時間を知るための補助ツールとしてではなく、時計そのものに興味を持った人なら誰でも、当然のことながら最初に持つ疑問は「どうやってよい時計を、平凡なものやまったく酷いものから見分けるのか?」だろう。この質問は非常に不可解なもので、時計について知れば知るほど深まっていくと感じることだろう。
現代の腕時計は、安価なクォーツ製を除いても価格帯や品質には無限の広がりがあるように見える。価格が上がれば品質も上がると考えられるが、それはどういうことなのだろうか? スティール製で防水性を備えた自動巻きの時計が、あるメーカーでは5万円である一方、別のメーカーでは30万円に設定されるのはなぜだろうか?
腕時計の歴史において、本当の意味で出来の悪い時計を見つけるのはかなり難しくなった。腕時計の基本的な技術は約500年をかけて徐々に洗練されてきており、人類は腕時計を作るのがとても上手くなった。したがって、この質問に対するシンプルな答えは信頼性が高く、耐久性があり、正確で、支払った金額に見合ったフィット感、仕上げ、性能を備えていれば、その時計はよい時計であるということである。しかし、なぜあるメーカーの時計が別のメーカーの時計よりも優れているとみなされているのかに焦点を当てると、この問題をより興味深いものにするだろう。
ここで改めて強調しておきたいのは、高級時計製造とは必ずしも優れた時計を作ることと同義ではなく、ましてや優れた時計やすばらしい時計はジュラ渓谷で隠遁生活を送る独立時計師が製作するオートオルロジュリー(haute horlogerie ‐ 超高級時計)の作品である必要もないということだ。例えば、セイコーは価格に見合った高い評価を得ており、オリスも同様にすばらしい価値をもつ時計を提供している。しかし、セイコーのアイスダイバーやオリスのビッグクラウン ポインターデイトは、ほぼ間違いなくよい時計だが(“ほぼ”というのは、時計愛好家が何かにつけて議論の種を見出すことを知っているからだ)、少なくとも伝統的な意味での高級時計製造の作品とみなす人はいないだろう。
ラグジュアリーウォッチと高級時計が必ずしも同義ではないことも事実だ。もちろん重なる部分はあるにせよ、ラグジュアリーウォッチが高級時計でもあるかどうかは、その時計を製造するためにどれだけの注意と技術と時間が注ぎ込まれたかで決まる。
世の中にはよい時計が非常に多く存在するが、本当の意味で高級な時計となると驚くほどその数は限られる。そしてほかの分野と同様、高級時計を定義する基準がある。少し前にコメント欄でオートオルロジュリーという単語を使ったところ、この単語に対する好奇心と混乱が入り混じった反響があった。私にとって、よい時計であるかどうかを問うことはその時計がどのようなテーマをもつ時計として意図されているのか、そしてその意図をどれだけ満たしているのかを問うことを意味している(視認性の低いダイバーズウォッチはこのカテゴリーの不条理を皮肉ったポストモダン的な作品としては成功しても、ダイバーズとしては失敗作だと評価するように)。
しかし、狭義には時計の高級感(または超高級感?)は最もよく議論されるが、最も評価が難しい時計製造の側面のひとつである“仕上げ”に関する一連の基準によって評価される。
そして、ここにきてようやく、より確固たる根拠を示すことができそうだ。高級ムーブメントの仕上げの基準は各時計メーカーが使用する仕上げの定義によって多少は変わる。例えば、イギリスの時計メーカーでは装飾の種類がスイスとは大きく異なる場合がある。しかし基準自体、スイスの高級時計を例に挙げると装飾の種類ごとに確立されている。
仕上げの最高峰とされるのは極限まで手作業で行われることだ。手作業による仕上げが部分的、あるいはまったくないということは、その時計に手作業の工程がないということを意味するものではない。手作業による仕上げがほとんどない時計でも、組み立て、品質管理、ムーブメントの微調整などの工程では、少なくとも何らかの手作業に依ることが多く、場合によっては多くの手作業が行われていることもある。一部のブランドでは、ケース研磨、ダイヤル装飾や針、あるいはダイヤルそのものの製造工程に手作業を多く採り入れているが、ムーブメントの仕上げにはほとんど手作業がないものもある。とはいえ、精度の高い工業用仕上げ機を使用すれば、精密機器を目にしたときのような直感的な魅力をもつ非常に美しいムーブメントを作ることができる。だが、それ自体が高級時計製造とはみなされない。
本当にトップレベルの手仕上げは非常に難しいものだ。また、その難しさを理解している人はほとんどいないだろう。日常生活では考えられないほどの手先の器用さが要求されるのだ。例えば、脳下垂体腫瘍の除去手術では鼻腔内の蝶形骨からトンネルを掘って行う経蝶形骨手術があるが、これには明らかに神業に近い身体調整が必要だ。控えめに言っても我々のほとんどは脳神経外科医ではないため、本当に細かい動きを必要とする運動の機会はほとんどない。
