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先月、オークションハウスでヴィンテージのロレックス ミルガウスRef.6541が記録的な250万ドル(日本円で約3億4305万円)で落札された。しかも、どうやら購入したのはロレックス自身であるらしい。この落札結果は、ロレックスが2007年から生産していた現行ミルガウスを生産終了してからわずか数ヵ月後の出来事だった。長らくロレックス プロフェッショナルモデルのなかでも変わり種の、この地味な“サイエンティスト御用達の時計”は、今年の大きな話題となった割には、控えめな落札結果に終わった。
ミルガウスは、決してロレックスで最もセクシーなモデルというわけではなかった。ヴィンテージモデルに至っては、販売されるまでに何年もケースで眠ることもあった。パンナム航空のジェット機パイロットや、深海を潜るダイバー、レーシングカーを運転するポール・ニューマンに向けた時計ではないのだ。だが、サイエンスは見方によってはセクシーにもなり得る。ミルガウスは、www(ワールドワイドウェブ)発祥の地、ヒッグス粒子を発見した研究室との関連で最もよく知られるジュネーブが拠点のCERN(欧州原子核研究機構)との関連が一番よく知られているのではないだろうか。
話題が出揃ったところで改めて問おう。ミルガウスに一体何が起きているのか? この問いに答える前に、このモデルの歴史と、ヴィンテージミルガウスを収集しようと考える前に知っておくべきことをおさらいしよう。それから、ミルガウスの未来がどうなっていくのか占ってみたい。ひょっとしたら、ロレックスはそのヴィンテージミルガウスを次世代機の参考機として購入したのかもしれない。将来ロレックスミュージアムやマーケティングキャンペーンで目にすることもあるかも。あるいはそのキャンペーンとやらはすでに始まっているのかもしれないが。
科学的方法論: ヴィンテージミルガウスをコレクションするということ
Ref.6543 とRef.6541:初代ミルガウス
ロレックスは1954~1955年にかけ、1000ガウス(mil/ミル とは、フランス語のmille/千単位 に由来する)までの磁場に耐えられる科学者向けの時計としてミルガウスを発表した。やがて、ロレックス ジュネーブの拠点のご近所でもあるCERN(欧州原子核研究機構)の科学者たちがこの時計を身につけていることで知られるようになった。50年代には、オメガ レイルマスター、パテックのRef.3417、ジャガー・ルクルト ジオフィジック、IWC インヂュニアなど、耐磁性に優れた時計が次々と発表された。初代ミルガウスであるRef.6543、そしてその後継であるRef.6541は、ヴィンテージロレックスで最も希少かつミステリアスな時計といえるだろう。
「私にとって、ミルガウスのRef.6541とRef.6543は、ロレックスのツールウォッチの歴史において特に捉えどころのないモデルです」と、アムステルダム・ヴィンテージウォッチのジャスパー・ライフリング(Jasper Lijfering)氏はいう。ジャスパーは長いあいだ、初代ミルガウスを自分の聖杯(究極の)ウォッチと呼んできた。彼の店では現在、Ref.6541を自前の“博物館”に展示しており、自分用にもう1本所有しているそうだ。
ロレックスが初代にあたるRef.6543を製造したのは、50年代半ばのわずか数年間だけだった。ロレックスが生産したのは2、300本にも満たず、近年市場に出回ったのはほんのひと握りというのが大方の見方だ。ラグ幅が19mmから20mmという例外的なサイズのため、従来型のオイスターブレスレットには適合しなかった。内部には軟鉄製インナーケースが採用され、なかに収められた自動巻きムーブメントを磁気から守る手法が用いられたが、これは後継のヴィンテージミルガウスにも踏襲された。
2017年、クリスティーズにてRef.6543が27万1500スイスフラン(当時の相場で約3131万円)で落札された。この個体が示すように、Ref.6543はミルガウスのリファレンスとして確固たる地位を築いた。特にこのリファレンスの豪華なブラックハニカムダイヤルは、さらなる耐磁性のために金属線が編み込まれたもので、さらには初期のサブマリーナーに最も近い回転ベゼルも備えていた。クリスティーズでは2012年にもRef.6543が落札されているが、この個体は後継のRef.6541のベゼルと、さらに後期のRef.1019の針に交換されている。もしRef.6543のフルオリジナルコンディションが再び市場に現れたとしたら(現存数が少ないので、そうならない可能性もあるが)、いくらで落札されるのか想像もつかない。
