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2014年にベン(・クライマー)は、姿を消した最も偉大な12の腕時計について教えてくれた。ポール・ニューマンのポール・ニューマン、ジョン・レノンのパテック フィリップ 2499、オメガのオリジナルムーンウォッチなど、盛りだくさんな内容の記事だった。これらは実際にある写真や伝承により存在が知られている時計である。2014年からもいろいろなことが起きていて、今回取り上げた時計のなかにはここ数年のあいだに表面化したものもある。ただしヴィンテージウォッチは宝探しのようなもので、歴史上最も偉大な、あるいは最も重要な時計のいくつかが今も発見されるのを待っている。ここでは歴史に名を残したままいまだ失われている腕時計をさらに10本ほど簡単に紹介していこう。
見つかった時計
姿を消している(もしくは楽観的に見つかるのを待っている)時計を紹介する前に、2014年当時に“失われた”と確認した時計のうち、いくつかの時計がそのあと発見されているため、まずは紹介しよう。だから残りの時計が永遠に失われたと思っている人たちのためにお伝えすると、私たちトレジャーハンターにはまだ希望があるということ。姿を消したと思っているものは、そうではないということもあるのだ。
もちろんこのリストは、2017年に1770万ドル(当時の相場で約20億1795万円)で落札されたポール・ニューマンのポール・ニューマン デイトナから始まっている。今でもオークションで落札されたヴィンテージウォッチのなかで最も高価なものであり、この落札によって腕時計コレクトが新たな段階に入ったと言えるだろう。
もうひとつ、マーロン・ブランド(Marlon Brando)が『地獄の黙示録』でカーツ大佐を演じた際に着用していたGMTマスターも発見されている。2019年にようやくフィリップスに登場したこの時計は想像以上に素晴らしい出来栄えで、後に190万ドル(当時の相場で約2億1000万円)で落札されている。写真が示しているとおり、ブランドは自らベゼルを外しているが、この時計はすべてオリジナルであり、文字盤や針には温かみのあるパティーナがついている。さらに彼自ら裏蓋に名前を刻印している。
姿を消した時計
バズ・オルドリンのオメガ スピードマスター
まずは、“姿を消したリスト”を完成させた時計から始めたほうがいいかもしれない。ベン・クライマーは、バズ・オルドリン(Buzz Aldrin)のスピードマスターを“20世紀で最も重要な腕時計”と評価している。NASAスピードマスターは、過去9年間でさらに関心が高まっている。というのもアラスカプロジェクトでつくられたものが数多くオークションに出品され、さらに1960年代にNASAが発行したオリジナルのRef.145.012-68SPが、昨年のフィリップスで30万ドル以上(日本円で約4025万円)で落札されているのだ。その時計はバズ・オルドリンはおろか、誰か特定の宇宙飛行士と結びついているわけでもない。彼は月面を歩いたふたり目の人間であり、さらにスピーディを身につけて歩いた最初の宇宙飛行士でもある(アームストロングは月着陸船に時計を忘れていったのだ)。
私の相棒であるトニー・トライナはこのHODINKEEの記事で、最近のオークションで行われたパフォーマンスおよび記念すべきゴールドのアポロ11号 スピードマスターの大衆的な興味について詳しく述べている。このシリーズの最高水準は、2022年10月に190万ドル(当時の相場で約2億4985万円)で販売されたウォーリー・シラー(Wally Schirra)の例である。そしてこれらの時計は低軌道にも乗らなかったのである。
オルドリンの時計は1970年代前半にスミソニアンへ向かう途中で盗まれ、それっきりだと伝えられていた。その話が本当かどうかは別として、いまだに時計の行方はわかっていない。もし再び現れたとしても、それは正確にはNASAの所有物として残る。いつの日か、オルドリンのスピードマスターがワシントンへの長い旅を終えて、時計マニアに喜ばれたあと、95%の観光客がこの小さなリストタイマーを気にすることなく通り過ぎる姿を見たいものである。
