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Interview カリ・ヴティライネンが語る、ウルバン・ヤーゲンセンの過去、現在、そして未来

さらに自身の名を冠したブランドでの創作活動と、今回就任したウルバン・ヤーゲンセンでの新たな役割をどのように両立させていくのかについても語っている。


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A.ランゲ&ゾーネの再始動以来、今回ほど大規模なブランドリローンチは31年以上なかっただろう。当時のランゲでさえ、会場にA級セレブやNBA選手、さらには1990年代版のファッションインフルエンサーのような人々が集まる光景など想像もできなかった。だが、ウルバン・ヤーゲンセンのリローンチイベントがロサンゼルスの航空機格納庫で開かれ、会場は満員になるほどの大盛況だった。そしてそこには、謙虚で少し控えめながらも鋭い洞察力を持つフィンランド人時計師、カリ・ヴティライネン(Kari Voutilainen)氏の姿があった。彼は、カルティエやパテックのイベントに匹敵するほどの大規模な催しの中心人物となっていたが、もともとウルバン・ヤーゲンセンは275年の歴史を持ち、愛好家に親しまれてきたシンプルで技巧派の高級時計ブランドだったのである。

Urban Jurgensen

ウルバン・ヤーゲンセン UJ-2、UJ-1、そしてUJ-3。 Photo by Mark Kauzlarich.

 今回のウルバン・ヤーゲンセンをめぐる華やかな演出、たとえばInstagramで話題となった大規模イベントをはじめ、有名写真家エレン・フォン・アンワース(Ellen Von Unwerth)氏、アーティストのジェームズ・タレル(James Turrell)氏とのコラボレーション、そしてデンマークの文化から着想を得た本格的なブランディングキャンペーンはヴティライネン氏が考えたものではない。共同CEOとしての彼の役割は主にウォッチメイキングとその運営管理(ウルバン・ヤーゲンセンと自身のブランドの製造を管理すること)にあり、例にもれず今回も、ブランドの歴史を象徴する3本の素晴らしい時計を披露することが彼の狙いであった。

 このイベントは一部の人々からは過剰だと思われたかもしれない。しかし私にとっては、ヴティライネン氏を祝う場としてとても楽しめるものだった。ディナーで彼と向かい合ったとき、彼自身、このような規模の製品発表会に参加するのは初めてだと話してくれた。そして何より素晴らしいのは、その場に妻とウルバン・ヤーゲンセンのCOOを務める娘ヴェンラ・ヴティライネン(Venla Voutilainen)氏が一緒にいたことだ。

Getty Urban Jürgensen

Photo by Presley Ann/Getty Images for Urban Jürgensen.

 私たちはウォッチメイキングとそのビジネスを扱う専門メディアだ。だからこそ、ヴティライネン氏とイベント前にサンタモニカのリージェントホテルのスイートルームで対面したときも、そこに焦点を当てて話を伺うことにした。その結果生まれたのがこの幅広いテーマを含むインタビューである。彼とウルバン・ヤーゲンセンのこれまでの関わりや、自身のブランドとの両立方法、この新たな挑戦におけるビジネス的な面での考えなど、さまざまな話題について語ってもらった。本インタビューは読みやすさを考慮して編集しています。

マーク・カウズラリッチ(以降M.K.): 今週、この話は何度もしていると思いますし、1980年代、1990年代、2000年代におけるウルバン・ヤーゲンセンの成功については我々もすでに取り上げています。ですので今回は、あの頃のことを改めて伺いたいと思います。あなたにとって今回の出来事はひとつの集大成のような瞬間だと思いますが、そもそも当時、どのようにしてウルバン・ヤーゲンセンと仕事を始めることになったのですか?

Peter Baumberger

ピーター・バウムバーガー(Peter Baumberger)。 Photo courtesy Urban Jürgensen.

