シリル・ヴィニュロン氏の第一印象は、人当たりがよく控えめな、中世後期のドイツ文学やシュメール人の楔状文字解釈の複雑さに魅了された学者というような雰囲気があった。もちろん、現実はまったく違う。ヴィニュロン氏は、リシュモングループの王冠に輝く宝石、カルティエのCEOである。2015年からそのポストに就いている(2005年から2013年までは、カルティエ・ヨーロッパのジェネラルディレクターも務めた)。教授的な内省の印象はすべて間違っているわけではないが(ブランドの声明文にミラン・クンデラの引用をするラグジュアリーブランドのグローバルCEOはそんなにいない)同時に、彼はカルティエという巨大企業が状況の変化に軽快かつ迅速に対応できるように導く責任を負っているのだ。それはまるで、巨大タンカーをレースヨットのように旋回させようとするようなものだ。
HODINKEEは、ジュネーブで開催されたWatches & Wonders 2022のカルティエブースでヴィニュロン氏に話を聞くことができた。 正確にはあの場所に「ブース」という言葉は当てはまらない。グループ内での位置づけに見合った床面積誇るカルティエのブースは、まるで並んだ宝石箱のようで、各部屋には文字通りの宝物がぎっしりと詰まっていたのだ。
HODINKEE:この生活も2年が過ぎて、フィジカルでの展示会の必要性に疑問を持っていましたが、今週、実際に時計や人々を見て、それに代わるものはないなと感じました。
シリル・ヴィニュロン氏 : はい。今週私たちが目にしたのは、すべてが一度にフィジカルになり、人々が互いに会うことができるようになると、異なる雰囲気とバイブレーションが生じるということです。それに代わるものは何もありません。では、国際的なショーと比べローカルでのショーはどうでしょうか。昨年は上海でWatches and Wondersが開催されましたが、こちらも非常に魅力的でした。要するに、私たちに必要なのはフィジカルなショーということでしょう。
クッションのようなクッサンやマス ミステリユーズなど、実際に触ってみないとわからない時計が多いですね。
このマス ミステリユーズにしても、触ることができなければ反転することもわからないし、重さも感じられない......実際に見てみないと、サイズや感触がわからない部分があるんです。これらのことは実物に触れて初めてわかることです。
ある意味、きちんと準備さえすれば、思った以上にデジタルでできることは多いです。録音をしたり、ある部分はデジタルブースにしたり、ある部分はハイビジョンカメラで撮影したり。注意すれば、ほとんど同じような感覚を味わえるし、少なくとも、その場にいない人でも、何か重要なことを感じるはずです。
フィジカルのショーでは、誰もが自分を表現しようと努力し、そして多様性を見ることができます。ヴァン クリーフやIWCのようなブースを見ると、「ああ、この人たちは違うストーリーを語っているんだ」とわかります。彼らが語る物語は別のものなのです。もちろん、提供する製品も違います。そして、それを感じることで、そのブランドが何であるかがわかるのです。
技術的な革新はもちろん、技術的発明を美的な効果のために用いるというのは、カルティエの特徴的なデザイン戦略ですね。実際に手にとって体験するのが一番というクッサンのアイデアはどこから生まれたのでしょうか。
クッサンの場合は、ふたつの要素からきています。コレクションにあるほかのモデルは、どちらかというとひねりを加えたようなものです。しかし、(ケースの)メッシュについては研究や材料もありました(詳細は「Introducing クッサン ドゥ カルティエ まるで本物のクッションのようなカルティエの新作」を参照)。気づかれたかわかりませんが、昨年はゴールドのメッシュでできた手袋のようなものにベニュワールの時計がついたものがありました。
基本的には研究に根ざした時計です。こんなことができないか? そして、あまり重くなく、第二の皮膚のようなものを作れないか。このような可能性を秘めた研究の上に、私たちは何かを作ることができるのです。金の皮膚だけでなく、ふわふわしたこの時計のようなものも、です。
しかもつけ心地がとてもいい。それに、お客様からの(グローブウォッチの)注文もあるんですよ。手探り状態だったので、どうなることかと思いましたが。
特定の客層のためではなく、自分の好きなものを表現するために何かをするのは、どちらかというとアートに近いと思います。
