カルティエが盟主であるリシュモン・グループにおいて、時計部門の軸を担っているのはどのブランドか? そのひとつの答えは2021年のスイス時計売上高において初めて2位に位置したカルティエなのだけれど、売上だけでなく実際にグループに貢献している具体例もある。ヴァシュロン・コンスタンタンやジャガー・ルクルト、IWCにパネライといった、それぞれに巧みな製造能力を持つ時計メーカーがひしめき合っているのがリシュモン・グループであるが、これらの傘下のメーカーの多くが採用する、いわゆる「リシュモンキャリバー」と呼ばれる時計内部のムーブメントを設計したのは、ご存知のようにカルティエだ。
しかしながら、当のカルティエがこの1847 MCムーブメントについて声高に謳うことはない。本機は非常に現代的なスペックを備えており、例えば、スマートフォンなど常に磁気にさらされる環境を前提に、非磁性の脱進機を搭載したものだ。こうしたスペックは、現代においてカルティエが作る時計としては当然備えているべきもので、敢えて言う必要もないこと、という考えを持っているのだ。では、彼らが最も重要視している点は何か? それはデザイン、言い換えればウォッチ自体のシェイプである。
カルティエはジュエラーでありウォッチメーカーだ。しかし、断言しておくと、このメゾンは時計ブランドとしても傑出している。未だジュエラーのイメージが強いことには同意するが、これは前述したように、カルティエが他の時計ブランドのように自社の時計製造における歴史や技術力などを殊更強調しないせいだろう。では、なぜ一流たりえるのか? それは時計のデザイン、正確には、時計において無二のケースデザインを無数に持つ唯一のメゾンであるからなのだ。
カルティエの時計が活気を持ち始めたのは3代目当主であるルイ・カルティエによるところが大きい。彼は丸型デザインが主流の腕時計において、工業製品として精度が出しづらい特性を持つ角型デザインを当初からメインに据えた。アール・ヌーヴォー的な荘厳なデザインに辟易としていた彼はより洗練されたミニマルなシェイプを求め、それは1904年、世界初のメンズウォッチ「サントス」の誕生に始まり、その後1917年の「タンク」へと結実していく。「タンク」はルノーの戦車からインスパイアされたとされ、アール・ヌーヴォーの明確なカウンターパートであり、アール・デコの先鞭をつけた。"ブランカード"と呼ばれる2本の縦枠をデザイン言語としたが、ルイ・カルティエはそもそも正方形に近かった「タンク」を縦に横にと自在に変形させ、縦長でカーブした独特のケースシェイプを持つ名品「タンク サントレ」や、あるときには菱形のような「タンク アシメトリック」に至るまで、数多くのケースバリエーションを生みだした。当時のカルティエは現在よりも挑戦的であったと僕は考えており、実際の顔はアヴァンギャルドそのものである。
これらのデザインを可能にしたカルティエのユニークさには、主に2つの背景がある。1つは金属を折り曲げたり溶接したりして加工する、ジュエラーとしての技。カルティエは1900年にいち早くプラチナを用いたことでも知られるのだが、当時イエローゴールドやシルバーよりも遥かに加工が困難だったプラチナを扱うあたりにその技術力とチャレンジ精神が伺える。角型ながら角に丸みを帯びさせる「タンク」の有機的なデザインは、金属を巧みに操る同社なればこそである。もう1つの理由は、一族による経営であった1960年代ごろまで、カルティエのビジネスはオーダーメイドをベースとしたものだったという事実だ。大量生産品でなく、ある年には年間の生産本数が10本を切るような「タンク」は(どの年もおしなべて50本以下の生産だったようだ)、顧客の要望に応じてそれぞれが微妙に異なったデザインを持つ必要があったわけだ。どんな雲上ブランドにも、過去にここまでデザイン自体を作りぬいたウォッチメーカーを僕は知らない。
無二のデザインを最も多く備える「タンク」は紛れもなくメゾンのアイコンだ。もはや、オールデンのローファーやバーバリーのトレンチ、エルメスのバーキンのように、カテゴリーそのものであるかのように感じている。
しかしながらカルティエ ウォッチのデザインは、どの時代においても順風満帆だったわけではない。その代表的な例には、1967年にカルティエ ロンドンが製作した「クラッシュ」が挙げられる。この時計はこの時代のイギリスで人気を博した若手俳優である、スチュワート・グレンジャー(1913-1993)が特注したものが始まりとされているが、すでにカルティエの上顧客であった彼はほかと違った変わった時計を求めた。当時カルティエ・ロンドンでデザイナーを務めたルパート・エマーソンと、指揮を執ったジャン=ジャック・カルティエ入魂のデザインを具現化した「クラッシュ」は、サルバドール・ダリの『記憶の固執』に描かれる時計を思わせるシェイプを持ったモデルで、この形状に合わせて時刻もしっかり伝える文字盤を作ることに膨大な時間が費やされた。
そんな苦労を経た「クラッシュ」だが、グレンジャーの手に渡るやいなや、1週間ほどでカルティエ・ロンドンに戻ってきてしまったという。グレンジャー曰く"あまりに一般的でないデザインだったので、よりクラシックなものが欲しい"ということだったそうだが(『UNTOLD STORY OF THE FAMILY BEHIND THE JEWELRY EMPIRE THE CARTIERS』:フランチェスカ-カルティエ・ブリケル著より)、時の俳優をしても受け止めきれないほどに、カルティエのクリエイションは常軌を逸したものだったわけだ。「クラッシュ」は当時、12本ほどが作られたとされているが、そのプライスはわずか1000ドルで(現在の価値に換算すると約7500ドル)それ以上の値段は顧客や市況が許さない状況だったようだ。
