Photos by Mark Kauzlarich
この1年間、ずっと考えていたことがある。ロイヤル オーク コンセプトはどうなるのか? ということだ。
昨年、オーデマ ピゲが17もの複雑機構を持つ驚異的なCODE 11.59 “ユニヴェルセル”をリリースしたのは、ブランドにとって大きな瞬間であった。この時計はオーデマ ピゲがコンプリケーションの分野で最も注目すべきエキスパートのひとりであると、その地位を確固たるものにした(というより世界に知らしめた)だけでなく、CODE 11.59に“研究開発”というラベルももたらした。発売当時はインターネットでかなり酷評されていたコレクション(ただし、CODEは徐々にファンを獲得していった)にとっては、画期的な出来事である。しかし今回、CODEは独立したシンプルな時計として成長しただけでなく、オーデマ ピゲが手がけた最も複雑な作品のひとつがこの時計であることも示した。
しかしここで問題なのは、それはロイヤル オーク コンセプトのテリトリーだと思っていたことだ。2015年まで遡っても、ロイヤル オーク コンセプトのケース形状はスーパーソヌリの技術革新とともに、オリジナルRDウォッチのベースモデルであった。実際、同社はスーパーソヌリの品質を証明したいあまり、プロトタイプをつくる際、最悪の響きを奏でるプラチナを素材に選んだ。私が扱った時計のなかで最も重い時計のひとつであることに加え、私が聞いたなかで最も大きな音のするリピーターのひとつでもある。信じられない音が響き、私は夢中になった。あのフォームファクターでコンセプトモデルをテストするのは完全に理にかなっていたが、あれが最後のRDコンセプトだった。それはブランドの研究開発用プラットフォームであり、ほかのどこにもない素材や、ムーブメントの実験を可能にするための完璧な大きさだった(少なくとも今はまだ)。しかしRD#4が登場したとき、私は突然、5年後にコンセプトが廃止される世界が見えたのだ。私の当面の疑問は、これでロイヤル オーク コンセプトは終わりなのかということだった。
私がロイヤル オーク コンセプトを好きになったのは、数年前にジョン・メイヤー(John Mayer)とその前にはファレル(Pharrell)の手首に巻かれているのを見たのがきっかけだった。私はすぐにリシャール・ミルが長年やってきたこと、つまり素材の実験と技術革新に重きを置いた、大きくて大胆な時計のより洗練されたバージョンだと考えた。時計作家の言葉を借りれば、44mm×16mm(またはそれくらい)の巨大なサイズよりも小さいが、それとは関係なく、手首での存在感は典型的なロックスターの時計だ。何度試着しても絶対に似合わないと思っているが、それでも大好きなのだ。ほかの誰かになることを想像させてくれる時計である。
この50年間、オーデマ ピゲは、特異なデザインや形というよりも複雑な時計製造によって定義されたブランドであると強く主張できる。特に1978年は、その時代で最も薄い自動巻きパーペチュアルカレンダー、Cal.2120/2800のリリースにより、ブランドにとって信じられないほど重要な瞬間を迎えた。その後18年のあいだに、オーデマ ピゲはこの厚さ3.95mmのパーペチュアルカレンダーを搭載した6508本の時計と、791本のオープンワークモデルを製造することになる。そのなかで最も象徴的なのが、39mmのジャンボケースを備えた当時のロイヤル オークだ。パテック フィリップが創業150周年を記念して発表したCal.89から始まり、IWCの“イル・デストリエロ・スカフージア”やジェラルド・ジェンタの“グランド・エ・プティット・ソヌリ・パーペチュアル・カレンダー”といったリリースが続いたのは、ハイコンプリケーションの軍備拡張競争によって区切られた時代だったからである。しかし、ロイヤル オークのパーペチュアルカレンダーが最初の、そして紛れもなく最も象徴的なモデルのひとつであり、しばらくのあいだその状態は続いた。
