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Second Opinions 【腕時計の基礎知識】クロノグラフにおける“高級”とは何を指すのか?

腕時計にまつわる疑問に焦点を当て、改めてその理論をわかりやすく分解・解説しながら本当のところを読み解く本企画。今回は最も身近な複雑機構でありながらも奥深い、クロノグラフについて読み解いていく。

A.ランゲ&ゾーネが1999年にダトグラフ(Cal.L951.1)をリリースして以降、多くの他社が自社製クロノグラフ・ムーブメントの開発に取り組むようになった。その大半が、コラムホイール式を採用した“高級機”を謳っている。しかし近年、ミドルレンジの量産機でもコラムホイール式が登場。また自動巻きが大勢を占めるようになった結果、コンパクトな垂直クラッチが主流となった。カム式や古典と称されることが多いキャリングアーム式の水平クラッチは、過去の遺物なのか? 制御系とクラッチ方式にスポットを当て、高級クロノグラフとは何か? を考察・解説する。


まずは、クロノグラフの仕組みを理解する

クロノグラフとはいまさら言うまでもなく、時刻表示機構に加えてストップウォッチ機能が備わる時計を指す。その操作は、ふたつのプッシュボタン(スタート&ストップ用、リセット用)で行う設計が大半だ。

 クロノグラフ機構の動力は、時刻表示機構のスモールセコンドを司る歯車(多くは四番車)から得ている。これと同軸にあるクロノグラフ駆動車に噛合するクロノグラフ中間車をスタート時にクラッチレバーが動かし、秒クロノグラフ車と接続させて秒積算計針(クロノグラフ秒針)を運針させる。そして秒クロノグラフ車を起点に、分積算計車、時積算計車が順に連結。ストップ操作時には、同じくクラッチレバーの動きでクロノグラフ中間車と秒クロノグラフ車の接続を切断し、同時にブロッキングレバーが秒クロノグラフ車にブレーキをかける。この状態でリセット操作をするとハンマーが各積算計車に備わるハートカムを叩き、0位置に戻すというのが、基本的なクロノグラフの仕組みだ。

 これらレバーとハンマーのボタン操作による動きを制御(コントロール)しているのが、コラムホールやカム。クロノグラフ中間車と秒クロノグラフ車の接続・切断を司るのが、クラッチである。


なぜコラムホイールは“高級クロノグラフの条件”とされてきたのか

クロノグラフの各操作を制御するキーパーツであるコラムホイールは、円盤外周に6~8本の柱(ピラー)が等間隔で並んだ形状になっている。そのため別名、ピラーホイールともいう。立体的な形状が見た目に美しく、製作には精密な切削加工が必要なため、高級クロノグラフの代名詞的存在だった。しかし工作機械の進歩により、前述したように量産機にも採用できるようになった。

 各レバー・ハンマーの片側終端は、コラムホールを起点とする。そして操作時にコラムホイールが回ることで、レバー・ハンマーの各終端が柱と柱のあいだに落ちたり、上に載ることで全体が動いてクラッチの接続・切断とブレーキ、リセットが行われる。

ヴァシュロン・コンスタンタン ヒストリーク・コルヌ・ドゥ・ヴァッシュ 1955 ローズゴールド

Cal.1142。向かって左側、マルタ十字があしらわれたパーツがコラムホイールである。

 いずれのボタン操作も、コラムホイールを一方向に回すだけなので押す力はほぼ均一で滑らか。またレバー・ハンマーの接触面が小さいため、摩擦も小さい。これが押し心地の良さにつながり、また摩耗も軽減する。

 一方で今でもカムより量産性は劣り、接触面が小さいから衝撃でレバー・ハンマーが外れやすく、また位置決め調整が難しいのが欠点となる。それでも現在主流となっているのは、コラムホイール=高級機というイメージがいまだに強いというマーケティング的な理由と(コラムホイールを色付けしているのが、その好例)、摩耗が少ないから。調整の難しさも、各社さまざまな工夫で解決している。


カム式は本当に“押し心地が硬く、衝撃に弱い”のか

量産化が難しいコラムホイール式に代わる制御系として考案されたのが、カム式だ。凹凸を滑らかにつなげた平面状であるため、プレスでの製作で容易に量産化がかなう。しかし、平面の単純な構造ゆえに複数のレバーを同時に制御しづらかったため、かつてはクロノグラフ停止時に歯車を固定するブレーキの役割を持つブロッキングレバーを、やむを得ず省略したムーブメントが存在した。ストップ時のブレーキがないということは、衝撃などで止めたはずの針がズレてしまうリスクに繋がる。大量生産を優先して正確性を犠牲にしたこの構造的妥協こそが、確実なブレーキを備えたコラムホイール式よりも劣ると評価された一番の理由だ。

