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ダイバーズウォッチは、海洋研究の発展に欠かせないツールだった。多くの科学者、ダイバー、海洋学者、技術者、海軍士官、魚類学者などが、海洋世界を理解するための作業の過程で、時計を頼りにしていたのだ。本記事では、多くの専門家が時計をどのように使用し、彼らの仕事においてどのような役割を果たしたかについて、直接話を聞いてみた。アーカイブやデータベースを調べ、場合によっては従事したプロフェッショナル達に直接話を聞くことで、海洋世界を理解するための仕事における腕時計の役割にスポットを当てた。
パルサー Y513-6019 - スクリプス海洋研究所
スクリプス海洋研究所が果たした貢献を認めずに世界海洋デー(6月8日)を祝うのは、大きな過ちと言えるだろう。カリフォルニア大学サンディエゴ校は、1世紀以上にわたって海洋科学に携わってきた。深海調査船から気候変動まで、スクリプスの影響は広範囲に及んでいる。この写真は、そのうちの深海調査船に関連するものだ。1982年、D/V Glomar Challengerに乗船した科学者が、顕微鏡で海洋堆積物コアサンプルを調べている。彼の手首にあるのはパルサーのY513-6019だ。セイコーやシチズンが時計愛好家の注目を集めるなか、パルサーは目立たないが、このモデルは今でも安く手に入れることができる。
ドクサ SUB300T シャークハンター - クストー・ソナー・サーベイ
1970年代半ば、ジャック=イヴ・クストー(Jacques Cousteau)が率いるチームは、有名なR/V Calypso(カリプソ)号でエーゲ海の深海に失われた芸術品を求めてギリシャを訪れた。この写真は、マサチューセッツ工科大学(MIT)のアーカイブで偶然見つけたものだ。ダイバーズウォッチの写真が見つかるとは思っていなかったが、うれしい驚きだった。MITの教授が、この探検でサイドスキャンソナーの機材を提供し、クストーのクルーに協力していたことがわかり、その教授が撮影した写真の1枚だ。カリプソ号の乗組員はドクサの時計を好んで使っていたことで知られているが、この写真がその証拠だ。このダイバーはドクサのSUB300T “シャークハンター”を着用し、ダイヤルには “US Divers”のロゴが刻まれている。写真ではケースが黒く見えるが、これは伝説的な“Army”モデルを除けば、ドクサのラインアップには存在しない色であるため、彼は何らかのハウジングかカバーに入れていたのだろう。
ロレックス サブマリーナー/未確認デジタルウォッチの重ね着け - 米国海洋大気庁アクエリアス研究所
1本の腕に2本の時計を装着するのは、完全な“力技”である。そしてまた、海底調査の仕事もそれが求められる。しかし、この技術者はロレックスのダイバーズウォッチともうひとつの未確認時計を重ね着けしている。アクエリアス海底研究所は、米国海洋大気庁(NOAA)が資金を提供する国家海底研究プログラム(NURP)の一機関である。アクエリアスは海底研究所のなかでも異例な存在で、科学者が生活できるよう常駐しているからだ。
サンドス “ベビー・パネライ” - イスラエル、エイラートのダイビングクラブ「アクバ・スポーツ」 1969年
ハーバード大学のデジタルアーカイブから、1969年にイスラエルのエイラートでふたりのダイバーを撮影した画像を紹介する。1962年に設立されたダイビングクラブ「アクアスポーツ」は、紅海の美しさを余すところなく体験することができるクラブだ。手首につけている時計を割り出すのは厄介だった。時計に詳しい人たちの叡智によると、“ベビー・パネライ”と呼ばれるサンドスのデプス・マスターのようだ。この頑丈なステンレススティールケースは、’60年代から’70年代にかけて多くのメーカーで採用された。1000m潜水可能なこの時計は、プロのダイビングインストラクターにふさわしいツールウォッチと言えるだろう。
セイコー 7548 – グレッグ・ボサート博士
