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感謝祭の七面鳥の身代わりに時計界のターキー(失敗作)5本を捧げる

酷評(ロースト)しすぎて若干ユーモアに欠けるかもしれない。

最初に言っておくが、私は時計をとても愛している。しかし、どんなに優秀な人材であっても、どんなに優秀な同僚や会社が全力を尽くしても、控えめに表現して平均を下回る時計が一定数世に送り出されてしまうのも事実だ。

 さて、何かを七面鳥に例える話題が出たとき、それが何を象徴するのかを説明する必要がある。アメリカのスラングでは、「七面鳥(ターキー)」とは、言葉は悪いが、“劣悪なもの”を意味する。単に平凡であるとか、軽率であるとか、想像力に欠けているとか、無味であるどころの話ではない。何が無味乾燥なのかは人によって受け止め方は大きく異なるし、ある人が無味乾燥だと思う時計を作っても、逆にそれを支持する層がいて、毎年大成功を収めているブランドもある。そのブランドや哲学、製品に嫌悪感を抱くのは勝手だが、これは単に「甲の薬は乙の毒(物事の価値は人によって違うという喩え)」ということに過ぎない。

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七面鳥がHODINKEEを名誉毀損で訴えるべく、ミッドタウンの弁護士事務所に向かった。

 いや、本物の七面鳥(失敗作)を創り出すのは、理屈や論理を無視した、あまりにも考えの浅いプロセスが介在するに違いない。多くの場合、企業やそのリーダーは、自分たちにとって現実的に意味のあることではなく、自分たちがすべきだと思うことを始めてしまい、その結果、非常に衝撃的な悲劇が起こるのだ。問題の七面鳥が機械的、工学的に見ても不合理であれば、葬り去る近道となるが、マーケティング手法のひとつ、フォーカス・グループ法で得た知見を真に受けてしまうという間違いを犯しただけで、簡単に七面鳥を孵化させることができる。奇妙なことに、七面鳥は好景気に増殖する。資金が潤沢にあると、ブランドはよい時計を作ることよりも、いかにしてお金を集められるかを考えるからだ。

 流行を追いかけて短期的にお金を得ることは、1~2年はうまくいくが、やがては不良在庫を大量に抱えることになり、顧客からは“一体何を考えているんだ”と疎まれることになる。また、ブランドのアイデンティティがどんどん失われていくのと同時に、価格が吊り上がっていくのも結局は何ら効果をもたらさない。

 ところで、この記事のリストが必然的に不完全であり、極めて個人的見解であることは言うまでもない(少なくとも私はそう思っている)。5本では収まらないことは重々承知しているし、人によってリストは異なるだろう。

 つまり、機械的に奇妙で浅はかな設計を持つ時計、美的にブランドにそぐわない時計、不当に高価な時計、よい時計を作るよりも手っ取り早くお金を稼ぐための陳腐なアイデア満載の時計‐これらはすべて、単独か、複数の組み合わせで時計界の七面鳥を創り出す要素となるのだ。

遡ること1680年、ドイツのアウグスブルクに住む一人の紳士が、あることを思い付いた。マテウス・ハライヒャーは自身に(そしておそらく世間にも)、振り子こそが精密時計の本質であり、時計に組み込むことによってその精度は絶頂か極致、または天頂に達すると語った。1680年時点で振り子時計は、まだその歴史は浅かった‐オランダの時計学者であり物理学者であり、世界で初めてテンプにヒゲゼンマイを発明したクリスチャン・ホイヘンスは、1656年に世界初の振り子時計を発明したが、技術の伝播が緩やかだった時代にあって、ハライヒャーはその仕組みを長いあいだ知らなかったのだろう。彼が考えた途方もないアイデアは、振り子を携帯用の時計に応用し、これまでにない正確さと精度を実現することだった。

 懐中時計に振り子を搭載しようとした彼のことをあまり引き合いに出すのは酷かもしれないが、常識的に考えれば、ホイヘンスのもう一つの大きな技術的貢献であるテンプとヒゲゼンマイに注目した方がいいことは、5分も考えれば明らかなような気がする。

 振り子は理想的な機構である‐その精度は正確という表現を遥かに超えており、出来のよい振り子時計に至っては年差レベルの超高精度を誇った‐しかし、それはあくまで置時計であればという前提であり、ホイヘンスが著書『Horologium Oscillatorium(振り子時計)』を上梓して数年後の1680年には、ベルトポーチ(ポケットが出現する前のこと)のなかで跳ね回るようなものに振り子を入れるのは、賢い方法ではないことは明らかだったはずだ。

フランツ・ライヒェルトのパラシュート・コート。彼は七面鳥の仮装をしているのだろうか?

