大都会において、街の大きさに負けないほどの時計欲をもった自分を、想像してみて欲しい。ある程度の成功を収めたあなたは、何か希少で個性的なものを見つけたいと考え、高級な小売店に足を踏み入れる。ゴールドのパテック? それほどエキサイティングではない。オメガのコンステレーション? あまりにも装飾が過剰な気がする。
ショールームを歩き回り、きらびやかなケースを覗き込んで、見慣れたモデルの多くを通り過ぎた後、あなたは一風変わったものを目にする。そもそも、ロイヤル オークの形状は特徴的だが、このモデルは格別だ。ワッフルタぺストリー装飾はなく、4つの小さなサブダイヤルを備えた滑らかなシルバートーンのダイヤル。そしてまさかのパーペチュアルカレンダーだ!
販売員が商品棚の鍵を開けるのを横目でみながら、時計のディテールに注目すると、インダイヤルの針がブルーに塗られていることに気づく。そして、ロイヤル オークの象徴であるスティール製のブレスレットが、このパーペチュアルカレンダーに付いていることにも。
「これは、オーデマ ピゲの最新モデルでございます」
と販売員が言うと、手袋をした手で、その時計を渡してくる。そして、
「このモデルは非常に希少なものでございます。スティール製だとなおさらです」と。
あなたはスマートフォンを探すために、ズボンのポケットに手を伸ばす。インスタグラム用に、リストショットを撮ろうと思いながら。だが、バックポケットは空だ。次にコートのポケットを探すのだが、キャメルライトのタバコと、ウエストゲート ラスベガス リゾート&カジノに遊びにいったときから入れっぱなしだった、使いかけのマッチしかない。混乱して、部屋が回り始めたようだ。焦りながら、胸ポケットを探すのだが、ペンと小切手しかない。スマホはどこだ? いや、そもそもなぜ小切手を持っているのだ?
おっと、大切な補足を忘れていた。今、あなたは1985年にいるという設定だ。故に、スマホが見つからないのは当たり前だ。この年は、ロナルド・レーガンが2期目に突入し、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』が、瞬く間にヒットした年だ。
さて、今あなたの腕に巻かれている時計に、何もおかしな点はない。販売員は正しい。オーデマ ピゲの最新モデルで、確かに珍しい。いや、正確には、"信じられないほど" 珍しい。 このモデルはロイヤル オーク パーペチュアルカレンダーのRef.25554だ。オーデマ ピゲの伝統を受け継いだ、とんでもなく美しく希少なパーペチュアルカレンダーであるだけでなく、当時市場に出回っていた数少ないスティール製のパーペチュアルカレンダーモデルでもある。
これらの初期のロイヤル オーク パーペチュアルカレンダーがどれほど希少で、素晴らしく、特別なものであるかを理解するためには、さらに時間を遡る必要がある。オレンジ色のダウンベストを羽織って、デロリアンに乗り込み、時計を1948年に巻き戻して欲しい。
そうだ。オーデマ ピゲの初期のロイヤル オーク パーペチュアルカレンダーは、奇妙で挑戦的だった1980年代にルーツがあるのだが、その数十年前の戦後の時代から、既に複雑なカレンダー機構に力を入れていたのである。
初期のパーペチュアルカレンダー
特異な歴史についてを長々と書くつもりはない。ただ、オーデマ ピゲのパーペチュアルカレンダーの中でも、特に初期のモデルは特別なもので、2つの特徴がある。以下の情報は、オーデマ ピゲの著書『オーデマ ピゲ 21世紀の複雑時計(Audemars Piguet 20th Century Complicated Wristwatches)』を参考にしている。また、オーデマ ピゲ社のヘリテージチームとコレクターの方々のご協力を得て作成した。記事末尾の謝辞をご覧いただきたい。彼らには、本当に感謝している。
1948年、オーデマ ピゲは初のパーペチュアルカレンダー、Ref.5516を発表した。このモデルは、オーデマ ピゲの時計製造技術の向上に大きく貢献しただけでなく、ダイヤルに閏年表示を搭載した世界初のパーペチュアルカレンダーウォッチだった。ご想像の通り、これらの時計は手作業で作られており、その製作には驚くほどの労力と時間を要した。そのため、合計12本という極少数の生産にも関わらず、Ref.5516は4段階のアップデートを経て、9年の歳月をかけて誕生した。
