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Essays 2026年、ウォッチメイキングの最も革新的なイノベーションは“絵筆”になるのでしょうか?

ウォッチメイキングが微細な技術的進歩を追求するなか、最も意義のあるイノベーションとは、自動化できない工芸技術を守り抜くことかもしれません。

数週間前、私はマディソン・アベニューにあるジャガー・ルクルトのブティックで、トレイに並んだエナメル仕上げのレベルソを眺めていました。そのうちの1本を手に取り、裏返してみると、ケースバックには絵画のような風景が描かれていました。ミニチュアで再現された何人もの人物は、一人ひとりが米粒ほどの大きさもなかったのですが、その人物たちの目、鼻、口は、たった1本の毛でできた絵筆で描かれたそうです。

 人間の髪の毛ほどの太さしかない、たった1本の毛。私は言葉を失いました。

 さっと検索してみれば、一般的な絵筆には数千本の毛があることがわかります。しかし、この筆には1本の毛しかありません。道具としてこれ以上ないほど削ぎ落とされた純粋な形態でありながら、並外れた精密さを生み出すことができるのです。以来、私はそのことが頭から離れなくなりました。

Jaeger-LeCoultre Reverso Tribute Enamel Hidden Treasures.

ジャガー・ルクルト レベルソ・トリビュート・ヒドゥン・トレジャー(レベルソ・トリビュート -伝説の秘宝-)の組み立て風景。

 私たちは、イノベーションとは“付加すること”だと定義しがちです。より大きなパワー、より高い効率、より優れた機能。私はウォッチメイキングのそうした側面が大好きです。新しいキャリバーや、巧みに実装された追加機能、そしてその背後にある創意工夫には心躍ります。テクノロジーは私たちの生活をより簡単にスムーズに、そして速くしてくれます。

 しかしあの1本の毛について考え続けるうちに、イノベーションとは“削減”も意味するのではないかと思い始めました。もし2026年において最も急進的な道具が、より多くのことをこなすものではなく、意図的に“より少なく”しかできないものだとしたらどうでしょう? “多ければ多いほどよい”が当たり前になったとき、振り子はいつか“少ないほうが豊かである”へと戻っていくのではないでしょうか。

パテック フィリップ Ref. 5077/212G-001 “青地にコンゴウインコ”。ホワイトゴールド製のカラトラバで10本限定。ダイヤルには64cmの金線と、38層もの透明、不透明、半透明のエナメルが施されています。Photo by Mark Kauzlarich

 トレンドは循環するとよく言われます。スタイルは現れては消え、ヴィンテージが再評価され、ミニマリズムがマキシマリズムに取って代わり、またその逆も起こるのです。しかし、クラフツマンシップはトレンドのサイクルでは動きません。それは、伝承によって動くのです。もし一世代の職人たちが、彼らの知恵を誰にも伝えることなくこの世を去ってしまえば、それを取り戻すための遡及的なソフトウェアアップデートなど存在せず、一度失われたら、それでお終いなのです。

アンオーダインのダイヤルにエナメルを施すサリー・モリソン(Sally Morrison)氏。

 テクノロジーには、重力のような引き寄せる力があります。至る所に存在し、中毒性があります。特に、その磁力が強まる一方に見える2026年において、それに抗うためには相当な努力と意思が必要です。機械式という時代遅れの技術の上に成り立つ時計業界でさえ、私たちは時代のスピードに追いつこうとする圧力を感じている。各ブランドは美しさだけでなく、スペックや素材技術、そしてわずかな性能向上をめぐって競い合っています。ケースはより薄く、パワーリザーブはさらに長くなり、時計の精度も高まっていきます。進歩を語る言葉は、常に“数字”なのです。

 しかしテクノロジー全盛の時代において、時計という存在自体、効率性とはまったく無縁のものです。少し視野を広げてみると、まるで1本毛の絵筆のように感じられます。私たちが日々頼りにしているテクノロジーと比べると、機械式時計は途方もなく非効率的です。繊細で、機能的には不要であり、時として信頼性に欠けます。それでも、レベルソのケースバックにエナメルで人物像を描くのに使われたあの小さな筆のように、時計が存在し続けているのは、それが象徴するものが実用性をはるかに超えているからです。

 そしてウォッチメイキングの世界には、その考えをさらに突き詰めたクラフツマンシップが存在します。手作業によるエナメル装飾は量的ではありません。規模を拡大できるものでもなく、文字どおり最も非効率なものです。この職に就く人は減り続けており、自動化もできません。むしろ、長年この技術を習得してきた職人の蓄積された知識に導かれ、目と手が一体となって正確に作業を進めることが不可欠となるのです。この工程全体は、世代から世代へと受け継がれる知識の伝承に依存しています。

