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To Be Precise コーアクシャル脱進機の思いがけない台頭

スイスレバー脱進機は標準化されていた。では、なぜ一人の頑固な男が、欠陥のない脱進機を再発明しようと思ったのか?


 Hero画像は、オメガ スピードマスター プロフェッショナル マスタークロノメーター コーアクシャルCal.3861(撮影はティファニー・ウェイド)。図解の注意点:解説を簡潔化するために、ほとんどの図において、テンプの外側の部分(テンワ等)を省略し、他のパーツと接触作用する石を搭載した振り座のみを表示している。

何年も前のことだが、オメガのプレス向け朝食会に参加したことが想い出される(具体的にどんな時計を見るために参加したのかは忘れたが、時計についての記事を書こうと思えば、実際に見ることができた時代のことだ)。たまたま、オメガのCEOであるステファン・ウルクハート氏の隣の席に座ることができたのだった。彼は、2016年に退任したときには、オメガに17年間在籍していた業界古参の重鎮であった。

2016年に退任したオメガの元CEO、ステファン・ウルクハート氏。

 ウルクハート氏は、温和で饒舌な人柄だった‐定年が近くなると、特に何十年も第一線で活躍してきた人ほど、実際に考えていることを自由に口に出せるようになってきたと感じるのではないだろうか。エスプレッソを2、3杯飲んだあと、私は「なんじゃこりゃ」と思い、何年も前から彼に聞きたかった質問をしてみた。それは、コーアクシャル脱進機の量産化・商品化に莫大な費用をかけているが、販売面で大きな成果があるのだろうか? というものだった。

 彼は笑って、(少なくとも10年前のことで、私はメモを取っていなかったので、言い回しは正確ではないかもしれないが)次のように語った。

時計小史:脱進機

時計の脱進機の歴史について、興味がある読者はHSNY会長のニック・マヌーソス氏の2015年の記事をご覧いただきたい。

 “ほとんどありません。まず、機械式時計とは何かを知ることです。そして、それには脱進機が不可欠であるとわかります。では、スイスレバー脱進機とは何かを知れば、そのデメリットとメリットが理解できます。さらには、デテント式脱進機という別のものがあり、それにも問題があることがわかるでしょうが、スイスレバーとは異なる問題です。それでは、もし両方の利点を組み合わせることができれば、いずれも凌駕する優れた脱進機を作ることができるということにならないでしょうか。そうすれば、コーアクシャル脱進機を理解することができるのです”。

 (オメガのように多くの時計を製造している会社にとっては大きな課題となる、オーバーホールの間隔が長期化することも彼は確かに断言した)

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 問題点は理解できるだろう。ジョージ・ダニエルズが発明した脱進機に対する一般的な理解という点では、その後、状況は確実に改善されていると思うものの、オメガがそれを採用した全体的な理由は、やはり改めて知る価値があると思うのだ。

 では、始めよう。ジョージ・ダニエルズの発明が量産化されるまでの長く魅力的な歴史を語るつもりはないが、その代わりに、なぜ彼がそれを思いついたのかを語ってみたいと思う。それでは、ウルクハート氏のアドバイスに従って、手始めにスイスレバーとデテントを理解し、コーアクシャルの誕生とその理由について考えてみたいと思う。

世界を変えたスイスレバー脱進機

本記事の読者層は、機械式時計とクォーツ式時計の基本的な違いを当然知っているだろう。機械式時計には脱進機と呼ばれる部品があり、オメガやロジャー・スミスなどごく少数のメーカー以外のほぼすべての時計に搭載されている脱進機はスイスレバー脱進機であることは、ほとんどの人が知っていると言っても過言ではない。しかし、コーアクシャル脱進機の特徴を理解する前に、まずはスイスレバーについて見てみよう。

