春のオークションシーズンには、たくさんの興味深いロイヤル オークが出品される。昨日、故カール・ラガーフェルドの所有歴を示すブラックアウトされた5402STを取り上げた(これも金曜日にフィリップスで販売される予定だ)。そして今週末には、サザビーズで販売される故ジェラルド・ジェンタが所有するロイヤル オークに光を当てる。どちらも素晴らしい時計だが、私に言わせれば、どちらもA2ほど印象的で知的な魅力にあふれた時計ではない。A2こそ、ヴィンテージ・ロイヤル オークの頂点に君臨するものだと、私は心から信じている。
1972年、オーデマ ピゲはバーゼルで開催された新製品発表会でロイヤル オークを発表。同社が用意したのは、現在“ジャンボ”として知られる初代モデル5402STの4本で、国際的な販売店ネットワークとプレス関係者に向けて公開された。これらの時計はいずれも第1世代のケースで、シリアルナンバーの最初の文字が「A」、その後にそれぞれの製造番号が刻印されている。このAシリーズに続いて「B」、「C」、「D」シリーズと、いずれも5042STのリファレンスを共通に持ちながら、シリアルの先頭文字が変わるごとに少しずつ審美面において進化を遂げた。しかし、いずれも最初の4本で確立された初代のプラットフォームに回帰している。
A2を取り巻く熱狂がこれほど高いこと(私に言わせれば十分値するが)を考えると、A1は一体どこにあるのだろうという疑問が湧く。もし私達が初期の生産数を気にするのであれば、ロイヤル オークの第1号機の方にも注目しない理由はないだろう。
「“A1”はイラン国王に売却されたというのが通説です。」そう語るのは、フィリップス ウォッチ部門の欧州・中東地域責任者アレクサンドル・ゴトビ氏だ。「イラン国王が誰かに贈ったというのが通説で、その行方は定かではありません。A2は間違いなくA1よりずっとよいコンディションです。なぜならA1は実際に着用されていたからです」。
そうなると、A2の最も重要で、最もあり得ない話に辿りつく:つまり、コンディションだ。HODINKEE Shop ヴィンテージデスクの私の同僚は、私の隣でこの文章を読みながら縮み上がっているだろうが、50年前の時計としては“未使用品”に近いコンディションなのだ。確かに、ダイヤルには若干の褪色とパティーナ(経年変色)がみとめられる。ケースには青錆が生じており、ムーブメントは動作しない。この時計は完璧ではないが、驚くほどありのままの時計なのだ。
八角形ベゼルの滑らかな輪郭、多面的なケースとブレスレットに共通するシャープなラインをひと目見ただけで、この時計が一度も研磨機にかけられたことがないことは明白だ。パティナ(経年変色)とムーブメントが機能していないことを除けば、このA2は1972年春と寸分違わぬ姿を保っている。ロイヤル オークは常に身につけるために作られたモデルだ。ちょうど50年前の初代モデルの1本が、なぜこれほど長いあいだ、完全な状態を保っているのだろうか?
経緯はこうだ。1972年のバーゼルフェアの直後、イタリアのオーデマ ピゲ販売店のオーナーが販売用在庫として仕入れたA2を、結婚祝いとして義兄弟に贈った。イタリアの時計市場は1970年代を通じてスイス時計産業にとって最大の市場のひとつであり、イタリアの販売店がオーデマ ピゲの新作をすぐさま入手できたとしても不思議ではない。
ロイヤル オークのデビューは、すぐに成功したとは言い難い。現代のように、一般の人々がロイヤル オークのウェイティングリストに載るために正規販売店の門を叩くことはなかった。正規販売店が在庫を払底するために、新しい義兄弟へA2をプレゼントすることに決めるまでに数週間は店頭に並んでいたかもしれない。果たして運命のいたずらなのか、その義兄弟はすでにロイヤル オークを所有していたのだ。
当の義兄弟は、Aシリーズの初期型ロイヤル オークを2本持つことになったが、1本を引き出しに保管し、もう1本を使い続けることにした。彼は価値を保つことや、時計を投機対象とは考えていなかったようだ。ただ、その時計を大切に保管したまま忘れてしまったからだ。その結果、50年後の今、私たちはロイヤル オークの原型をほぼ手付かずの状態で手にしているのである。このような歴史的価値の高いロイヤル オークを扱うにあたり、フィリップスはオークションハウスとしての顔とは別に、保存修復師としての役割を担っている。
「この時計は1972年以来、着用も巻き上げもされておらず、ほとんど触れられていません」とゴトビは語る。「(だからこそ)私たちは何も触れないことを選択したのです。裏蓋を外すこともありません。リューズを巻き上げたり、針を回したりすることもありません。オークションツアーにも持っていかなかったのは、誰もそれに触れることができないようにするためです。バーゼルで展示された4本のロイヤル オークのうちの1本が、その後保管され、50年後に元の所有者のもとから姿を現すという、まさにタイムカプセルなのです」。
それが、この時計を特別なものにしているのだと私は思う。何も手を加えないことがロイヤル オークを不合理な熱狂を過熱するための燃料としてではなく、型破りで先駆的なデザインのオブジェとして見る機会を与えるのだ。ソーシャルメディアや中古市場の評価に惑わされない目や価値観でロイヤル オークを体験するために、過去に戻ることはできないが、ロイヤル オークのありのままの姿を楽しむことは可能なのである。
フィリップスがロイヤル オークの50周年記念をテーマにしたオークションを開催すると初めて聞いたとき、私は大物を出してくるだろうと予想した。セレブリティの所有歴、ユニークピース、初期のAシリーズの個体などなど。(もちろん、これらはすべて逸品中の逸品で、フィリップスは実際にこれらを時計部門に送り出している)。しかしA2ほど、特定のロットに驚愕させられるとは思ってもみなかった。A2は、ロイヤル オークの誕生から50年を経た今、ロイヤル オークの原点に新たなコンテクストを与えてくれるのだ。そして、ヴィンテージ、コンテンポラリーを問わず、今年オークションに出品される他のどのロイヤル オークよりも、A2は過去への真の扉を開いてくれる。ロイヤル オークのような時計が、ただのオブジェとして引き出しのなかに忘れ去られてしまうような、不合理な熱狂やFOMO(訳注:取り残されることへの恐れ)とは無縁な存在だったことが、それほど遠くない時代の話だったのだ。そして何より、A2は過去50年間で最も影響力のある時計のひとつにまつわる歴史を、絵に描いたように完璧に再現している。
「まさにロード・オブ・ザ・リングに登場する指輪のような時計です」とゴトビは言う。「これはすべてを統べる時計なのです」。