最初の3つのRef.5516は閏年表示がなく、実際には、かなり異なった外観をしていた。記録上で最も古いもの(写真右下)は、初期のロイヤル オーク・パーペチュアルカレンダーに見られる多くのデザイン要素を備えている。4つのインダイヤル、6時位置にムーンフェイズ、12時位置に月表示、3時位置に日付のインダイヤルを配しているが、閏年表示がないことに注意していただきたい。この閏年表示の無いデザインは、約40年後にロイヤル オークのレイアウトの起源となったものだからだ。
次のバージョンであるRef.5516(写真左上)は、全く異なるレイアウトだ。ムーンフェイズ表示は12時位置にあり、デイト表示はダイヤル外周に配された数字を、中央に取り付けられた日付針で指すタイプである。このパーペチュアルカレンダーのセカンドモデルには、閏年表示がなく、装飾的なケースとラグのデザインが採用されている。2本だけ生産され、1本目は1950年にギュブランに、2本目は1962年にニューヨークのパテック フィリップに販売された。
このような、希少で時間を要する時計は、生産と販売時期が大きく異なる。中には、生産開始から何年も経っても販売されないものもある。1955年に、オーデマ ピゲはRef.5516を改良し、初の閏年表示機構を実現した。オーデマ ピゲの膨大な記録によると、9つのモデルが2つのシリーズで製造され、全てRef.5516のナンバーをもつ。
閏年表示を搭載した、Ref.5516の最初のモデルで、イエローゴールドの例は3つだけ知られている。6時位置のインダイヤルに、閏年周期の48ヵ月を表示するための複合表示と、4年のうちで大の月(奇数月)を示すブルーの針(上写真、黒背景の写真の上)があるものだ。
また、12時位置のムーンフェイズ表示や、円周上に配された日付表示も、引き続き採用されていることが見てとれる。これら3つのモデルの販売は1959年に開始された。確かに、閏年を示す機構は複雑に思えるかもしれないが、これはシリーズ生産で本機構を搭載した初のモデル(オーデマ ピゲに限らず世界的に)であることを考慮すべきだ。また、後期のRef.5516が、オーデマ ピゲの現代における成功の多くを築いてきた美学的、哲学的な基盤を構築したという事実も忘れてはいけない。
4度に渡る、Ref.5516のアップデートのうち、最後のものは、1957年に生産が開始された。1963年から1969年にかけて販売が行われた6つの連続したモデルが、記録されている。これらの例(上写真)では、ムーンフェイズ表示が6時に戻っており、閏年の表示はデザインの移行期であったことがうかがえる。少なくとも1つのモデルでは、より洗練された月と閏年表示を組み合わたインダイヤルが配されていたが、いつの間にか、48ヵ月表示と閏年表示は、3時位置の12ヵ月表示、12時位置の閏年表示インダイヤルへと分離された。これは、かなりの進化であり、Ref.5516がポケットウォッチのルーツから離れ、より有能で視認性の高いデザインへとを歩みだしたことを示している。
より複雑なロイヤル オーク
ロイヤル オークの成り立ちをご存知の方は多いだろう。ジェラルド・ジェンタによってデザインされたこのモデルは、オーデマ ピゲ初の高級スポーツウォッチであり、当初はスティール製モデルのみが発表された。1972年のバーゼルワールドで発表されたロイヤル オーク Ref.5402STは、このスイスの小さな会社にとって大きな賭けだった。複雑なブレスレット、非常に薄いケース、そして一般的な洗練された高級ドレスウォッチをリファインするという、大きな挑戦だったからだ。
驚くべきことに、(特に、今日におけるロイヤル オークの時代の流れと人気の高さを考えると、)この時計は一夜にしてヒットしなかった。発売当初、Ref.5402STのサイズは大きく(幅39mm)、スティール製のスポーツウォッチとしては非常に高価だと思われていたからだ。「“非常に高価”とは、どのくらい高価なのか?」という人のために説明しよう。
2009年のインタビューでジェンタ自身が、「この唯一無二なスポーツウォッチは、オーデマ ピゲと共同で発明した新しいコンセプトです。ロイヤル オークが発表されたとき、小売価格3750スイスフランで販売されていたのですが、当時、最も高いスティールウォッチは、850スイスフランでした。つまり、とんでもなく高額だったのです」と述べている。