こちらは故グレッグ・ボザート(Greg Bossart)博士。著名人というわけではないが、鯨類研究の分野で多大な貢献を遺した研究者だ。獣医師であり病理学者として、海洋生物に影響を与える病気の研究にそのキャリアを捧げた。ジョージア水族館で幅広く活躍した彼の海洋医学への影響は、世界海洋デーに祝うに値するものだ。彼の腕には、ペプシベゼルのセイコー 7548-700Bがつけられているようだ。クォーツ式の世界中どこでも入手できるモデルは、中古市場でもまだ入手しやすいが、今後人気が出ると個人的に予想しているモデルだ。写真をよく見ると、バンドウイルカが明らかに微笑んでいるのがわかる。もしかしたら、彼がセイコーの楽しさを知ったとしたら、まさにこの瞬間だったのかもしれない。
アクアスター 63 - 米国海軍海底博物館
イルカといえば、これはアメリカ海軍の海洋哺乳類プログラムでのワンショットだ。1960年代初頭に開発されたこのプログラムは、知的でよく訓練された海洋生物が、引き揚げや救助などの軍事活動をいかに支援できるかを探るために策定されたものだ。訓練されたイルカのなかで最も有名なのは、1965年のSEALAB Ⅱプログラムで活躍した無名の潜水技術‘者’、タフィーだ。タフィーは潜水技術者たちに食料と郵便物を届けるだけでなく、ダイバーの位置確認や回収などさまざまな作業をこなせるよう訓練された。
訓練士の横にあるクリップボードをよく見ると、書類の上にアクアスター 63が置いてある。スキンダイバーのケース形状に独特の針とインナー回転ベゼルで、ひと目でそれとわかる。おそらく、この徴用されたクジラ目(イルカ)の訓練の成果を測るために使用されていたのかもしれない。
ロレックス GMTマスター Ref.1675 - リチャード・ブラックバーン
リチャード・ブラックバーン(Richard Blackburn)氏の提供によるこの画像は、“ツールウォッチ”のロマンチックなコンセプトを完璧に表現していると私は思っている。ブラックバーン氏はアメリカ海軍のダイバーで、海軍実験潜水部隊から爆発物処理まで幅広い経験を有している。SEALAB 3で潜水技術者としての訓練を受け、アルバーストーク・ディープ・トライアル・ユニットに米国代表として参加し、その後、商業ダイビングや通信網の建設に携わった経験を持つ。
この写真は、1970年のカリフォルニア沖で起きたシェル社による原油流出事故の直後に撮影されたものだと教えてくれた。左の写真はペガサス号に搭載する前に、ロレックスのGMTマスターでフラッシュとカメラを同期させているところだ。これにより、海底にあるライザーやパイプの写真測量が可能になった。彼らは、一度に1人のダイバーが最大深度210feet(約64m)まで潜水可能な循環式呼吸装置を使用することを許可した。GMTマスターは、ブラックバーン氏が米海軍を退役する際に、同じ潜水技術者でダイバーのボブ・バース(Bob Barth)から譲り受けたものだった。この時計は、地上の計時用としてだけでなく、ブラックバーンの幅広いダイビングキャリアを通じて、多くの潜水活動をともにしてきたのだ。
セイコー 6105-8110 - カレン・ターナー 米国海軍海底博物館
もうひとつの画像は、米国海軍海底博物館の提供による、カレン・ターナー(Karen Turner)通信兵の集合写真だ。1975年、彼女は少数精鋭の女性部隊に加わり、厳しい二等潜水士試験に挑んだ。その試験は無事成功し、おそらく合格を祝っての水泳のために海に投げ込まれた後、USSサイモンレイクでこの写真のためにポーズをとっているのだろう。数本の時計が写っているが、右下の口髭の男性(時計をつけている方)はセイコーの6105-8110を着用している。軍人によく見られるオロンガポブレスレット(Olongapo bracelet. ※当時、兵士たちのあいだで流行していた部隊ごとのエンブレムが飾り付けられた板状のブレスレットのこと)で、階級と徽章が刻まれているのが特徴的だ。
アクアスター ディープスター – ユージェニー・クラーク博士