Ref.6543の後継機として、ロレックスはRef.6541を発表したのをきっかけに、ミルガウスらしさが発揮されるようになった。ハニカムダイヤルはそのままに、ベゼルを6分割した独自デザインを採用したのである。ロレックスの広告によれば、このベゼルは“60分割され、シンプルなストップウォッチとして、あるいはさまざまな操作のタイミングを計るのに役立つ”そうだ。ともすれば、最高に機能的なものではなかったかもしれないが、クールであると同時に奇妙で、ミルガウスに独特の外観を与えることになった。ひと目でミルガウスとわかるもうひとつの特徴は、稲妻を象った秒針で、ロレックスがほかのモデルに採用したものとはまったく異なるものだ。
「私が覚えている限り、ミルガウスは常に異端児でした」と語るのは、20年以上にわたってヴィンテージロレックスを専門に扱ってきたディーラー、アンドリュー・シアー(Andrew Shear)氏だ。「私にとって、興味をそそるような変わり種なんですよ。特に素晴らしいコンディションの個体は、入手が非常に困難でした」。 彼は、良好なオリジナルコンディションのなかでも特に入手困難なオリジナルのRef.6541を挙げた。それは稲妻針、オリジナルの回転ベゼル、ハニカムダイヤルを備え、工場出荷時の状態を保つ厚いケースに収まっていることを条件として並べた。サイズは直径38mmで、エクスプローラー/デイトナとサブマリーナー/GMTマスターのちょうど中間という絶妙なサイズ感だった。
近年市場に出回っているRef.6541のケースシリアルは頭3桁がすべて412で始まっていることから、コレクター界隈は、生産数が極めて少なく、おそらく数百本のロットだったと考えている。Ref.6541の広告のほとんどは科学雑誌や定期刊行物に掲載され、ロレックスはその耐磁性とベゼルによる計時機能を業務用に適したものとして宣伝していた。
回転ベゼルを備えたRef.6541はよく見かけるが、ロレックスはスムースベゼルのモデルも製造しており、これはアメリカ市場向けに限定生産されたとの見方が強い。シアー氏は、アメリカで見かけるRef.6541のほとんどがこのスムースベゼルであると教えてくれた。どうやらミルガウス Ref.6541の売れ行きは芳しくなかったようで、ロレックスは1960年までに生産終了している。しかし、ロレックスは60年代半ばまで、NASCARやデイトナの勝者にミルガウスを贈り続けていた。ロレックスマガジンでは、1962年のデイトナ500の勝者グレン・ロバーツがミルガウスを着用している広告を最近発掘している。
歴史的にニッチな時計だった初代ミルガウスは、今日でもコレクターにとってニッチな存在であることに変わりはない。まず、見つけるのが難しいという問題がある。とりわけコンディションが良好で、オリジナルの状態を保つRef.6541を探すのは非常に難しい。またオークションハウスに出品されたとして、野次馬の興味を引くことはあっても、実際に購入する立場として興味を持つ人はほとんどいない。
「このモデルは万人のための時計ではありませんから」とシアー氏は言った。「わかる人にしかわからない類の時計なのです」。
オークションの落札結果
良質なRef.6541の供給が限られていることと、“サイエンティスト御用達の時計”そのものに色気が感じられないことから(私が白衣をいかにセクシーだと感じるかは別として)、ミルガウスの市場は過去数十年間、あまり変わり映えしなかった。2023年5月に250万ドルの落札結果が出る前、オークションハウスにおけるミルガウスの最高落札記録は、2013年の約35万ドル(当時の相場で約3340万円)だった。そのため、フィリップスがミルガウスに50万~100万スイスフランの落札予想価格を公表したとき、誰もが 「ミルガウスは本当に100万ドルの時計になるのだろうか?」と疑問を抱いたのだった。どんなにコンディションが良かったとしても、である。
結局、この個体は200万ドル超の時計として、ジュネーブ在住の幸運なバイヤーのもとへ里帰りすることになった。しかし、ディーラーのライフリング氏とシアー氏は、この落札結果がその他大勢にとってのミルガウス市場の現実を変えるものではないと、注意を促した。一度限りの大きなオークションハウスの落札結果は、市場動向と同じくらい、マーケティング的要素を孕んでいるからだ。
「注目度が高まり、新たな市場価値が生まれるまでには時間がかかります」とライフリング氏。「今回の落札結果は、時間の経過とともに影響が増すでしょうが、一瞬にして市場を変化させるほどのものではないでしょう」
シアー氏は、オークション終了から数日間で、ヴィンテージミルガウスを売りたい数多くの顧客から連絡を受けたと付け加えた。今後数ヵ月のあいだに、所有者が換金する絶好の機会として、より多くのミルガウスが市場に出回ることが予想される、と彼は言う。