しかし、オーデマ ピゲは、やがて流行ると信じ続け、数年かけてに徐々に人気を博していくことになる、ロイヤル オークをサポートし続けた。上記の引用でジェンタが強調しているように、ロイヤル オークはやがて高級スティール製スポーツウォッチを定義することになった。そして、パテック フィリップやヴァシュロン・コンスタンタンを含む、他のブランドも注目し、競争が始まった。パテック フィリップノーチラスのデザインをまかせるためにジェンタを雇ったこともあった。
この時代はスイス時計界にとって特別であり、オーデマ ピゲのような企業が、クォーツ危機の影響から逃れるための一助となったことは間違いない。急速な変化があまり起こらないスイスの時計界において、ロイヤル オークはスロースターターであったものの、この新しいデザインとコンセプトからは現代の時計も影響を受け続けている。オーデマ ピゲとパテック フィリップの現行モデルは、今も、最高に魅力的であり、購入するのは難しく、また真似されやすいモデルの1つとなっている。
ロイヤル オークの成功を受け、オーデマ ピゲはスティールのみだったモデルに、プレシャスメタルや、新しいダイヤルデザイン、さらには、パーペチュアルカレンダーなどの複雑機構が搭載されたモデルを追加していった。
本稿における主役である1980年代のQPについて話す前に、もう1つ追記しておきたいモデルがある。1978年に発表された、パーペチュアルカレンダームーブメントのCal.2120/2800を搭載したモデルだ。ロイヤル オークの歴史を簡単におさらいした今、オリジナルモデルにはCal.2120が搭載されていたことも、ぜひ覚えておいていただきたい。
ジャガー・ルクルトのCal.920(エボーシュとして提供されるため、大掛かりなモディファイや手仕上げが必要とされた)をベースとする非常に薄型のCal.2120は、Ref.5402が、7mmというスリムなケース形状を維持するのに役立っただけでなく、ヴァシュロン・コンスタンタンとパテック フィリップのライバルモデルにも採用された。ただ、この記事の目的を踏まえると、Cal.2120は出発地点にすぎない。
1978年当時、シリーズ生産のパーペチュアルカレンダーを製造しているブランドは皆無に近かった。1948年から、1977年までの全生産本数を見ると、ある12本(おそらくどれかご存知であろう)と、新たに発表されたRef.5548(14年間生産された)しかない。オーデマ ピゲがパーペチュアルカレンダーのマニュファクチュールとしての栄光を取り戻したいと考えていたとき、ジャガー・ルクルトのCal.2120をベースにした、パーペチュアルカレンダーモジュール(デュボワ・デプラ社製)をデザインしたのである。
多くの企業がクォーツに方向転換する中、当時、オーデマ ピゲのマネージング・ディレクターだったジョージ・グレイには別の考えがあった。1972年にロイヤル オークを発表したときと同じように、大きな賭けをしようと考えていたのだ。これが、世界最薄の自動巻きパーペチュアルカレンダー・ムーブメントである、Ref.2120/2800の登場に繋がる。
厚さがわずか3.95mm、38石のCal.2120/2800は、歴史的には小さな会社であった同社にとって、急速な拡大と生産の時代が到来したことを告げる。もうひとつ、オリジナルのCal.2120/2800には、閏年表示がないという、ブランド初期のパーペチュアルカレンダーとの奇妙なつながりがあった。オーデマ ピゲのロイヤル オーク パーペチュアルカレンダーの誕生と、初期、そして閏年表示がないモデルの中でも特に重要なモデルを、これから紹介しようと思う。
流行は繰り返される (Ref.5554)
前述のように、オーデマ ピゲの初期のパーペチュアルカレンダーモデル(初期のRef.5516やロイヤル オークのパーペチュアルカレンダー)は、かなりの希少なことと、閏年表示が無いのが特徴だ。
Ref.2120/2800の最初のモデルとなったRef.5548(上図)は、1978年に発売され、瞬く間にオーデマ ピゲの大ヒットモデルとなった。Ref.5548-25548の成功を受け、ロイヤル オーク パーペチュアルカレンダーは、1984年にRef.5554(後に25554)として正式に発表されたが、ご想像の通り、このリファレンスは生産本数が限られているうえ、閏年表示が無かった。