コンセプトの誕生
ときは流れて2002年、オーデマ ピゲはロイヤル オークの誕生30周年を記念して、コンセプトウォッチ1(CW 1)を発表し、象徴的なフォームファクターの未来を想像する手段とした。コンセプトは、クルマメーカーが最先端の開発をアピールして業界の未来を示すために頻繁に発売するコンセプトカーに触発されたため、その名前が付けられた。また、超薄型の2120ムーブメントとは信じられないほどかけ離れてもいた。
ロイヤル オーク コンセプトがブランドを象徴するアイコンとして捉えられていないのは不思議だ。その美学は当時としては大胆であった。洗練されて未来的で大振りなのだ。オーデマ ピゲは私に、これが真に21世紀に属する最初の時計と考えられると言った。実用主義的な観点から見ると、デザイナーに与えられた当初の使命は、可能な限りの技術革新を1本の時計に集約し、さらにコンクリートの壁に投げつけても壊れないようにしなければならなかったという。
そのためケースにはコバルト、クロム、タングステン、シリコン、鉄からなる革新的な合金、アラクライト602が採用された。これはスティールよりも強度に優れていたが、それ以降、ほかの時計に使用されることはなかった。ベゼルはポリッシュされたチタン製だ。ムーブメントプレート、ブリッジ、トゥールビヨンケージの耐衝撃サポートシステムが鍛造カーボン製であることを強調しつつ、ムーブメント自体が文字盤として機能していた。またダイナモグラフ(ゼンマイのトルク量を示す)、ファンクションセレクター、香箱の回転数を示す線形インジケーターなどの新機能も搭載された。さらにストラップにはケブラー繊維で作られたファブリックストラップがセットされていた。
オーデマ ピゲの開発ディレクター、ルーカス・ラギ(Lucas Raggi)氏は、私が昨年このテーマについて話をしたとき、「コンセプトは自由と極端さを表現しています」と話した。「私たちはこれを機に機構、素材、人間工学の面で探求を進めるとともに、文字盤を持たない最初の時計のひとつにしました」
その時計はオーデマ ピゲにとって革命的なものだった。しかしロイヤル オーク コンセプトと、そのちょうど1年前にリリースされたリシャール・ミルのRM-001の類似性もすぐに見て取れるだろう。偶然ではない。その頃には、オーデマ ピゲはすでにRM-001の開発に影響力を与えていた、有名なルノー&パピの過半数の投資家になっており、そのパートナーシップ関係は年々深まっている。トゥールビヨンが信じられないほど壊れやすい調整機構と考えられていた当時、リシャール・ミルはトゥールビヨンにほぼ衝撃を与えない、目を引くデザイン要素に変えた。1年後、オーデマ ピゲはそれを次のレベルへと引き上げた。
CW 1とRD#1までの13年間、ブランドはコンセプトで革新を続けた。2008年に発表されたコンセプト カーボンは、ブランドが鍛造カーボン、チタン、セラミックに挑戦する機会となり、将来のオールセラミックモデルの土台を作ったと言っても過言ではない。この時計は約237時間のパワーリザーブを提供するツインバレル搭載のCal.2895で、ファンクションセレクター、珍しいリニアカウンターを備えたクロノグラフを特徴とする。6時位置のファンクションセレクターでは、巻き上げ(Rはremontoire)、ニュートラル(Nはneutre)、セッティング(Hはheures)の状態を示す。2011年にリリースされたコンセプト GMTには、約237時間パワーリザーブを持つトゥールビヨンを搭載。クロノグラフを廃止し、おそらくコンセプトのリリースのなかで最もシンプルかつ控えめなGMT機能を追加した。本作は実用的で機能的なリリースであり、何よりも注目すべきは、ムーブメントを構築する文字盤側のデザインコードが、現在でも私たちが目にするものに近いものであったことだ。
