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友人、作家、ベンチャーキャピタリスト、そして常に信じ続けてくれたオム・マリクを偲んで

オム・マリクは、早くからHodinkeeと私を信じてくれた人であり、あらゆる時計を愛する人でした。彼がいなくなるのは寂しい。

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※本記事は2026年6月26日に執筆されたUS版の翻訳です。

私はずっと前から、Hodinkeeを個人的な発信の場にはしないと決めていた。ここでは時計に関心のある人々に影響を与える事柄について、時計を目的にここを訪れる人々に関わる事柄について、あくまでプロフェッショナルな記事を書く場にすべきだと考えていたのだ。だが今日は、その自分自身のルールを破ることになるかもしれない。時にはそうする価値のあること、あるいはこの場合は、そうする価値のある人がいるのだ。オム・マリク(Om Malik)氏が昨日(編注;6月25日)、スタンフォード病院で亡くなった。長年にわたり心臓疾患と闘い続けた末のことだった。

 オムをご存じない方のために紹介すると、彼はインドで生まれ、イギリスで教育を受け、既存メディアをオンラインへ移行させた先駆者のひとりだった(1997年にはForbes.comの創設メンバーとして参加)。その後、初期デジタル時代を代表するビジネスメディアGigaOmを立ち上げたほか、Business 2.0やウォール・ストリート・ジャーナルなど数多くの媒体に寄稿してきた。またTwitterのようにのちに世界を変える企業へいち早く注目した人物のひとりとしても知られ、ときにはそうした企業の歩みの一部を担う存在でもあった。Hodinkeeもその一例だ。

 オムがTwitterを通じて初めて私に連絡をくれたのは、2012年1月だった。今夜あらためて当時のやり取りを読み返してみた。最初のころのメールは、そのほとんどが時計の話だった。彼は私が開催したハリー・ウィンストン オーパス 12のイベントにも足を運んでくれたし、カルティエ ID2のイベントにも来てくれた。ノモスのローンチパーティー(アメリカ進出前)にも、チューダーのローンチパーティーにも来てくれた。彼はHodinkeeにとっても、そして時計という世界にとっても、初期から熱心に支えてくれた存在だった。けれど今夜この文章を書いている理由はそれだけではない。

ベイエリアへの旅で、私と一緒に大好きなタイムラプス撮影に興じるオム。

 オムは、私の人生を変えてくれた。それも一度きりの劇的な出来事ではなく、幾度となく、少しずつ、さりげなく、そしていつも優しさと、私に対する揺るぎない信頼をもって。今思えば彼はGigaOmを離れたあと、True Venturesのパートナーに就任した。同社は、彼とケビン・ローズ氏、トニー・コンラッド氏との親交を通じて、Hodinkeeの最初期かつ最も熱心な支援者となった。しかしHodinkeeが時計業界で存在感を高めていくなかでも(いや、10年ほど前、自分たちの活動を盛り上げるためによくそんなことを口にしていた頃と言ったほうが正確かもしれないが)、私とオムが交わす会話の中心は時計ではなかった。

 私たちが話していたのは人生のこと、友情のこと、そして自分の周りにいる人たちとのつながりのなかにどう意味を見いだしていくかということだった。その好例が、Hodinkee Radioの記念すべき第4回エピソードで収録した会話だ。スティーブンと私は時計収集について話していたが、彼は“人を集めること”、つまり真に意味のある人間関係について語っていた。ちょうどそのころ、私とカーラは付き合い始めたばかりで、オムとの収録を終えたあと、彼女に電話をかけて「君こそが、私が残りの人生を共に過ごしたい人だと確信した」と伝えたのを覚えている。

この写真は2015年7月にサンフランシスコで撮影されたもので、彼と私がよく共有していたライカカメラのうちの1台で撮ったものだとほぼ間違いない。

2019年ごろ、ニューヨーク市のHodinkeeオフィスにいるオム。

 年月が経ち、私と彼の関係が、彼の所属するTrue Venturesとの仕事を通じてよりプロフェッショナルなものになってからも、オムは変わらず私の相談相手であり、良識ある意見を述べてくれる存在だった。もちろん、彼はTrue Venturesの人間であり、報酬も同社から受け取っていた。だが彼が私の味方であり、私の幸せを心から願ってくれていることに、私は一度も疑いを抱かなかった。正直なところ、True Venturesの全員について同じことが言える(そして今後数カ月以内に公開されるハーバード・ビジネス・スクールのケーススタディでもそのように書いている)。それでもオムはHodinkeeと私に対して、誰よりも深い愛情と細やかな気遣いをもって接してくれた。