1984年から1985年にかけて、オーデマ ピゲは5桁のリファレンスナンバーを採用し、4桁モデルには全て "2 "が付くようになった。その結果、Ref.25548とRef.25554が発表された。
Ref.5402と同様、幅39mm、厚さ7.5mmのRef.5554-25554は、ダイヤルを除けば、他のロイヤル オークと同じように見える。オーデマ ピゲの関係者に話を聞くと、この薄いケースに防水性をもたせながら、さらに複雑なパーペチュアルカレンダー機構のために、ケースサイドの補正機構を搭載するという技術的を解決したうえで生まれたものだと知った。今から詳しく説明するが、これには継続的な開発が必要とされ、並行して生産されたモデルであっても、それぞれの間で小さな違いがあった。
手元のオリジナルモデルのRef.5554-25554に戻ると、12時位置には月表示、3時位置には日付表示、6時位置には秒針とムーンフェイズを組み合わせた秒針、9時位置には曜日表示がある。ロイヤル オークの特徴的な八角形のシルエットは、右ケース側面の単一リューズによってキープされており、Ref.5554-25554には、ケースと一体型のブレスレットが付いている(これもまた、ロイヤル オークの特徴的なデザイン要素だ)。1993年に閏年モデルを搭載したRef.2120/2802へと移行する前に、この一般的なフォーマットで9年間も公式生産され、1600本近く製造された(ただし、オーデマ ピゲに共通しているように、両仕様の間には生産本数の重複があった)。
掘り下げる前に、以下の参考文献は全く同じムーブメントを使用しており、ご覧のように、多くの時計が非常に重複した形で製造・販売されていたことを覚えておいて欲しい。1983年のオーデマ ピゲは、まだ小さな会社であり、これらの時計の製造は信じられないほど困難なものだった。さらに、希少性についても差があり、最も一般的なリファレンスでさえ、今日の限定モデルのような希少さだった。また、合計10のリファレンスのうち、6つは11本のみの製造であり、そのうちの4本は、1本限りのユニークピースであることは注目に値する。
さらに、これらのモデルは、過去5年から10年の間に、ロイヤル オークの人気が大幅に高まったよりも前のものだ。そして、オーデマ ピゲがRef.25554とその兄弟モデルの世界的な流通を制限したとされており、ブランドが公表した数のみ入手可能だ。このように、オークションリストを福音として受け取るならば、(僕はそうしないことをお勧めする)、Ref.2120/2800モデルのロイヤル オークのリストから、これらが1990年代半ばから後半にかけて生産されたものだと分かる。
入手可能なデータは完璧ではないが、オーデマ ピゲが1993年に発表したRef.2120/2802のアップデートモデル(閏年機構を搭載)は、段階的に手が加えられていたことが分かっている。しかし、閏年表示が配されているモデルとそうでないモデルがあることを考えれば、Ref.2120/2800とそれ以前のレファレンスを見分けるのは難しくない。
具体的なリファレンスの話に入る前に付け加えておきたい、注意点が1つある。後のオークションリストから読み取れるように、これら初期のロイヤル オーク パーペチュアルカレンダーは、全てCとDシリーズのケース番号に属しているということだ。私が話を伺ったコレクター、過去のオークション、そしてオーデマ ピゲによる証言から、これが裏付けられている。
Ref.5554-25554をカバーした今、他の9つのレフェレンスについて触れていこうと思う。
Ref.25624 (1本のみ製造)
同じく1984年に発売されたこのモデルは、イエローゴールド製の1点もので、ダイヤルとベゼルに、ダイヤモンドの縁取りが施されている。
Ref.25636(264本製造)
このモデルは、1983年に生産が開始されたが、一般に公開されたのは1986年近くになってからだった。Ref.25554とRef.25654をベースにしたRef.25636は、初のツートンを含むいくつかのバージョンが製造された。知られている限りでは、イエローゴールドが126本、スティールが52本、ツートンが49本、プラチナが34本、ピンクゴールドが3本だ。
