私が時計の記事を書くキャリアを始めてからずっと、ふたつの孤高のムーブメントが存在し続けている。どちらも超薄型で、ジャガー・ルクルトで生まれたムーブメントだ。私はこの2大ムーブメントとそれが使われている時計について、1920年代に若き日のA.J.リーブリング(1904-1963、米作家、雑誌『ニューヨーカー』の寄稿者として有名)がパリで初めて飲んだブルゴーニュを評したような熱意を込めて書いてきた(正直に言うと、彼のような並外れた明晰さと誇張を排した表現ではなかったが...)。
そんな比較が思い浮かんだのは、人は年齢を重ねるにつれて、物事を若い頃の情熱と比較して好ましくないと思う傾向があり、今の私がまさにそうではないかと考えるからだ。戦後のパリに戻ったリーブリングが、愛用していたカフェがかつての面影を失っているのに落胆したように、私も“昔はよかった”と文句を言ってしまいそうだ。
私は常日頃から時計収集は、時計への情熱の本質的な表現であると同時に、時計製造がなければ時計収集界隈も存在ないということを、コレクターは肝に銘じておくべきだと考えている(逆もまた真なりで、時計収集がなければ、時計製造はすぐに枯れてしまうだろう)。このことから、コレクターはムーブメントについて知っておくべきだと思うが、“知っておくべき”かどうかというのはあまり適切ではない。私は誰かに言われてムーブメントを好きになったわけではない。私にとっては、そこに魅力があっただけだからだ。
それでもやはり、もしムーブメントに興味が持てないのであれば、時計収集の本質的な奥深さを知らずに過ごすことになるだろう。それは、ラ・スービーズ・ソース(ホワイトソース)の作り方や圧縮比とは何かを知らないと、料理や自動車に必要な何かを失ってしまうのと同じだ。もちろん誰にでも好き嫌いはあるが、ムーブメントではジャガー・ルクルトのCal.849とCal.920のふたつが私のお気に入りだ。Cal.849は厚さ1.85mmの超薄型手巻きムーブメントで、Cal.920はデイト表示なしの厚み2.45mmの自動巻きムーブメントである。
いずれも設計自体は古いムーブメントだ。Cal.849は1994年に登場したが、ベースとなったのは1975年のCal.839だ。Cal.920にいたっては、1967年に登場している。
キャリバーナンバーが表す意味は、849が世界最薄の手巻き機械式ムーブメント、920が世界最薄のセンターローターの自動巻き機械式ムーブメントということだ。
Cal.849のレイアウトは非常に魅力的で、時代を超越した機能性を備えている。
– 時計師でありライターでもあるジョン・デイビス氏によるマスター・ウルトラスリムのレビューより(2004年)どちらのムーブメントもヴァシュロン・コンスタンタンに採用されており、Cal.920はヴァシュロン(Cal.1120とその派生型として)とオーデマ ピゲ(Cal.2121とその派生型として)、そして短期間ではあるがパテック フィリップにも採用されたことがある。ジャガー・ルクルトはCal.849を採用したことがあるが、Cal.920を自社の時計に採用したことはない。
どちらのムーブメントも、世界記録を達成したにもかかわらず、伝統的な時計製造の手法と素材を用いて作られている。スティール、真鍮、受け石用のジェム、さらにCal.920にはベリリウム合金が使われており、もちろんヒゲゼンマイにはニヴァロックス、テンプにはグルシデュールが使われている。
しかし、これらの素材がどのように使用されているかに、本当の面白さと創意工夫がある。Cal.849では、脱進機とテンプを大幅に改良し、香箱を片側だけで支える“吊り下げ”方式を採用することで、ムーブメントの高さを最小限に抑えている。また、ヴァシュロンがCal.1003として採用しているCal.849の派生型では、厚みをわずか1.64mmに抑えている。
これはおそらく、伝統的な構造を持つ超薄型の手巻き機械式ムーブメントの実用的な限界域に近い。しかし、このムーブメントはデザインの美しさをほとんど犠牲にしていない。2004年、ThePuristS.comに掲載されたジャガー・ルクルト マスター・ウルトラスリムのレビューで、時計師のジョン・デイビス氏は“Cal.849のレイアウトは非常に魅力的で、時代を超越しており、機能的である”と評している。にもかかわらず、ジャガー・ルクルトはスティール製のマスター・ウルトラスリムを数年前に製造中止にし、ヴァシュロンのCal.1003はヒストリーク・エクストラフラット 1955のたった1モデルにしか搭載されていないのが現状である。
ジャガー・ルクルトは現在もCal.849を使用しているが、ごく稀にしか採用されていない。最近ではMr.Porterとのコラボレーションによる「キングスマン」ウォッチに使用された。ちなみに、このモデルはトランスパレントケースバックではないので、ムーブメントの様子は眺めることができない。