ジョン・レノンのパテック フィリップ 2499
2014年に初めて姿を消した時計の記事を掲載した際、もうひとつの大物として登場したのがこの時計だった。ジョン・レノン(John Lennon)が所有するパテック フィリップ 2499の永久カレンダー クロノグラフである。当時はレノンの2499について多くがわかっていなかったのだが、あれから少しずつ話がまとまってきた。この時計はレノンが殺される数カ月前、40歳の誕生日にオノ・ヨーコがニューヨークで買ったといわれている。
そして最近、レノンの2499について改めてささやかれるようになった。どうやらオノがニューヨークのティファニーで購入したもののようで、ティファニーのサインが入っているらしい。裏蓋に刻印があるそうなのだ。レノンが身につけていたブラウンレザーストラップが付いたままの、まっさらなオリジナルの状態であることを、数人の関係者が実際に見て手にしたと言っている(ピンバックルを入れていた穴の位置までわかっている)。今この時計がどこにあるのかという噂も耳にしたことがある(突飛なものも含めて)。今後間違いなくレノンの2499はオークションに出品されるだろうし、そしてそのときにあなたは、その際にこのモデルは大きな話題を呼び、いくつかの記録を塗り替える可能性も十分にあるだろう。
パブロ・ピカソの時計
2014年のベンの記事で最初に紹介したパブロ・ピカソが所有していたジャガー・ルクルトのトリプルカレンダーはいまも行方不明のままだ。ピカソは1954年にユーサフ・カーシュと、いまでは有名となったこのポートレート撮影の際に時計を着用して、JLCの存在をアピールしていた。そしてピカソの死から5年後の1978年、パロマ・ピカソ(Paloma Picasso、パブロ・ピカソの娘)の最初の夫であるラファエル・ロペス=キャンベル(Rafael Lopez-Cambil.)の腕に、再びこの時計が巻かれているのが目撃された。そのためこの時計は当時ピカソ家が所有していたもので、現在も変わらず所有している可能性があるのだ。ジャガー・ルクルトは近年、“コレクタブルズ・ブック”というカプセルコレクションをとおして自社のヴィンテージ・リファレンスに焦点を当てていることもあり、ブランドの歴史的な時計に注目が集まっている。その歴史のなかで、ピカソのトリプルカレンダーほど重要な実例はないだろう。
ジェイクのロレックスワールド、もしくはrolexmagazine.comを見たことがある人は、パブロ・ピカソが被り物をして手首にロレックスのGMTマスターを装着し、頭を抱えている写真を見たことがあるのではないだろうか。この写真は1960年に撮影されたものであり、2014年にベンが指摘したように、その時計がどこにいってしまったかわかっていない。最後に、1955年にフランス人写真家であるアンドレ・ヴィレールは、ピカソがパテック フィリップのRef.2497と思われる時計を着用した写真を撮影をしているのだが、この時計も姿を消したままとなっている。
J.P.モルガンのグランドコンプリケーションポケットウォッチ
さてまた新しい仲間が増えた。J.P.モルガンのためにイギリスのJ.プレイヤー&サン社が製作し、1909年に完成した懐中時計である。当時、世界で最も複雑な時計として知られ、いまでもイギリス製時計のなかでは最も複雑な時計に位置している。モルガンは当時、J.プレイヤー&サン社のグランドコンプリケーションに1000ポンド(当時の相場で約7000万円)を支払ったが、そんな高値でもJ.プレイヤー&サンはこの時計で赤字を出して最終的に会社の倒産につながった。
コレクターとして知られるモルガンは、生涯で2万点以上の品々を収集し、イギリス時計製造の発展に貢献した。彼は収集したすべての時計を豪華な本へとまとめており、彼の時計のコレクションをまとめたカタログだけでもオークションでは8万ドル(日本円で約1075万円)以上の値がつくという。