Ref.25652(1本のみ製造)
Ref.25624とは異なり、Ref.25652は、イエローゴールドのRef.25636に、ダイヤモンドの縁取りベゼルを備えた、ユニークピースだった。
Ref.5654-25654(800本製造)
この4桁の数字を見れば、このモデルが非常に初期のモデルであることが分かるだろう。Ref.5554-25554と並行して製造されたRef.5645-25654は、閏年搭載以前のRef.2120/2800のロイヤル オーク パーペチュアルカレンダーの中で、最も一般的なモデルだ。1982年から1993年の間に、オーデマ ピゲは約800本のRef.25654を製造し、その中にはイエローゴールドが422本、スティールが272本、ツートンが72本、プラチナが33本、ホワイトゴールドが1本含まれていた。当然ながら、これらのモデルは最もよく見かけるモデルであり、Ref.5554-25554と間違われやすい。確かに、違いは非常に微妙なものだが、ケースの厚さが異なる。
薄型でスポーティな複雑時計の防水性には、大きな技術的課題であると前述したのを覚えているだろうか? まあ、あなたが今日、そのような時計を持っているのならば、これら初期のロイヤル オークに感謝するべきだ。今まで、当たり前のように思ってきたのではなかろうか。しかし、現実はそうではない。
20mの防水性能をもつオリジナルモデルのRef.5554-25554を製造するのは大変な作業だったが(当時、他の会社もほとんど挑戦していなかった)、Ref.25654の増産に向けて、オーデマ ピゲはケースの厚さを0.75mm厚くした(7.5mmから8.25mm)。ロレックスならば、あるいは生産数の多い時計の場合、この変更にニックネームを与えているかもしれないが、ここの時計においては非常に薄い時計を少し厚くし、頑丈にしただけである。
Ref.5554/25554と同様に、このモデルにもいくつかのダイヤルバリエーションがあったが、私の知る限り、かなり高額な価格設定を考慮すると、オーデマ ピゲはカスタムオーダーも受け付けていたのではないかと思われる。スムースシルバー(オーデマ ピゲは "オパーリン グレー "と呼んでいる)や、ゴールド、ブラック(非常に珍しい)、サーモンピンク、さらにはブルーのタペストリー、MOP、ダイヤモンドマーカー付きのピンクやレッドなど、さまざまなバリエーションがある。
Ref.25659(4本製造)
このモデルは、イエローゴールド(3本)とプラチナ(1本)で製作されており、4本とも、スケルトンのダイヤルと、パヴェデザインのダイヤモンドがケース、ベゼル、ブレスレットに施されている。
Ref.25686(233本製造)
4番目に生産数の多いこのモデルは、Ref.25554とRef.25654からオプションを拡大した、もう1つのコアモデル。1987年に生産を、1989年に販売が開始された。スティールが85本、イエローゴールド70本、ツートン43本、プラチナ26本、ピンクゴールドが9本の、計233本を生産したRef.25686は、基本的にRef.25654の新モデルだが、トランスパレントバックと、豊富なダイヤルの選択肢がある。(前述の、Ref.25654と同じ具合だ)。
Ref.25687(3本製造)
1本のみ作られたイエローゴールドモデルと、2本のプラチナモデルには、ケースとマッチしたカラーのダイヤルと、ダイヤモンドがベゼル上にセットされている(それ以前のダイヤモンドモデルは、ベゼルエッジにセットされていた)。
Ref.25688(1本のみ製造)
派手なプラチナの例のうちの最後の2つは、Ref.25688だ。アイスブルーのダイヤルと、パヴェデザインのダイヤモンドが施されている。まあ、ユニコーンやドラゴンのような存在だ。
Ref.25694(1本のみ製造)
プラチナ製のRef.25694は1988年に製造され、1990年に販売された。スケルトナイズされたダイヤルに、リッチなブルーのアクセントを加えたRef.25964は、ダイヤモンドとサファイアを交互に配したベゼルデザインだ。
ダイヤルの第一世代と第二世代