カリ・ヴティライネン、ウルバン・ヤーゲンセン共同CEO(以降K.V.): 1996年、ラ・ショー・ド・フォンにあるMIH(国際時計博物館)でジラール・ペルゴがスポンサーとなった展覧会がありました。テーマはトゥールビヨンで、ヴィンテージウォッチやジラール・ペルゴの新作トゥールビヨンが展示されていました。ちょうどその頃、私が初めて手がけた懐中時計が完成したばかりでそれもトゥールビヨンだったため、この時計も展示してもいいかお願いしたのです。すると、その展覧会に来ていたピーター・バウムバーガー(Peter Baumberger)が私の時計を見て自宅に電話をかけてきたのです。そのとき私は不在でしたが、妻が電話に出ました。

 ピーターはとても話し上手かつ魅力的な紳士だったので、妻とも長く話していたみたいです。そうしたら最終的に、その懐中時計を買えないかと尋ねてきたそうです。妻は、“試しに聞いてみてもいいですが、彼は売らないと思いますよ”と答えたらしく、実際に私はその時計を売りませんでした。その代わりに私は彼のもとで働くことになり、いろいろな仕事を手伝いました。そして2002年に独立して活動を始めたときも、投資を受けず完全に自立してやっていきたいと思っていたから彼が一番の顧客となって私を支えてくれたのです。

M.K. : このころ、ピーター・バウムバーガーはウルバン・ヤーゲンセンの再興に取り組んでいましたが、あなたが彼のためにやっていた仕事のなかには、ウルバン・ヤーゲンセンの仕事も含まれていたのでしょうか。そしてもうひとり、重要な人物がデレク・プラット(Derek Pratt)です。彼とは一緒に仕事をしていたのか、どのような経緯であの有名なウルバン・ヤーゲンセン/デレク・プラット オーバルを手がけることになったのか教えていただけますか。

Derek Pratt Oval

“オーバル"。Photo courtesy Urban Jürgensen.

Derek Pratt

デレク・プラット、自身の工房にて。 Photo courtesy Urban Jürgensen.

K.V. : 私たちは特に親しい関係ではありませんでした。本当にごくたまに彼の工房を訪ねることはありましたが、一緒に仕事をしたことはありません。彼はいつもひとりで作業するのが好きだったのです。この“オーバル”は彼が80年代に作り始めたものですが、そのときまだ荒削りで未完成でした。試作はされていたものの、技術的にもデザイン的にも仕上がっていなかったため時計としては動かなかったのです。銀製のケースにプラスチックの風防が付いていて、2004年に依頼を受けたときに撮ったムーブメントの写真もまだ手元に残っています。

 ピーターはその時計を完成させてもいいかどうかデレクに尋ね、その後、私に依頼してきました。当時のデレクはすでに癌で体調が悪くかなり弱っていたため、自身ではもう仕上げられないとわかっていたのだと思います。だから最終的にそのプロジェクトを引き継ぎ、時計として動くようにするのは私の役目となりました。

M.K. : 彼のプロジェクトを腕時計という形で復活させたわけですね。それもトゥールビヨンキャリッジにルモントワール・デガリテを搭載した、量産型のトゥールビヨン腕時計としてです。それは最初から大きな挑戦だったと思いますが、やはり最初に取り組むべきはそこだと考えたのですか? それとも最初から“フルコレクションを作ろう”と決めていたのですか?

UJ-1

UJ-1 トゥールビヨン。Photo by Mark Kauzlarich.

K.V. : 目標はコレクションを作ることでした。だからこそ最初に発表するUJ-1 “アニバーサリーモデル”では、インパクトのあるものを作らなければならないと決めていました。特別な時計である必要があるとわかっていたので、何を作るべきか、たとえば複雑なものにするかそれともあえてシンプルなものにするかを長い時間をかけて考えたのです。

 もし複雑なものを作った場合、クロノグラフやリピーターのメカニズム全体を見せることはできず、その一部しか見えなくなってしまいます。そして開発にも時間がかかります。そこでまずは試作を始めるためにひとりを雇いました。その人物は当初、私の工房で働いていました。まわりに経験豊富な時計師たちがいる環境なら何か問題が起きてもすぐに解決でき、作業をより早く進めることができるからです。

 私は、“オーバル”がいい選択肢になるのではと考えました。なぜならトゥールビヨンを作ったとしても、それは所詮ただのトゥールビヨンにすぎない。もちろん課題もありました。元の懐中時計は鍵で巻きあげたり時間を合わせたりする仕様だったため、それをリューズで巻き上げて時間を合わせる仕様に変える必要がありました。簡単なことではありませんでしたが、熟考の末、それが最善のアイデアだと判断したのです。

Urban Jurgensen UJ-1

UJ-1 トゥールビヨン。 Photo by Mark Kauzlarich.

M.K. : UJ-1を作れるという確信が持てるようになるまで、どれくらい時間をかけて構想を練ったのですか?

