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時計職人が増えれば増えるほど、時計業界にとっては喜ばしいことだ。新品の時計、ヴィンテージ時計、中古時計に対する需要は世界中で高まっているが、これらの時計をメンテナンスことができる時計職人の数が不足しているのが現状だからだ。
そこで、ニューヨーク時計協会(HSNY)の出番となる。今年、先月行われたHSNYの年次チャリティ・ガラでは、アメリカ初の時計製造業界団体が、アメリカ中の若い時計職人たちに過去最高の10万ドル!(約1300万円)の奨学金を授与したのだ。その中から3人の若手時計職人にインタビューを行い、彼らの経歴や今後の抱負を聞いた。
アンドレ・ブッカー(Andre Booker)の場合
経歴など
アンドレ・ブッカー氏は、米海軍の水兵であり、パラリーガルであり、中小企業のオーナーであり、メンターであり、少年サッカーのコーチという複数の顔を持つ。そしてこの秋、ノース・シアトル・カレッジ(ワシントン州)の時計技術研究所、時計技術コースに入学する予定だ。
ブッカー氏にとって、時計の世界に足を踏み入れるのはこれが初めてではない。クォーツ式時計に魅せられたブッカー氏は、自ら時計の設計・開発を行い、Sakab Watchesを立ち上げた。この社名は、ブッカー氏と彼の妻、そして3人の子供たちのイニシャルを組み合わせたものだ。
「最初のコレクションをデザインするクリエイティブなプロセスに携わるうちに、スケッチを描いてムーブメントを選ぶだけでなく、もっと時計のことを知りたいと思うようになったのです。」と、ブッカー氏は語ってくれた。「しかし、アメリカ海軍に所属していたため、それを実現することはできませんでした。軍でのキャリアが終わったことで、私は時計製造の学習と勉強に情熱を注ぎ、この新しい挑戦を受け入れることができるのです」。
今後の抱負
ブッカー氏はベンジャミン・バネカー奨学金に応募し、5000ドルの奨学金を得て、コネチカット州からワシントン州に家族と共に転居し、時計製造の夢を追いかけることになった。
ノース・シアトル・カレッジで2年間の時計技術プログラムを修了した後、彼はSakab Watchesをさらに発展させ、米国内の時計製造に特化した大きなコングロマリットと協力して、その勢力と流通を拡大させたいと考えている。
「フォッシル(Fossil)、モバード(Movado)、タイメックス(Timex)など、米国にあるグループのひとつに、私のブランドを傘下に収めることを打診する機会があればと思います」と、彼は言う。「私が関与するか、いずれかのグループに拾われ、ひとつのブランドとして、その成長を助けることが私の夢ですね」。
ヴァーニン・ブラジック(Vernine Blaszczyk)の場合
経歴など
ヴァーニン・ブラジック氏は、14歳のときに受けた職業診断テストで、機械工の判定を受けた。それから数十年後、彼女はフォートワースの北米スイス時計協会でWOSTEP資格を取得し、その評価の正しさを証明している。
彼女の夫と義理の父は共に時計職人で、1968年からフロリダ州ゲインズビルで“ハウス・オブ・タイム”を経営している。
「これは私にとって新しい道であり、かつて通った道でもあるのよ」彼女は、そう語る。「主人はずっと家業に携わってきたわ。私は、事務からカスタマーサービスまで、あらゆることを手伝いながら、関わってきまの。子供たちが生まれたとき、そのうちの1人は特別な配慮が必要だったので、私は専業主婦になって、彼の自宅教育をすることにしたのよ」。
ブラジック家の息子は15歳になり、元気に育っている。そこで彼女は、自分のために何かしようと考えた。それが、たまたま時計製造だった。
「子供たちと離れるのは辛いわ」彼女は子供たちについて触れたあと、こうも語った「でも自分のために何かをするのはいい気分よ」。
今後の抱負
ブラジック氏は、現在WOSTEPの1,800時間コースを履修して2ヵ月となるが、修了予定の2023年2月に“ハウス・オブ・タイム”に戻り、家業を手伝う予定だ。
彼女はゲインズビルの店舗を「小さなパパママショップ」と表現するが、研磨室、クリーンルーム、時計修理専用のエリアなど、約280㎡以上のスペースを持つ本格的な事業所である。
ブラジック氏は、女性時計師養成のためのグレース・フライヤー奨学金の一環として受け取った5000ドルを、コースに参加するための生活費として使う予定だが、彼女はこれを楽しんでいるようだ。
「朝早くから夜遅くまで、週末もここにいるのよ」彼女は笑いながら語る。「そうする必要はないのだけど、そうしているの。時計作りは、間違いなくやりがいのある仕事だわ」。
ベンジャミン・ヘリング(Benjamin Herring)の場合
経歴など
ベンジャミン・ヘリング氏は、故郷ミシシッピの高校を卒業後すぐに、2003年に米国海兵隊に入隊した。世界各地を転戦し、パープル・ハート勲章などの栄誉に浴したのち、民間に戻り、警備や建設作業で生計を立てようとした。しかし、2019年に脳動脈瘤と診断されたことは、彼にとって青天の霹靂であった。
「COVIDが起こったとき、病院は緊急でない手術をすべて取りやめました」とへリング氏は言う。「血圧の上昇は私を傷つける可能性があるので、基本的にもう重いものは持ち上げられないと言われました。そうやって大人になってからずっとお金を稼いできたのに関わらずです」。
何か夢中になれるもの、手を動かせるものを探していたヘリング氏は、職業選択のひとつとして時計製造に出会い、デラウェア州オデッサにある退役軍人時計職人育成事業に応募した。彼はすぐに応募したのだが、1年以上待たされた末に合格した。
「時計製造という仕事があることすら知りませんでした。」と彼は言う。「でも、今は大好きです。15年前に出会っていればよかったのにと後悔していますよ。これまでやってきたことを否定するつもりはありませんが、今は時計製造以外、興味がありません」。
今後の抱負
よいニュースも待っている。過去3年間、いつ破裂するかも知れない脳動脈瘤という爆弾と向き合ってきた彼は、今後数ヵ月のうちにペンシルベニア大学で手術を受け、克服する予定なのだ。
彼はこの奨学金で生活費をまかない、学業と新しいキャリアに専念するつもりだ‐彼はヘンリー・B・フリード奨学金による経済的援助に感謝している。
「この奨学金の目的は、当面の間、経済的なストレスから解放され、時計製造に専念できるようにすることです。」とヘリングは言う。「できるだけ多くの時計、時計ブランド、ムーブメントに触れる機会を得たいのです。さらに勉強を続けたい。今の私の唯一の目標は、時計に携わり、時計について学び続けることです」。
Lead image by Vernine Blaszczyk
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