 新技術の黎明期には、大失敗することもある。例えば、航空技術。1912年、フランツ・ライヒェルトという男が、自分でデザインした大きなコートを着て、エッフェル塔の頂上から飛び降りた。飛び降りる前の写真を見ると、3歳児がマイケル・ジョーダン用にオーダーメードされたオーバーコートを着ているようなもので、一見しただけで期待できそうにないことがわかる。しかし、ライヒェルトの実験は、命と引き換えに失敗に終わった(なぜ最初にダミー人形で実験しなかったのか? 哀れな先駆者よ)。

 ライヒェルトのパラシュート・コートと同様、先述の振り子時計についても、当時はよいアイデアだと思われたというのが一番面白いところだ。

エロティック オートマタ‐その多くは複雑機構でも何でもないので広く言えば、ただのエロ時計‐は非常に長く、豊かで、複雑な歴史を有している。それは、時計職人が「何ができるか」を考えるのに没頭するあまり、「何をすべきか」に考えが及ばない事実の典型例である。

 エロティック オートマタとは、この種のカテゴリを聞いたことがない読者(最近になって時計の世界に足を踏み入れた読者であれば、まだ見たことがない可能性がある;今ではミニッツリピーターよりも圧倒的に生産数が少ない)のために説明すると、ダイヤル側は普通の時計のように見えるが、裏蓋には裸体の人(達)が性行為に耽る様子が描かれている。オールドファッションで退屈な正常位スタイルのものもあれば、そうではない体位のものもあるが、通常は可動することで、一連の反復的行為を表現する‐レバーやボタンを押すと、人物が無表情に、そして明らかに楽しくなさそうに、ディズニーランドの“イッツ・ア・スモール・ワールド”アトラクションに登場するからくり人形の悪夢版のように、お互いにぶつけ合い始めるのだ。

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 さて、私はスイスの国民性や国全体を非難するつもりでこのようなことを言っているのではない。私はスイスを第二の故郷のように思っていて、少なくともここ十数年は、毎年ブルックリンに行くよりもジュネーブに行くことの方が多いのだから。

 それにしても、エロティズムは、スイスの工芸品や文化の最も本質的な特徴として、まず思い浮かばないものの筆頭ではあるが、いわゆるエロティック オートマタの表現は直截的過ぎる。スイスの時計製造が素晴らしい理由は数えきれない。しかし、自らのイメージを壊さないこと(少なくとも、イメージが存在することを知っていること)にも意味がある。国民性が特定の業界において自らを不利な状況に追い込んでいるのであれば、おそらくその事業(この場合、性愛の顕現を芸術で表現すること)を、よりブランドイメージにふさわしい人々や国家(そしておそらく業界)に譲った方がよいだろう。

お金儲けとダイエットは、きりがないわ

– ウォリス・シンプソン、ウィンザー公爵夫人

1970年代には、時計ユーザーの心を掴むための戦いが存在した。それは、技術とデザインを駆使した戦いであり、最大の戦線は、機械式時計(高価で急速に陳腐化し、比較的正確さに欠ける)とクォーツ(安価で最先端の流行で、最高の機械式時計よりも桁違いに正確)のあいだに引かれたものだった。超薄型時計の開発競争は、機械式時計では何十年も前から行われていたが、クォーツ時計の台頭により、世界記録の入れ替わりが熾烈となった。

実際には痩せすぎにきりがないということはないのです、ウォリス婦人。

 面白いことに、激しい競争と透けて見える絶望感とは紙一重で、その境界をまたいだ会社がジャン・ラサールだった。同社は、時計職人ピエール・マティスが開発した2つの超薄型ムーブメント、手巻きキャリバー1200と自動巻きキャリバー2000を製造するために設立された。その薄さは今に伝わる伝説である。手巻きキャリバー1200の厚さはわずか1.2mmで、薄さを追求するための工夫として、従来のブリッジや軸ではなく、輪列にボールベアリングを採用していたのだ。