ラギ氏は少し笑いながら、「コンセプトはかなり分厚いのでとても便利なんです」と語った。「新しいメカニズムを試したいとき、それを実行するためのスペースが少し必要になることがあります。これらすべての理由から、私たちはここ数年、このコンセプトを使って技術的な時計製造を探求してきました」
2015年に発表されたコンセプト ラップタイマー ミハエル・シューマッハモデルは、21世紀(あるいは20世紀)に入ってから、オーデマ ピゲがクロノグラフ開発に本格的に取り組んだ最初のモデルだった。オーデマ ピゲの自社製Cal.2923は、3つのプッシャーを介して中央の2本の針を単独で操作できる単一クロノグラフであった。ふたつのスタンダードなプッシャーはほかのクロノグラフと同様の操作だが、9時位置にある3つ目のプッシャーは、クロノグラフ秒針の一方を停止させ、もう一方を帰零させるという、ラップタイムを計れるものだった。のちに誕生したMB&FのLM シーケンシャルとの類似性は一目瞭然だが、コンセプト ラップタイマーはより伝統的なレイアウトですべてを実現させたのだ。
その後マーベルが登場した。まあそんなところだ。コンセプト ブラックパンサーの発表はウォッチコミュニティにさまざまな軋轢をもたらしたが、コンセプトがオーデマ ピゲのラインナップで果たす役割に大きな変化をもたらしたのは、実はこれが初めてではない。2018年、オーデマ ピゲは初のウィメンズコンセプトモデルを投入し、それに伴いブランド初のフライングトゥールビヨンを搭載したCal.2951を発表した。しかし460個のバゲットまたはブリリアントカットダイヤモンドがセットされた38.5mmのホワイトゴールドケースというビジュアル的な観点により、技術的な成果はほとんど後回しにされてしまう。何年にもわたり、金無垢や貴石を用いたさまざまなバリエーションのレディスコンセプトが発表されたが、そのすべてに同じフライングトゥールビヨンを搭載。本ラインは技術的なものと同様に、デザイン的プラットフォームとしても確固たる地位を築いたのだ。そこへオートクチュールのデザイナーであるタマラ・ラルフ(Tamara Ralph)氏が手がけたフロステッドローズゴールドのコンセプト38.5mmがリリース。これ自体は、2020年に発表された下の写真のモデルにちなんだものである。
時計業界では、マーベルのリリースがうんざりするほど議論されてきた。個人的にはブラックパンサーは思っていた以上に感動したものだが、ただ今でも別に好きではない。文字盤にあしらわれたフィギュアの目は、まるで本物かのように生き生きとしている。しかし本モデルに搭載された真の複雑機構は、レディスのコンセプトラインに搭載されたのと同じフライングトゥールビヨンのみであり、時計製造における革新的な技術はなかった。
コンセプトウォッチのもうひとつの特徴は、特別に多くのものがリリースされなかったことだ。例えばCW 1は少なくとも5年間生産されたが、連続生産されたのはわずか140本であり、そのほかに14本が、トップクライアントのためにユニークピースとしてつくられた。またミハエル・シューマッハのコンセプトは、彼のF1キャリアでのポイントフィニッシュごとに1ピースずつ生産され、計221本のピースが誕生した。最近のリリースであるタマラ・ラルフ氏とのコンセプトはわずか102本のみだ。ほかの多くは正式な限定版ではなかったが、生産数が限られていたことは確かである。
昨年ラギ氏と話したとき、彼は新しい“ユニヴェルセル”をリリースするためにラウンドケースが必要であると早い段階から判明していたが、2016年に開発が始まった当時、CODE 11.59はまだ存在すらしていなかったと話してくれた。それがこの記念碑的偉業のために、CODEが生まれたことを意味するのかどうかはわからないが、最初からこの時計はロイヤル オーク コンセプトではない運命にあったのだ。ということは、コレクションはもうこれで終わりということなのだろうか?