K.V. : 構想には2〜3カ月かかったと思います。まず、ツインフライングバレルがあったのですが、これは未知の領域だったから構造をどうするか、ピボットをどう固定するかを考えなければいけませんでした。次に厚さの問題をどう解決するかを考えて、それからトゥールビヨンケージのルモントワールを組み込むことも考えたのです(笑)。そのときは“まあここはなんとか乗り越えられるだろう。でももし本当にルモントワールが無理だったら、外してトゥールビヨンだけにしよう”と思っていました。バレルの問題がほぼ解決しかけたころ、さらに別の課題が出てきました。歯車がすべて文字盤側にあるために、巻き上げ機構が逆回転してしまったのです。それから、時刻合わせの機構を組み込むためには複数のパーツを重ねる必要があって、その構造をどうまとめるかも考えないといけませんでした。そうしたすべての課題がクリアになったところでようやく、“よし、これで進めよう”と決心できたのです。

注目の時計師:関口陽介

スイス在住の日本人時計師、関口陽介氏は自身の“プリムヴェール”製作にあたり、ユール・ヤーゲンセン(左)からインスピレーションを得た。詳しくは2023年のこちらの記事で紹介している。

M.K. : UJ-2についても伺いたいのですが、初めてそのムーブメントを見たとき、関口陽介さんが“プリムヴェール”で着想を得たユール・ヤーゲンセン製のムーブメントと形状がよく似ていると感じました。ただし今回はテンプが改良されています。それ以外にはどういった違いがあるのでしょうか? 輪列も昔のユール・ヤーゲンセンのムーブメントに近いのか、それともブリッジだけがアンティークキャリバーのデザインを引き継いでいるのでしょうか?

K.V. : いいえ、これは現代的な構造で、モダンな輪列と直接インパルスを与えるナチュラルエスケープメントを搭載しています。ただ、知的な意味でいいアイデアだと思ったのです。というのもウルバン・ヤーゲンセンはブレゲのもとで学び、彼の父親もブレゲと親交がありました。だから、ブレゲが生涯追い求めたナチュラルエスケープメントを搭載することで、いい繋がりになると思ったのです。それに、私たち(カリ・ヴティライネン工房)では2008年からこのナチュラルエスケープメントを手がけており、直接インパルスを与える仕組みについて多くの経験があるし、構造的にもサービス頻度が少なくて済むことを知っています。脱進機の原理自体はこれまでと同じですが、時計への組み込み方がこれまでとは異なっていて、今回もふたつのガンギ車でテンプに直接インパルスを与えていますが、中央にレバーがあります。そして、このキャリバーはこれまで私が作ってきたものよりも薄く仕上がっているという違いもありますね。

Urban Jürgensen UJ-2

ウルバン・ヤーゲンセン UJ-2。Photo by Mark Kauzlarich.

M.K. : いい流れですね。あなたのブランドで作ってきた時計を見ると、ピーターのもとでウルバン・ヤーゲンセンで働いていた時代の経験が、あなた自身の美的感覚や好みに影響を与えているのがわかります。ティアドロップラグやギヨシェ模様があしらわれたダイヤルなどウルバン・ヤーゲンセン的な要素が見られるため、同じようなデザインの系統に入ると言えるでしょう。

K.V. : それが自分の好きなスタイルなのです。ケースからダイヤル、ムーブメントに至るまで、細かく装飾されたものが好きです。ただ今回の新しいモデルを作るのは私にとって簡単なことではありませんでした。

M.K. : それがまさに私が聞きたかったことです。突然、ムーブメントや価格だけではなく、デザイン面でも自分自身と競合するような状況に身を置くことになったわけですよね。コレクターとしては、いわばあなたの“筆跡”がウルバン・ヤーゲンセンに表れていて欲しいと思います。しかしMB&Fのようなアヴァンギャルドな存在になるとは想像していません。それでも、自分自身の作風をコピーしないようにするにはどうしているのですか?