昨年、ロサンゼルス・タイムズのジャーナリストであるダニエル・ミラー(Daniel Miller)氏がこの時計を探し当てており、1909年から今日に至るまで旅に出ていたストーリーを発表している(彼はのちに、HODINKEE Radioでその追跡の様子を話してくれた)。彼の興味は、SJX Watchesによる2019年の記事から始まった。記事によると、1974年にニューヨークの西47丁目で目撃されたのを最後に、その時計は歴史から姿を消していたという。しかしミラー氏はその時計を今日まで辿ることができ、現在はプライベート・コレクションとして生活していることを明らかにした。ミラー氏はその場所を知っているかもしれないが、残された私たちは50年以上ぶりに公の場で姿を現すのを待っている。
パテック 1518のプラチナ(そしてツートーンも)
ウォッチコレクトの歴史のほとんどで、コレクターはパテック フィリップ 1518 永久カレンダー・クロノグラフがイエローゴールドとローズゴールドで製造され、なかでもごく希にスティール製があると想定していた。しかしそれが一変したのは、2017年にニコラス・フォルケス(Nick Foulkes)が“Patek Philippe: The Authorized Autobiography”を出版したとき。その本のなかには、パテックのすべてのリファレンスに、さらにそのリファレンスが生産された金属素材が一覧できる表が掲載されていたのである。1941年に発表された1518が1行で記載されていたが、それ以降はRG、YG、SS、プラチナ、そして “ミックスメタル”で生産されているという驚きの表があった。コレクターはこの表にいくつか誤りがあると見抜いた。例えば、ある現行品の時計が含まれていなかったなどだ。この1518の新情報も、もしかしたらミスプリントなのだろうか? いずれにせよ、パテックコレクションの世界に新たな謎をもたらした。プラチナやツートンの1518があるのだろうか?
ルーマニアのミシェル王がツートンカラーの1518を所有していると長いあいだ考えられていた。しかしフォルケスの本が出版されたのと同じ頃、ニック・ゴウルド(Nick Gould)が王のカラー写真を発見し、写真には手首にゴールドでできた1518がはっきりと写っていることがわかっている。ツートンカラーの1518は国王の腕にはなかったかもしれないが、謎はいまだ残る。
シュガー・レイ・ロビンソンのパテック 1518
多くの人にとって、シュガー・レイ・ロビンソンとは史上最高のグローブをはめたボクサーだった。1940年から1965年までの25年間、ロビンソンは1度もノックアウトされることなく、110KOを記録し、通算175勝19敗の成績を残している(そのうちの5敗は、プロボクシング最後の半年でのものだ)。数日かけてGetty Imagesのアーカイブから、シュガー・レイ・ロビンソンの道着姿の画像をすべて探し出した私にとって、シュガー・レイ・ロビンソンとは史上最高にクールな人物のひとりだった。
私は彼が手首に時計をつけている画像を探していた。以前はやや伝説的な話だったが、ロビンソンは1957年1月に、58本しか製造されなかったピンクゴールドのパテック フィリップ Ref.1518を購入したことで知られている。ロビンソンが1月に時計を購入したその半年後、イタリアでの試合中に彼のロッカーからそれが盗まれた。ただ問題なのは、1957年に彼はイタリアで試合をしていないということだ。
ロビンソンは1951年7月1日にトリノで試合を行い、3ラウンドでシリル“ターザン”ドランノワを退けてミドル級3タイトルを達成した。ロビンソンのRef.1518の話だが、どこかの電話線(言い伝え)で1951年が1957年になったのだと思う。Gettyに戻ると、そこにはトリノでの試合の2カ月も前にパリを訪れたロビンソンが、左手首に1518をつけてキャデラックにゆったりと座り、ファンを迎えている姿があった。
我々の知る限り、トリノでの試合のあと、ロビンソンの1518は2度と姿を現すことはなかった。レノンの2499には及ばないが、この時計が再び公に現れることは夢である。特にPGの1518は昨年のサザビーズにて1000万ドル近く(日本円で約13億4140万円)で落札されるなど、以前にも増して“モノ”としての価値が高まっている。ロビンソンの1518のムーブメント番号をご存じの方はいるだろうか?
