離せない人で(かゆいところに手が届くような素晴らしいものだ)、我々が時計に取り組んでいるのを見て落書きを始めたのだ。それからバッキーはイサムを脇に追いやった。彼は“時計をつくるにはこれがいい”と言って、まったくばかげたものを作った。みんなこれに挑戦し、お互いを押しのけて落書きをしたのだ」
「ある時点で我々は家を出た。少々飲みすぎたせいか急に疲れてきたのだ。そして翌朝、私がオフィスに戻ってくると、ここにこの(製図用紙の)ロールがあって、アーヴィングと私はそれを見た。そしてこのロールのどこかにボール クロックがあったのだ。誰がそれを描いたのか、今でもわからない。私ではないことはわかる。それはアーヴィングだったかもしれないが、彼はそうは思わなかった。我々はふたりとも、イサムがやったのだろうと推測した。彼はバカなことをやってとんでもないものをつくる天才だからだ。組み合わせから外れたのか、それとも付け足されたものなのか、いずれにせよ我々はわからなかった。そこで我々はこのボール クロックを製作した。これはハワードミラー社にとってある意味、オールタイムベストセラーとなった。そして突如としてミセス・アメリカが“キッチンに置くならこの時計”と決めた。なぜキッチンなのかはわからない。しかし、その後何年もキッチンを紹介する広告には必ずボール クロックが登場していた」
この作品は、ネルソンが時計の使い方を徹底的に分析した内容にぴったりと合致しており、それにはふたつの要点があった。ひとつは、人々が針の位置で時間を読み取るために数字を使わなくなったこと。もうひとつはほとんどの人が腕時計をしていたことで、壁掛け時計は正確さを追求したものではなく装飾的な要素に変化したことである。そのためヨーロッパのキッチンが、高精度のエッグタイマーを内蔵したミニマルなユンハンス マックス・ビル クロックで飾られるのと同じ頃、アメリカではシンボリックなスタイルが流行していたのだ。私はネルソンが最後に主張した、キッチン広告の主張を証明することはできなかったが、ボール クロックのデザイナーとして認められている人物が自身の作品ではないというひとつのことについてのみ確信しているのは驚くべきことである。
個人的には、直径13インチ(約33cm)の時計の数あるバージョンのなかでも、ブルー、グレーブルー、グリーン、オレンジのボールが入ったバージョンと、桜材にラッカーを塗ったナチュラルなバージョンのふたつがお気に入りだ。ボールの直径は1.38インチ(約3.5cm)で、金属の棒を取り付ける切り込みがある。これらはクォーツムーブメントを収納する、4.21インチ(約11cm)の中央ボディから3.03インチ(約7.7cm)伸びている。ちなみに、このムーブメントは単3電池1本で駆動する。ああ、酔っぱらいのドラフトから開発された製品とは皮肉なものだ。
ハワードミラー社との35年にわたる協力関係のなかで、ジョージ・ネルソン・アソシエイツのデザイナーたちは、壁掛け時計、置き時計、ポータブル置き時計、ビルトインクロックなど、100以上の時計を製作した。また彼のオフィスは、ニューヨークで最初のモダンなタウンハウスのひとつであるシャーマン・フェアチャイルドハウス(1941年)、バブルランプ(1952年)、ココナッツチェア(1955年)、マシュマロソファ(1956年)といった、アメリカで最も有名なデザインのいくつかを手がけている。写真家、建築家、講師、デザイナー、評論家、そしてデザインジャーナル誌の編集長でもあった多才なクリエイターが1986年に亡くなったあと、彼の遺産はヴィトラにわたり、そのヴィトラはボール クロックを復活させ、1990年代に再び生産を開始した。
Photos: Hans-Jörg Walter
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