H. モーザー エンデバー・コンセプト。

 テクノロジーの進歩は加速する一方で、その成果はしばしば漸進的なものとなります。0.1mmずつ削り、効率をわずか数%向上させるといった改善は、特に産業分野においては重要ですが、着用者の感情的な体験にどれほど影響を与えるでしょうか? ある時点から、優れたものと、わずかに優れたものとの違いは判別しにくくなるかもしれません。

 一方、手作業は決して漸進的なものではありません。それは表現力に富み、製作者のDNAを宿しています。私の疑問は、技術が今後も進歩し続けるかどうかではありません。それは間違いなく続くでしょう。問題は、洗練を追求しすぎるあまり、人間の“技能と魂”がウォッチメイキングを技術的な作業以上のものにしている事実を過小評価し、最終的にはそれを失ってしまう危険性があるかどうかです。

アンデルセン・ジュネーブ ラトラパンテ モンディアル。

 楽観できる理由もあります。ここ数十年の間に独立時計師・インディペンデントブランドが台頭してきたことは、個性的なデザインと小規模生産への需要が再び高まっていることを示唆しています。世界有数のブランドに囲まれたジュネーブで1週間を過ごしたあと、ベンが最も感銘を受けたのは、量産された傑作ではなく、真のインディペンデントブランドが生み出したアンデルセン・ジュネーブ ラトラパンテ モンディアルでした。

 ニューヨークに戻ると、ニューヨーク時計協会はウォッチメイキングの伝統を守るために素晴らしい活動をしています。先日、同協会は次回のオークションの収益を次世代の時計職人の育成支援に充てると発表しました。また、ダラスにあるRolex Watchmaking Schoolのような取り組みもあります。この学校は最近、ウォッチメイキングに親しんで育ったわけではない多くの学生たちを迎え入れました。これは熟練した職人の育成が完全に途絶えていないことを示唆しており、心強いことです。人々が学びたいと願い、消費者の需要さえあれば、関心は育むことができ、技術は教えることができるのです。

VC Enamel

ヴァシュロン・コンスタンタン  ラ・ミュージック・デュ・タン レ・キャビノティエ・ミニッツリピーター “シンギング・バーズ”。

 私が愛するもうひとつの芸術形式、“手書きの文字”について考えてみましょう。かつて筆記体は学校で教えられる基本的なスキルでした。今日では、それはしばしば不要とみなされ、私の知る限り、もはや広く教えられていません。私たちはタイピングし、音声入力し、自動修正機能に端々の粗さを修正させています。私もほとんどの原稿をキーボードで書いているので、それとは無縁ではありません。効率的で実用的です。筆記体を放棄したことが文明を危機に陥れたと主張する人はいないでしょう。しかし利便性が主要な基準になると、身体に根付いたスキルがいかに簡単に消え去ってしまうかを示す一例です。50年後、100年後、筆記体は存在するのでしょうか? 手書きは存在するのでしょうか? いえ、答えないでください。

 では、あの1本の毛の話に戻りましょう。

 テクノロジーの進歩が停滞したとき、私たちは手仕事の魅力を再発見するかもしれません。しかし、その技術を持つ職人の手はもう失われてしまっていたらどうでしょう? 真のクラフツマンシップが再び求められるようになったとしても、それが生きた実践ではなく、単なる概念としてしか残っていなかったらどうでしょうか。

 イノベーションは、必ずしもクラフツマンシップの敵ではありません。ウォッチメイキングにおいて両者は美しく共存できるし、実際、見事に共存しています。現代における最高のムーブメントはエンジニアリングの偉業であり、最高の仕上げは依然として人間の手による深い技巧の結晶です。

ジャガー・ルクルト レベルソ・トリビュート・ヒドゥン・トレジャー(レベルソ・トリビュート -伝説の秘宝-)の組み立て風景。各モデルはグラン・フー エナメルと細密画の技法を用いて制作され、ダイヤルにはギヨシェ装飾が施されています。

 しかし、そのバランスは自動的に保たれるものではありません。ブランドは、必ずしも利益率を最大化するとは限らない技術に投資する必要があります。消費者は、スペック以上のものを重視する必要があります。そして、私たち全員が、時折“もっと”という誘惑に抵抗する必要があるのです。

 あのブティックに立ち、たった1本の毛の筆で描かれた時計を手にしたとき、私はその時計が引き起こす感情的な反応に心を打たれました。それは、新たなテクノロジーの突破口を目にするのと同じくらいエキサイティングでありながら、抑制、忍耐、そして熟練の技への敬意といったもっと静かなものでした。

 次のアップグレードへと突き進む世界において、それはおそらく最も革新的で、何にも代えがたい感情なのかもしれません。そして、それが決して失われないことを願っています。