2012年、ニューヨークで開催されたロイヤル オーク40周年記念式典の際、4年目だったHODINKEEは「ジェラルド・ジェンタ所有のオーデマ ピゲ ロイヤル オーク」の記事を掲載した。ジェンタはもちろん、ロイヤル オークのオリジナルデザインの始祖だ。それから10年。ジュネーブで開催中のロイヤル オークを中心としたオークションで、彼の時計が初めて販売されることになった。
ジェンタのパーソナルなロイヤル オークは、サザビーズが明日ジュネーブのマンダリンオリエンタルで開催する“Important Watches”オークションのLot 72で出品される。幅広いカタログに文字通り色を添える作品だ。
この時計はロイヤル オーク “ジャンボ”の元となった5402の一部で、Cシリーズのケースを備えており、1970年代後半に製造されたものだ。しかし、この時計はただの古い5402STではなく、その前の所有者について話したいわけでもない。Lot 72がことさらに珍しいのは、そのツーメタルフォーマットなのだ。2012年のHODINKEEの記事にあるように、この時計はベゼルを除き、ケースとブレスレットがすべてステンレススティールでできている。通常、ツートンのロイヤル オークは、ブレスレットのセンターリンクにもゴールドを使用するが、これはベゼルのみが貴金属で作られているのだ。ジェラルドの長年のパートナーであり、未亡人でもあるイヴリン・ジェンタ氏によれば、オーデマ ピゲから直接入手したあと、ジェラルド自身がこの時計に取り付けたものだという。
「ジェラルドは1978年5月15日までロイヤル オークを所有したことがありませんでした。もちろん、彼が作った時計でしたが」と彼女は語った。「彼はその時計を買って、特別なものにしたい、もっと何か加えたいと私に言いました。当時、彼はすでに自分の工房を持っていました。あのイエローゴールドのベゼルは彼が作ったもので、オリジナルのベゼルではないんです。オーデマ ピゲとジェラルド・ジェンタの究極の組み合わせですね。彼はこの時計をよくつけていましたし、唯一無二の時計です。ユニークとしか言いようがないですね」
数週間前、ジェンタのパーソナルなロイヤル オークがサザビーズのニューヨークオフィスに持ち込まれた際、私はその時計を手に取ることができた。この記事のために撮影した画像や2012年に掲載した記事でご覧いただいたように、ベゼルやブレスレットに目に見える傷があり、明らかに着用されていた時計であることがわかる。しかし、ダイヤルそのものは非常にきれいだ。確認はしていないが、6時位置のサインが、オリジナル5402によく見られるシンプルな“Swiss”ではなく“Swiss Made”になっていることから、何年か前にダイヤルを交換した可能性がある(交換時期については不明)。
ロイヤル オークは、“ジャンボ”であるもの、そうでないものなど、さまざまなカテゴリーに分類することができる。そして2針の“ジャンボ”50年の歴史を見るなら、オリジナルの5402と最近ディスコンになった15202とに分けることができる。さらに5402のなかでも、“A” “B” “C” “D”で始まるシリアルナンバーによってさらに細分化される。しかし、それらのなかで作者自身が所有していた時計はこの1本だけだ。
2011年、ジェンタは残念ながら80歳でこの世を去ったが、彼の時計は妻のイヴリンが所有していた。そして3年前、ジェラルド・ジェンタの作品を保存し、彼が時計、デザイン、ジュエリーの世界に及ぼした影響を知らしめるため、ジェラルド・ジェンタ ヘリテージ アソシエーションを設立したのだ。今回ジェラルド・ジェンタの腕時計を販売することにより得られた資金は、協会の将来性を確保し、世界中の若いアーティストの活動を支援するためにその一部が使用される予定だ。
「私たちは、彼が成し遂げたことを時計業界や世のなかに広く伝えるために協会を設立しました」とジェンタ夫人は語る。「彼がいかに多才な人物であったかを知ってもらいたいのです。紳士用時計、婦人用時計、時計、フォーク、ナイフ、眼鏡……いろいろなものを作ることができた。このことを世界に発信する必要があると思ったんです」
明日、サザビーズの“Important Watches”の中盤、ジェンタの時計が壇上でどのようなパフォーマンスを見せるか、予想するのは難しい。数日前フィリップスで、歴史的なロイヤル オーク A2と、カール・ラガーフェルドが所有したと思われるブラックPVDのロイヤル オークが、ともに100万スイスフランの大台に乗るのを目撃した。しかしジェンタのロイヤル オークは、前者の歴史的意義と後者の文化的実績が融合した、ほかにはないユニークなロイヤル オークで、まったく別物なのだ。