初期のロイヤル オーク パーペチュアルカレンダーを愛する、ニッチなコレクターは、2種のダイヤルデザインがあることを知っている。第一世代と第二世代である。その違いは一目瞭然で、初期の第一世代では文字盤上の "Audemars Piguet "のフォントが小さく、後期の第二世代では大きなフォントが使われている。以下の写真をご覧いただきい。
僕の調査によると(コレクターやオークションのリスト以上の、公式な記録からは確認されていない)、マーク1ダイヤルは一般的に初期のCシリーズモデルに限定されているが、初期のDシリーズにも見られるようだ。細かいディテールを知りたい方のために、もう1点付け加えたいことがある。初期のロイヤル オーク パーペチュアルカレンダーは、小さな安全装置付きの折り畳み式クラスプを使用していたが、後のモデル(Dシリーズ)では、プッシュボタン式のクラスプが装備されている。
なぜ気にするべきなのか?
ロイヤル オーク パーペチュアルカレンダーであるかどうかは別にして(これでも既に相当クールだが)、初期の忘れられかけた時計を探求する意味は何か? ずばり、反骨心である。1980年代初期にデザインの礎をおくこの時計は、オーデマ ピゲが、高級機械式時計が危機に瀕している時代に、リスクを恐れず、時代の流れに反し、果敢な挑戦をしたことを象徴している。
確かに、ロイヤル オークは後に成功を収めることになったのだが、誕生当時は、クォーツがスイス時計業界の存在を脅かしていた。そして、シンプルなデジタルウォッチが、興味深く、アヴァンギャルドで、スタイリッシュであるとも思われていた時代、小さな会社であったオーデマ ピゲに残された選択肢は何であろう? 基本的には、大きな賭けに出るか、店を畳むかの、どちらかしかない。
前述の極めて古典的なRef.5548-25548の成功を受け、オーデマ ピゲはそのムーブメントをロイヤル オークに搭載し、さらにスティール製の新しいパーペチュアルカレンダーを発表した。今日では、オーデマ ピゲや他のブランドのスティール製時計は非常に人気が高く、店頭では購入不可能なこともしばしばだ。
1981年に戻るが、この年にパテック フィリップは、長年続いた(スティール製モデルは1つも無かった)Ref.3448を廃止し、Ref.3450を発表したが、これらもスティール製ではなかった。しかし、(今、僕と一緒に復唱してほしいのだが)、閏年のインジケーターを備えていたのだ。
クォーツショックを乗り越え、オリジナルRef.5402が1972年までにブランドを消滅させなかったのは運が良かったと取ることもできるが、僕はこれに反論したい。クォーツショックの中、スタッフを増員し、古き良きパーペチュアルカレンダー(Ref.5548-25548)を作るだけでなく、そのムーブメントをロイヤル オークのような、よりリスクの高い(そして挑戦的な)時計に搭載したオーデマ ピゲは、まさに先見の明があったのではないだろうか。
そして、約458本のスティールモデルを生産しながら、10年以上に渡ってこのような時計を製造してきた唯一のブランドであり続けたことからも、そのリスクを感じることができるだろう。特にスティール製の時計は、今日では非常にコレクション価値が高く、ロイヤル オークがどれだけ愛されるようになったかは言うまでもない。そして、高級ブランドのスティール製スポーツウォッチが、現在の市場で人気を博すことを予感させるものだった。
さて、それについても触れよう(もうずいぶん話したけど)。今日、初期のRef.2120/2800ロイヤル オーク パーペチュアルカレンダーを現代的に表現したモデルが、Ref.26574だ。2015年に販売が開始された本機は、幅41mm、厚さ9.5mm、20mの防水性能を備えている。Ref.26574は、ムーブメントもアップデートされ、Cal.5134を搭載している。
以前ご紹介した2120をベースにしたRef.5134は、同じ4つのインダイヤルレイアウトを採用しているが、オーデマ ピゲのパーペチュアルカレンダー開発の初期から見られたもう一つの要素、中央に取り付けられた日付針を備えたポインターデイト表示が追加されている。閏年表示の「表示の有無」とは違い、これは第2、第3、第4段階のRef.5516に遡る、興味深いつながりをもっている。
過小評価、それとも過大評価?