グレーブスの“もうひとつ”のスーパーコンプリケーション
2012年、サザビーズはフラートン・コレクションから50点以上のアイテムをオークションに出品した。ピート・フラートン(Pete Fullerton)は、ヘンリー・グレーブス Jr.の孫であり、彼の無類の時計コレクションの相続人でもある。オークションに出品されたロットのなかには、3万ドル(当時の相場で約295万円)という驚きの価格で落札された謎の箱があった。なんとこの箱のなかに行方不明のパテック フィリップの時計が2本入っていたことをほのめかすヒントがあったのだ。
まず箱のなかには、2014年に2400万ドル(当時の相場で約24億7000万円)で落札されたグレーブス スーパーコンプリケーションに並ぶ超複雑機構である、未公開の天文学的な両面懐中時計を説明するようなパテックの原産地証明書が入っていた。しかもその時計の図面がグレーブスによって承認されたものまである。もしこの原産地証明書(それと図面)と一致する懐中時計が現れたら、間違いなくこれまでに発見された時計のなかで最も重要なもののひとつになるだろう。
さらに箱のなかには、1929年に天文台の試験で合格した別のムーブメント番号である、トゥールビヨンキャリバーの交換用クリスタルと針も入っていた。超複雑機構ではないかもしれないが、これほどハイグレードなパテッククロノメーターはやはり特別なものである。
最近コレクタビリティ社のジョン・リアドン(John Reardon)氏が、2012年にこの箱を購入したコレクターからこれを入手したことを明らかにした。彼はフラートンからこの謎めいた天文学的な超複雑性は存在しないと聞かされたというが、リアドン氏はまだどこかに存在するはずだという希望を抱いている(そして実際、箱に大金を払うことを正当化する唯一の方法だろう?)。天文台で優勝したクロノメーターが見つかってもいいとも言っている。
フィデル・カストロのロレックス
フィデル・カストロは今日もなお極端な人物ではあるが、彼のロレックスの着用ぶりは時計界にとって紛れもなく興味深いものである。1950年代後半に権力を握ったカストロは、現地時間と同盟国の時間がわかるよう2本の時計を同じ腕につけているのをよく見かける。1958年と1959年頃に彼はロレックスのサブマリーナーをブレスレットで装着している姿が目撃されており、そしてそれはおそらくRef.6536と思われ、しばしばリューズのネジを外している状態だった。その後カストロは、ふたつのタイムゾーンがわかるロレックス GMTマスターへと移行した。彼はベークライトベゼルを持つRef.6542と、リューズガードが尖っていた初期のRef.1675の両方を愛用していた。しかしカストロはGMTを身につけながら、同じ腕に2本時計をつけることもあり、その多くはロレックス デイトジャストだった。
カストロはプレジデントブレスレットを持つ初期のデイトジャスト、サブマリーナー Ref.6536、GMTマスター Ref.6542、そしてGMTマスター Ref.1675を着用していた。我々が知る限りではカストロの時計はすべて時計の世界から“姿を消した”ままである。
NASAのテストウォッチ
NASAが宇宙飛行士に支給する腕時計を探していたとき、アメリカ政府はいくつかの時計メーカーに対して、どんなことにも耐えられる腕時計を送ってほしいという提案依頼書(RFP)を出した。すると懐中時計を送って失格となった(おっと)ハミルトン、スタンダードなシルバーダイヤルのクロノグラフを1本送ったロンジンとウィットナー、プレデイトナを送ったロレックス、そしてスピードマスター Ref.105.003を送ったオメガ(これは後にエドワード・ホワイトと呼ばれるようになる)など、数社から回答があった。もちろんご存じのとおり、最終的にはオメガがRFPを獲得してNASA公認の宇宙開発用時計となり、“ムーンウォッチ”という不朽の名声を獲得した。
しかしこれらのNASAのテストウォッチは、いったいどうなったのだろう? 特にロレックスはテストにすら合格しなかった(!)のだが、これらはきっと歴史から消えてしまったのだろうか。だがそうではないとしたらどうだろう? NASAのテストウォッチが資料とともにひょっこりと出てきたらそれはそれでおもしろい。
楽しいハンティングを!