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2月下旬の雨の日、私は5番街にあるカルティエの煌びやかなニューヨーク旗艦店に足を運んだ。店内は木々で覆われ、まるで古い図書館(本の代わりにジュエリーが置かれている)のようだ。ダイヤモンドをちりばめたケース、繊細なプロポーション、フローラルな香水のひと吹きに価値を置く、淑やかな貴族たちのための上品なブランド。私がいつも心に抱いているカルティエを物理的に体現しているように見えた。
しかしもちろん、最近このブランドはより広い層の人々に愛用されている。広すぎるほどに。そのため、店内にはナイトクラブ風の赤いロープが張り巡らされ、私たちは列に並ぶ必要があったほどだ。
私はカルティエの名声を築いたゴールドのジュエリーとは対極にある、ある品を探しに来た。1977年に発表され、昨年の春に復刻されたステンレススティール製のシンプルなクォーツ時計、タンク マストを探していたのだ。
マストは華美というわけではないが、印象的な時計だ。カルティエのほかのタンクシリーズが独自の華やかな魅力を備えているのとは異なり、マストの最大の特長は控えめであることだ。この時計には飾り気がない。文字盤は、1970年代後半から80年代初頭のパワースーツを思わせるリッチな色調。ディープバーガンディ、ネイビー、エメラルド、そして染め抜かれたアリゲーターストラップがそれにマッチしている。ゴールドのケースではなく、ステンレススティールが文字盤を包み込み、カルティエの多くのタイムピースに欠けているカジュアルさを与えている。ブルーのビジューをあしらった少し尖ったリューズは、時計のほかの部分から浮いているものの、対比として不思議な効果を発揮している。クラシックでありながら古臭さを感じさせず、モダンでありながら渋さを感じさせるデザイン。初めて見た瞬間、私はこの時計が欲しいと思った。
店内を歩き回り、金やダイヤモンドが並んだガラスケースを眺めていたが、マストは見つからなかった。店員さんにどこに行ったらあるかと尋ねると、彼は机の上の書類から目を離さずに「もう何ヵ月も前から売り切れです」とあっさり言った。「いつ入荷するのかもわからないです」。明らかに、以前にも聞かれたことのある様子だった。
マストのシリーズは2021年春の発売以来、比較的手頃な価格帯とヴィンテージ風のさりげない美しさで、大人気となっている。3月30日、カルティエはこの成功にあやかるべく、漆黒の新バージョンを発表した。新しいマストは、1970年代のオリジナルデザインに回帰したものだ。バーガンディ、ブルー、グリーンの鮮やかさな3本に並び、ブラックは控えめながらふさわしい相棒となるだろう。カルティエのイメージ/スタイル/ヘリテージ部門のディレクター、ピエール・ライネロ氏は、「私たちにとって、ブラックは当然の選択でした」と語る。「ホワイトメタルやイエローゴールドと組み合わせたブラックは素晴らしく、エレガンスの証です」
マストは、ルイ・カルティエが1917年にデザインした最初のタンク ウォッチの美学を踏襲している。オリジナルデザインは、頭上から見た戦車をイメージしたもので、ダイヤルのトレッドのようなフレームを形成するブランカードが直線的で無駄がない。当時、タンクは性別にとらわれない画期的な時計だった。男性用でも女性用でもなく、優れたデザインを愛するすべての人のための時計だったのだ。
それは、現代ではそれほど斬新なアイデアではなくなった。とはいえ、まだ十分に革命的だけれど。
A Week On The Wrist The Cartier Tank Must 'SolarBeat'
私が好きな時計のほとんどは性別に関係なく期待に応えてくれるもので、私がなぜマストに引かれるのか、その理由がよくわかるかもしれない。身につける人やそのスタイリングによって「フェミニン」にも「マスキュリン」にも揺れ動く。カルティエの説明によればマストはユニセックスな時計だが、腕につけるとリアルな自分よりもきちんとした女性であるような気分になる。