多くの点で似ているが、Ref.25554 とその兄弟モデルを取り巻くシーンは、現代のRef.26574とは大きく異なる。80年代と90年代は、ロイヤル オークを取り巻く熱気はまだ初期の段階にあり、時計界全体として、ウェイティングリストの存在だったり、悪質な仲介業者、二次流通市場での圧倒的なプレミアム価格とは、無縁であった。
今日、ロイヤル オークの需要は生産量をはるかに上回り、スペックや複雑さに関係なく、ブティックに行ってすぐに購入できる時計ではない。
1993年に、ゴールド製のRef.25645BAは、26万1000フランスフランという破格で販売されていた。当時の米ドルに換算すると、約4万5000ドル(1993年)だ。では、インフレ下ではどうだろうか? 8万700ドルと言えば、あなたはどう思うだろうか? 1996年当時、Ref.16610のロレックス サブマリーナー デイトの定価は3350ドル、または今日の米ドルに換算すると約5500ドル(約60万円)であることを考慮すれば、これがどれほどのものだったかお分かり頂けるであろう。また、現行のRef.26574の価格は、スティールが税抜660万円、ゴールドが税抜995万円、そしてプラチナが16万6800ドル(約1765万円)だ。
価格データを比較する際のもう1つのポイントについては、1998年に発行された「ヨーロッパスター」誌(右)の切り抜きを見ていただきたい。1998年3月の為替レートと2020年までのインフレ率で考慮すると、2万5194ドル(約270万円)という魅力的な価格になる。引用された数字は、小売店でのスティールとゴールドの価格差を考えると、予想していたよりもかなり低く感じるが、この見出しは、オーデマ ピゲが当時ロイヤル オーク パーペチュアルカレンダーをどのように位置づけていたか、そして90年代後半の時計業界の人たちが、どのように本機を捉えていたかを強調している。
最後に、ロイヤル オークの価格が時間の経過と共にどのように変化してきたのかを知るために、オークションの結果を調べてみた。以下は全体像ではないが、過去10年間のロイヤル オーク パーペチュアルカレンダーの価値の推移を示し、スティール製とイエローゴールド製のモデルの価格に違いがあることを証明するのにも役立つ。僕はほとんどの場合、より一般的なRef.25654のリファレンスを使用し、販売日の通貨を米ドルで調整した(これらは2020年の価値換算では計算していない)。
1999年 6月 - Ref.25686 (プラチナ、アイスブルーダイヤル): ~3万1300ドル(約382万円) at Christies
2000年 9月 - Ref.25654 (イエローゴールド): ~ 1万2777ドル(約138万円) at Christies
2001年 10月 - Ref.25654 (イエローゴールド): ~ 1万2250ドル(約151万円) at Christies
2005年 11月 - Ref.25636 (スティール、スケルトン): ~ 2万4960ドル(約300万円) at Christies
2006年 5月 - Ref.25654 (スティール, ブルータップダイヤル): ~ 2万1900ドル(約248万円) at Christies
2007年 11月 - Ref.25653 (スティール): ~ 2万4300ドル(約270万円) at Sotheby's
2010年 6月 - Ref.25636 (スティール/プラチナ、スケルトン): 3万2500ドル(約290万円) at Christies
2011年 11月 - Ref.25654 (イエローゴールド): ~ 3万5400ドル(約280万円) Christies
2011年 12月 - Ref.25636 (スティール、 スケルトン): 3万1250ドル(約245万円) at Christies
2012年 6月 - Ref.25654 (スティール/プラチナ): 2万ドル(約160万円) at Christies
2013年 12月 - Ref.25654 (イエローゴールド): 2万ドル(約215万円) at Sotheby's
