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WATCH OF THE WEEK 我が家の歴史には、IWCの2本のヴィンテージウォッチと4世代にわたる軍歴が関わっている

時計ライターであり、4世代に渡る従軍歴を有するオーレン・ハートフ(Oren Hartov)氏には知りたいことがある。金無垢のドレスウォッチはミリタリーウォッチになり得るのだろうか?

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Watch of the Weekでは、Hodinkeeのスタッフや友人を招いて、特定の時計についてなぜそれが好きなのかを紹介してもらう。今週のコラムニストは、ロサンゼルス在住のライター、ギタリスト、ソングライター、予備パラシュート部隊員、そのほか、彼自身も思い出せないさまざまな肩書きを有するオーレン・ハートフ(Oren Hartov)氏だ。

その貴金属の輝きが目に飛び込んできたのは、テルアビブの有名なエルサレムビーチに向かうバスのなかのことだった。バスの黄色い停止ボタンを探しながら、キング・ジョージ・ストリートの悪名高いドライバーをかわすと、突然、ヴィンテージウォッチとジュエリーを売る店のショーウィンドウに目が留まった。

 ウィンドウにはロレックス、ティソ、オメガなどが並べられていたが、その日、私の注意を引いたのは、ペアのIWCのヴィンテージウォッチであった。ひとつはステンレススティール製ケース、もうひとつは金無垢のケースに入っていた。なかに入っている伝説級の手巻きCal.89のことをそのときわかっていたかどうかは思い出せないが、それは関係なかった。私は即座に、完全に魅了されてしまったのだった。

vintage iwc caliber 89 owned by oren hartov

 当時私は、元司令官が監督するイスラエル国防軍(IDF)のパラシュート部隊および特殊部隊の選抜試験であるギブブッシュ(gibbush)の模擬訓練を受けにテルアビブを訪れていた。ギブブッシュの練習をしたおかげで、実際のパラシュート部隊への入隊試験は、簡単ではないにせよ(確かに簡単ではなかった)、いくらか楽なものに思えたのだった。

 数カ月が過ぎ、私は兵役の最初期に行われるヘブライ語集中講義と、部隊での正式な勤務開始のあいだの短い休暇を利用してテルアビブに戻っていた。その時計はまだ店のウィンドウに鎮座していた。SS製の時計はリダンされていたが、金無垢の時計のダイヤルは当時のままのようだった。

vintage iwc caliber 89

 その店を経営していた兄弟によれば、金時計は1950年代のイスラエルでは珍しく、ティソとIWCのCal.89のふたつのブランドしか手に入れることはできなかったという。ティソの方が価格は手頃で、IWCはより高価な部類に入るものだった。

 Cal.89というムーブメントと、それがIWCの有名なパイロットウォッチ、マーク11に搭載されていることを知り、私は、ウィンドウのなかの時計にさらに興味をそそられた。

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そのヴィンテージのCal.89が、突然私の前に現れたのは運命であるような気がした。私の家系には、すでにIWCの金時計との長い歴史があったのだ。1970年代、曾祖父が手術中に悲劇的な不慮の死を遂げる数時間前に父に贈ったのが、IWCの金の懐中時計であった。私は、曾祖父は自身のことを何となくわかっていたのだろうと思っている。

 曾祖父の名はヒューゴ(Hugo)といった。私の祖母の父で、1895年にオーストリアで生まれた。第1次世界大戦が勃発する1年前、彼はハンガリーのヨーゼフ・ラングという店で購入したIWCの金の懐中時計を受け取った。1944年にSS製のパテック フィリップ Ref.1518を2本販売したことで有名なまさにその店である。確かなことは言えないが、私の家族は、私の高祖父がヒューゴの18歳の誕生日を祝うために購入したのだろうと考えている。

The IWC pocket watch received by the author’s great-grandfather Hugo in 1913, before he entered national service during the First World War.

1913年、筆者の曾祖父ヒューゴが受け取ったIWCの懐中時計。元々の箱に入っている写真である。 Image: Courtesy of the author

 ヒューゴはその後オーストリア軍に入隊し、第1次世界大戦および戦後の6年間にわたり陸軍および予備軍に所属した。ユダヤ人であったヒューゴの公務は1933年に政権を取り、1938年春にオーストリアを併合したアドルフ・ヒトラーにとってはほとんど関心のないことだったようだ。