– カルティエCEO シリル・ヴィニュロン特定のクライアントを意識せず、デモンストレーション作品として作ったということですね。
創造的なアイデアやイノベーションがあっても、それが世に受け入れられるかどうかわからないことがあります。
コンセプトがあって、コレクションをデザインするとします。その場合、一般的には、ある程度の顧客を想定します。でもときには、ただ探検することもあります。ある石を見つけたら、その石で作品を作ろうという場合もあります。もちろん、クライアントが見つかることを期待してのことではありますが。特定の客層のためではなく、自分の好きなものを表現するために何かをするのは、どちらかというとアートに近いと思います。そして、それを気に入ってもらえるかどうかは、サプライズなんです。この作品に関しては、すべてがそうです。
また、今年のクッサンコレクションでは、ブリリアントカットのダイヤモンドを逆さに使用し、パビリオン(尖った下側)を上にしているのも珍しい点ですね。
今年、クラッシュ [アン]リミテッドコレクションを発表しましたが、テニスバージョンがあり、こちらはダイヤモンドを反転させ、尖らせ、黒と白を交互に配しました。このように、ほとんど武器のように見えるパーツはなぜあるのでしょう? しかし、同時に、とてもソフトで、触ってみても攻撃的ではありません。そう見えて、攻撃的ではないのです。また、逆に柔らかく見えても、ある種の強さがあり、強さと自信を感じさせてくれるものもあります。これは作品にうまく作用します。
もうひとつは、男性らしさを示すサインと女性らしさを示すサインを用意したことです。そして、それらをすべて合わせると、本当に大きな力を得ることができます。ユニセックスと呼ばれるようなものではなく、これはある意味、強いからこそ男性的でもあり女性的でもあるのだと思います。
男性でも女性でもつけられるクラシックな時計といえばタンクですが、その歴史は1918年までさかのぼりますね。
そうです。そこで私たちは、ウォッチメイキングに対する認識を脱ステレオタイプしたいのです。個性的で誰にでもつけられる時計があればいい。そして、そのキャラクターをどうブレンドするかによって、すべてを手に入れることができるのです。つまり、これは割と大きめのサイズだから女性にはつけられないということはありません。ジェンダーの流動性があれば、男性がつけてもいいんです。クッサンは男性的でもあるので、私はつけますね。
スーパールミノバは、今年のパシャ・コレクションに見られるように、装飾材料としてますます広く使われるようになってきています。純粋に技術的な理由から発明されたものですが、今日では装飾的な目的でも使われることが多くなっています。
そうですね、だから例年いくつかやっていましたし、今年はパシャでもやりました。でも、パンテール(カルティエ ロンド ルイ カルティエ レガール ドゥ パンテール、2020年発売)は、豹の目の部分にスーパールミノバを塗っているんですね。そうすると、夜、暗闇のなかからパンテールがこちらを見ているように、目だけが光るんです。そのほかにもサントス ドゥ カルティエ スケルトンを夜間、別の方法で照らすということなどを行ってきましたが、今回のパンテールとの組み合わせはかなりクールでしたね。
多くのコレクターやカルティエファンにとってビッグニュースとなったのは、もちろんタンク シノワーズでした。スケルトンモデルの基本デザインは、中国の伝統建築をベースにした、かなり古いものですね。
1920年代には、中国や日本の美的モチーフにかなりの関心がありました。しかし今日、私たちはそれらを正しい方法で、敬意を持って使おうとしています。つまり、インスピレーションの源を持ち、それが真実であり、そして何かをすることで、それが楽しく我々にとっても実であるということです。そして、これはとてもうまくいっていると思います。
ケースを細長くすることに、賛否両論あることは承知していたのでしょうね。
ふたつのことを考えました。まずケースを長方形にすると空間ができて、ある意味、風通しがよくなるんです。そうすると、より現代的なデザインになるわけです。しかしもうひとつは、内側のデザイン(スケルトンモデル)になると、長方形のほうがよく似合うということです。もし正方形だったら、このモチーフを入れるのはとても難しいでしょう。
また、正方形やトランスパレントケースでは効果は薄いでしょう。また、ヴィンテージの復刻も時々やっていますが、その場合は、当時の状態を再現して作っています。タンク サントレをリニューアルしたときもそうでしたね。
