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Photos by Sam Nixon
スタイルエディターのマライカ・クロフォードが愛用の腕時計をより最高の状態にするための方法を紹介するHow To Wear Itへようこそ。このセクションではスタイリングのコツから現代におけるファッションの考察、歴史的な背景、ときには英国流の皮肉も織り交ぜて、その魅力をお伝えしていこう。
セルペンティに愛情を捧げている。それを考えるたびに、無条件の賞賛と目がくらむようなヒステリックな感覚に見舞われる。当然、最高で神聖な装飾品は、本能的な独特のよろこびを与えてくれる。個人的な満足度を求めないなら、なぜわざわざジュエリーや時計を身につける必要があるのだろうか? 私は指や手首に嵌められた、滑らかで光沢のある金のジュエリーを眺め、それぞれのアイテムが光を受け、身につけているものの色や質感が生み出すコントラストを見るのが好きだ。
私は機能的な服装ではなく、自身の気分を上げるために服を着ている。そしてセルペンティは、私をとてもいい気分にさせてくれる。
ファッションは今や民主的な領域である。以前はルールによって決められた制度だったが、若者と黒人文化が人々の着るものに大きな影響を及ぼし始めた、60年代後半のユースクエイク(若者たちの行動が社会や文化を動かす社会的変化)でそれは崩れた。もちろん、個々人は常にファッショナブルだったが、社会の要求やシーンに応じた服装をしていた。それが70年代に入るとファッションは方向を変え、上流階級が定めた服装の規範を放棄。ダイヤルもこれに伴い、いままで見られなかった自由なスタイルへとシフトしていった。
今日、私たちは快適さ、機能性、そして性的魅力のために、個々で選択をして服を着ている。一部の人にとってスタイリングは、個性を表現する方法となっているが、ほとんどの人にとっては常に従う方法であり続けているだろう。基本的には誰もがほかの人と同じように見られたいと思っているが、それについてはまた別の機会に話そう。なぜなら私のHow To Wear Itファンタジーの世界では、みんながよろこびを自由に表現するために服を着ているからだ。
セルペンティは私を自由な気持ちにさせてくれる。時計的な意味合いの重荷(そうだな、ラグからラグまでとかマイクロアジャスト機能とか)を背負うことなく身につけられるのだ。私は政治的には中立だと考えている。それを着用することで注目を集めるが、それは常に正しい理由と最高の賛辞のためである。直径やジェンダー政治、さらに悪いことに機械的な完璧さについて、議論を巻き起こすことはない。
女性向け時計市場に伴う、創造性の欠如について考えると、私は多くの時間を憤りの渦のなかで過ごしている。実際のところ、女性が何を身につけたいのか、どのようにして製品を売り出す必要があるのか、真剣に理解しようとしてつくられた女性向けの時計はほとんどないのだ。だから自分が持っていた、時計学的な知識のかけらが突如として脳から流れ出たとしても、それでもなお魅力を感じるとわかっている数少ないモデルに引き寄せられてしまう。そのほうが簡単だからだ。私は本能ではなく直感で選んでいるのであって、傲慢なマニアによるニセモノの時計学を誇示しているわけではない。
