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1969年から1977年に製造されたオメガのフライトマスター(小文字のfで始まる、flightmaster)はパイロットウォッチとして販売され、パイロットウォッチとして認識された。しかし、それは単なる航空用のデザインをはるかに超えている。あらゆるカテゴリーに属する同時代のツールウォッチをよそに、独自の道を静かに進んだ。クロノグラフ機能、セカンドタイムゾーン、AM/PM表示を備え、120m防水を誇り、スウェーデン製ステンレススティールケースに包まれていた。
スピードマスターはNASAの宇宙飛行用装備品に選ばれたが、鉄のカーテンの向こう側ではフライトマスターがロスコスモス(ROSCOSMOS、ロシアの宇宙開発全般を担当する国営企業)によって宇宙飛行士ために選ばれた。故アレクセイ・レオーノフ(Alexi Leonov)が着用していたことで良く知られている。
ロレックスのGMTマスターは、GMTとセカンドタイムゾーンを表示する針を備えた、おそらく史上最もよく知られた時計デザインだ。フライトマスターにはセカンドタイムゾーンの時刻を示す明るいブルーの針があり、さらにスピードマスターのクロノグラフ機能も備えている。
写真:ボナムズ(Bonhams)
この時代のダイバーズ クロノグラフを象徴するアクアスター ディープスターは100m防水を備えていたが、フライトマスター? 120m防水だ。そもそもダイバーズウォッチでさえないというのに!
それと同時に、あるリファレンスでは多くのドレスウォッチよりたくさんの金が使われている。1971年に製造されたRef.BA345.0801はハーフポンド(約225g)の無垢の18金でできている。ハーフポンドだ!
そして、この意外な取り合わせがこの時計を究極の時計に相応しいものにしている。エンジニアリングとデザインの面だけでも素晴らしい上に、オメガは全く誰からも一切要望されなかったことを実行し、18金でその時計を作ったことで、これまでに製造された中で最も重い時計の一つとなった。この不条理さが私を強く惹きつけた。
写真:ボナムス(Bonhams)
もし、私がこの時計が発売された1971年に戻れるなら、そして、そのうちの1本を手に入れる方法を見つけられるなら、きっとこの時計と共にとても素晴らしい時を過ごせるだろう。もちろん、200本製造されたゴールドのフライトマスターのうちかなりの本数を取り寄せたという伝説をもつヨルダン国王のフセイン1世と競わなければならないのだが。
写真:フィリップス(Phillips )
私は究極の時計を究極の体験と組み合わせるだろう。空を支配するエアライン、パンアメリカ航空のボーイング747-100での世界旅行だ。1970年に登場した747型機は燃料効率の向上と乗客定員の増加によって、旅行をより安価にしたが、ファーストクラスのダイニングルームがあった上層階では極めて豪華な飛行体験を提供した。この飛行機の設計は天井の高さに余裕があり、それがラグジュアリーな空間を演出した。
私は1971年のパンアメリカのルートマップを眺めてから、この時計にぴったりなパーフェクトな旅程をまとめたてみた。
ニューヨークから搭乗し、最初に向かうのは国際的な中東の中心地であった革命前のテヘランだ。それからカラチへ、次いで“喜びの街”として知られるカルカッタ、それから私が好きなアジアの都市、ワイルドなバンコクで開業したばかりの有名なデシュタニホテルに数泊する。バンコクの後は東京に行って、築地市場で世界最高のシーフードを堪能し、その後はホノルルに飛んでシビック・オーディトリウムでショーを観る。日本とオーストラリアへの旅路で70年代の人気ショーをのぞけるだろう。最後にアメリカ本土に戻り、ロサンゼルスに降り立つ。
運が良ければ、旅路のどこかで機長がコックピットに招き入れてくれて、そこで私は世界中を飛びまわる“空の女王”の秘密を知り、その美しさを目にすることができるだろう。
そして、もしかすると機長は私が腕にハーフポンドの金をまとっていることに気付くかもしれない。その説明は簡単にはいかないはずだ。それが実は本当のところ最先端のパイロットウォッチであるということも、そして今後50年にわたって、少しでも似た時計が一切生み出されないだろうということも。