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The Sports Section あるサッカー選手の新たな目標、それは時計職人になることだった

元ユベントスのDFであるステファン・リヒトシュタイナーは、引退後にモーリス・ド・モーリアックに弟子入りした。

本稿は2021年5月に執筆された本国版の翻訳です。

Photos by Sven Thomann

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すっかり見慣れてしまったうら悲しいビデオチャットの画面からすると、テクニカルな色彩のドレイフスファミリーがスクリーンに映し出されるというのは一瞬理解できないものだった。穏やかに微笑む3人の顔が浮かび上がり、陽気な挨拶を繰り返している。その中央にいるのはスイスの時計ブランド、モーリス・ド・モーリアックの創業者である眼鏡姿のダニエル・ドレイフス(Daniel Dreifuss)氏だ。オレンジの毛糸のカーディガンに緑のニットスカーフ、コムデギャルソンのTシャツという出で立ちだった。彼の両隣で肩を組まれているのは、マッシモ氏とレオナール氏という成人した息子たちだ。ダニエル氏はにこやかに微笑んでいる。みんな愉快そうだ。私に出会えたことを、心から喜んでいるように見える。

 歯を見せながら笑っているわけではないが、このチームに加わることで自身の個性を少なからず主張しているのが、現在の弟子であるステファン・リヒトシュタイナー(Stephan Lichtsteiner)氏だ。37歳のリヒトシュタイナー氏は20年にわたる輝かしいキャリアののち、2020年8月にプロサッカー選手を引退した。スイス代表として108回プレーし、ワールドカップに3度出場、イタリアの強豪ユベントスで7度のシリーズA優勝を含む16のタイトルを獲得した。リヒトシュタイナー氏は、いまやスイスのみならず世界的なスーパースターである。そしていま、彼はチューリッヒの高級時計メーカーで時計製造の見習いをしている。

 「僕の最初のキャリアはサッカー選手でした」とリヒトシュタイナー氏は言う。フランス、イギリス、そしてイタリアと渡り歩いた旅は2020年に幕を閉じた。「でも、サッカー選手としてのキャリアは短いものでした。それが終わってしまうことを受け入れる覚悟が必要でした。もちろん恋しいけれど、いまは人生の第2章を見つけなければなりません」

 彼に、マイクロメカニクスのような繊細な仕事をこなせるほどの気質があるのだろうか? リヒトシュタイナー氏は、ファンからフォレスト・ガンプと呼ばれるほどピッチを縦横無尽に駆け回るウイングバックで、タックルから1歩も退かない激しいキャラクターとして知られていた。元FIFAレフェリーのヨナス・エリクソン(Jonas Eriksson)氏は、リヒトシュタイナー氏を「私が会ったなかでもっとも不愉快な選手のひとりだ」と評した。

 リヒトシュタイナー氏は、「ピッチの上では平静でいられなかった」と認めている。「でも、ピッチ上のステファンとピッチ外のステファンはまったく違う人間なんです。ピッチの外では冷静な男ですよ。ピッチの上では、勝つために全力を尽くしていた。時計づくりも結局のところ、細部は同じなんです。勝つために。そして時計を機能させるためにね」

 もしそれらの要素が並立しうるおおらかなものであるとしても、その隔たりが甚大であることは間違いないだろう。「まあ、そうですね」と彼は乾いた笑みを浮かべる。「一方は足で、もう一方は手でプレーするものです」

two men at a bench

仕事中のリヒトシュタイナー氏。

リヒトシュタイナー氏の修行は2020年秋の休養中に会員制クラブで偶然出会ったことをきっかけに、2021年3月に始まった。彼はそのクラブの会員であり、ドレイフス夫妻は講演者として訪れていた。ダニエル氏はいつものように自由奔放な態度で彼に近づき、“将来の計画”について尋ねた。ダニエル氏は言った。「ステファンが退屈しているなら、研修生にならないかと持ちかけたんだ。そうやって、この関係が始まったんだ」

 リヒトシュタイナー氏は子供たちの夏休みを利用しながら、半年のなかで3カ月ほどをトレーニングに費やす予定だ。彼は時計の組み立て方を、サプライヤーとの仕事の進め方を、そして時計の販売方法を学ぶだろう。それが彼の仕事だ。

 「僕は家にいて自分の手で何かをするような男じゃないんです」と、彼はそっと肩をすくめながら言う。「でも驚いたことに、最初から時計にモノを入れるという作業はそれほど難しくありませんでした。サッカーと同じで、トレーニングの積み重ねです。やりながら学んでいくんです」

 見習い期間中、彼は時計も製作する。モーリス・ド・モーリアックのバウハウスにインスパイアされたL3 sees redは赤いドーム型サファイアクリスタルを備えた時計で、2020年のGPHGでチャレンジウォッチ賞の最終選考に残った。この1点ものはサイン入りで、(当時)まだ発表されていないチャリティのためにオークションにかけられる予定だ。「この時計は僕の人生の第2章のようなものです」と彼は言う。