ブランド主催のワークショップや工場見学で実際に手仕上げを体験した幸運な人でなければ(もちろん素人がベストを尽くしても失敗するのは必然だが)、手仕上げを成功させるために必要な才能やトレーニングを理解することはほとんど不可能だ。しかしほんの少し時間をかけて、きれいに仕上げるその大変さを少しでも理解することができれば、手作業で仕上げる熟練の技のすばらしさがわかるはずだ。
ジラール・ペルゴの天文台懐中時計のようなものを見ると、ちょっとした畏怖の念を抱かずにはいられない。この時計が完成した当時(1889年)は機械仕上げというものは存在せず、このクラスの時計は一点モノのマスターピースといっても過言ではない。それぞれのブリッジにセットされた巨大で美しい形状の受け石、ブリッジ自体の複雑な形状、ブラックポリッシュされた、ひとつひとつのネジの手間を惜しまない丁寧な研磨、そして何よりも面取りされ、ブラックポリッシュされた蜘蛛の巣状の薄いトゥールビヨンケージの内側の角は見ているだけで手を切ってしまいそうなほど鋭い。
このようなものを見ると、ほかのものが欲しくなくなるのは当然だ。工業化された高級時計が登場し、国際的な高級コングロマリットからロゴ入りのサングラスを誰でも買えるようになる前の、真の意味でのオートオルロジュリーの基準がここにある。
例として、面取り(アングラージュ)を見てみよう。これはロジウムメッキされた真鍮製ムーブメントのブリッジや、一部のスティール製部品に施される装飾技法を指す。アングラージュとはフランス語で面取りを指し、上面と側面の間に角度をつけることを意味する。通常は45°の角度をつけるが、より高級な面取りにおいては丸みを帯びた面取りも見られる(デュフォーのシンプリシティのように)。ベベリングと面取りの違いを調べてみると、微妙に意味が違うことがわかるが、実際にはこのふたつは同じように使われている。
さて、先に進む前に最初の重要なポイントを説明しよう:ムーブメントの仕上げには工業的、準工業的、あるいは手作業に分類される。
手作業による仕上げ技術は最上位に位置し、その有無によってその時計がオートオルロジュリーウォッチであるかどうかが決まる。
ふたつめのポイントは、この3つの技術がさまざまな時計、あるいは同じ時計のなかに程度の差こそあれ、混在しているということである。
同じメーカーの時計でも工業的な仕上げ(自動化)と準工業的な仕上げ(手作業と自動化の併用)が混在していることが多く、さらにその両方に最終的な手仕上げが加わっていることもある。伝統的な手法による全体的な手仕上げは通常、最上位モデルに限られる。
面取りにおけるの最もシンプルな形は、まったく面取りをしないことである。例えばグランドセイコーのハイビート Cal.9S86はムーブメントのどこにも面取りが施されておらず、ローターの平らな上面、上面のブリッジとテンプ受けが90°の鋭い角度を成している。しかし、このムーブメントは非常にクリーンで実直な外観をもち、信頼性、耐久性、精度を第一に考えて設計されていることが一目瞭然だ。上の未完成のバルジュー/ETA 7750ムーブメントと比べてみると比較にならないことがわかる。
これは多少の違いはあるものの、ロレックス、オメガ、オリスなど量産ムーブメント製造を行っているほかのブランドと同じアプローチだ。ちなみに機械式仕上げは単一のスタイルではなく、各社が独自の成型加工をムーブメントに入れていることに気づくだろう。
次のステップは、成型加工またはコンピュータ制御のミリングツールを使用して面取りを行うことである。これらの方法は視覚的に満足のいく結果を得ることができ、大量生産の場合には生産時間と複雑さの増加がわずかな代わりに、生産工程全体で一貫性を保つことができる。しかしこれは相対的なもので、装飾的な仕上げを追加するたびに追加のステップが必要となり、施工される仕上げの程度によっては生産時間がかなり長期化する可能性がある。
オートオルロジュリーのアプローチはまた別の話だ。本当に伝統的な手法では、例えばブリッジは側面(部品の垂直な面)を仕上げてからヤスリで面取りを施す。その後、ヤスリで削った跡を石の研磨材で磨いていく。最後の磨きは徐々に研磨材を細かくしていき、ダイヤモンド研磨剤を塗ったペグウッド(掃除木)で仕上げる。使用する木材は、スイスに自生するリンドウという植物の茎である(スイス人は‘59年式キャデラックのバンパーのクロムメッキを腐食させるシュナップスの原料に使用する。もしスイスでフォンデュを食べ、ファンダント‐白ワイン‐をたくさん飲んだあと、そろそろリンドウのシュナップスを2〜3杯飲みたいと思ったらやめておいた方がいい。理由は知っている人に聞いてほしい)。
手作業による面取りの特徴は内側と外側が鋭角になることだと言われており、これはCNC旋盤やスタンピング加工では真似できない。そして私の知る限り、それは現在でも変わらないはずだ。