 ヴァシュロンもピアジェも、ジャン・ラサールのキャリバーを採用していたが、どちらもうまくいかなかった。その理由は簡単で、ムーブメントが動かなかったからである‐少なくとも上出来ではなかったということと、耐久性に難があったのだ。コンコルド デリリュームに搭載されていた極薄クォーツムーブメントも同じ問題を抱えていた。あまりにも薄いため、時計のストラップを少し強く締めすぎただけでケースが曲がってしまい、内部のムーブメントが損傷した。またジャン・ラサールのCal.1200/2000のメンテナンスでは、ケースを開けてムーブメントを総取り替えすることがよくあった。

ピアジェ 20P、ベースキャリバーはジャン・ラサール社製キャリバー1200だ。

 確かに勇気ある取り組みで、当時ムーブメントはいくつかの賞も受賞した。しかし、時計のケースやムーブメントの製造技術は、未熟だったと言わざるを得ない。現在、最も薄い機械式時計を製造しているのはピアジェである。アルティプラノ AUCは、全体の厚みが2mmしかない。しかし、AUCはケースをムーブメントの地板として使用し、1970年代にはなかった製造技術や特殊なケース合金を使用することで、この薄さを実現している。ラサール社製ムーブメントは、私にニコラ・テスラの発明品を思い起こさせる。ワイルドで魅力的なアイデアだが、最終的には歴史上の不朽の名作としては名を残せず、むしろ「あったような気がする」悲しみの荒野に留まる運命だったのである。

1990年代後半に機械式時計のルネッサンスが本格化して以来、信じられないほど過激な時計作りが公然と行われてきた。当初は新鮮なだけでなく、機械式時計の有効性と創造的な可能性を信じる愛好家のコミュニティを肯定するものでもあった。時計オタクの逆襲のようなものを想像すると理解しやすいかもしれない。

 残念なことに、振り返ってみると、あらゆるものを壁に叩きつけて、何が悪かったか観察するのに大量の資金を投じてきた業界から生まれた時計のなかには、一見すると心を奪われるような作品もたくさんあったが、デザイン面ではあまり熟成されていなかった(その上、機能が不十分であったり、まったく機能しなかったりすることもよくあった)。

甘~いクッキー生地を追い求めて。

 しかし、少数派ではあるが、普段からとんでもないことをしていることで、顧客を満足させ、さらには長期的な成功のための勝利の方程式を確立しているブランドもごくわずかながら存在する。これは容易いことではない‐スーパーヒーロー映画のフランチャイズを成功させることを考えて欲しい。必要な要素は、大音量、ノンストップの際どいアクション、目を見張るような特撮の戦闘シーンだけのように見えるが、それらすべてを音や怒りが何の意味も持たないものではなく、説得力のある物語に昇華させることは、見た目よりも難しいのだ。成功例よりも失敗例の方が断然多いのもそのためだ。

 『アベンジャーズ』シリーズと比肩する役割を果たしている時計ブランドに、ウブロがある。これほどどんなことがあっても手に入れたくない時計を作る割合が高い会社はないと個人的に思うが、ウブロにとって一顧だに値しないだろう。ジャン‐クロード・ビバーやその後継者たちは、私やその他の保守的な愛好家たちが彼らの時計を欲しがるかどうかについて、一瞬たりとも心配したことはないと100%断言できる。彼らは明らかに楽しんでいるのだ。

上手くつけこなせるだろうか?

 だからこそ、50日間のパワーリザーブを備えたウブロ “ラ・フェラーリ”は、(私にとって)彼らがこれまでに成し遂げたなかで最悪のものであり、史上最悪の1本であると言ってまったく差し障りない時計である。問題は、アルコール度数95%の“エバークリア”のダブルショットのような繊細さを持ち合わせる、大きくて派手なデザインだということではない。そのデザインが、想像しうる限りのありふれた時計デザインの集合体であることが問題なのだ。長方形の角張ったケースにダースベイダーのような幾何学デザインは、1970年代のランボルギーニ カウンタックのポスターを長時間見て「かっこいい」と思った10歳の子供に、かっこいい時計のデザインを頼んだときにできるような代物だ。この時計を見て、何かを感じなければならないような気がするが、全体のパッケージは、2014年にラ・フェラーリが登場した時点で、これまでに何度も見てきたアイデアの徹底的模倣であり、この時計を見るべき点はほとんどなく、ましてや何も感じることはない。しかし、ある点では大成功を収めている。それは、時計製造史のなかで最も派生的なデザインであるということだ。