100年経っても改善の余地があるのは面白いですね。
私たちがデザインで心がけているのは、新鮮な目で物事を見るにはどうしたらいいかということです。パンテールをリニューアルしたときも、形は何も変えていません。そのパンテールも、基本的には90年代と同じなのです。ただ、あのときの大きなモデルは男性向きだったのですが、今は小さすぎる。しかし、ほかのモデルについては、少し見直す必要があるとか少し形を変える必要があると考えています。拡大するか、薄くするか、少し大きくするか、です。そして、シノワーズは変わりました。うまくいったと思います。
だから、ただ興味引くためだけに新しいものを作ろうとはしていないんです。むしろ、常に自分たちらしいものを作っていきたいと思っています。
ただ、どこでその境界線が開くか閉じるかはわからない。もう昔のようなやり方ではダメなんです。
– カルティエCEO シリル・ヴィニュロンここ数年、カルティエへの関心は爆発的に高まっています。
特にこの1年半余りがそうですね。これは6年前に行った、カルティエの本質を追求した結果だと思います。ある意味で、かつて私たちはあまりにもたくさんのものに手を出してしまい、自分たちらしくない形になっていました。
その分、問題も多くなっています。今では、もし時計を欲しいと思っても、2022年に注文して2023年、あるいはもっと先まで手に入らない可能性が非常に高い。この問題に業界はどのように対処し、特にカルティエはどのように考えているのでしょうか?
これにはふたつの問いがあり、2種類のかなり違った答えがあります。ひとつめの質面は、グローバルな視点で見ると、同じ作品に世界中のコレクターが同時に興味を持つ可能性があるということです。例えば、50本作って300本の注文が入る。そうすると、みんな狂喜乱舞するわけです。通常、同じものを欲しがるコレクターがふたりいれば、価格が上がるのが普通です。それが問題なんです。以前は人々はあまり知らないか、違うものを探そうとしたのでしょう。今は同じものへの集中度が高い。あまりフラストレーションを溜めずに、どうやって興味を持たせるかというと、難しいですね。でも、ある時点から、限定しているからこその面白さもあるわけで、限定しなければ面白さは半減してしまう。
200なら200と、言った通りにすることが大切です。ある年のみの予定なら、その年のうちに、それだけで終わり。そしてまた違うものを作ればいい。でも、間違った期待を与えてはいけません。
もうひとつは、いかにして全体的に数字を動かすことができるか、また、人気のあるモデルを拡大できるかということです。そのために、私たちは柔軟性を非常に高めてきました。COVIDがあったときには30%ほど生産能力を減らしましたが、その後1年以内に2倍にすることができました。業界では通常1年程度の期間がかかるところを、私たちは生産期間を3ヵ月に短縮したわけです。だからといって苦労や供給不足がないわけではありませんが、他のブランドと比べると、それほどでもないのです。
昨年、製造工程を具体的に構築し、短時間で対応できるようにするとおっしゃっていましたね。
もちろんです。そこで製造革新と製造ラボで行ってきたことが、大きく前進したのです。
長期的なトレンドとして、目に見える品質や耐久性を求める傾向があると思います。人々は、長持ちするデザインをより重視しますし、品質も同様に長持ちするものでなければなりません。そのため、より耐久性があり、修理が可能で、よりよい形で子供たちに伝えることができるものでなければなりません。それから、環境や社会的な問題への関心もより高まっています。私たちは昨年ソーラービートで行ったように、代替素材を使用していますが、需要に追いつかなくなってきました。そのため、生産能力を大幅に拡大する必要がありました。そのため、今年はまだ平穏な状態ですが、より大きな生産能力を確保するために積極的に活動しています。
そして最後に、私たちが予想していなかった長期的なトレンドになりつつあるものもあります。あとはできる限り柔軟に対応しなければなりません。今まではすぐに手に入るモデルだったのが、例えば今発注すると、ディーラーは1年待つ。そして、お客さまは1年半待つことになります。ただ、どこでその境界線が開くか閉じるかはわからない。もう昔のようなやり方ではダメなんです。
このインタビューはわかりやすく編集されています。
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