過去から学ぶ
昨年、私はオーデマ ピゲのアーカイブを見学し、ブランドの歴史からさまざまな時計まで扱うことができた。私が見ることができた最も古い時計は1893年製のものだった。ブランドの象徴である“ユニヴェルセル”よりも6年前につくられたという、信じられないほど複雑な懐中時計であり、グランソヌリ、ミニッツリピーター、パーペチュアルカレンダー、スプリットセコンド、ムーンフェイズ、そして機能を誤って起動しないようにロックする独創的な“セーフティベゼル”を搭載していた。この時計はおそらく、ルイ=エリゼ・ピゲ(Louis-elysée Piguet)社のエボーシュをベースにオーデマ ピゲが製造したもので、デュルシュタイン社、ドレスデン&グラスヒュッテ社、グラスヒュッテ・ウーレンファブリーク・ユニオン社のサインが入っていた。
1893年から1930年代まで、ハンガリーの司教カーリー・エマニュエル・ド・チャスキー(Hungarian bishop Károly Emmánuel de Csáky)が所有していたが、チャスキーの死を機にのちのローマ教皇ピウス11世であるアキッレ・ラッティ(Achille Ratti)に贈られた。教皇はその後、時計を主治医のアマンティ・ミラーニ(Amanti Milani)医師に渡す。この時計は2013年に、オーデマ ピゲがクリスティーズから43万7000スイスフラン(当時の相場で約4603万円)で落札した。プレユニヴェルセルと呼ばれるそれは、とんでもないレベルの懐中時計であり、私のような歴史マニアからするとこの時計に触れること自体とてもうれしかった(というわけで、以下、追加の写真を載せることをお許しいただきたい)。
しかしそれ以上に重要なのは、オーデマ ピゲが私のために出してくれたほかの時計だ。それはブランドが決して複雑機構をひとつのコレクション、スタイル、ケースの形に限定していないことを証明する例として選んだものだった。形態は機能に従うというスタンスの場合もあるが、さらに不思議なのは、機能が形のあとから来たことが明らかなときである。例えばミレネリー トラディション デクセレンスN° 5を見てみよう。2006年に20本限定でリリースされたこの時計は、トゥールビヨン、パーペチュアルカレンダー、ツインバレル、そして約7日分のパワーリザーブを備えたムーブメントを長方形のプラチナケースに収めている。この時計はまた、駆動ばねの望ましくないトルク範囲を排除するためのロック機構を備えていた。
1929年の“ストリームライン”懐中時計(コンプリートカレンダー、ムーブメント側にムーンフェイズ、ミニッツリピーター付き)と、ずっと後の1995年につくられた“ジョン・シェファー”スターホイール式ミニッツリピーターという、機能とフォルムが奇妙にミックスされた興味深い2例がある。どちらも、オーデマ ピゲにとってコンプリケーションとデザインの“どちらか一方”の命題ではなかったことを示す興味深いものであった。それはまた、過去がオーデマ ピゲの未来に影響を与えていることの証明でもある。
「例えば、CODE 11.59 スターホイールプロジェクトを考えてみましょう」とラギ氏。「最初の調査は、過去にあったものを進化させ、設計上の問題があればそれを解決することでした。だから私は美術館と頻繁に仕事をしています。私はよくセバスチャン(オーデマ ピゲ ヘリテージディレクターのヴィヴァス氏)に、“私たちは何かを発明したと思う”と言います。そして私たちが会うと、彼は1903年製の古い懐中時計のようなものを持ってきます。それはとてもよく似ています。インスピレーションの源となる素晴らしい歴史があることを証明しているのです」
コンセプトは永続する
この記事を書いたり調べたりしているうちに、少なくとも私が抱いていた、コンセプト消滅の可能性に対する懸念が大げさだったと示す証拠があったと認めざるを得なくなった。実際、それは明らかな証拠である。RD#4が登場したとき、新しい43mmケースを備えたコンセプト スプリットセコンド クロノグラフ GMT ラージデイトが加わった。では、それを話題にする人がほとんどいなかったとしたら? コンセプトがロイヤル オークのように、顧客の人気を集めたことがないのは明らかだ。コンセプトの価格と限られた入手の可能性は、一般消費者にとって想像上のものであると言っても過言ではないほど、まさに手の届かない領域にある。
