ADVERTISEMENT
※掲載されている相場はすべて当時のものです。
1920年から1960年までカルティエが生産した腕時計は1万5000本にも満たない。ちなみに1905年に創業したロレックスが100万本目の時計を製造したのは1960年頃で、同時期のパテックの生産本数は50万本程度と推定されている。
そのため、ヴィンテージのカルティエウォッチは希少である。本当に珍しいのだ。この話を持ち出したのは、今春のオークションシーズンでカルティエのヴィンテージウォッチがあまり出品されない、ちょっとしたオフシーズンだったという話が上がったからだ。そのなかでも特筆すべきロットは、1920年代製のプラチナ タンク サントレである。私はオークションプレビューの際、この実物のサントレを見てもピンと来なかったと書いた。ただ市場は私の考えをまったく気にしていない。この時計はクリスティーズで4万スイスフラン(日本円で約653万8000円)というエスティメートだったにもかかわらず、30万2400スイスフラン(日本円で約4585万円)で落札されたのだ。それ以来、世界有数のディーラーのうちのひとりが、この時計を“オークションシーズン最高のトロフィー”と称していた。
この重要な結果は、私の見解がみるからに間違っていたことを示唆していたということだ。それを認めることになんら問題はない。ところで私はこのタンク サントレについて、そして今日の時計収集における希少性と復元の意味について、もう少し掘り下げてみる価値があると考えた。
オークション前に説明したように、このサントレの文字盤は1999年にカルティエによって修復されたものである。オークションカタログのサムネイル画像を見て、最初は現代のカルティエだと思ったほど(の修復)だ。文字盤はバーティカルサテン仕上げを施したシルバーという非常にモダンなデザインで、20年代製のヴィンテージカルティエの文字盤にこのようなものはなかった。この時代の代表的な文字盤はオフホワイトであり、しばしば美しいパーチメント(薄茶色)カラーに経年変化していくようだ(100周年記念のタンク サントレはこれを再現している)。その上、このプラチナ製サントレのケースは、すべてサテン仕上げを施していた。ほとんどのヴィンテージサントレでは、細長いブランカード(担架のように見えるケースシェイプ)がポリッシュ仕上げされているのがわかるが、この仕上げは現代の限定版サントレでも再現されている。こうしてカルティエが修復のために預かったサントレは、1926年製でありながら1999年製の時計のように見えるように仕上がったのである。
しかし、1920年から1960年までのカルティエ タンクの生産本数は2000本にも満たない。そしてそのなかで最も望まれているのは、現代のコレクターの好みに合った大きくて薄く、細長い形状のタンク サントレだ。これらはドレスウォッチで水に強いとは言えなかったため、ほとんどの文字盤はひどく損傷しているか、時間の経過とともに失われているものばかり。その希少性に加えて、この特別な個体は元の所有者の家族からの出品であり、1926年(この年にカルティエが製造したタンクはわずか135本だった)に委託者の叔父から譲り受けたものであった。以前にも述べたように、最近のコレクターはどんな属性よりも“市場に出たばかり”かを重要視している。だからこそ、私やほかの人がモダンなデザインの復元をどう思ったかにかかわらず、35万ドルで落札されたのだ。
確かにヴィンテージのロレックスやオメガ、あるいはパテック フィリップを評価する際にはコンディションが最も重要なポイントかもしれないが、それらの時計は何十万という玉数があることを忘れてはならない。一方カルティエは、60年頃までは年に数百本しか腕時計を製造していなかった。つまりカルティエの時計はどれもが希少ということになる。コンディションはそれほど問題ではなく、復元がどれだけ忠実かどうかもそれほど重要ではない。要は希少性なのだ。
“忠実な復元”について意見を述べる
数週間前、HODINKEEはカルティエとディナーを開催した。その席には、俳優のフレッド・アステア(Fred Astaire)が友人のフェリックス・リーチ・ジュニア(Felix Leach Jr.)にプレゼントしたタンク サントレも姿を見せた。過去数十年のある段階で、カルティエはこの時計を入手し、最終的に修復を施した。これは80年代のオークションカタログに文字盤が損傷した状態で初めて掲載されていることからわかる。しかしリーチ・ジュニアのサントレの修復はオリジナルに忠実であり、ホワイトダイヤル、特徴的なインデックス、ポリッシュ仕上げのケースサイドなどすべて保たれていた。
ホワイトゴールドの、非常によく似たタンク サントレが2021年11月のフィリップスオークションに登場し、約29万ドル(日本円で約3182万8000円)で販売された。オークションに出品される前、この時計はカルティエが2年間にわたって復元を行い、オリジナルに忠実な形で再生を遂げた。その時計は、ある日本の著名なカルティエコレクターから譲り受けたもので、彼は当時私に連絡を取ってくれて、修復前の写真を見せてくれた。そこには100年ものあいだ、風雨や水の浸入、その他あらゆるもので摩耗された文字盤が写っていた。これらの2本のヴィンテージタンク サントレは、クリスティーズで販売されていたプラチナの個体よりも、時計本来の美観へと忠実な復元が施されているようだ。
ヴィンテージウォッチを愛する多くの人と同じように、私もコンディションとオリジナリティを大切にするように教えられてきた。ヴィンテージウォッチに魅力があるのはそのためであり、復元をすることでその美しさを奪ってしまう(と思う)のだ。しかし私たちが最近改めて思い知らされたように、修復は現代の時計収集のひとつの常識である。ここで話しているタンク サントレは100歳の誕生日を迎えようとしており、自然なままの状態やオリジナリティを完全に望むことはできない。特にカルティエのヴィンテージウォッチはすでに希少価値が高く、そのような期待を抱くことはディーラーやオークションハウスにとって逆のインセンティブを生む出す可能性がある。
ヴィンテージロレックスの場合、何十万本もの時計が生産されていたなかで(しかも実際には防水性にも優れていた)良好なコンディションを保った、日々出合える何十ものありふれた例から収集可能な個体を区別するものだ。ヴィンテージ カルティエの場合は、これに当てはまらない。
一方で、この例のように最近修復された時計がオークションで数十万ドルに達することを不思議に思う。なかには意図しない結果もあるかもしれない(これはどのようなコンディションのヴィンテージウォッチであっても購入し、 “忠実な修復”のためにメーカーに送り返すことを期待するインセンティブになるのではないだろうか?)。クライアントが新しい時計をカスタマイズする、カルティエのNSO(ニュー・スペシャル・オーダー)プログラムに似ていると感じるかもしれない。ここでいう“カスタマイズ”は、あくまでもオリジナルの時計をベースにしたものである。ロレックスやパテックなど、復元した時計を単に“手つかず”であるかのように見せかけられる、コンディション重視のコレクションで起こりうるものとは異なり、このようなメーカーの復元は容易にわかるというのがこれからコレクターになる人にとって朗報である。
一方で希少なものは希少のままで、20年代のタンク サントレほどレアなものはない。これらの時計があと100年存在し続けるには、そのほとんどに手を加える必要がある。私の意見は文字どおりオリジナルの時計の美しさを復元する、忠実なレストアの価値を認めるべきであり、代わりに現代の美的感覚や流行に合わせた自由な修復を避けるべきだということだけだ。これらの古い時計はヴィンテージを超えてアンティークになっていくにつれ、おそらくこれがオリジナルの魅力を維持する唯一の方法なのだろう。