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時計愛好家のあいだでは、常に防水表示への評価が話題になっているようだが、それは驚くことではない。時計製造の世界では、時計がどのような性能を持っているのかを客観的に示す指標として、防水表示が用いられているからだ。もちろん問題は、防水表示が時計製造の歴史のなかで最も具体的な意味を持たなくなってきていることである。
まず、一般的な職業人はダイバーズウォッチを必需品ではなく、せいぜい楽しいアクセサリー程度にしか考えていないようだ。これは普遍的な意見ではなく、定期的にダイビングをする人のなかには、ダイビングコンピューターの故障を何度も経験し、機械式ダイビングウォッチが有用で、場合によっては命を救うバックアップになる人もいる。第2に、ダイバーズウォッチには極端な防水性能は必要ないということだ。多くのダイバーズウォッチ愛好家が100mの防水表示を嫌うのは事実だが、レクリエーション用のスキューバダイビングでは、通常40mを超えることはないため、100mで十分なのだ。
現代のレクリエーションダイビングがもたらすほとんどすべてに対応できる腕時計の誕生は、意外にも早かった。ロレックスは1926年に最初のオイスターケースを製造し、メルセデス・グライツは1927年に海峡横断を試みた際にこの時計を着用した。しかし、オイスターケースのインスピレーションは、ダイバーズウォッチの開発そのものではなかった。しかし、10時間という長時間の耐水性能の維持は、非常に印象的である。
1932年、オメガの“マリーン”はレマン湖で水深73mまでテストされ、その後、実験室の圧力室で水深135mまでテストされた。マリーンは、チャールズ・ウィリアム・ビーブ(Charles William Beebe)のような初期のダイビングのパイオニアに使用され、初めて実用化に成功した自給式水中呼吸システムのひとつを発明したダイビングのパイオニア、イブ・ル・プリウール(Yves Le Prieur)も着用していた。
時計製造における初の試みには、常に潜在的な注意事項があるものだ。そのひとつが、デポリエ社の“防水”時計だ。アメリカの時計職人チャールズ・デポリエ(Charles Depollier)は、ごく初期の防水時計ケースを開発し、1918年にアメリカ陸軍の試験を受けて防水性を証明した(当時は、連邦取引委員会に睨まれることなく時計を“防水”と呼ぶことができた時代だった)。しかし、その試験方法がどのようなものであったか、私は見つけることができなかった。ヴィンテージ広告には“水中でテストした”と書かれているが、実際のテスト方法をご存じの読者がいれば、ぜひ教えてほしい。
第2次世界大戦中、第1世代の軍用スキューバダイバーや、イギリスの“チャリオット”、イタリアの“マイアーレ”(工作兵がつけたあだ名で、イタリア語で“豚”の意味)のような“人間魚雷”のミニサブの工作兵はダイバーズウォッチを使っていたが、意外にも、そのような工作兵や時計の歴史の多くは、実際の防水表示について詳しく触れていないのが実情だ。イタリアのマイアーレは水深40mまで潜ることができたと言われており、彼らが使用したパネライのラジオミールは、少なくともそれ以上の水圧に耐えられる必要があっただろう。
1950年代初頭、ブランパン(フィフティ ファゾムス)とロレックス(サブマリーナー)が、現在我々がモダンなダイバーズウォッチと呼ぶにふさわしい第1世代を発表した。50ファゾムスは91.44m、初代サブマリーナーは100m防水であり、機能的にはほぼ同等であった。1955年にロレックスはRef.6538 サブマリーナーを発表し、防水表示の規格は即座に増加し始めた。Ref.6538 サブマリーナーでは200mであった。その水深では、水圧は地表の大気圧の20倍に相当する20バール(1平方インチあたり約290ポンド、海面では14ポンド)となる。