 私の祖母は、ウィーンから1時間弱のところにあるヴィーゼンフェルトという小さな町で、夜中にヒューゴに起こされ、急いで荷物をまとめるように指示された話を私に語ってくれたことがある。持ち運べるものしか持って行けなかったが、曾祖母のイレーネのコートの中に宝石をいくつか縫い付けて隠すことができた。私は、IWCの金の懐中時計がヒューゴに対するナチス親衛隊の短い尋問をくぐり抜けることができたのは、このためだったと推測している。

vintage iwc pocket watch
vintage iwc pocket watch

 1939年8月、ヒューゴとアイリーンとともにオランダ船でアメリカに向かったとき、祖母は13歳だった。かつてヴィーゼンフェルトで裕福な事業を行っていた家族がアメリカに到着したときに携えていたのは、4ドル、IWCの金の懐中時計、そして、何よりも自分たちの命であった。アイリーンはタフな女性で、100歳まで生きた。「ナチスにピアノを盗まれた」とつぶやきながら祖母の家を歩き回っていた。

 私の父がヒューゴが持っていた金のIWCの懐中時計を受け取ってから数年後となる1977年8月、父はイスラエル国防軍のパラシュート部隊に入隊した。私が2015年に入隊したのと同じ部隊である(私たちふたりは、まったく同じ大隊に配属されたのだった)。彼はイスラエルやレバノンなどでの作戦中、父親から贈られたタイメックスの自動巻きを着用していた(その時計は、実になめらかに時を刻み続けた)。

The author’s training platoon together for the last time in uniform, summer 2016.

最後に制服姿をともにした2016年夏、筆者の訓練小隊。 Image: Courtesy of the author

ウィンドウに飾られたIWCの金の腕時計のことを考えながら、こうした家族の歴史すべてが私の脳裏をよぎった。金無垢のケースに入ったその時計は、必ずしもミリタリーウォッチの伝統的な資質を漂わせたものではない(その点、すでに私はミリタリーウォッチとして信頼のおけるG-SHOCKを持っていた)。それでも、その時計には信頼性と堅牢性を誇るCal.89が搭載されている。時計の対価として店の兄弟が求める1500ドルあまりの価値はあるのだろうか? 時計と何の対価として? 私は、そんなものを買ってどうしようというのか?

 その年の暮れ、イスラエルに母が訪ねてきた。我々はその店を訪れ、この時計について感想を聞いた。母は数年前から宝石商に勤めており、いつもセンスのいい人だったので、母の意見は信用できる。母は「取り置いたらどう?」と提案した。「あなたが休暇でここに来るたびに、いくらかお金を払って行けばいい。最初の100ドルは私が入れておきましょう」

Oren Hartov

 私はこの提案を承認してもらおうと、店の兄弟の方を向いた。兄弟はにっこり笑って、ケースからCal.89を取り出し、引き出しのなかに入れた。それ以来、私は数週間ごとにテルアビブを訪れ、軍人のわずかな給料の一部をその店に渡したのだった(幸いなことに軍隊での生活費は安かった)。2016年2月、雨に濡れ、1週間かけて総移動距離160kmの過酷な行軍のあと、私の部隊はついにアミュニション・ヒルでマルーンベレーを授与された。それは、1978年に父がマルーンベレーを得たのと同じ場所であった。

 私がテルアビブに戻り兄弟に腕時計の残りの代金を支払うまで、そう時間はかからなかった。彼らは小さな箱と一緒に時計を私に贈ってくれた。そのなかにはIWCの色と同じヴィンテージゴールドのイスラエル国防軍のジャンプウィングが収められていた。私の記憶では、父も同じようなゴールドウィングを首から提げていた。この時点で、これは運命だと確信した。イディッシュ語では“beshert”、つまり“運命”だ。

Vintage iwc caliber 89

 私は通常、自分自身に“ご褒美の贈り物”を買うタイプの人間ではない。ましてや比較的高価なものを買うことはない。しかし、ついにこの年、私はベレー帽を被って行進した日付と、イスラエル国防軍が常に守ってきたリーダーシップの原則であり、部隊のモットーでもあるヘブライ語の“ahrai(私の後に)”を手彫りしてもらったIWCを購入したのだった。

 私の父はかつて、軍隊に入る理由は兵士の数だけあると言っていた。ある者は強制され、ある者は志願する。ある者は兵役のロマンに酔いしれ、ある者は人の心を揺さぶる崇高な理想に酔いしれる。

 私自身は、今の生活とかけ離れた危険な仕事に短期間夢中になったことについて、明確に説明できる言葉はひとつも持ち合わせていない。それでも、私は小さな金の時計を持っている。これは私もまた、何か大きなものの一部であったということの証なのだ。

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Hodinkee Shopでは、IWCの中古腕時計を販売しています。コレクションはこちらでご覧いただけます。IWCに関する詳細情報については、公式サイトをご覧ください。