 だが、オメガのスピードマスター プロフェッショナルで長く使われるCal.861(1861、現3861)は、カムを二層式とすることでブロッキングレバーの装備を可能とした。これは汎用の名機バルジュー7750も、同様である。

 カムはコラムホイールのように回転はせず、ボタンを押す度に左右に首を振り、外縁に接触するレバー・ハンマーの終端を凹凸部で押し出したり引っ込めたりすることで各操作を遂行する。操作時に常にレバー・ハンマーと接触しながら動くので、摩擦が大きい。これが、コラムホイールよりも押し心地が重くなる傾向にある理由だ。耐久性の悪さが指摘されるのは、摩耗が速く進むから。しかし耐衝撃性においては、コラムホイールに勝るため、スピードマスターのようなスポーツウォッチに向く。これがカム式の押し心地が“固い”という偏見を生んだ。スポーツ時に着用して衝撃を受けてもレバーやハンマーが動かないよう、強い規制バネが使われてきたからだ。これは頑強な設計と言われてきたバルジュー7750でも同じである。実際、コラムホイール式のバルジュー72とカム式のランデロンCal.48というオールドムーブメントを押し比べてみたが、ボタンの固さに大きな差異はなかった。

オメガ スピードマスター Ref.310.60.42.50.01.002

オメガ コーアクシャル マスター クロノメーター Cal.3861

 クロノグラフのプッシュボタンの押し心地は、制御系の違いだけでなく、規制バネの強さ、ボタン内のバネの有無で大きく変わる。カム式=操作が固いとは、一概には言えないのである。


クラッチ方式から見るクロノグラフの高級性

現在カム式を採用しているのは、オメガのCal.3861、バルジュー7750系(セリタのSW500)、その派生形であるバルジューA05.291(ハミルトンのCal.H-51など)とかなり少ない。対してクラッチに関しては、主に3つの仕組みが拮抗している。スイニングピニオン、キャリングアームの各水平クラッチと垂直クラッチである。

 これらクラッチ方式の違いは、作動時の安定性、精度といったクロノグラフの基本性能と生産性、見た目を大きく左右する。

量産性に優れるスイニングピニオンは、クロノグラフ普及の立役者

1887年、エドワード・ホイヤーによって特許が取得されたスイングピニオンの図面。

 スイニングピニオンは、後述するキャリングアームとともに水平クラッチに分類され、1887年に今のタグ・ホイヤーの創業者、エドワード・ホイヤーによって発明された。

 クロノグラフ中間車を1軸の上下に備わるふたつのピニオンギア(カナ)とし、一方がクロノグラフ駆動車と噛合し、スタート時に全体が傾いて他方が秒クロノグラフ車と接続する仕組みだ。中間車が小さくできるため省スペース化が図れて、自動巻きとの相性がいい。また、移動距離が短いのでスタート時のタイムロスも小さい。構造自体もキャリングアームと比べ簡便であるので、量産にも向く。バルジュー7750をはじめ汎用キャリバーで多用され、クロノグラフの普及に大きく貢献した。

 ゆえにスイニングピニオン=普及機というイメージが強いが、実際にはF.P.ジュルヌのCal.1518.2やリシャール・ミルのCal.CRMC1のような高級機でも採用されている。

見た目の美しさで、キャリングアーム式水平クラッチを選ぶブランドも多い

 3つのクラッチ方式のなかで、もっとも歴史が長いのがキャリングアーム式である。クロノグラフ中間車は一般的な歯車であり、可動するアームに載った状態で駆動車と常に噛み合い動き続けている。そしてスタート時にはアームがスライドして、秒クロノグラフ車と接続する。

ダトグラフ・アップ/ダウンのムーブメント、L951.6。

 機構が大掛かりで見応えがあり、見た目にも美しいのがキャリングアーム式最大の魅力。一方で、水平方向にスペースを大きく採るので、自動巻き化しにくい。同方式の自動巻きですぐに思いつくのは、ゼニスのエル・プリメロくらい。対して手巻きの自社製クロノグラフでは採用例が多く、A.ランゲ&ゾーネのダトグラフや1815 クロノグラフ、パテック フィリップの5172、ヴァシュロン・コンスタンタンのトラディショナル・クロノグラフ・パーペチュアルカレンダーなどいずれ劣らぬ高級モデルばかりだ。これは、キャリングアームの製造コストがかさむため。機構的な見た目の美しさは、入念な手仕上げによってさらに強調される。

パテック フィリップ Ref.5270P-016

Cal.CH 29-535 PS Q

垂直クラッチは、見えない作動品質を高級性に変えた

 近年リリースされた自社製クロノグラフでもっとも多用されるのが、垂直クラッチである。クロノグラフ駆動車と秒クロノグラフ車を、上下に設置。通常は、秒クロノグラフ車はアームで両側から持ち上げられ、駆動から切り離されている。そしてスタート時にふたつが重なり、両間の摩擦でクロノグラフを作動させる。1941年に今はなきピアース社が考案し、1969年に自動巻きクロノグラフを先駆け、セイコーのCal.6139で完全な実用化が果たされた。また1988年には、フレデリック・ピゲ(現ブランパン・マニュファクチュール)から自動巻き+垂直クラッチの外販ムーブメントの名機Cal.1185が登場し、一気に普及した。