K.V. : それがいちばんの懸念点でした。もちろん自分が何かを作るときには、自分自身の個性が表れるものです。しかしまず第一に、このムーブメントは今市場にあるどの時計とも違う構造になっています。それはブランドにとって強みになると思っています。

 全体的なデザインについて言えば、ピーター(バウムバーガー)はウルバン・ヤーゲンセンにいるあいだ、デザインを変えてきました。よく見ると、Ref.1、2、3、その後のモデルでケースの形が変わっているのがわかります。ラグはとても細く、長めで、ベゼルの上に乗るような形をしていたけど、のちに彼はそのラグの形も再び変更しました。だからこそ、そのDNAを残しつつデザインを変えてみてもいいと思いました。もしデザインを変えるなら今がそのチャンスだと。そうすれば、ひとつのデザインだけに縛られませんから。

An Urban Jurgensen ref. 2 in platinum. Image: courtesy of @Bazamu

 プラチナ製のウルバン・ヤーゲンセン Ref.2。ラグが細く、ベゼルの上に部分的に乗っているのが分かる。Image: courtesy of @Bazamu

 私はクラシカルな時計づくり、時代を超えて愛されるエレガントな時計が好きなのです。その考え方を前提にすると、自然とある枠組みのなかで物づくりを行うことになるので、マックス・ブッサー(Max Büsser)氏のような時計は作れません。しかし、あまりにクラシカル過ぎるのも避けたいのです。デザイン自体はクラシカルだけどUJ-2やUJ-3のムーブメントには少しひねりを加えてあるので、今回のデザインは完全なクラシックとは言えないのです。

Jacques-Frédéric Houriet, pink gold high-precision one-minute tourbillon openface pocket watch with spring detent chronometer escapement, free-sprung spherical balance spring, stop feature, regulator dial, and Réaumur thermometer.

ジャック-フレデリック・アリエ(Jacques-Frédéric Houriet)作、ピンクゴールド製ハイプレシジョン ワンミニッツ トゥールビヨン オープンフェイス懐中時計。スプリングデテント クロノメーター脱進機、フリースプラング式ヒゲゼンマイ、ストップ機能、レギュレーターダイヤル、レオミュール温度計を搭載。2021年、クリスティーズにて4万3750スイスフラン(日本円で約795万円)で落札された。 Photo courtesy Christie's.

 ただおもしろいのは、ウルバン・ヤーゲンセン自身が時計を作っていたときも、いつも少しひねりを加えていたということです。彼の時計はムーブメントから設計を始めるスタイルだったため、スモールセコンドが2時位置や10時位置にあるモデルもありました。いくつか共通点があるので、彼はブレゲから大きな影響を受けていたのではないかと思います。それにジャック-フレデリック・アリエのムーブメントも使っていたように思われます。構造が似たムーブメントが現存していますし、ウルバンはアリエの娘と結婚しているのです。

 全体的なデザインに関して言えば、ひとつのデザインを作ってそれを繰り返すことで、アイコン的存在になるのは容易です。ただし多くの場合、そのデザインを変えられなくなってしまうのです。もちろんいつかヴィンテージシリーズのようなものを作ることも考えられますが、今はこのデザインで進めていこうと思っています。

M.K. : UJ-3の話題ですが、最初にこの時計が1万4000年ものあいだ正確なムーンフェイズを備えていると聞いたとき、“それってまるでアンドレアス・ストレーラー(Andreas Strehler、編注;代表作にザ・パーペチュアル・カレンダーやH.モーザー モーザー・パーペチュアル 1があるスイスの独立時計師)氏が作りそうなものだな”と思いました。そして実際、UJ-2の設計に永久カレンダーを組み込む際には彼が担当しているのですよね。時計に詳しくない人はストレーラーの名前を知らないかもしれませんが、彼は多くのブランドのためにムーブメントやパーツを製作している独立時計師です。そこでお聞きしたいのですが、なぜ彼と一緒に仕事をすることに決めたのですか?

K.V. : ブランドを立ち上げたのはパンデミックの最中で、そのころは生産も納期も混乱していました。だからアンドレアス氏に相談して、カレンダーの開発をやってもらえないかと頼んだのです。彼はその分野で知られていますし、製造設備もすべてそろっていたため、迅速に作ってもらえると思ったのです。こちらとしても助かったし彼もすぐに支払いが受けられる確実な仕事に喜んでいました。ほとんどのブランドは、請求書を出しても90日後に支払うことが多いですが、私たちはすぐに支払う。それに加えて、彼はアイデアにとてもオープンなのです。業界には、ここまで依頼どおりに柔軟に対応してくれる人はあまりいません。

M.K. : ではビジネスや生産面の実務についてお伺いします。最近、あなた自身のブランド(カリ・ヴティライネン)で求人を出しているのを見かけましたが、ウルバン・ヤーゲンセンには何人くらいのチームがいるのですか? また、そういったポジションを埋めるのは大変だったりするのですか?