イラスト Wikipediaより

 上の図は、図中1の爪石(出爪)がガンギ車の歯をロックしている様子だ。爪石が歯に圧力をかけてアンクルが図中2のドテピンにしっかりと押し付けられているのが見えるだろうか。テンプが反時計回りに振れると、図中3の振り石がアンクル上部のフォークに入る。テンプが回転すると、アンクルも旋回し、図中1のガンギ車の歯のロックが解除される。テンプの回転によってロック解除されたガンギ車の歯の平らな上面が爪石に沿ってスライドし、アンクルに与えられた力が図中3の振り石を介してテンプに伝わる。最後に、右側の爪石(入爪)がガンギ車の歯を挟み込み、ガンギ車をロックし、アンクルを右側のドテピンに固定する。

 何点か注意すべき点がある。まず、振り座についているひとつの爪石(振り石)は、ガンギ車がフォークに入るときに最初にガンギ車のロックを解除する。そして、テンプがフォークから出始めると、テンプへの衝撃をアンクルから受けるというふたつめの役割を果たす。そのポイントは、ガンギ車は常に一方向に回転しているので、ふたつの爪石が交互にガンギ車をロックするということである。そのため、ガンギ車の歯をロックする最初の爪石(右側)を「入り爪」、2番め(左側)を「出爪」と呼ぶ。(このような非常に特殊な要素を、他の言語ではどのように呼ぶのだろうか。ロシア語ではプリベット爪とダスビダーニャ爪というのだろうか。コンスタンチン・チャイキン氏に今度聞いてみよう)。

 脱進機は非常に巧妙な装置だ。時計の歯車は一方向にしか回転しない。しかし、振動子は2方向に振れる。神の思し召しで、片方の振れにほぼ同じ時間がかかるようになっている。脱進機はふたつのことを同時に担う。一方的に回転する歯車から、両方向に揺れるテンプにエネルギーを伝えながら、それぞれを規則的に振動させることだ。

スイスレバー脱進機が作動する様子;(わかりやすくするためにテンプを外した状態)。テンプが揺れるたびに爪石がガンギ車のロックを解除し、同時に輪列全体のロックも解除する。ガンギ車を駆動する4番車は、1分間に1回転する。

1960年代末からオメガ スピードマスター プロフェッショナルに採用されているCal.1861(最初のバージョンであるCal.861は銅メッキ仕様)。このムーブメントは水平クラッチ式のクロノグラフムーブメントで、スイスレバー脱進機を採用している。

 スイスレバー脱進機は素晴らしい役割を果たす。頑丈で、テンプを押し出すたびに非常に安定した量のエネルギーを与えてくれるからだ。さらには、テンプの運動を両方向から力を与える。また、ある種セルフスタート(自己稼働)ともいえ、ある時点まで時計を巻き上げれば、時計を振らなくとも稼働を開始するのだ(すべての脱進機がセルフスタート式というわけではなく、時計をフルに巻き上げても、振動を開始するには軽く振らないと動かない時計もある)。唯一の問題は、ガンギ車の歯とアンクルの爪石の間に摩耗が生じることだ。この摩耗によって摩擦が生じるので、摩擦を抑えるために(摩耗を防ぐためにも、エネルギーの損失を防ぐためにも)潤滑油が必要になる。そして、潤滑油は経年劣化する‐その結果、精度も低下していくのだ。

 これは、昔の時計職人が使っていた植物油や鯨油に比べれば、現代の合成潤滑油は問題を極めて小さくしたものの、遅かれ早かれ、必ず起こることではある。

ほぼ完璧なもうひとつの脱進機

 潤滑油を必要としない脱進機には、クロノメーター脱進機、またはデテント脱進機(表現は異なるが同じものである)がある。クロノメーター脱進機にはアンクルが存在しない。その代わり、ガンギ車は板バネ(デテント)で固定されている。テンプが揺れるとデテントがわずかににずれ、ガンギ車の歯がひとつ進むのに十分な位置まで移動する。このとき、ガンギ車の歯が直接振り石を押し、それ以上回転する前にデテントが元の位置に戻り、ガンギ車がそれ以上回転しないようにするのだ。