 リヒトシュタイナー氏就任のニュースはスイス国内でも一面を飾った。長身でスポーツ万能、ハンサムで家族思いのリヒトシュタイナー氏は、母国スイスでは絶大な人気を誇っている。「レオナールはリヒトシュタイナーが大好きだったんだ」と、サッカー狂の息子についてダニエル氏は言う。「彼にとって、リヒトシュタイナーは憧れの存在だったのさ」

 それでも、(当時)25歳のレオナール氏は、この見習い研修制度に対する反響の大きさに驚いたという。「こんなに話題になるとは思ってもいませんでした」と彼は言う。「コロンビアから、中国から……世界中から彼のサインをもらうために手紙が届くんです。私たちにとって、彼は友人であり同僚です。でも、ほかの人たちは彼に会うととても緊張するようなんです。私たちが街を歩いているときに彼に近づいてくるんだけど、うまく言葉が発せられないくらいなんです」

two men in red track suits

ドレイフス一家の“ウォッチブラザーズ”。

元代表の主将と仕事をすることのメリットは、いまとなっては明らかかもしれないが、ドレイフス夫妻はそのような計画はなかったと主張する。応募はたくさんあったらしい。「たくさんの志願者がいましたが、ステファンを選んだのは、彼が一番やる気があったからです」とマッシモ(当時28歳)氏は言う。彼の弟は最近、父親が引退することもあり会社の日常業務を引き継いだ(ダニエル・ドレイフス氏はどうやら放任主義のようだ)。

 どこかウェス・アンダーソン(Wes Anderson)氏のような憎めなさある(この印象については、同社がInstagramに投稿している非常にぶっ飛んだ投稿の数々を見るとより強く感じられる)。そして実際のところ、エリートスポーツマンを見習い時計職人として迎え入れるだけの想像力を持ったスイス企業が、それほど多いとは思えない。

 ダニエル氏は1997年にモーリス・ド・モーリアックを設立した。銀行員としてニューヨークでキャリアを積んだあと、彼はスイスに戻ってチューリッヒで会社を立ち上げたのだ。その名前は、16世紀フランスの哲学者であるミシェル・ド・モンテーニュ(Michel de Montaigne)とノーベル賞作家のフランソワ・モーリアック(François Mauriac)の名前に由来している。

 同社は設立当初から異彩を放っていた。巧妙かつ非常に珍しいベゼルチェンジシステムで時計のパーソナライゼーションを提供し、時計の外観を日常的に変更できるようにしたことでその名を世に知らしめたのだ。ドレイフス夫妻は、どちらが何を発言したのか分からなくなるほど日常的に言葉を交わしてきたが、いまではそれを笑い話にしている。特許を取得したこのシステムは、当時複数種類のケースを一括購入する余裕がなかったことに対応するべく考案されたものだという。

 ブランドはまた、色、特にカラフルなストラップの製作にも挑戦した。彼らによると、イタリアのパートナーによって作られたストラップは(当時)約2000本用意されているという。そのうちの数百本が、いまこうして話している三者の後ろの壁にも掛けられているようだ。

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 その壁は、チューリッヒのテディシュトラーセにある彼らのアトリエにある。プライベートバンクやギャラリーで知られる、この地区を縫うように走る裕福な通りは、この街の名所であるバーンホーフ通りの気取らないブティックから徒歩数分のところにある。

 カメラを回しながら、私はリヒトシュタイナー氏が写真に撮られた作業場と、ダニエル氏の秘密基地的な存在であるテーブル・ユニバーシティを見つけた。ここは、彼が来店客と一緒にコーヒーを飲んだり、話をしたり、人となりを知る場所なのだと私は聞いた。その時が来れば、ここは時計を売る場所にもなる。平均して1日に2、3本売れ、4本に3本はテーブルの上で、残りはオンラインで売れるという。

 「いまはどの時計ブランドもカスタマイズをするのが普通です」とレオナール氏は言い、25年前の父親がいかに先駆的であったかを強調する。本当に欲しいものを言えば、それを作ってくれる。父はその先駆者的存在でした。当時は、カスタマイズという言葉すらなかったんです」

 どうやらこのブランドは再びパイオニアとなったようだ。しかし、このありそうでなかったメンバーの誰も、この先自分たちの仕事がどうなるのかわかっていないようだ。「なぜサッカー界に残らなかったのか、と聞かれます」とリヒトシュタイナー氏は言う。彼はまだ、モーリス・ド・モーリアックに投資するかどうかを決めていない。「サッカーバブルのなかで、一生を過ごしたくはないですね」

ロビン・スウィッシンバンク(Robin Swithinbank)は独立系ジャーナリスト、ライターであり、『ニューヨーク・タイムズ・インターナショナル』、『フィナンシャル・タイムズ』、『GQ』、『ロブ・レポート』に寄稿。ハロッズのコントリビューティング・ウォッチ・エディターでもある。