「私は市場を劇的に変えるものではないとみています」とシアー氏は言う。「別格の時計は非常に高い需要があるという概念を裏付けているに過ぎないのです。そして、ロレックスがオークションハウスで別格な時計を買い漁っているというのは、朗報だということです」。ミルガウスが次にどうなるかについては、追って詳報したい。
ミルガウス Ref.1019
1960年、ロレックスはRef.6541を引退させ、ミルガウス Ref.1019を発表した。1980年代後半まで製造されたこのリファレンスは、最も人気があったわけではないが、ロレックスの最長寿モデルのひとつとなった。Ref.6541と同様、Ref.1019のスティールケースは38mmで、Cal.1580は軟鉄製インナーケース内に収められている。しかし、Ref.1019は、間違いなくRef.6541よりも退屈なモデルとなってしまった。回転ベゼル、ハニカムダイヤル、そして残念なことに稲妻型の針を失ってしまったからだ。最も一般的に見かけるのが、縦方向にサテンが施されたシルバーダイヤルか、マットなブラックダイヤルであるが、後述するように、長年にわたっていくつかのバリエーションが存在する。ロレックスは、シルバーダイヤルに夜光を施さず、代わりにブラックエナメルを施したモデルを製造した-これらはCERNのために作られたので、CERNダイヤルと呼ばれているのだが、トリチウム夜光塗料を取り除いたことで、放射性物質フリーだった。
Ref.1019の収集価値については、「初期のものほど良いとされます」とシアー氏は語る。「ブラックエナメルのマーカーと針を持つ初期のCERNダイヤルは、コンディションが良ければ魅力的ですね。また、オリジナルの初期ブラックダイヤルも同じです」。しかし、シアー氏は、希少性よりもコンディションを優先すべきであると再度強調した。
一般的に、Ref.1019のダイヤルには2つの世代が存在するとされている。1960年代後半まで製造された第1世代は、12時位置の“Rolex”表記が小さく、第2世代のダイヤルや交換ダイヤルは“Rolex”表記がかなり大きく表示されるというものだ。さらにRef.1019には、ほかにも微妙な変化が確認されている。初期のモデルには、5分の1秒刻みの秒表示があるが、これはのちのダイヤルでは失われたディテールだ。また、“Superlative Chronometer Officially Certified”表記が、後期のモデルでは縮小されていることに気づくだろう。ザ・クラウン(ロレックス)は30年にわたりRef.1019を生産してきたため、これらの変化はまさに同社の進化を象徴するものとなっている。ブランド名は初期のものではかなり小さく印字され、5分の1秒刻みもあり、理論的には(実用的ではないかもしれないが)ミルガウスは科学的な計測に役立つツールだった。1980年代になると、ダイヤルの“Rolex”表記のフォントがかなり大きくなっている。ミルガウスは真のラグジュアリーウォッチへと進化を遂げ、耐磁性という独自の特性はもはや二の次となった。また、1/5秒刻みの目盛りがなくなったのも、このモデルからだ。
Ref.1019の誕生から生産終了に至るまで、もうひとつ注目すべき変化は針である:ほとんどのモデルはポリッシュ仕上げで、中央部に隆起が見られるが、生産終了間際のモデル(およびそれ以降の交換針)は、フラットなサテン仕上げ仕様となった。
シアー氏が言うように、初期の個体ほど希少である(そして良好なコンディションのものを見つけるのは、さらに難しい)。ブラックダイヤルは入手困難で、シルバーよりもプレミアム性が高い。今日、状態の良いシルバーダイヤルのRef.1019は2万ドル半ばが相場だが、同様のブラックダイヤルは3万ドル半ばに達する可能性がある。とはいえ、コンディションはとても重要だ。2022年、Loupe ThisはNOS(未使用品)のブラックダイヤルのRef.1019を7万5000ドルで販売した。
おそらく最も希少なRef.1019は、光沢のあるブラックダイヤルを持つ3本の個体であり、フィリップスは2017年に1本を15万スイスフランで売却している。これはまさにミラーダイヤルで、赤い“Milgauss”表記が浮き彫りに印刷されているように見えることに注目してほしい。マットブラックのモデルでは、赤文字がダイヤルに埋没して見えるのが対照的だ。
オリジナルのRef.6543やRef.6541と同様、Ref.1019はあまり人気のない時計で、しばしば店頭に何年も置かれることがあった。例えば、このNOSのRef. 1019:シリアルナンバーは1979年製だが、販売レシートには11年後の1990年まで売れなかったことが示唆されている。
現代のミルガウス
ロレックスは1988年にミルガウスを生産終了し、2007年にRef.116400として再リリースするまで、このモデルは休眠状態にあった。スムースベゼルの直径40mmケースにサイズアップされた新型ミルガウスは、耐磁性インナーケースを引き続き採用したが、Cal.3131へのアップデートにより、耐磁性を高めたロレックスのパラクロムブルーヒゲゼンマイも採用された。最も注目すべきは、オリジナルのRef.6541へのオマージュとして採用された、鮮やかなオレンジ色の稲妻型秒針である。
