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WATCH OF THE WEEK ジェームズ・ボンド シーマスターの魅力は任天堂が教えてくれた

私にとってボンド シーマスターは一つしかない。初代モデルだ。『007/ゴールデンアイ』に登場している。そう、映画の。しかし、ビデオゲームもあるのだ。

Watch of the Weekでは、HODINKEEのスタッフや友人を招き、好きな時計とその理由について説明してもらう。今週のコラムニストは、我らがコール・ペニントンだ

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1995年に公開された『007/ゴールデンアイ』は、ピアース・ブロスナンがオメガのシーマスター 300mプロフェッショナルを着用した初めてのジェームズ・ボンド映画だった。私は9歳か10歳だったが、この時計を見てかっこいいと思った。

 昔から見ている皆さんは、それが変化を意味することだとわかったはずだ。1989年の前作『007/消されたライセンス』では、ティモシー・ダルトンがロレックスを身につけていた。かつてのショーン・コネリーもそう。イアン・フレミングの小説に出てくるボンドも同様だった。私はそれらのことについて知らなかったのだが。

 だが、私にとってのジェームズ・ボンドは常にオメガを身につけていた。

 そして彼の選択は、私が子供の頃に大好きだったNINTENDO 64のゲームによって強化された。

 シーマスター 300m プロフェッショナルは、N64で発売されたファーストパーソン(一人称視点)シューティングゲーム(FPS)の名作『ゴールデンアイ 007』に登場し、効果的なプロダクトプレイスメント(広告手法のひとつ)を果たした。このゲームには軍用列車というステージがあり、ボンドはレーザーを搭載した時計で金属を切断し、悪者を排除しなければならない。あれは素晴らしかった。当時の私は、この時計を手に入れたいと思っていた。

『ゴールデンアイ 007』のデザイナーには感謝しなければならない。スケルトンの針、ブレスレットのリンク、ベゼルのマークでオメガのシーマスターだとわかるのだから。1997年当時、これは非常に優れたものだった。

 大人になるにつれ、憧れも育まれた。『トゥモロー・ネバー・ダイ』、『ワールド・イズ・ノット・イナフ』、『007/ダイ・アナザー・デイ』などのボンド映画を次々と見て、ボンドのシーマスターを所有したいという気持ちが高まっていったのだ。2000年代初頭、ニュージャージー州の郊外では、週末にショッピングモールをぶらぶらすることがよくあった。10代の私は、Pac-Sun(Pacific Sunwear of California、アメリカのアパレルブランド)に立ち寄る合間にオメガのブティックにも足繁く通い、ボンド シーマスターの広告を眺めていた。販売員も私がこの時計を買えないことは重々承知していたが、いつも快く試着させてくれた。

 その時計は白鯨のような空想上の買い物となった。HODINKEEを読んでいる方なら、きっと時計に憧れるときのあの気持ちをわかっていただけると思う。「買えるようになったら買いに来るんだ」と自分に言い聞かせるような。

 結局その日は来なかったが、私はオメガのシーマスター プロフェッショナル(Ref.2531.80.00)を手に入れることになった。それは思いがけないところから届いた。

私が高校を卒業した直後に父がボンド シーマスターを買ってくれたのだ。卒業式の日だったわけではないし、セレモニーがあったわけでもない。少し時間がかかった。父が注文してくれて、それから郵送され、私は包みを開け、近所の宝石店に行ってサイズを調整した。セイコーの6309-729Aを何十年も愛用していた父からの、かつてないようなプレゼントだった。この業界で働いていると「このパテックはおじいちゃんからもらったんだけど、僕が21歳になるまで待っていてくれたんだ」とか「お父さんがウォール街で成功した20代前半のときにデイトジャストを買って、今は僕のものになっているんだ」というような話をよく聞く。私はそのようなこととは無縁だった。

私が高校を卒業した2005年には、まだデジタルカメラは一般的ではなかった(すべてが携帯電話で撮影されない時代に育ってよかった)。この写真は実際に撮影したものだが、長年箱に入れておいたために変色してしまっている。