デテント脱進機の図解(ソーニエ『時計学論考』より)。

 上の図では、テンプは反時計回りに回転している。図中1の非常に小さなロック解除用の爪石が、デテントのパッシングスプリングの先端に接触しようとしている。デテントには図中4の非常に薄い板バネが取り付けられており、図中1の爪石が通過バネの先端を押すと、デテントがわずかに右に押し出される。これにより、図中2のロック用の爪石も右に移動し、ガンギ車のロックが解除される。時計回りに回転しているガンギ車は、図中3の振り石に接触しテンプに衝撃を与える。その後、デテントは元の位置に戻ると同時に次のガンギ車の歯をロックするタイミングとなる。テンプが逆方向に振れると、パッシングスプリングに接触するが、通過バネの弾力の弱さとガンギ車の歯が図中2のロック用爪石に拘束されることにより、デテントは所定の位置に固定され、ガンギ車はロックされたままとなる。

 デテントもスイスレバー脱進機も、ふたつの役割を担っている。

 ひとつめの役割はガンギ車のロックとその解除だ。これは、テンプが運動した瞬間にしか起こらないことを覚えておいて欲しい。つまり、テンプが同じ速度で揺れている限り、輪列は極めて一定の間隔で進んでいくのである。輪列のさらに奥にある歯車に針を付けて、輪列のロックが解除されたことを示せば、それだけで時計になる。

ジラール・ペルゴ ポケット・トゥールビヨン、クロノメーターデテント脱進機、ゴールド製ガンギ車、1889年。

 ふたつめの役割は、テンプを往復運動させ続けることである。これはテンプが脱進機のロックを解除する瞬間にも行われる。(脱進機の愛好家の方は、ここで少し単純化されていることに気づかれると思うが、わかりやすくするために許容して欲しい)。送り出すエネルギーが一定であれば、テンプは常に同じ速度で往復運動する。

ジラール・ペルゴ ポケットクロノメーターのゴールド製ガンギ車のクローズアップ(1889年)。

 スイスレバー脱進機と同様にデテント脱進機でも、機能するためには正確な瞬間に多くのことをこなさないとならないが、慎重に構築すれば、摩擦がほとんどなく潤滑油が劣化する心配もないため、理論上永久に動き続けることができる脱進機になる。唯一の問題点は、強い衝撃が加わるとデテントがずれてしまい、本来回らないはずのガンギ車が回り始めてしまうことだ。この弱点はデテント脱進機がありとあらゆる場面でぶつかることが懸念される、腕時計に不向きであるということを端的に示している。デテント脱進機の他の問題点は、自己稼働がないことと一方向にしかインパクトを与えられないことだが、実際にはこれらは現実的な問題というよりは、理論上の問題だ)。

 本当は、スイスレバーのように衝撃に強く、摺動(しょうどう)摩擦がなく、直接衝撃を与えられる脱進機が理想的である。

 そうして登場したのが「コーアクシャル脱進機」である。

スイスレバー脱進機では非常に効率の悪いスライド動作が必要ですが、コーアクシャル脱進機ではシンプルな押し出し動作で力を伝達することができるのです。

– ロジャー・スミス、大英帝国勲章(オフィサー)
よりよい時計の世界を築くために

ジョージ・ダニエルズは、スイスレバー脱進機の問題点を最初に認識した人物ではない。潤滑油劣化の影響は当初から認識されていたが、スイスレバー脱進機は非常によく機能し、時計の実用的な脱進機としての競争相手がほとんど存在しなかったため、18世紀半ばに導入されてから、急速にすべての時計の標準的な脱進機となった。現在もその潮流は続いている。しかし、実験好きな時計師たちは、スイスレバー脱進機とデテント脱進機を何らかの形で組み合わせることに挑戦したのだった。

 ジョージ・ダニエルズが考案したコーアクシャル脱進機は、ふたつのガンギ車を同一軸上に配置したことが、コーアクシャル(同軸)の名の由来となった。ひと言で言えば、スイスレバーの耐衝撃性とデテントのダイレクトで摩擦の少ない動作を組み合わせたもので、理論上は衝撃面への注油が不要となり携帯型の時計に使用することができた。