K.V. :今、ウルバンには20人のスタッフがいます。ただ、適任の人材を見つけるのは難しいのです。アメリカではどうだったかわかりませんが、ヨーロッパではパンデミック以降、人々の考え方が変わって、特に若い人たちはもうフルタイムで働きたくないのです。せいぜい80%くらい働いて、1年休んでどこかへ行ったり、2年働いて別のことを始めたりしたいと思っています。つまり価値観が変わったのです。それにスイスの教育制度も変わってきていて、教育のレベルも…正直言って、以前ほど高くはなくなってきています。

M.K. : 今回のローンチに向けてコレクターたちからよく聞かれる大きな質問のひとつが、生産本数についてです。総生産本数というのはそのブランドがどんなビジネスを築こうとしているのかを示す指標でもありますが、ウルバンは今後、どれくらいの本数を作る予定なのですか?

UJ-2

ウルバン・ヤーゲンセン UJ-2。 Photo by Mark Kauzlarich.

K.V. : 私たちにはもっと時計師が必要です。すべてはその制約にかかっています。外注してしまうと品質のコントロールや熟練度が失われるから、私たちは作業を外注したくないのです。今年はおそらく50~70本程度の時計を製作する予定です。UJ-1については、1年半から2年かけてすべて納品する計画で、来年には生産量を倍にしたいと考えています。しかし、それも時計師の育成次第です。特にナチュラルエスケープメントに関しては学校では教えられていないため、ほとんどの時計師がその組み立て方を知りません。実際、スイスレバー脱進機を使う場合なら、現在では脱進機一式とテンプをセットで注文して取り付けるだけで済みます。しかし、このナチュラルエスケープメントはまったく別物なのです。

 今後数年間で、年間に数百本程度の時計を生産していく予定です。ただ、今の時点で正確な数字は言えません。もちろん夢としては、“6年後には500本、10年後には1000本作れるようにしよう”と考えることもできます。しかし重要なのは、品質を維持することにコミットしているため、それを損なうような無理な増産はできません。そして、会社の文化のバランスを保つことも大事で、急激に成長しすぎるとバランスが崩れることもあるのです。

M.K. : 最後に、コレクターたちがとても気にしている質問をさせてください。それはあなた自身のキャパシティについてです。複数のブランドでさまざまな役職を担っているいま、すでに多くのコレクターがその点を心配しています。そして数々のコラボレーションも抱えているなかで、CEOという新たなリーダーシップポジションをどう両立していくおつもりですか? また、ウルバン・ヤーゲンセンと自身のブランドを成長させていくうえで、一方のブランドのアイデアをもう一方に流用してしまうようなことなくそれぞれを発展させていくにはどうするのですか?

K.V. : それは私にとってそれほど難しいことではありません。私自身の時計については、これから20年分のアイデアがすでにあります。そしてウルバン・ヤーゲンセンに関しても、彼が過去に手がけてきたものの写真がたくさん残っていて、それらから着想を得てブランドのDNAを生かした新しいアイデアを試すことができます。そのため、その点についてはまったく心配していません。

 それよりも重要なのは、自分のスケジュールを整理して“知的な自由時間”を意識的に確保し、よりクリエイティブな仕事ができるようにすることです。自分の工房ではオペレーション業務には関わっておらず、4年間マネージングディレクターを務めてくれている同僚が会社を運営しています。そしてウルバン・ヤーゲンセンでは、娘(COOのヴェンラ・ヴティライネン氏)と一緒に仕事をしています。家族と働くのはやりやすいですし、娘とはとてもいい関係を築けています。

 実際には、週に2回ビエンヌのウルバン・ヤーゲンセンの工房に行っていますが、それ以外の日も毎日娘と連絡を取っています。細かいことまですべて自分で対応する時間はないため任せることを覚えました。実務的なことがあれば彼女が対応してくれると信頼していますし、何か質問があれば電話やメールで一緒に解決します。そしてクリエイティブな仕事に関しては自分がより深く携わり、サプライヤーや設計担当者とのやり取りも自分が直接フォローします。彼らとの関係がすでにあるからそのほうが楽なのです。だからこれまでもそうしてきたし、これからもそのやり方で進めていくつもりです。

ウルバン・ヤーゲンセンについてはこちらから、ヴティライネンについてはこちらからご覧ください。