現代の時計製造では最初から最後まで手作業で面取りを行うことはあまりないのではないか、とお考えの読者も多いと思うが、そのとおりである。ひとつには時計学校では面取りは教えられていないからだ。教育プログラムは一般的に時計製造ではなく時計修理に重点が置かれており、ましてや手仕上げは教えられていない。つまり実際に手作業で面取りをする方法を知る職人は、面取りの職人を育成するメーカーの工房で学んでいるのだ。1本のブリッジを面取りするのに10時間以上かかることもあり、高度な訓練と技術が必要であることを考えると面取りを目にする機会が少ない理由がわかってくる。
では、ムーブメントの面取りが実際に手作業で行われているかどうかを見分けるにはどうすればよいのだろうか? これが難しいところで、見分けるのは本当に難しい。我々は高級時計ブランドの製品には必ず手作業による仕上げが施されていると思いがちだが、本当にそうなのだろうか? そのラグジュアリーウォッチが本当に隅から隅まで手作業で仕上げられているかどうかを知りたいのであれば、経済的合理性から考えてみてほしい。
もしあなたがラグジュアリーブランド関係者で、年間6~7万本の時計を製造しているとしたら、すべての時計のすべてのブリッジに手で面取りをすることは圧倒的に不利だ。そのような大量生産に対応できるだけのノウハウをもった人がいないことと、製造工程に何十時間もの時間と多くの不確実性が加わることが理由だ。手作業による仕上げが最も多く見られるのは、高い名声を誇る古典的ムーブメントや生産量が極めて少ないハイコンプリケーションなどの“話題作”である。
部分的な手仕上げ、あるいはムーブメントに手仕上げがないからといって、必ずしも時計の仕上げが悪いというわけではなく、ましてや悪い時計というわけでもないことは指摘しておきたい。自動化された、あるいは部分的に自動化された仕上げであっても、優れた仕上げであることに変わりはない。プライムリブのオージュを注文したのに、ベジネーズが添えられたくるみ豆腐のローフが出てきた、というようなことはないのだ。約200年前にフライス盤が発明されて以来、時計製造の歴史は機械的精度の向上を追求してきた(もともとは銃器産業のために発明されたもので、部品を交換できる銃を作るためのものだった)。
つまり問題は機械ではない。機械がなければ、ロレックスは日差±2秒以内の高精度をを備えた時計を年間100万本も作ることはできない。ムーブメント全体に施される実際の手仕上げは非常に特殊で、非常に時間のかかる専門的な技術であり、今日では伝統的な技術の保存を目的としている。そのようなことに関心があれば、それは非常に大きな付加価値となるが、それによって時計の精度や信頼性、耐久性が向上するわけではないのだ。
「…彼らがルーペをプレゼントするのは、自ら非難する武器を与えるようなものだ!」
– フィリップ・デュフォー唯一の問題は、実際には得られないものを得たと思ったときに生じるものだ。自分が手にしているのは本物の高級時計なのか、それとも本質的に絵に描いた餅なのか。
可能性として、手仕上げに多くの時間、エネルギー、労力を投入している会社は自らの才能を隠したりはしないだろう。むしろそれを誇示するだろう。もし隠すようであれば、実際にやっているのか、やっているのであれば、どのラインナップなのかを尋ねるのが妥当だろう。大量生産のラグジュアリーブランドのムーブメントに準工業的な仕上げと工業的な仕上げを組み合わせることには何の問題もないが、高級時計ブランドが何万個ものキャリバーに完全かつ包括的な手作業によって仕上げると考えるのは極めて現実的ではない。
スイスにおける手仕上げの代名詞といえばフィリップ・デュフォーだが、この話題を考えるたび、数年前に彼の工房で会ったときのことが思い出される。彼は自分のキャリアにおいて、スイスの仕上げの水準が著しく低下していることを嘆いていた。彼は高級時計ブランドが仕上げに手を抜き、さらに悪いことに「…彼らがルーペをプレゼントするのは、自ら非難する武器を与えるようなものだ!」と語った(彼はロレックスのGMTマスターを日常的に愛用しており、彼の考えるよい時計とはすべて手作業で仕上げられたものだけではないことは特筆すべき点だ。彼が身につけているのを見たことがあるのはランゲのダトグラフとGMTマスターだけだが、2本だけの時計コレクションとしては悪くない)。
手仕上げには、フランクの研磨、面取り、ブラックポリッシュ、ペルラージュ、ネジ溝の研磨、ネジ溝の面取り、歯車のアームの面取り…などなど、数え上げればキリがないが、これらはすべてそれぞれに熟練した技術が必要だということを忘れてはならない。このような作業を時計全体に手作業で行うことは、現代のラグジュアリーウォッチの量産生産体制下ではどう考えてもコストが高く付いてしまうものだ。しかし、少なくともある視点から見ると、このほとんど不可能なほど高い基準こそがよい時計と、たとえすばらしい時計であってもコンセプトと仕上げのすべてが本当に優れた時計との違いを生み出しているということを理解しておく必要がある。そう、昔のゼニスがテレビCMで“The quality goes in before the name goes on.(ブランド名よりも高品質が先にわかる)”と言っていたように。