1万5000ガウス以上の耐磁性を持つ、コーアクシャルCal.3861を搭載したオメガ マスター クロノメーター。

 現在、コーアクシャルにはいくつかの類型が展開されている。ひとつは、非スイスレバー脱進機を工業的に使用することに成功した唯一の企業であるオメガが使用しているバージョンだ。もうひとつは、ロジャー・スミスが使用しているバージョンだ。どちらの脱進機も、ダニエルズのオリジナルデザインとは大きく異なり、ガンギ車の質量を減らすなどして、効率性を高めるように最適化されている。ロジャー・スミスのコーアクシャル脱進機は、ダニエルズの2層式のガンギ車の機能を統合した単層式ガンギ車を採用している。

ロジャー・スミスの単層式ガンギ車を持つコーアクシャル脱進機の図。ダニエルズのオリジナルデザインでは別の歯車だった内側の直立した歯が、ひとつの歯車に統合されている。

 上の図では、テンプが反時計回りに回転しており、ガンギ車が時計回りに回転すると、ガンギ車の歯の衝動で図中1の振り石が右に移動する。図中4の受け石はアンクルフォークにあり、テンプが回転し続けると、アンクルは図中7のドテピンに向かって回転する。その際、図中2の爪石が所定の位置に落ちて図中3の内歯をロックし、ガンギ車をロックすると同時に、図中6の爪石がガンギ車の外歯の1つをロックする。テンプが反対方向に振れると、レバーは反対側のドテピンに向かって押し出され、図中3の内歯が図中2のアンクルの爪を押し出して解除される。

 読者の皆さんは、ここで興味深い点に気づくだろう。ひとつは、図中5と6の2つの爪石が純粋にロック用であり、どちらもテンプに衝撃を与えていないことだ。もうひとつは、テンプが反時計回りに振れると、ガンギ車の長い歯のひとつを介して図中1の振り石に衝撃が与えられるが、テンプが逆に振れると、アンクルを介して間接的に、図中2の爪石がガンギ車の内側の歯先から圧力を受けて、図中4の受け石に衝撃を与えるという点だ。

業界通のマスターピースからポップカルチャーのエンジンまで:オメガ シーマスター プロフェッショナル "ノー・タイム・トゥ・ダイ"

 ジョージ・ダニエルズがコーアクシャル脱進機の正しい形状を編み出した経緯は、栄光と驚きに満ちたものだ - 私には100年経ってもできないだろう。まさに何でもできるのだ。この脱進機はしっかりとロックすること、両方向に衝撃を伝えること、自己稼働すること、そして摺動(しょうどう)摩擦がないことから、(理論上)衝撃面に潤滑油を必要としない。唯一の欠点と言えるのは、複雑な脱進機であることと、当初はデテント脱進機やスイスレバー脱進機よりも巨大なガンギ車を使用していたことだ。

 コーアクシャル脱進機の興味深い点として、衝撃面に潤滑油を注油していることだ(だから "理論的にはもう必要ない"のである)。しかし、それは摩擦を軽減するためではない。むしろ、衝撃による酸化を最小限に抑えるためだ。ロジャー・スミス氏はHODINKEE編集部に宛てたメールで、“ジョージ(ダニエルズ)と同じように、我々も単層歯車に潤滑油を注油しています。これにより、歯が爪石に衝突する部分に酸化物が溜まるのを防ぐことができるからです。興味深いことに、この衝撃の影響はデテント脱進機ではよく見られ、それを防ぐために潤滑剤を注油していたのです。しかし、重要なことは、潤滑油が劣化しても調速には影響がないということ。これは、スイスレバー脱進機で見られる非常に非効率的なスライド動作とは対照的に、単純な押し出し動作によって衝撃が伝達されるためです。”と解説してくれた。

オメガが採用しているコーアクシャル脱進機の現行バージョン。脱進機だけでなく、テンプやゼンマイにも非磁性体が多用されている。ふたつの爪石とふたつの振り石という基本原理は、継承されていることがわかる。

Cal.キャリバー9300に搭載されているコーアクシャル脱進機とクロノグラフ機構。

 私にとって、脱進機の歴史で最も興味深い点は、脱進機が単なる知的好奇心から生まれたものではないということだ。ダニエルズは、クォーツ時計とそのメーカー(彼は「電気屋」と呼んでいた)に機械式時計が衰退した、と言わせまいとしたかったことに加え、彼の回想録からは、機械式時計業界がスイスレバーを改良することに満足してそれ以上の進歩に向けて努力していないことに対する不満に、一石を投じたかったことが読み取れる。クォーツ危機の真っ只中に生み出されたコーアクシャル脱進機とダニエルズの目的については、その仕組みを理解することに重点が置かれることが多いのだが、それは至極当然とも言えよう。