1977年に発表されたタンク マストは、一般大衆にエレガントな商品を、という意図でデザインされた。それまでのカルティエの歴史において、時計は富裕層のみが手にできる贅沢品と見なされていた。しかし第二次世界大戦後、フランスが経済的に豊かになった30年間を指す「Les Trente Glorieuses(栄光の30年)」と呼ばれる時代になると、その状況は一変する。突然、高級品が、より多くの人々にとって魅力的で手に入るものになったのだ。カルティエは中産階級を中心とした新たな顧客層を獲得し、その顧客層に対して製品を販売することができた。
「Les Trente Glorieuses(栄光の30年)」の終盤は、スイスのクォーツ危機の始まりと重なり、クォーツムーブメントの普及に伴い、高価で手間のかかる機械式時計の価値が問われるようになった。これは、カルティエが新しいことに挑戦するための絶好の条件となった。1970年代に入ると、カルティエの売り上げは伸び悩み、経営陣は会社を復活させるためには、より手頃な価格の新しい商品ラインが必要だと考えた。1973年、ペン、ライター、バッグなどの高級アクセサリーを揃えた「マスト ドゥ カルティエ」ラインが誕生。その後、1977年にタンク マストが加わり、現在に至っている。
今回のマスト復刻版はその方向性をさらに推し進め、文字盤から「Must de」の文字とロゴを排除し、ほとんど何もないキャンバスをシャープな2本の針だけで時を刻んでいる。秒針がないのは美観の点では有利だが、実用性の点では不利になる。しかし、インデックスや数字がない時計は、正確な時間を示すためのものではない。これを素っ気ないとかミニマリストと呼ぶ人もいるかもしれない。しかし私自身は、エメラルドグリーンの時計が控えめであるとは思わない。
ロゴと針以外を排除した選択は、マストの最大の特徴であるカラーを際立たせるための工夫だと言えるだろう。ロレックスの鮮やかなオイスター パーペチュアルやオメガのパステルカラーと夜光が施されたアクアテラなど、いずれも陽気で現代的なカラーリングとは異なり、カルティエのカラーラインはクラシックな印象で、ラッカー仕上げの文字盤は、まるでバケツに入った濃い絵の具に浸したかのようだ。シンプルでありながら、質感が感じられる。日中も夜間も使えるカラーバリエーションで、使い勝手のいい時計だと思う。レイネロ氏によれば、マストのアップデートにあたり、カルティエはカラーリングをわずかに変更し、バーガンディをより明るく、ブルーをより鮮やかにし、1970年代には存在しなかった新しいグリーンのバージョン(彼のお気に入り)を追加したとのことだ。ブラックはいつの時代もブラックであるため、新しいブラックダイヤルはほぼオリジナルに忠実だ。
このマストによって、カルティエはクールガールのタイムピース界に確固たる地位を築いたのだ。それはトレンディという意味? そうかもしれない。しかし、トレンドとは、好感度の高いものに対するそのときどきのコンセンサスと言えるのではないだろうか。
私と同じようにマストを愛する人がほかにどれだけいるかと思うと、少し気恥ずかしくなる。カルティエは確かに、その時々の美的感覚を捉え、私もこのトレンドに無関係ではいられないことを知った。しかしマストの美学は、典型的なファッションウォッチよりも少し恒常的で、もう少しクラシックであると私は言いたい。レイネロ氏が言うように、「トレンドとは終わりある瞬間を暗示するもの」なのだ。マストは、40年以上経った今でも十分に持ちこたえていると言っていいだろう。
リズ・スティンソン氏は、AIGAが発行する「Eye on Design」のエグゼクティブ・エディター。デザインに関する彼女の記事は、「Wired」「Curbed」「Gizmodo」「Architectural Digest」「The Wall Street Journal Magazine」にも掲載されている。HODINKEEの全アーカイブを読むには、こちらを。