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ヴァシュロン・コンスタンタンによるEXPLORE(探求) 10年におよぶパートナーシップが生んだオーヴァーシーズ・カーディナルポイント

登山家で写真家でもあるコーリー・リチャーズはヴァシュロン・コンスタンタンにとって真のパートナーだ。彼を招いて、アジアのメディアに向けたイベントがマレーシア・ランカウイ島で行われた。

時計の世界において「パートナーシップ」や「アンバサダー」という言葉は、マーケティングの常套手段だ。華やかなセレブリティが最新作を腕にカメラの前でにこやかに語る。

 だが、ヴァシュロン・コンスタンタンとコーリー・リチャーズのあゆみは、それとは一線を画したものである。2016年の出会いから重ねてきた時間は10年。メゾンと時を共にしてきた自らの関係性を、コーリーは飾らない言葉でこう表現する。

「世間ではブランドとの関係をよく『ファミリー』と呼びたがるけれど、大半はただのビジネス、単なる取引に過ぎない。だが、僕とヴァシュロン・コンスタンタンは違う。もし明日この関係が終わったとしても、自分の人生で最も美しく、素晴らしいパートナーシップだったと断言できるよ」

コーリー・リチャーズ:1981年、アメリカ・コロラド州生まれ。登山家、冒険家、そして『ナショナル ジオグラフィック』誌などで活躍する世界的な写真家。 2011年に冬季の8000m峰登頂に米国人として初めて成功し、一躍世界のトップクライマーの仲間入りを果たす。 2016年には無酸素でのエベレスト登頂に成功。 2016年にヴァシュロン・コンスタンタンが掲げた「One of Not Many(少数精鋭の一員)」のキャンペーンに登場、パートナーシップを結ぶ 。近年はサステナブルなアパレルブランド『Seconds』を立ち上げるなど、実業家としても精力的に活動。

 コーリー・リチャーズの来歴は、波乱と挑戦に満ちている。 壮絶な少年期を経て登山家となり、2011年には冬季の8000m峰(ガッシャブルムII峰)登頂に米国人として初成功。その直後に雪崩に巻き込まれながらも奇跡的に生還し、自らの凍りついた顔面を撮影した1枚はナショナル ジオグラフィック誌の表紙を飾り、彼は一躍、世界的な写真家となった。

 そんな比類なき表現者を、ヴァシュロン・コンスタンタンは単なるコラボレーションパートナーとしてではなく、一人の「人間」として10年間にわたりサポートし続けてきたのだ。彼がエベレストで極限に挑むためのプロトタイプ開発から、写真家、さらには環境に配慮した実業家へと進化を遂げるそのステップのすべてにメゾンは寄り添い、共に時を刻んできた。

 彼らの歩みは、単なるプロモーションではなく、文字通りの「エクスプローラー(探求)」だった。そのひとつの到達点として誕生したのが、この春ジュネーブで発表された「オーヴァーシーズ・デュアルタイム・カーディナルポイント」である。この時計がいかにして生まれたのか、ランカウイ島でのイベントでは彼らの10年の軌跡を辿りながら、その本質に迫った。


標高2万5000フィートでテストされた「本物の道具」

 コーリー・リチャーズという男は、最高峰の複雑時計を恐れることなく傷つける。彼が長年愛用し、今やボロボロになったというラバーストラップをそろそろ交換しないとと言い、いたずらっぽく笑う。取材当日に着用していた、フルゴールドのオーヴァーシーズはこの5年間四六時中着けていたため、ブレスレットやケースに無造作な傷が入っていた。「高級時計をここまで日常的に使い倒す男は、地球上で僕くらいだろう」と彼は言うが、その言葉には道具への最大級の愛着が滲む。
コーリーは時計の「経年変化(パティーナ)」に強い美学を抱いている。

 かつて自身が2019年のエベレスト遠征で実際に着用し、同年12月にニューヨークで開催されたフィリップス オークションにて10万6250ドル(当時約1100万円)で落札されたオーヴァーシーズ・デュアルタイムのプロトタイプを引き合いに出し、傷だらけのケースや古色を帯びた佇まいにこそ、過酷な現場を生き抜いた本物のストーリーが宿るのだと熱弁する。その彼がエベレストのデスゾーンへ携行したヴァシュロンには、登山家としてのコーリーのリアルな血肉が通っていた。