 しかし、純粋に技術的な特徴や、ダニエルズが最初のバージョンを作ってから数十年にわたる脱進機の進化の裏側には、機械の物理的な魅力や、時計が機械であることを超越してロマンと美しさの対象になることを、深く深く愛する一途な心があったのだ。コーアクシャルを工学的な観点から考え始めると、最後にそれが実は愛の結晶であることに気づくことになるだろう。

追記

以下はジャックが本国で記事公開後に寄せられたコメントに対し、包括的な回答として追記したものです。

 読者の皆さん、ごきげんよう。多くの興味深い指摘をコメントで読ませていただいた(特にオメガの文脈でコーアクシャルについて議論すると、知的関心と支持/不支持の感情の両方が沸き起こるが、それは健全なことである)。 寄せていただいたコメントを読み、考えをまとめたので、断片的にお答えするよりも、ひとつの投稿で共有しようと思う。読者がそれらを参考にしたり、少なくとも、今後の会話の参考になるような興味深い内容であれば幸いだ。

 まず、コーアクシャル脱進機が完璧な脱進機だとは考えていない。そもそも、そのようなものは存在しない。

 古典的な言葉で言えば、完璧な計時装置とは摩擦がなく、一定の復元力と一定の駆動力を持つ古典的な振動子のことを指す。これが機能するためには、脱進機としてマクスウェルの悪魔のような存在を想像しなければならない(物理的なシステムでは不可能な熱力学の第二法則を破ることができる仮想的な存在と同義だ)。私たちの時を司る悪魔が、物理的な接触なしに、各振動において一定の衝撃度と一定の復元力を提供することができ、また各振動を定間隔化することができるとしたら、輪列や運動の必要性がないことになる。悪魔は魔法を使うので、エネルギーの変動やその枯渇を心配する必要はなく、悪魔の時計は永久に完璧な精度で動き続ける。悪魔は、純粋な知性であり概念上の存在であるため、報酬としての金銭を受け取る必要がなく、利潤追求のためではなく、純粋な知的興味から喜んで仕事をしていると考えることができる😂。

🙄

 さて、それ以外のもの、つまり現実世界の物理的法則に則った時計は、悪魔の時計の精度に近づこうとする妥協の産物と言えるが、物理法則と工学を以てしても、そこには決して到達することはできない。工夫次第で悪魔の時計の精度に漸近するかもしれない‐フェドチェンコ振り子時計は年差1秒以内、あるいはそれ以上の精度だが、長期的に見れば、どんな物理的な時計でもテストに合格することはできない。

 もし私に後世に名を残したいという承認欲求があるなら、これを“フォースターの法則”と呼ぶだろう。ただし、これは時計職人や本格的な時計研究者なら誰でも知っていることである。すなわち、“物理的な時計は、理想的な振動子の動作に近似する以上のことをするのは原理的に不可能であり、あらゆる時計がこれを克服しようと試み、あらゆる時計が異なる解決策を試みるが、どれも妥協を伴い、どれもある程度失敗する”。

 ここで、何年も前にグルーベル・フォルセイ社のスティーブン・フォルセイ氏と食事をしたときの話をしたいと思う。幸運なことに、ThePuristS.com主催の愛好家向けディナーで彼の隣に座ることができ(2006年くらいだったと思う)、2時間ほどトゥールビヨンや時計への重力の影響、そしてGFトゥールビヨンが、もともと腕時計ではなく懐中時計用に設計されたクラシックなトゥールビヨンの構成に内在する問題を解決する試みであることなどについて話をした。コーヒーを飲みながら、スティーブン氏に“GFトゥールビヨンは複雑さを増しているが、標準的なトゥールビヨンより優れていると明確に言えるのか?”と尋ねると、彼は笑いながら“ジャック、時計製造の現場では、得るものよりも失うものの方が多い苦渋に満ちたものなんだよ。”と返ってきた。