Cal.920は、1972年に発表されたRef.5402に始まり、Ref.15202に至るまで、オーデマ ピゲがロイヤルオーク ジャンボの主力機、Cal.2121として採用していた。このムーブメントは、APがル・ブラッシュでの生産を自社に引き継ぐ2000年代初頭までJLCで外注製造されていた。Cal.920はパテック フィリップでもCal.28-255として使用されており、1976年の初代ノーチラスに使用された。
このキャリバー(920)は、史上最も美しい腕時計のムーブメントのひとつであることは間違いない。
– ウォルト・オデッツ、"最高級自動巻きムーブメント"文中、timezone.com、2002年美しさという点では、手巻きムーブメントは自動巻きムーブメントよりも本質的に有利だと私は考えている。手巻きムーブメントでは、ローターや自動巻き機構によって生じる視覚的な障害がない(マイクロローターやペリフェラルローターのデザインでは部分的にしか解決できない問題だ)。
しかし、Cal.920/VC Cal.1120は手巻き式の持つ美に肉薄している。全3大ブランドで採用されているこのキャリバーは、常に完璧な仕上げが施されており、このキャリバーの廉価版は一度たりとも現れたことはない‐そしてCal.849と同様、多くの独自の技術的工夫が盛り込まれている。最もエレガントなもののひとつは、ローターをエッジで支える機構だ。ローターにはベリリウムブロンズ製のリングが外周全体に張り巡らされており、ムーブメントのプレートにある4つのルビー製ローラーで支える仕組みだ。
Cal.920の美しさについては、2002年にTimezone.comに寄稿したウォルト・オデット氏がいつものように冒頭で次のように述べている。“その薄さにかかわらず、Cal.920のような洗練された、そして高価な構造を持つ現代のスイス製自動巻きムーブメントは存在しない。そして、間違いなく、このキャリバーは、これまでに製造された最も美しい腕時計用ムーブメントのひとつである。"
このムーブメントは現在、ヴァシュロン・コンスタンタンのみで販売されており、最近までヒストリーク・エクストラフラット1968に搭載されていたが、現在はカタログから消えてしまっている。他の5つのモデルにはまだ搭載されているが(異なるケース素材を使用しているため、合計15モデル)、唯一の二針モデルはトラディショナル・オートマティック・エクストラフラットで、41mm×7.26mm、厚さ5.4mmのヒストリーク1968(幅35mmの角型ケース)のような古典的な魅力はない。HODINKEE編集部が確認したところ、ヴァシュロンは、2016年に “Cal.1120を当社の複雑機構モデルのベースムーブメントとして取り組む”という決定がなされたとメールで回答があった。
ここで、私はふたつのことを考えた。現時点では、技術的な観点から見て、これらは間違いなく時代遅れの設計だ。AP社のCal.2121の後継機であるCal.7121は、より信頼性が高く頑丈であることは間違いなく、最近開発されたムーブメントであるため、メンテナンスも容易で、製造にかかる費用や時間も少ないだろう。
しかし、審美面では、やはりクラシックなCal.2121/21には劣ると思うし、何より技術的な特徴が失われてしまったことが悔やまれる。このふたつのムーブメントを比較すれば、どちらがより伝統的な高級時計に相応しいかということに疑問を挟む余地はないだろう。
ただし、ロイヤル オークの最新バージョンの顧客の多くにとっては、あまり重要ではないだろう。彼らはおそらく、廃盤となるRef.15202と新型のRef.16202が外観的にまったく同じであれば満足するだろうからだ。
とはいえ、この2大キャリバーの落日を目の当りにするのは悲しいことだ。Cal.849がいつまで生産されるのか、ヴァシュロンがこのふたつのキャリバーを使い続けるのかどうか、私には見当がつかないでいる。そもそも、このふたつのキャリバーが使われている時計の種類は決して多くはなく、私は些細なことに大騒ぎしているだけかもしれない。しかし、稀少なものがさらに稀少になっていくことは、私が時々思うような「炭鉱のカナリア」ではないかもしれないし、ヴァシュロンのCal.1120へのコミットメントは、今のところ揺るぎないようだ。
しかし私は、元気そうに見える最愛の祖父母が90歳を過ぎようとしていることを心配するのと同じように、懸念を払拭できないでいる。絶滅は、地球を揺るがすような爆発音や空に浮かぶ火球で予告されるとは限らない。ジョニ・ミッチェルが『Big Yellow Taxi』で歌った、“You don't know what you've got 'till it's gone(失ってみて初めて大切さわかる)”のように、灯は人知れず静かに消えることもあるのだから。
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