シャネルのJ12に対して、(時計の)原理主義者たちはある種の嫌悪感を抱いているようだ。それはそれで理解できる。結局のところ、ファッションウォッチだという声や高級ファッションブランドによるロレックス サブマリーナーのパクリだと批判の的になりやすいからだ。もちろん、新品のサブマリーナーを希望小売価格で購入するためには最近ではさまざまなペテン行為を働かなければならないことを考えると、比較検討の候補としてJ12はそれほど悪い選択肢には見えないかもしれない。しかし正直に言うと、誰もがサブマリーナーとJ12のどちらを買うか迷っているわけではない。もしJ12の購入を検討しているのなら、欲しい時計はサブでもドクサでもフィフティ ファゾムスでも、あるいはそのほかの技術本位を謳った実用志向のダイバーズウォッチの類でもない可能性が高い。もし、あなたがJ12を検討しているのであれば、あなたが欲しいのはJ12以外にない可能性が高いのだ。
1999年に発表されたJ12は、シャネルの当時のチーフデザイナーだった、ジャック・エリュ(Jacques Hélleu)の発案によるものだ。その名はヨットレースの世界に由来する。エリュはヨットレースのファンで、J12がデビューした当時、アメリカズカップなどの外洋ヨットレースのレガッタ用に設計されたJクラス(12m)のレーシングヨットが、ヨット界で再び注目され始めていた時期だった。この時計は、美しくエレガントなオブジェとしてデザインされたが、同時に実用的で耐久性のあるスポーツウォッチとしての意味合いも持っていた。J12は、ケースにセラミックを使用した最初の時計というわけではないが、この素材は時計製造において今日ほど一般的ではなく、その素材とデザインの組み合わせという点では、J12は当時としてはある種の革命的な存在として位置付けられていた。
とはいえ、J12は時計愛好家やマニアックなマスコミから、必ずしも特別な扱いを受けてきたわけではない。その理由のひとつは、歴史的に見ても、何十年、何百年と高級時計製造に携わってきた保守的な時計ブランドの時計と、いわゆる“ファッションウォッチ(悪く言えば、モールウォッチ)”は、多くの人の心のなかで差別されてきたからである。ファッションウォッチやモールウォッチの正確な定義は解釈に幅がある(過去、私はこのことについて論考したことが、もはや特定の意味を指す言葉ではないようだ)が、シャネルやグッチ、ブルガリのように、その出自が時計メーカーでなかったブランドがその偏見を払拭するのは、並大抵ではいかないものだ。
しかしシャネルは、単に外部の業者と提携してロゴが入っただけの安価な腕時計を製造するのではなく、高級時計製造とはるかに深いつながりを持っている。同社(ファッションとジュエリーの世界でその規模と影響力が非常に大きいにもかかわらず、アランとジェラールのヴェルテメール兄弟によって経営の独立性が維持されている)は、2001年にベル&ロスを買収し、以来、F. P. ジュルヌの株式を取得し、チューダーとノルケインの自動巻きキャリバーを製造するムーブメントメーカーのケニッシ社の株式の実に2割を所有している。
我々はここ数年、シャネルの野心的な時計製造プロジェクトをいくつか取り上げてきた。“ボーイフレンド”や、独立時計師ローマン・ゴティエと共同で製造したムーブメントを搭載した“ムッシュ・ドゥ・シャネル”などが代表格である。またオーデマ ピゲとも何度か提携し、AP製の自動巻きムーブメントCal.3120を過去にいくつかのモデルに搭載している。
これまで何度もシャネルの時計づくりを見てきたにもかかわらず、なぜか(ほとんど)J12を見逃してきた。現代の時計デザインにおける、そしてシャネルにとってのJ12の重要性を考えると、これは不思議な見落としである。2020年、シャネルのニコラ・ボーはThe NewYorkTimes紙に、J12は「……3分の2には遠く及ばないものの、私たちの(時計)ビジネスの大部分を占める」と語っている。J12を実際に試着することなく、また実際に長時間着用することなく、シャネルの時計製造について見解を書くことは、サブマリーナーに触れたり着用したりすることなくロレックスについて語るのと同義で、可能ではあるが何かを見逃す確率が非常に高い。J12を数ヵ月間、毎日のように着用してみて、この時計には思っている以上に多くの魅力が詰まっていると感じた。