リリースにあたり、Ref.116400には、ホワイト、ブラックの各ダイヤル、そしてブラックダイヤルにグリーンクリスタル(GVはフランス語のglace verteの頭文字、つまり緑色のガラス)を組み合わせた“アニバーサリー”モデルのRef.116400GVの3種類が用意された。このグリーンクリスタルはロレックス初のものだが、製造が非常に困難であるとして、あえて特許を取得することもなかったといわれている。
2014年、ロレックスはグリーンクリスタルにブルーダイヤルを追加し、鮮やかなサンバーストダイヤルをZ-Blueと名付けた。その直後、ロレックスはGVではないブラック、ホワイトダイヤルモデルを生産中止した。ロレックスがカレンダー表記に絵文字を入れるようになる前の地味な時代には、不可能と思われたカラフルな時計である。Ref.116400GVは、2022年に生産終了となるまで、ロレックスのカタログの主役となった。生産終了間際には、毎年ミルガウスのアップデートを求める愛好家たちの間で、このモデルはある種の内輪ネタとして扱われるようになった。
現代のベストミルガウスについては、様々な意見がある:ダニー(・ミルトン)はブラックダイヤルのGVを好む一方で、他の仲間はホワイトダイヤルやZ-BlueのGVを推す。私自身の絶妙なセンスだけでなく、非常に非科学的なInstagramの投票(55%がホワイトやブラックではなくZ-Blueに投票)、そしてHodinkeeショップの同僚たちが、Z-Blueモデルを常に他のモデルより高い価格で販売している事実からも、Z-Blueが正しい答えだと確信することができた。
ミルガウスの未来
その後、なんの予兆もなくミルガウスは消えてしまった。15年という歳月は、現代のロレックスがカタログに載るにはあまりに長い年月であり、Ref.116400は2000年代後半の“多ければ多い方がいい”という気風を残す、少し古さを感じさせるようになっていた。色も鮮やかで、大胆だ。ここ数年、カラフルなオイスターパーペチュアルをはじめ、ロレックスのそのようなデザインに消費者も慣れてきたが、ザ・クラウンが派手好きになったのは、ここ最近のことだ。
いつとはわからないが、2年後か20年後か(Ref.1019とRef.116400の間の断絶のように)、ミルガウスがいつか復活することは間違いない。ロレックスがあのミルガウスに記録的な落札価格を支払ったのは、将来再リリースする際のインスピレーションにするためなのだろうか。それとも、将来のマーケティングキャンペーンにあのRef.6541を使いたいだけで、その豊富なコレクションの中にはまだ良いものがなかっただけのだろうか。また、このような派手な結果そのものが、入札の目的の一部だった可能性もあると思う。つまり、製造中止直後のモデルに対する話題性と関心を喚起し、いつ復活するのかと人々を興奮させるためである。結局のところ、ブランド各社は長い間、オークションをマーケティングツールとして利用してきたのである。
ロレックスは長年にわたり、ヴィンテージウォッチに微妙なニュアンスを与えてきた。例えば、新しいデイトナでは、ベゼルとサブダイヤルが刷新され、過去のモデルのように見える(新作ル・マン・デイトナではさらに迫真さが増している)。新しい1908コレクションは、Watches & Wondersでロレックスが展示していた1934年のバブルバックからインスピレーションを得ている。ミルガウスがアップデートされるとすれば、Ref.6541を微妙に意識したものになる可能性が高い;ロレックスはチューダーのようにあからさまなファンサービスをするわけではないが、より微妙なやり方で実装することが多い。
一方、ミルガウスの中古市場は、シアー氏の言葉を借りれば“進路を保った”ままとなるだろう。一つの結果が市場を形成するわけではなく、買い手がその時計を製造したブランドであり、ミルガウスに支払われた金額の10倍近い金額だった場合は、なおさらだ。シアー氏が言うように、ヴィンテージ ミルガウスは多くの人にとって好奇の的だが、実際に買うとなると、興味はかなり薄れてしまうものだ。現代のミルガウス、特にGVはカルト的な人気を誇っているが、グリーンクリスタル、稲妻の針、科学にまつわるストーリーを持つ時計は、ダイバーズウォッチのサブマリーナーやドライバーズウォッチのデイトナと比べて、変わり者であることに変わりはないだろう。しかし、人とは違うものを求める人にとって、それこそがまた魅力なのである。
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