 時計の話をするなら、彼のセンスは本当に抜群だった。グランドセイコーの叡智IIが発売された当初、世界でも最初期のオーナーのひとりとなり、2016年にはすでにH.モーザーに注目していたし、レッセンスに至っては、それよりさらに早い段階から支持していた。ローラン・フェリエやアウトドローモをはじめ、本当の意味でのインディペンデントブランドを応援することを心から楽しみ、ブランドを支える人々に会うことを何よりも好んでいた。私が彼に紹介したのと同じくらい、私にも多くの紹介をしてくれた。そのすべてをとおして、オム・マリクは優しく、温かく、ユーモアにあふれ、誠実で正直な友人だった。よい時期へと導き、苦しい時期をともに乗り越えてくれる存在だった。彼は多くの苦難を経験してきたが、それを包み隠さず話してくれた。彼は実に多くの点で稀有な存在だったが、ベンチャーキャピタルの世界にいながら、優しさや弱さをさらけ出せる自信は、研究に値するほど稀有なものだった。

テキストメッセージの日本語訳: 友よ、君の笑顔をまた見ることができて本当にうれしかったよ。最高だ。またサンフランシスコに来たら連絡してくれ。

 ここ数年にわたるオムとのメールやテキストメッセージ、さまざまなやり取りをあらためて見返してみると、2018年頃を境に、その内容が時計についてではなくなっていたことに驚かされる。覚えている方もいるかもしれないが、私はある時期からHodinkeeのトップページに登場する機会を大きく減らし、自身のソーシャルメディアも約3年間すべて停止した。仕事や時計、そしてHodinkeeから少し距離を置き、自分自身や現実の人生、そして心身の健康と向き合うための時間と余裕を持ちたかったからだ。彼は、私がその時期に関わった数少ない人物のひとりだった。そしてそれから10年近くが経った今、振り返ってみると、彼がいつも私の味方でいてくれたこと、そしてそれをためらうことなく言葉にして伝えてくれていたことを思うだけで、ただただうれしくなる。

彼が病室から私に最後に言った言葉は、新旧問わずHoidnkeeの仕事を見て喜びを感じているということだった。そして家族のことを尋ねてくれた。

以下テキストメッセージの日本語訳:

ベン(右): 相棒!具合はどう?

マリク氏(左): なんとか頑張ってる。体調を崩し、心臓の病気で1カ月以上入院しているよ。病室では、君のこれまでや最近の動画を観て、喜びを感じているよ。

 そしてほんの1時間ほど前に、オムが亡くなったという知らせを受け、胸が締めつけられるような思いだった。ここ数年は直接会うことはなかった。それは、お互いがアメリカの反対側に住んでいたこともあるし、私の生活の中心が、ニューヨーク州北部で暮らす、クライマー家の幼い子ども2人へと移っていたからでもある。だが約1カ月前、彼がスタンフォード病院に入院していたときには、連絡を取り合った。正直に言えば、私は彼の病状がそこまで深刻だとは思っていなかった。だからこそ今、スタンフォードまで会いに行く時間をつくらなかったことを心から悔やんでいる。彼が私に最後に伝えてくれた言葉は、私の古い(そして新しい)ビデオを見て喜びを感じているということだった。それは私にとって、この上ない賛辞だった。そしてそのあと、本当に大切なことについて尋ねてくれた。私たちを引き合わせたのは時計だったが、私たちを結びつけ続けたのは現実の人生そのものだった。オム・マリクがいなくなって本当に寂しい。この世界が、限られた時間とはいえ彼という人に出会えたことを心からありがたく思う。私にとってオム・マリクのような人はほかにいない。

ちなみに、私が再び文章を書き始めたきっかけはオムだった。


テキストメッセージの日本語訳: ベン、君のことを考えてる。いつ君の素晴らしい記事を読めるのか楽しみに待っているよ。君の言葉が恋しいんだ。これからも笑顔で楽しく過ごしてくれ。

 2018年にオム・マリクが機械式時計に抱いていた初期の関心について聞きたい方はこちらから。2020年に行われた近況を語る対談もある。そしてAppleのデザインチームとの対談もおすすめしたい。オムの話には、耳を傾けるたびに必ず何か新しい学びがあった。だからこそ私自身も、この世界も、もう彼の新しい言葉を聞く機会がないのは本当に残念だ。安らかに眠ってくれ、オム・マリク。Hodinkeeをはじめ、多くの人々があなたを心から愛している。