オーヴァーシーズ・デュアルタイム・カーディナルポイント-西 651万2000円(税込)ケースチタン、41mm径、12mm厚。自動巻き、2万8800振動/時、約60時間パワーリザーブ。150m防水。 photographs by Yu Sekiguchi

 例えば、彼がクロノグラフではなくデュアルタイムという機構を強く求めたのには、明確な理由があった。「-50℃のデスゾーンで、分厚いグローブをはめて山頂を目指すとき、時計に必要なのは『ローカルタイム(現在時刻)』と『ホームタイム(故郷の時間)』、その2つを示すことだけだ」という極限の視認性への要求である。特徴的なオレンジの挿し色も彼自身の提案によるものだ。それは単なるデザインではなく、視認性を確保しつつ、ストラップを含めた時計全体のトータルな美学を繋ぐための必然のカラーだったという。

 さらにメゾンは、彼のアドバイスを受けて驚くべきカスタマイズを施している。マイナス数十℃という極寒の地で、内部のオイルが凍結してムーブメントが停止するのを防ぐため、特別に「極地用の特殊な潤滑油」を封入した。

 こうして極限の環境での「ホームタイム」が、実は彼の命を救うことになる。過酷な山中では、デュアルタイムが指すアメリカの時間は、彼を心配し、無事を祈ってくれている人々との精神的な繋がり(コネクティブ・ティッシュ)そのものだったという。

 「その故郷の時間を見るたびに、『僕は必ず生きて帰らなければならない』と強く意識させられた。それがエベレストにおける過信を戒め、判断ミスという最大のリスクを劇的に軽減させてくれたんだ」

オーヴァーシーズ・デュアルタイム・カーディナルポイント-北

オーヴァーシーズ・デュアルタイム・カーディナルポイント-東

オーヴァーシーズ・デュアルタイム・カーディナルポイント-西

オーヴァーシーズ・デュアルタイム・カーディナルポイント-南


時間が引き延ばされる「絶望の夜」

photograph by Yu Sekiguchi

 コーリーの語るエピソードの中で、最も僕の胸を打ったのは、標高2万5000フィート(約7600m)付近で迎えた、文字通り「時間が引き延ばされる夜」の記憶だ。テントを張る場所すら見つけられない凄まじい猛吹雪の中、彼らはアイスアックスで氷の斜面を削り、かろうじて座れるだけの小さな「棚(レッジ)」を作った。そこにしがみつき、一晩中座ったまま夜が明けるのを待つしかなかったという。

「気温は-50℃、凄まじい風が吹き荒れる中で、寒さに激しく震えながら耐えていた。あまりの過酷さに、もう体感としては2時間は経っただろうと思って時計に目をやるんだ。すると、驚いたことに、まだ2分しか経っていない。そんな絶望的な時間の歪みを、あの夜は何度も体験した」

 暗闇の中で、時間の進みが恐ろしく遅く感じられる絶望。その極限状態において、彼の腕元で正確に時を刻み、故郷と自分を繋ぎ止めていたのがオーヴァーシーズだった。彼はスマートフォンで当時の写真を見せながら、愛おしそうに振り返る。「翌朝、僕たちはここからルートを少し登り、そして引き返す決断をしたんだ」と。

コーリーが着用したプロトタイプを元に開発され、デュアルタイムとクロノグラフの2型がそれぞれ150本限定で2021年に発表したオーヴァーシーズ・エベレスト。彼が好むホワイトのストラップが装着されていた。 photograph by Yu Sekiguchi

 山頂を目前にしながら、悪天候を前に下山を選んだ遠征。しかしコーリーは、それを「失敗」とは呼ばない。彼はヴァシュロン・コンスタンタンの哲学である『できる限り最善を尽くす、そう試みることは少なくとも可能である(Do better if possible, and that is always possible)』という言葉を引く。

「あのとき山頂に届かなかったからこそ、僕たちのストーリーはそこで終わらず、さらに洗練され、進化し続けることができたんだ」

 そのあゆみの軌跡は、メゾンのこれまでのショーケースにも刻まれている。彼がエベレストの頂の手前で引き返し、共に生還したあの傷だらけのプロトタイプ。のちにフィリップスのポール・ブトロスらが手掛けたオークションで数々のコレクターを熱狂させ、市販化への道が切り拓かれ、世界的な争奪戦となったチタン製のリミテッドエディション。これらの進化の系譜のディテールすべてが地続きとなり、ひとつの頂点として結実したのが、新作「オーヴァーシーズ・デュアルタイム・カーディナルポイント( cardinal points = 東西南北)」なのだ。