ある意味では、1960年にロレックス ディープシー・スペシャルがバチスカーフ・トリエステ号に乗ってマリアナ海溝の底に到達し、バチスカーフと時計が1万916mの水深に達したときに、この記録はほぼ永久に更新されることになった。ロレックス ディープシー・チャレンジは、2012年にジェームズ・キャメロン監督の実験用潜水艇に乗って水深1万898mに到達した。ディープシー・スペシャルとディープシー・チャレンジは、2012年モデルが直径51mm、厚さ28.5mm、1960年モデルが直径42.7mm、厚さ36mmと、ともに巨大サイズ(あるいは“リヴァイアサン(化け物)”というべきか)であり、決して腕にフィットするとはいえない。ディープシー・チャレンジの耐圧水深は1万2000m。つまり、このモデルを実際に潜らせることができる場所は、文字どおり地球上のどこにもない。
2019年、新たな記録が打ち立てられた。同じく探検家であるヴィクター・ヴェスコヴォ(Victor Vescovo)が、潜水艇、リミッティング・ファクターで水深1万928mに到達したのである。その際、オメガの実験的な3本の時計が同行した。“ウルトラディープ”と名づけられた時計だ。そのうちの1本は、スカフ(Scaph)というROV(遠隔操作型の無人潜水機)に装着されていたが、海底の泥濘で動けなくなり、2日間回収できなかった。しかし、回収できた折にはウルトラディープは完璧に動作していた。ソナー調査によって海溝のさらに深い場所が発見されない限り(あるいは穴を掘るのは不正行為となる)、この記録がすぐに破られることはなさそうだ(ウルトラディープは実験室の圧力チャンバー内で1万5000mまでテストされた)。
1960年代、レクリエーション用のダイビングが普及し、ダイバーズウォッチの製造は、ごく少数のブランドによる高度に専門的な技術時計製造から、数十のブランドによって行われるようになった。1962年、初の500mダイバーズウォッチ、アクアスター ベントス 500Mが発表された。1000m防水のダイバーズウォッチを初めて製造したのは、ダイバーズウォッチの愛好家以外にはほとんど知られていないブランドである。1964年、ジェニーの“カリビアン”が1000m防水ダイバーズウォッチとして登場したのだ。
その後、同じ会社から1500m防水の時計が発売された。ロレックスのシードゥエラーは、1978年に4000フィート(約1220m)の深度規格を取得した(現在のディープシー・シードゥエラーは3900m)。1982年、IWCは初の2000m防水ダイバーズウォッチ、オーシャン2000の製造を開始した。このモデルは、スリムでエレガントなチタンケースと一体型のチタンブレスレットを備え、防水時計は必ずかさばるという暗黙知を無条件に否定するものとなった。
1998年、ベル&ロスはギネスブックに掲載されるほどの新記録を打ち立てた。ハイドロマックス 11,100mは、クォーツウォッチでありながら、水圧に耐えるためにケース内にシリコンオイルを充填していた(ハイドロマックスは、実際にはジン社が設計・製造し、ベル&ロスブランドで発売されていた)。私の知る限り、マリアナ海溝の底まで到達できる市販腕時計で、クマのような実験時計でなかったのはこのハイドロマックスが初めてで、直径は40mmであった。
現在の量産型ダイバーズウォッチは、100mから数千mの水深に対応したものがある。手頃な価格のダイバーズウォッチとなると、セイコーは依然として手強いライバルである。セイコーのダイバーズウォッチの多くは水深200mが限界だが、プロスペックス 1000m プロフェッショナルも投入している。ロレックスで最も深いダイバーズウォッチは3900mのディープシーで、オメガのウルトラディープは6000mである。CX スイスミリタリーは、同じく6000m防水の自動巻きクロノグラフダイバーズを製造しており、2008年にギネスブックに登録されている。
極端な防水深度というのは、現時点では実用性よりも自己満足に近いと言えるかもしれない。そして、それは正しいだろう。そしてまた、一般的なダイバーズウォッチも同様で、特にダイビングをしない人が所有する場合はそうである。しかし、非合理的と思われるかもしれないが、驚異的な値の防水性能表示が銘打たれた時計には安心感を与えるものなのだ。1000m防水のダイバーズウォッチで、実際に防水テストをするような状況は考えられない。しかし、どんな軍用潜水艦よりも深く潜れる時計を身につけていることは、とても気分がいいものなのだ。
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