私が着用しているJ12は、オールブラックのセラミック製ケースとブレスレットという、いくぶんクラシックなバージョンであり、2019年にデザインがアップデートされて登場した。私がこれまでこの時計に触れる限界であった店頭のショーケースや展示会でちらっと見るのではなく、実際に手に取ってみると、考え抜かれたデザインと上質さが感じられるのである。先端が肉抜きされた針、エレガントに伸びたアラビア数字、内側と外側の時・分表示の比率や配置など、シャネルの最高傑作に期待されるエレガンスをすべて備えているのである。
このバージョンのJ12は、逆回転防止ベゼルを備えた200m防水の時計で、38mm×12.6mmと、現代のテクニカルウォッチの基準からするとやや小ぶりな部類に入ると思う。光沢のあるセラミック製のケースとブレスレットはオールブラックでもパンチの効いたビジュアルだ。
セラミックについて言うと、J12ほどセラミック製の時計を長い期間着用したことはなかった。数日経って最初に気づいたことは、美しくポリッシュされ、丁寧に仕上げられたケースを持つ時計を着けていると、必ずと言っていいほどしてしまうことが今回なかったことだ。つまり、時計に傷がつく心配をしなかったのだ。セラミック製の時計は、ちょっとした衝撃や大きな衝撃で、持ち主の不注意を示す無言の証(控えめに言えば日常生活でつく傷)の蓄積からは解放されるほど硬度が高い。これは現代のセラミックウォッチのほとんどに言えることだが、J12の高い反射率と油膜のような滑らかな表面は、従来の素材で作られた時計では避けられない微細な傷を寄せ付けない能力を如実に示している。
ケニッシ社製ムーブメントCal.12.1は、精巧な手仕上げが施された伝統的なデザインの自動巻きムーブメントではないが、この価格(執筆時点で税込88万円)では、精巧な手仕上げは望むべくもない。いずれにしても、私は辛抱強く規則的に手仕上げされたムーブメントもほかの愛好家と同じように好きだが、J12にはCal.12.1の仕上げがはるかにふさわしいと思っている。テンプ受けをはじめ、ケニッシ社製ムーブメントらしい技術的な特徴はあるものの、見るからにチューダーやノルケインを彷彿とさせるものではない。ローターのデザイン、ブリッジやプレートの円や半円の組み合わせは、まさにミッドセンチュリーのモダニズムを感じさせるもので、手仕上げを模した中途半端な自動巻きよりも、はるかにJ12にふさわしいと言えるだろう。
J12は、私がこれまでに着用した時計のなかで最も快適な時計のひとつであることを知っても、おそらく誰も驚かないだろう。小さめのサイズと使用されている素材の軽さにより、一日中、毎日ユニフォームの一部として着用しても、その存在感から一息つきたいと思うことはない(世の中には大きくて大胆でごつい、着用すると楽しい時計がごまんとあるが、座りっぱなしの職業柄かダイバーズなど重たい時計はとても重く感じる)。J12は時刻の判読性が高く、そのデザインのおかげで美的ま面でも醍醐味を味わうことができる。実用的で快適、そして非常に丈夫な時計として、またデザインのオブジェとしても両立しているのだ。
J12をつけていると、J12の愛好家たちに時折遭遇する。彼らはJ12は男性的でないと思っているようで、なぜ私がJ12をつけたいのか、ましてや日常的につけたいのか、まったくもって不可解に思っているようだ。答えは簡単だ。私はこの時計を身につけるのが気に入っているのだ。ムーブメントはあらゆる点でこの時計にぴったりで(特にこの価格帯では)、信じられないほど快適で信じられないほど耐久性があり、デザインとしても非常に満足のいくものなのだ。
そして、私の時計、時計製造、時計学全般にわたる非常に長く、時に曲がりくねった旅の途中で、私はまだ驚くことができることを発見できるのは幸せなことだ。少し前の『Hey, Hodinkee!』のエピソードで、ある人の最近驚いた時計は何か? という質問にJ12を挙げるべきだった。ロレックス サブマリーナーの亜種だという意見を時々耳にするが、このふたつの時計の体験はあまりにもかけ離れているため、私にはそうは思えない。J12は、ひと目でそれとわかるシャネルのデザインであり、クラシックなモダンウォッチデザインの殿堂に入るにふさわしい時計だと確信している。
シャネル J12の詳細については、公式サイトをご覧ください。