2015年 5月 - Ref.25654 (スティール、スティール製ダイヤル): ~ 2万5400ドル(約315万円) at Christies
2015年 6月 - Ref.25654 (イエローゴールド): 1万8750ドル(約231万円) at Sotheby's
2016年 5月 - Ref.25654 (イエローゴールド): ~ 2万5500ドル(約284万円) at Christies
2016年 5月 - Ref.25654 (スティール、ブルーダイヤル): ~ 3万5300ドル(約392万円) at Christies
2016年 10月 - Ref.25654 (スティール、ブルーダイヤル): 4万2500ドル(約447万円) at Christies
2017年 3月- Ref.25636 (スティール、スケルトン): 7万2500ドル(約820万円) at Christies
2017年 12月 - Ref.25654 (プラチナとピンクゴールド): 3万7500ドル(約425万円) at Sotheby's
2017年 11月 - Ref.25654 (イエローゴールド、ゴールドダイヤル): ~ 4万ドル(約454万円) at Sotheby's
2018年 11月 - Ref.25654 (スティール): 3万7500ドル(約428万円) at Christies
2019年 4月 - Ref.25654 (スティールとイエローゴールド、 ホワイトダイヤル): 1万8750 ドル(約210万円)at Sotheby's
2019年 5月 - Ref.25554 (イエローゴールド、ホワイトダイヤル): ~ 3万2100ドル(約355万円) at Sotheby's
2019年 6月 - Ref.25654 (イエローゴールド): 4万3750ドル(約475万円) at Christies
2019年 6月- Ref.25636 (イエローゴールド、スケルトン): 9万3750ドル(約940万円) at Sotheby's
2020年 7月 -Ref.25654 (スティール、ブルーダイヤル): ~ 11万300ドル(約1160万円) at Christies
簡単化・文脈化されたデータではないが、過去数年で、価値が急上昇している(珍しいことではない)ことが分かる。そして、10年ほど前に貴金属のロイヤル オーク パーペチュアルカレンダーを欲しがっていた人は、リーズナブルに買えたことが分かるだろう(今日の価値と比較すると、2万ドル(約215万円)以下で取引されているものが相当数ある)
結びに
ロイヤル オークは、長い歴史をもつ時計だが、オーデマ ピゲの現代における価値を決定づける時計となった。スポーツウォッチの大胆な再解釈から始まったロイヤル オーク パーペチュアルカレンダーは、同社の伝統的なカレンダー技術とアバンギャルドな八角形のスポーツウォッチを融合させたものだった。
初期のロイヤル オークはあまり注目されず、しばらくの間、過小評価されていたが、人気が高まるにつれ、興味をもたれるようになった。機能的には、ロイヤル オーク パーペチュアルカレンダーは、他社がクォーツを目指し始めた時代に、機械式の道を歩み続け、クォーツ危機を乗り切り、ロイヤル オークを高級時計界で絶対的存在を誇るモデルへと導いたのである。成功への道のりの一部に過ぎないが、Ref.5554とRef.2120/2800を搭載した兄弟モデルは、80年代から90年代にかけてオーデマ ピゲの知名度を高め、昨今のマニアやポップカルチャーを含む、大成功への礎を作ったといえるだろう。
謝辞:
数ヵ月間に渡る、皆様のご協力と忍耐に感謝したい。オーデマ ピゲのマイケル、ラファエル、セバスチャン、と彼のチーム全員。オプティミスト・コンサルティングのポール、とA Collected Manのロバートと彼のチーム全員。Watches2.8のテディ、イェルーン・ヴィンク、ジェフ・イスリングハウゼンJr.に、特に感謝を申し上げます。 あなた方の助けなしでは、この記事をまとめることはできませんでしたし、僕は全ての文章、メール、画像、アドバイスの1つ1つに大変感謝している。