5つめの極点と、一歩一秒のクラフツマンシップ

 無酸素のエベレスト登頂という、生と死が紙一重で隣り合うデスゾーン。その頂にたどり着いたとき、コーリーはあまりにも静かで、深い内省的な気づきを得たという。 彼は今回のプレゼンテーションのなかで、その瞬間の心境を、鮮烈な言葉でこう振り返っている。

「世界に存在する東西南北の4つのカーディナルポイント(極点)を巡り、地球上で最も高い場所にたどり着いたとき、ふと気づいたんだ。今、この瞬間、地球上で最も高い場所にあるのは『自分の脳(Brain)』なのだと。つまり、自分自身の内面こそが、5つめのカーディナルポイントだったのさ」

 4つの極点を巡る外側への冒険の果てに、己の内面という「5つめの極点」と対峙する。このコーリーの言葉は、登山という行為がたどる究極の精神性を示しているが、同時にこれは、ヴァシュロン・コンスタンタンが営む時計づくりという果てしない旅路ともシンクロする。登山とウォッチメイキング。壮大な大自然に身を投じる行為と、顕微鏡の先にあるミクロの微細な世界にこもる作業。一見すると対極にあるように思えるが、その本質において両者は驚くほど酷似している。それは、どちらも「1つ1つの動作、1つ1つの作業を、慎重に、そして狂おしいほど愚直に確認し、繰り返すこと」の連続だからだ。

ランカウイ島でのEXPLORE展には、メゾンが東西南北の地域とゆかりのあるヘリテージピースが展示されていた。

 エベレストの斜面を無酸素で登るとき、人間ができるのは、息を整え、右足を前に出し、それが安全に氷を捉えているかを確かめ、次に左足を出す。その単純な1歩の繰り返しだけであり、その確認を1歩でも怠れば、滑落という絶望が待つ。時計職人がムーブメントのパーツを100分の1ミリ単位で整えて磨き上げ、ピンセットで組み上げていく作業も同じである。顕微鏡を覗き込み、1つの歯車を据え、それが正しく噛み合っているかを慎重に確認し、次の微細なパーツへと手を伸ばす。その1つの作業の妥協が、ときに時計の息の根を止めてしまう。

 結局のところ、人間が過酷な自然の頂を極めるためにも、あるいは人類の英知の結晶である複雑時計を作り上げるためにも、アプローチは同じなのだ。我々ができることとは、目の前にある「1つずつ単純なこと」を、気が遠くなるほどの集中力で繰り返すこと以外にない。コーリーがヴァシュロン・コンスタンタンの時計を愛してやまないのは、彼自身が死線の中で繰り返してきた「1歩の確認」の重みを、時計職人が繰り返す「一刻の確認」の中に、まざまざと見出しているからだろう。1歩ずつの集積がエベレストの頂となり、1秒ずつの集積がオーヴァーシーズという小宇宙になる。これこそが彼らの共有する、至高のクラフツマンシップの正体なのである。

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ヴァシュロン・コンスタンタンが彼と「時」を共にする理由

 多くのブランドは、アンバサダーに対して描いた理想像であり続けることを望む。冒険家として見出したのなら、ずっと危険な山に登り続け、そのイメージをもたらすことを求めるものだ。しかし、ヴァシュロン・コンスタンタンは違った。コーリーが冒険の極限を味わい、そこから写真家へ、そして社会的なテキスタイルビジネスを興す実業家へと自らを進化させていく姿を、メゾンは一人の人間として常に肯定し、そのエクスプローラー(探求)をサポートし続けてきたのである。

 すべてが移り変わり、同じ状態には留まらないこの世界において、一瞬一瞬の「秒(Seconds)」がいかに尊いか。死の淵をのぞき込み、時間の真の価値を知るコーリー・リチャーズだからこそ、オーヴァーシーズという時計は、彼の腕元で単なる時計以上の意味を持つ。それは時間という、人間にとって抗うことのできない謎に対する、メゾンと彼の共通の美学の表明なのだ。彼らが共にあゆんできた10年の歴史の厚み、そしてクラフツマンシップへの妄執的なまでのこだわりを知るとき、僕の眼前に置かれたオーヴァーシーズ・デュアルタイム・カーディナルポイントは、文字通り彼らの魂の結晶として、静かに、しかし圧倒的な輝きを放ち始めていた。