セルペンティは基本的にジュエリーなので、自身のパーソナルスタイルに合っていると思う。アッパー・イースト・サイドやヨーロッパのさまざまな都市(いろんなところ)で、数人のスタイリッシュな女性がこれを着用しているのを見たことがある。それを見つけるといつもワクワクする。ベストな目撃例は、パリッとした白いシャツの袖口の下から、時計が控えめな輝きを放ったりのぞいたりすることだ。あるいは(まっさらな肌の)ブロンズ色の腕にセルペンティを巻き付けているのを見るのも好きだ。その人間工学に基づいた設計により着用者の腕と一体化しているが、彼女(セルペンティ)の重なったバングル、完璧なまでにくたっとしたスラウチーバッグ、ダメージ加工されたデニムによちカモフラージュされるも、彫刻のようなユニットとして際立っている。それがクールに見えるのは、カジュアルながら考え抜かれた、彼女が自分に合うと思った方法でスタイリングしたからである。
このゲームの目的は、洋服、アクセサリー、時計を手に取り、それらを自分だけのサルトリア(仕立て)コードへと組み込むことである。既成概念にうまく溶け込ませることで、自分だけのスタイルへと変身できるのだ。
セルペンティはジュエリーであり、またデザインの一部であり、身につけられる彫刻でもある。事実セルペンティウォッチの歴史は1940年代後半、ブルガリで様式化されたトゥボガスウォッチまで遡る。トゥボガスはブランドにとって非常に重要なデザインコードであり、イタリアのインダストリアルルーツの一部だ。“ガス管を高級品に変えられるのはブルガリだけです”と、ブルガウォッチのクリエイティブ・ディレクターであるファブリツィオ・ボナマッサ・スティリアーニ(Fabrizio Buonamassa Stigliani)氏は言う。“私たちのインダストリアルデザインのルーツの一部なのです。イタリア流に言うと、機能に従った形です”。今年の初め、ボナマッサ・スティリアーニ氏は私にそう語った。
ミッドセンチュリーなセルペンティは、シークレットウォッチとするために、ヘビの頭を蝶番で取り付けたより自然主義的なものだった。これらの初期のセルペンティの多くは、しばしば本物のヘビ皮革の色、模様を真似たエナメル細工で作られていた。セルペンティはさまざまな紆余曲折を経て、多様な金属、サイズ、さらには複雑機構(小さいトゥールビヨンを搭載していたこともある!)を持つ、複数のバリエーションへと姿を変えていった。
私は最近、ニューヨークで開催されたブルガリのセルペンティ 75周年展を訪れた。そこには、神秘的なローマの骨とう品棚やブルガリの秘密の金庫から取り出されたお守りのように、何十年分ものセルペンティが終結していた。宝石で覆われた、光沢のある金色の彼らは、台座の上でとぐろを巻いて休み、私をじっと見つめていた。
幸運なことに、私は関係者たちを説得して、このHow To Wear Itセクションのためにいくつかのアーカイブを貸してもらった。エナメルに塗られたゴールドとペアシェイプのダイヤモンドに臆することなく酔いしれ、私が思う完璧なレディスウォッチを堂々と楽しむときが来た。
ルック1: 恥じない90年代ノスタルジー
バレンシアガのデムナ・ヴァザリア(Demna Gvasalia)、グレッグ・アラキ(Greg Araki)監督の『ドゥーム・ジェネレーション(原題:The Doom Generation)』で主役を務めたローズ・マッゴーワン(Rose McGowan)、マーティンローズのトリクルダウン理論(富裕層が富むと経済が回り、低所得者を含む広い層にもその恩恵が及ぶ経済理論)に基づいたモトクロスは、恥じない90年代ノスタルジーの衣装だ。ファッションの回想へのこだわりは、ときに表面的なものに感じられることもある。しかしジェラルド・ジェンタや1970年代のファンボーイ(マニア) / 不健康な熱狂クラブなどは似たり寄ったりなコンセプトだ!