スウィンギング・シックスティーズとも呼ばれるロンドンの1960年代は、カルティエの歴史のなかでも特に自由な発想の時計が生まれた時代だった。「never copy, only create」の哲学が示すように、「クラッシュ」はあとにも先にもこれ以上なく傑出した無二のデザインが与えられた時計となったのだ。カルティエ ロンドンはほかにも、独自の解釈を加えた「タンク アシメトリック」、今で言う「ベニュワール アロンジェ(「マキシ オーバル」)」、「ペブル シェイプ」ウォッチなどを生み出したが、その多くが限られた生産数であり、商業的な恩恵をもたらしたわけではなかった(それが直接的な原因でないにしろ、その後1970年を前にしてカルティエ ロンドンも投資グループに売却されてしまう)。
けれど、カルティエは一貫して新しいデザインを生み出すことに邁進した。過去の出来事や作品からインスパイアされるものの、復刻などではなくそのデザインを進化させ時代の先を表現することを選んできたのだ。一族経営だったがゆえに貫かれたこの姿勢によって、傑出したウォッチメーカーとしての現在のカルティエが存在していると言っても過言ではない。
1960〜70年代というと、クォーツショックが起こって機械式時計は存続の危機にあった時代だ。高級時計の世界でも、新しい試みが生まれ、ラグジュアリースポーツウォッチが誕生する頃だが、カルティエはそういった流れとは一線を画していたと言える。1970年代中頃には、ジョゼフ・カヌイを中心とした投資グループにより経営の基盤が安定したカルティエは、「レ マスト ドゥ カルティエ」、今で言う「タンク マスト」を世に送り出し、その在り方を再構築していくこととなる。具体的には、「マスト」で拡大路線を取りつつも、一方で「ルイ カルティエ コレクション」を展開して自社のヘリテージを再び定義したのだが、これこそ現代カルティエの姿が確立された瞬間だった。クラシックを進化させつつも、歴史的にも確かなルーツを商品で示し続けることは容易なことではない。
クロノス日本版 編集長 広田雅将氏と語る、ウォッチメーカー・カルティエの凄み
カルティエはいわゆる時計の外装において、卓越した技術を用いた加工を得意としたことは冒頭で述べたとおり。ほかの時計ブランドは当時、自社ではムーブメントに注力して、ケースはもちろん文字盤や針にいたるまでパーツごとに異なるサプライヤーと協業するのが一般的であったから、カルティエのアプローチがいかに特殊だったかが分かる。属に言う「マニュファクチュール」とは、ムーブメントはもちろん、外装に至るまで垂直統合された環境で製造される時計メーカーを指すが、年々その定義が曖昧になるなかで2001年「カルティエ マニュファクチュール」の設立以来、カルティエはそのような製造体制を進化させ続けている。
以下の動画は、クロノス日本版 編集長である広田雅将氏と僕がカルティエのウォッチメーカーとしての凄みを語り合ったもの。本稿では一貫してカルティエのデザイン、ケースシェイプについて話を展開してきたが、メゾンのクリエイションを下支えする技術力やマニュファクチュールの中身についても解説をしている。話の一部としては、実はカルティエは、ベーシックなモデルにおいても自社で手掛けた青焼き針を用いている、ということを明かした。時計専業メーカーであってもブルーPVDを使うことが主流の現在において、どこよりもウォッチメーカーらしいこだわりを持つのがカルティエなのである。
カルティエ マニュファクチュール
現在でこそケースの製造方法は機械による鍛造と切削加工に置き換わったが、その造形は当時の趣を残す。今もって、彼らがウォッチメーカー オブ シェイプと呼ばれる所以である。時計自体の機能アップデートは当然として、タイムレス プロダクトにはそのデザインが何より重要だということを本能的に理解していたカルティエは、もちろん「タンク」以外にも様々なシェイプの時計を次々と生み出している。幾何学的な形や立体的な造形が特徴のカルティエだが、2000年以降はいわゆるラウンドタイプの時計も定番モデルとして定着する。男女ともに愛される「バロンブルー ドゥ カルティエ」は、一見オーソドックスな丸形時計に見えるが、リューズを覆うケース形状や、風防とケースバックまでが一体化しているような三次元的ラウンドシェイプに個性を感じる。「風船」という名が与えられたこの時計は、単なる丸形ではなく、やはり徹頭徹尾、カルティエの時計なのだ。
改めて思うことは、カルティエにとって伝統とは守るというより進化させる対象であるということ。もちろん、最近復刻された「ペブル シェイプ」ウォッチのように、クラシックを愛する愛好家のニーズを捉えた時計を作るほどにはサービス精神のあるメゾンだ。けれど、伝統のデザインや製造方法を失わずに、常に現代的解釈を加えるところにウォッチメーカーとしてのカルティエの本懐がある。ただちにそれらのすべてが高い評価を受けるというのは難しいことではある。ゴッホやピカソのように、死後にその価値と名声を高めるような時計も存在しているし、これからも生まれてくることだろう。しかし、カルティエがそういったクリエイションを含めた過去を解釈しシェイプの進化をやめないことが、このメゾンが続けてきたことなのである。
Words:Yu Sekiguchi Photos:Fumito Shibasaki(2S) Styled: Eiji Ishikawa
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