 父は、ミシシッピ州のナチェズで質素に育った。日曜日はおしゃれをして、地元のルーテル教会に礼拝に行くのが日課で、チトリン(日本のホルモンやもつに相当する料理)とコラードグリーン(原種に近い結球しないキャベツ)が普段の食事だった。セント・キャサリン・クリークでポッサムやリスを撃つのも楽しみのひとつだったそうだ。父方の祖父は、朝鮮戦争に下士官として従軍し、その後は18輪トラックのボディパネルを修理する仕事に従事していた。

 父は子供の頃、時計を与えられたことはなかった。卒業祝いをもらったかどうかも定かではない。彼は大人になって北部で成功を収めたが、南部の感覚ではオメガの時計のような豪華なものを(特に子供に)贈るのは賢明ではなく、野暮というものだと思われていた。

 それは知っていた。でも、初めての素敵な時計を手に入れたとき、とても嬉しかった。正直なところ、その年齢の自分にはちょっと豪華過ぎたかもしれない。私はこの時計を徹底的に使って、彼のお金に見合うようにしようと誓った。

ミシシッピ州ナチェズでの父と私。オメガの広告が出ているようなところではない。

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 大学の授業でプレゼンテーションをするとき、私は大学のビジネススクールで必要とされる典型的な服装であるカーキのトラウザー、ネイビーのブレザー、それに良いネクタイを身につけたのだが、最後の仕上げにこの時計をすることで、少しだけ自信をもつことができた。もちろん、時計は人が作るものだが、少しでも自信を持てたことは間違いない。結局のところ、私はまだ一人前の男ではなかったのだろう。

この写真で典型的な都会に住む独身の若い白人男性の雰囲気を出しているのがきらいだ。34歳の私は、19歳の私に自分の見せ方(と小さな*****のように見えないこと)について真剣にアドバイスしたい。でも、少なくとも時計はちゃんとしている。

 20代のあいだは、eBayで手に入れた無名のヴィンテージウォッチやセイコー、マイクロブランドなどを身につける日を除いて、ほぼ毎日シーマスターをつけていた。このボンド シーマスターは、2005年から2020年にかけて、GMTマスターⅡを購入するまでのあいだ、おそらくほかのどの時計よりも多くつけていた。GMTマスターⅡは、偶然にも私が子供の頃に憧れていた時計のひとつだ。店頭でも贅沢品にそれだけのお金を払うのは忍びないと感じた。南部の親戚はこの買い物をどう思うだろうかとよく考える。聞くつもりはないけれど。

ボンド シーマスターは、落としたり磁気を帯びたりして、何度かビエンヌに送られ、修理してもらった。あまりにもよく身につけていたので、ある日、ブレスレットが(最高のブレスレットのひとつだ)、文字通り手首の上でバラバラになってしまった(幸いにも時計が落ちる前にキャッチしたが、その後マリーンナショナル[フランス海軍]タイプのストラップにつけ替えた)。この時計をつけて何百回もダイビングをしたし、約40ヵ国に一緒に回った(今思えば、よく盗まれなかったものだと思う)。

この写真は、タイの東北部の田舎で、ブン・バン・ファイのワイルドなロケット祭りの撮影をする仲間を手伝xっているところだ。この時計はどこへ行くにも一緒だった。

 最近の私は、ニュージャージー州郊外にあるオメガブティックのショーウィンドーに顔を押しつけていた若者だった頃とは違った見方をするようになった。ワルサーPPKをコンシールホルスターに入れ、異国の地で政治家や美しい人々が集う洒落たパーティーに足を踏み入れる前に、袖口のシーマスターで時間を確認する、というような空想はもうしなくなった(まぁ、少しはするかもしれないが)。

北朝鮮の平壌で撮影したピンボケのリストショット。シーマスターを家に置いておけばよかったと思うような場所でもシーマスターと一緒だった。

 今この時計を見ると、込められた思い出の向こうに伝統が見えてくる。私の家系で時計が受け継がれるのは初めてのことだ。

 これからその伝統をどう引き継いでいくかが私の課題だ。

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