この服装は、ダイヤモンドを身につけるのも好きな現代ファッションの信奉者のためのものである(基本的にこの時計を買う余裕があるかどうかを見極める方法である)。ハイジュエリーウォッチを、普段使いのパンテールやレベルソと同じように扱ってみたらどうだろう? それはロジックの究極の逆転である。いわば逆さまなのだ。理論上は意味をなさないが、効果はある。
いい心構えをしていれば、ベビーブルーのバイカージャケットに、1968年製のルビー入りプラチナ&イエローゴールドのセルペンティをつけることができる。人によっては大胆すぎると思うかもしれないが、私は遊び心があると思う。ジーンズに白いTシャツ、そして高級時計の組み合わせという単なるステップアップであり、同じ対照的なコンセプトなのだ。
このキャラクターは、雑誌『Dutch』や『The Face』のバックナンバーを何度も読み返し、難解なファッションの参考資料の知識を蓄えていった歳月へのオマージュだ。これらのページは、ユースカルチャーがデジタルではなく有形であった時代を垣間見ることができた。しかしそれは過去と未来のどちらにも縛られることなく、両者のバランスを見つけることに尽きる。セルペンティも過去の“遺物”だが、アップデートが施され現代にも合っている。ただ最も重要なのは、これがクラシックであり続けているということだ。
ルック2: エックスガールへの賛歌
衣服は文化の表現である。時計もそうだ。60年代、アンドレ・クレージュ(André Courrèges)は、モダンなシルエットと生地で未来的な服を創造した。(マリー・クワントとともに)ミニスカートの生みの親であるクレージュのデザインは、ある瞬間を象徴している。それは模範的な改造(MOD)である。そして彼の非常にレトロフューチャリスティックなルックが最近、大きな復活を遂げた。
実は私は、1960年代のヴィンテージ回帰ファッションを嫌悪している節がある。ピクシーカット、ビバドレス、ゴーゴーブーツは好みではない。しかし私はクレージュの厳格なラインとミニマリズムを愛している。グラフィカルで洗練されたその印象は、ジャガー・ルクルトのムーブメントを搭載したこちらの1975年製四重巻きゴールド&ブラックスティール製セルペンティのようだ。
この単色のルックは、本機のような珍しいバリエーションにとって最適なキャンバスのように感じられる。セルペンティはとてもしなやかで曲線的であるが、なかでもこれは手首を包み込むように角ばっていてほとんど鋭角的だ。私はこの時計が持つふたつの特徴を意識して、服に荒い線と柔らかい線の両方を反映させ、角張っていながらもシビアでなくセクシーであることを示したかった。レトロ感を強めるのを恐れてよりモダンにするのが狙いだ。あくまでもオスカー・シュレンマー(Oskar Schlemmer)のようなコスチュームではなく、マイルドなツイッギー風にしたいのだ。
このクレージュの衣装を見たとき、映画『KIDS/キッズ(原題:Kids)』に出演した直後のクロエ・セヴィニー(Chloë Sevigny)を、ランキン(Rankin)が1996年発行の『DAZED』誌上で撮影した写真を思い出した。さらに、セヴィニーがストリートウェアブランドのエクストララージ(ビースティ・ボーイズのマイク・Dが設立)の対をなすブランド、エックスガール(キム・ゴードンが設立)のショートフィルムに出演していたことも思い出した。エックスガールは1990年代のニューヨークダウンタウンで流行を巻き起こした。ソフィア・コッポラ(Sophia Coppola)やキャスリーン・ハンナ(Kathleen Hanna)のような非常にクールな女性たちが着用していた服は、少しモッズで、スポーティで、ニューウェーブでありながら体型にフィットし、セクシーになりすぎなかった。きれいなヘムライン(へりや裾の縁)で、安全ピンやほつれた裾もない! それは若者の意図と、なにより最も重要なのは女性の体形を理解した女性が作った、女の子のための服だった。グランジとコートニー・ラブ(Courtney Love)のキンダーホア(パンク、グランジ、ロリータのテイストをミックスしたファッションスタイル)的美学とスケーターボーイフレンドからオーバーサイズのスケーターカルチャーのローン商品がミックスされるなか、来てほしいときに来てくれた救いだ。
エックスガールは女の子らしくなくても女の子らしく見える服を作った。これまでの20年間、基本的に私が目指してきたものである。これは時計デザイナーにとっての合言葉だろうか?