しかし新しいコンセプトはコレクションの未来への多くのヒントを秘めている。まず最新のコンセプト スプリットセコンドの成果をよりよく理解するために、オーデマ ピゲのクロノグラフの歴史を知る必要がある。100年以上前、コンプリケーション(その多くはL.E.ピゲのエボーシュに基づいている)の実験が盛んだったブランドの全盛期には、オーデマ ピゲが製造したクロノグラフの約50%がスプリットセコンド機構であった。しかしブランドが腕時計の時代を迎えた瞬間、すべてが変わった。最初の腕時計を製造してから1996年までのあいだに、オーデマ ピゲがスプリットセコンド クロノグラフの時計を製作したのは1949年の1本だけであった。
問題はクロノグラフが、斬新な方法で開発するのが最も難しいメカニズムのひとつであるということ。さらに難しく、また壊れやすいのがスプリットセコンド クロノグラフである。センターポストまで伸びるブリッジとレバーの塊で、不安定な位置にあるクロノグラフ秒針用ホイールを操作するのだ。コンセプト スプリットセコンド クロノグラフ GMT ラージデイトでは、スプリットセコンド機構がローターのボールベアリング内に収まるように工夫されている。これによりすべてコンパクトになり、一方でこの時計は市場で数少ない自動巻きスプリットセコンド クロノグラフを実現した。最初にコンセプトウォッチで試され、最終的に行き着いた“ユニヴェルセル”のように、ほかのモデルで採用されたのだろう。ただしそれは逆効果だ。
ラギ氏は、「スプリットセコンドは“ユニヴェルセル”の1年後くらいから始まりました」と私に語った。「2016年にスタートしたとき最初はRD#4という名前ではなく、オープンなプロジェクト、つまり実験のためのものでした。最初は仕様が確定していなかったため、試行錯誤する余地がありました。例えば、トゥールビヨンやグランソヌリはあとから追加したものです。また、ムーブメントの厚みを薄くするために、ボールベアリング内部にスプリットセコンド機構を組み込むというアイデアもありました」
「すぐにボールベアリング機構を新しいコンセプトに移しました。しかし重要なラージデイトも移動されたことに気づくでしょう。ある意味、スプリットセコンドは“ユニヴェルセル”の第1子と言えるかもしれません」
しかし、RD#4の技術を入手するための比較的手頃な方法(17万5000ドル、日本円で約2625万円というのは非常にざっくりとした意味だ)としてコンセプトを生産するのではなく、ここで実際に重要なのはスケールアップすることである。オーデマ ピゲの近代史上初めて、彼らはラトラパンテメカニズムを年間相当量生産するつもりだ。ラギ氏は毎年何本のコンセプトウォッチを作っているかは教えてくれなかったが、この時点で、オーデマ ピゲは年間約13本のスプリットセコンドを生産したのみで、そのすべてがロイヤル オーク グランドコンプリケーションだったと教えてくれた。この新しい時計はブランドの状況を一変させるだろう。
率直に言って、コンセプトは2002年当時ほどオーデマ ピゲには必要ないのかもしれない。もしかしたら、ある時点でブランド内でイノベーションの概念が再構築されたのかもしれないし、むしろ、イノベーションが生きなければならない場所の制約を超えて成長したのだろう。超薄型キャリバーであるRD#2は、理論的にはロイヤル オークのケースに入れなければならず、コンセプトは超薄型の時計にはなり得なかった。そしてRD#3は、ジャンボ ロイヤル オークがトゥールビヨンを搭載できることを証明するために設計された。
だから質問が山積みになって、私を悩ませ続けた。もしオーデマ ピゲにとってこのコンセプトの最大の利点のひとつが、サイズによってもたらされる自由だとしたら、サイズだけでなく複雑さもマスターしたらどうなるか? もっと寛容なプラットフォームが必要なのか? ということで、非常に鋭い質問をラギ氏にぶつけてみた。コンセプトは5年後にはなくなってしまうのだろうか?
「いいえ、そんなことはありません」と彼は答えた。「私たちは今後数年で準備が整うであろうコンセプトの大きな展開を用意しています。探求のテーマは変わりません。2025年には重要な記念日を迎えますが、2030年頃までの計画もあります。コンセプトのために、私たちの開発の数と頻度がこれほど強力だったことはありません」
最後の一礼の代わりに、ロイヤル オーク コンセプトは、少なくとも当分のあいだはこれまでどおり継続される。コンセプトは、オーデマ ピゲがほかにできない実験を行うためのプラットフォームとしてのみ機能するコレクションではなく、メゾンが技術的にどこまでプッシュできるかを示す頂点として、より寛容なサイズというメリットだけでなく、継続的に設定されている。それと同時に、過去12年間で学んだことを生かし、これまでにない規模でそれを続けていくのだ。