ユージェニー・クラーク(Eugenie "Genie" Clark)博士は、有名な魚類学者である。“シャークレディ”の愛称で親しまれる彼女は、あらゆる海洋生物の研究にそのキャリアを捧げたが、最も誤解されている深海生物であるサメに特別な親近感を抱くようになったという。クラークは魅力的な人生を歩んだ。フルブライト奨学生(米国と相手国の共同管理、自治運営に基づく委員会を設置し、所属機関・居住地・人種および信条に関係なく応募者個人の資質に基づく人選を行う一般公募の奨学金制度のこと)として世界中を旅し、最終的にはフロリダ州南部にケープヘイズ海洋研究所(現モート海洋研究所)を設立した。彼女は探検家クラブから表彰され、今年5月に100歳の誕生日を迎えたことを記念して米国郵政公社の記念切手が発行され、さらには彼女の名前を冠した魚は数多い。私は特にスクワラス・クラーク(Squalus Clarkae)、別名“ジニーのツノザメ”が好きだ。
彼女が長年愛用していた時計は、アクアスターのディープスターだ。この大きなインダイヤルを持つダイバーズクロノは、ヴィンテージモデルの殿堂に君臨する時計である。クラークはそのキャリアのなかで、クストーやカリプソのクルーと一緒に過ごすこともあり、彼らの有名なドキュメンタリーのなかでディープスターを着用している姿を数多く見せている。彼女のアクアスター ディープスターは、そのような交流から生まれたものなのか、それとも単に影響を受けた産物なのか、気になるところである。
ブローバ アキュトロン ディープシーB - ピーター・ベンチリー
ピーター・ベンチリー(Peter Benchley)は、サメとの複雑な歴史を持つ人物だ。1975年の大ヒット作『ジョーズ』の原作者でもあるからだ。あの登場前の旋律を数章節聞いただけでも、脳裏に浮かんでくるだけでなく、1970年代半ば、視聴者はビーチや夏の別荘の近くにこのような致命的な生物が存在するという考えに、恐怖を感じると同時に魅了されたのだ。フィクションであるにもかかわらず、『ジョーズ』はサメを無謀な殺人マシーンと見なす誤った認識を広めてしまった。ベンチリー自身もその事実を認め、それを阻止するために懸命に努力した。数十年にわたりサメの保護と教育に貢献し、ディスカバリーチャンネルで初の“シャーク・ウィーク”を主催したこともある。
ベンチリーはロレックスの広告に登場し、後年ロレックスの時計を着用したことで知られているが、この1975年の写真では、もっと目立たないモデルを着用しているのがわかる。4時位置のリューズとユニークなインデックス、そして珍しいケース形状から、ブローバのアキュトロン ディープシーBと見分けがつく。
ゾディアック スーパーシーウルフ - クリフ・ニューウェル
クリフ・ニューウェル(Cliff Newell)から提供されたこの写真では、JIMスーツの操作訓練を受けるダイバーのチームが写っている。この大気圧潜水服(ADS)は、混合ガスや減圧、窒素酔いのリスクなしに、かなりの深度まで到達することを可能にするものであった。このスーツは、常に1気圧を維持するように設計されている。ニューウェルは、あまり知られていないEDALHABやHelgolandプロジェクトなど、複数の海底居住区で潜水技術者として従事した。また、米国海洋大気庁の潜水プログラムのディレクターとして、潜水の安全性の向上に力を注いできたキャリアを持つ。
写真の右下に写っているのは、アメリカ海軍の職員に混じって、NOAAのメンバーとして唯一しゃがみこんでいる彼自身だ。クリフは、JIMスーツのオペレーターとしての訓練を受け、海洋保全のためにJIMスーツの可用性を評価するために派遣された。しかし、訓練にかかる時間とコストが潜在的な利益よりも大きいことが判明し、ニューウェルはNOAAの訓練を受けた最初で最後のダイバーとなった。腕には“頑丈でブレスレットが似合う”と語ったゾディアックのスーパーシーウルフをつけている。彼には本記事への協力を感謝するとともに、EDALHABの潜水技術者として初の飽和潜水から50周年を祝福したい。
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