ルック3: ピグメント・ピンク
このフューシャピンクのグッチのドレスがあまりにも異様だったから、私が発狂しそうになるときに必ず読むアンナ・ピアッジ(Anna Piaggi)著の『Fashion Algebra』を読んだ。これは90年代のイタリア版ヴォーグにて、当時彼女が連載していた最高のコラムがカオスのように混ざり合ったもので、本には鮮やかなピンクのロメオ ジリのドレス、刺繍の入ったクリスチャン ラクロワのジャケット、透明なビニールでできたシャネルの靴などが並んでいる。豊かな深みと質感、色彩に促されたいときに、私の視覚的な(世界中どの角度から見ても常に同じ位置を示す)北極星としての役割を果たしてくれる。まさに私にとっては天国だ。
このドレスは形もボリュームも作りも、ピアッジのヒット作になった。モダンかつセクシーだが、歴史に根ざしたバッスル(スカートの後部を膨らませるための腰当て)&ペプラム(ウエストから裾へふんわりと広がるデザイン)の遊び心がある。古いものと新しいものを融合させたユニークなひねりが効いているようだ。ただ私がこのドレスでいちばん気に入っているのは、時計と同じように彫刻的な躍動感を生み出しているということ。どちらも豪華で、立体感があり、なまめかしい。
開放的なまでにセクシーなセルペンティのフォルムとドレスによって作り出される誇張されたボリュームのあいだには、二律背反がある。ちょっと聞いて欲しいのだが、もしあなたがイブニングガウンにツートンの6重巻きセルペンティを合わせるつもりなら、それは破壊的であるべきだと思う。伝統的なイブニングウェアにこの時計を合わせる必要はない。お嬢さんは息苦しくないだろうか。伝統的な女性らしさに、自信に満ちたちょっとした奇抜さを加えたこのドレスの遊び心は、ブルガリのエスプリからそう遠くない。華やかで暗示的であるが、同時に力強い。これは時計ブランドがよく展開するベビーピンクの奇抜さとは比べ物にならない。
ルック4: シャープかつ枕のような柔らかさ
ニコラ・ジェスキエール(Nicolas Ghesquière)氏はファッションに関心のある人にとっては基本的に神である。バレンシアガに在籍していたあいだ、偶像化されていた彼はブランドを退屈な眠りから目覚めさせ、2000年代にバレンシアガを再び有名にした。彼は初期のミレニアムの雰囲気を設定付け、デフォルトでY2Kリバイバルのすべての雰囲気とリファレンスを基準とさせた。
形とシルエットに関してはコンセプチュアル的で、スター・ウォーズへの敬愛を持つ未来主義者として知られる(理論的にはもはや未来的ではないが、それに従っている)。彼がデザインする形状は、その衝撃的な要素を考慮すると、一見するとそれほど魅力的ではないかもしれないが、しばらくしてもう1度見ると、目の肥えた顧客にとっては理にかなった形になってくる。なぜならそれは実際に物語を推し進めるものでなければならないからだ。時計もその義務の例外ではない。
アバンギャルドな傾向にもかかわらず、ジェスキエール氏はモダンでクリーンな、女性にとって着やすい服をデザインした。2000年の秋冬コレクションは彼のキャリアを決定づけるものであり、現在まで続くブループリント(将来の計画)を生み出した。今や聖杯となったあのコレクションでの、パワフルなショルダーと細身のジーンズは、今日我々が “フレンチガールドレッシング(french girl dressing)”と理解しているものだ。
ジェスキエール氏は2014年からヴィトンウィメンズのアーティスティック・ディレクターを務めている。ヴィトンで働くことは、フレンチ・ラグジュアリーの中心に位置するということだ。とはいえルイ・ヴィトンの服を実際にイメージするのは難しいというのが私の意見だ。アイコニックなモノグラムの革製品にはこのような重い連想と重圧があり、切り離すことは不可能に感じられる。ブルガリが私にとってのセルペンティとモネーテであるように。
しかしジェスキエール氏は天才であり、ラグジュアリーがいかに進化していくか、常に方法を考えている。彼はヴィトンでこの思いを確実に実践している。シュールでSF的な要素で遊ぶことも多い。今回のこちらの23年秋冬コレクションは、柔和でありながら印象的だった。
この写真のジャンプスーツは下部が膨らんでいるが、上部はフィットする形状で、枕のようだがセクシーでもある。リッチなチョコレートブラウンのエナメルセルペンティにはぴったりのトーンキャンバスだ。ミステリオーシはとても手触りのいい時計である。身体は巻き取られ、鱗に触れ、そして再び腕に丁寧に巻きつけることを懇願してしまう。ラッフル タフタやピンヒールがカチッと合うように、衣服にも適用できる儀式的なプロセスである。
ジェスキエール氏の使命は、私が想像する多くのデザイナーと同じようにワンシーズンを超えた服、つまり(またこの話に戻るのだが)既存のワードローブと混ぜて自分流にスタイリングできる服を作ることである。このロジックを時計のコレクションに応用することを忘れないように。
ヘア/リヴァイ・モナーク(Kramer Kramer)、メイク/マキ・リョーケ、モデル/ヴァレリア(Muse Nyc)
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