フレデリック・ピゲ(ブランパン) Cal.1185

ブランパン エアコマンド Ref.AC01 1130 63A

ブランパン エアコマンドの垂直クラッチ搭載ムーブメント。

 同機を始め、初期の垂直クラッチはムーブメントの中央にあり、ダイレクトにクロノグラフ秒針を動かす設計だった。しかし自社製クロノグラフのなかには、クラッチをオフセットしたインライン式も複数登場している。ロレックスのCal.4130が、その一例である。

 省スペース化がしやすく自動巻きに向き、またスタート時の針飛びがなくなり、作動時のテンプの振り角落ちがほぼ生じない。つまりクロノグラフの基本性能が高いことが、多用される理由だ。ただ、上下にクラッチが動くので薄型化は難しいのが難点である。

 キャリングアーム式が見た目の美しさに重きを置いて採用されているのに対し、垂直クラッチは性能で選ばれている。厚さが増すため、多くはスポーツウォッチ系に搭載される。そこには、A.ランゲ&ゾーネのオデュッセウス・クロノグラフ(Cal.L156.1)やオーデマ ピゲのロイヤル オーク クロノグラフ(Cal.4401)のような高級機も含まれる。

Cal.4401


2026年の新しい選択肢、エバーグラフは何を変えたのか

コンプライアント クロノグラフ機構

タグ・ホイヤーは今年、新型Cal.TH80-00でクロノグラフの新時代を開いた。搭載したのは、タグ・ホイヤー モナコ エバーグラフ。右は、裏蓋側に構築される新たなコンプライアント クロノグラフ機構である。

 キーパーツとなるのは、左サイドのレバーに取り付けられた弓なりになったブレード状の双安定部品と、上部にある複数のブレードで連結された双安定リセットハンマー。いずれもLIGAプロセスで精密に成型され、各ブレードは優れた弾性を有する。右下は垂直クラッチ、中央部はハートカムが備わる秒・分クロノグラフ車である。

 上側のスタートボタンを押すと、左サイドの双安定部品が内側に反り直し、その弾性で垂直クラッチを切断していたアームを閉じ、接続。同時にボタンに繋がるピンが動いて双安定リセットハンマーを上側に移動させ、クロノグラフを作動させる。その際、ハンマーに備わる3つのブレードがたわみ、力を蓄える。そしてストップ時には双安定部品が外側にたわみ直す動きでクラッチを切断。そして下側のリセットボタンを押すと、クラッチのブレードの反りでチャージした力が開放され、一気に落下してハートカムを打つ仕組みだ。

タグ・ホイヤー モナコ エバーグラフ

 コラムホイールやカムに頼らず、双安定部品とクラッチのブレードの反り方向を変えるだけで一連の操作を遂行する。結果、ボタン操作は驚くほどに軽快になった。またボタンを押す力加減に関係なく、各ブレードが持つ一定の弾性で作用するため、信頼性と耐久性が高まる。さらにハンマー部はブレードによってフレキシブルに動くため、既存のハンマーに不可欠だった組み立て後の位置決めの微調整を不要とした。

 エバーグラフは、耐久性と信頼性、操作感に極めて優れる。そして、LIGAプロセスによるパーツ製造の可能性を大きく広げた。これは他社がクロノグラフの革新に挑む、ひとつの試金石となる。


クロノグラフにおける“高級”とは、部品名ではなく設計思想である

普及機にも採用されるようになった結果、コラムホイールは高級機の代名詞ではなくなった。逆にCal.1185のような汎用機で普及した垂直クラッチは、自社製の高級機で多用されるようになった。

 A.ランゲ&ゾーネの製品開発ディレクター、アントニー・デ・ハス氏は、オデュッセウス・クロノグラフの発表時、「バネの力で叩きつけるように接続する垂直クラッチは、乱暴でエレガントではない」と語った。それでも採用したのは、「自動巻き化のため」。そして「可能な限り、ソフトに接続するように設計した」という。

 そのクロノグラフが高級か否かを決めるのは、こうした設計思想にあるのだろう。オメガのスピードマスター プロフェッショナルが今もカム式を堅持しているのは、宇宙での船外活動用クロノグラフとしての耐衝撃性の高さを重視しているからにほかならない。

 多くの設計者は口をそろえる。「クロノグラフの開発は、トゥールビヨンよりもはるかに難しい」と。だからこそ設計者の思想・理念が、より強く反映される。それにどこまで共感できるのかが、クロノグラフ選びの重要な基準となる。