かつてコンコルドは、腕時計の世界でトップに立っていたか、それに近い存在だった。世界で最も成功した高級クォーツ時計メーカーの1角となったのは、おそらくクォーツ危機の頃である。ビョルン・ボルグやジョー・モンタナなどの著名人はもちろん、コンテンポラリーダンスの歌姫マーサ・グラハムなどの著名人もブランドアンバサダーとして名を連ねていた。コンコルド デリリュームは、1970年代後半に高級時計の真髄とされた、奇跡的な薄さのクォーツ時計で、ブランド最大の功績のひとつである。しばらくのあいだ、デリリュームはピアジェに匹敵するほどの価格で販売されていた。

コンコルド デリリューム。1979年、同社の全盛時。(画像提供 : PersianPrince525, via Wikipedia).

 しかし、機械式時計が高級品の代名詞となり、クォーツ時計に高級品の値段を払うという考え(宝石をセットしたものを除く)が徐々に廃れていくなかで同社の存在感も徐々に薄れていった。そして、極めて遅ればせながら機械式時計メーカーとしての復活を決意し、高級機械式時計ブランドとして真剣に取り組んでいく意思を明確にし、2009年にコンコルド クァンタム グラヴィティ C1 トゥールビヨンを発表したのである。この作品を見ていると、何年も前に友人の時計師が別の文脈で書いていた、“この時計には筋が通ってない”という言葉がいつも思い出される。

トゥールビヨンは回る、回る/流行も変わる、変わる…。

 しかし、残念ながら問題は2つあった。ひとつめは、2009年になるとトゥールビヨンの流行が失速したことである。その時点では、誰も彼もがトゥールビヨンを作っていたのだ。つまり、ただトゥールビヨンを出すだけではなく、究極のトゥールビヨンを出さなければならなかったのである(2000年代半ばのプレスリリースで「究極」という言葉を目にするたびに5セントもらえるとしたら、バスタブを満たすことができるだろう)。もうひとつの問題は、2009年が忘れもしない世界金融危機の真っ只中であったため、大げさで派手な超高級機を発表するのに最適な時期ではなかったということだ。

クォンタム グラヴィティ タイム サスペンデッドは、「遥かなる橋」だった。橋など見える?

 とはいえ、クァンタム グラヴィティ トゥールビヨンと、そのさらに狂った後継機であるC1クァンタム グラヴィティ トゥールビヨン タイムサスペンドは、どんな状況下でもツェッペリン号のように墜落しただろうと確信している。2000年代半ばに起こったハイパーウォッチブームの後塵を拝しただけでなく、かつてのコンコルドの名前の意味を覚えている人が求めていたものとは正反対の時計だったからである。どんな状況でもリブランディングは難しいものだが、ブランドのアイデンティティや歴史を蔑ろにするような極端なリブランディングは、決してよい方法ではなかった。そして、そのデザインは、極端な時計作りの夢というよりも悪夢のようなものだった。審美的には、映画『2001年:宇宙の旅』の終盤15分ほどの存在感しか示せなかったのだ。

 今にして思えば、それほどホットなアイデアではなかったということに尽きる。コンコルドは遂に復活しなかった。ところで、私はこうなることを予見していたと言いたいが、2008年から2009年にかけて、私は他の時計ジャーナリストと同様にハイパーウォッチブームの高貴なワインに酔いしれていたのかもしれない。その時代を後悔しているわけではない。みんなで楽しんでいたし、当時はどの時計ブランドもある程度は無理をしていたと思う。しかし、「よくないものを手に入れすぎてしまったことに気づかない」危険性を、これほどまでに象徴している時計は他にはないだろう。

感謝祭を迎える読者の皆様へ、安全で楽しい休暇を過ごして欲しい。そして、読者、コミュニティメンバー、サポーターの皆様にも、HODINKEEから感謝の気持ちをお伝えしたい。また、時計業界、時計職人、デザイナーの皆様にも感謝している。この記事では少し茶化しているが、ときには奇抜なことにも挑戦してくださる皆様がいなければ、私たちの生業は成り立たないのです。 -ジャック