 彼が言いたかったことの要諦は、時計製造やクロック製造の問題には確かに解決策があるが、その解決策を選択するためには妥協が必要だということだった。さて、そろそろコーアクシャル脱進機の話題に入ろう。

 ジョージ・ダニエルズのコーアクシャル脱進機が発明されたのは1970年代後半だ。当時、機械式時計でもクォーツの精度を出すことは可能だったが、一般的には手作業で調整する必要があった。例えばGP(ジラール・ペルゴ)のジャイロマチックHF(High Frequency<高振動>)は、月差1分以内の精度を保証していたが、何らかの理由で精度が出ない場合は、GPの時計職人が無料でその精度に調整してくれるというのが保証条件だった。スイスレバー脱進機には、ガンギ車の摩耗や、潤滑油の劣化による調速変化などの問題があり、コーアクシャル脱進機は、ダニエルズがスイスレバーの非効率的な摺動摩擦を克服する脱進機への挑戦だったのだ。

 そこで、コーアクシャルについて、いくつか考えてみよう。

 私はコーアクシャル脱進機が完璧だと考えているだろうか? 前述したとおり無論、否である。完全な脱進機は原理的に不可能なのは、永久機関が実現不可能なのと同じ理由だ(実際、悪魔によって作動する理想的な振動子は永久機関だ。上で、“一定の衝撃度”と書いたが、実際には、摩擦のない振動子は、一度動き出せばその必要すらない;完全な真空内で摩擦のない振り子が揺れると、文字通り永久に揺れる) すべての脱進機には妥協が必要であり、お金を払ってチャンスをものにするのだ。スイスレバーの弱点は、摺動摩擦と間接的な衝撃であり、デテント脱進機の弱点は、壊れやすさ(そして衝撃酸化が起こりやすい)であり、コーアクシャル脱進機の弱点は衝撃による腐食が起こりやすいこと、機構がより複雑になること、スイスレバーとデテント式の両方と比較してガンギ車とアンクルにより大きな慣性負荷が加わることが挙げられる。

 では、コーアクシャルの場合、失うものと得るものとどちらが多いのだろうか? 問題はもちろん、脱進機の抽象的な評価と、その実装の特殊性を切り離すことはできないということだ。シリンダー脱進機とヴァージ脱進機は、理論的にも実用的にも、スイスレバー脱進機、デテント脱進機、コーアクシャル脱進機に比べて劣っていると誰もが認めているが、1761年から翌年にかけて、ジョン・ハリソンが発明したマリンクロノメーターH4は、ジャマイカまでの81日間の航海で、累計にしてわずか5秒しか遅れが生じなかった。もちろん、H4は、時計史上最も優秀でありながら、頑固で気難しい人物によって作られた一点ものの傑作であり、この種の時計としては最後のものであったことは間違いないのではあるが。マリンクロノメーターのメーカーは、デテント脱進機(のちにはスイスレバー式も)を躊躇なく採用した。

 コーアクシャル脱進機が開発されたのは、非常に特殊な事情によるものだった。それは、スイスレバーの場合、衝撃面の潤滑油が劣化すると、長期的な速度安定性が損なわれるという問題に対処するためだ。オーバーホール間隔を長期化するために開発されたのではないのは、主ゼンマイで駆動し、注油されている時計は、いつかは修理する必要があるものだ。ダニエルズがお金に対する執着よりも時計への愛情に突き動かされていたことは、いくつかの点から見て明らかだと思う(ただし、彼の自伝を読めば、よい仕事の価値を1セント単位で知っていたという印象を受ける;戦後のイギリスで貧しい生活を余儀なくされた人が、ヴィンテージ・ベントレーを収集できるようになったのは、金儲けが何たるかについて知っていたからだろう)。その証拠に、彼は生涯で27本しか時計を製作しなかった。

 では、私がこのコラム(To Be Precise)でコーアクシャル脱進機のことを書いているのは、それが完璧な脱進機だと思っているからだろうか? いや、それは馬鹿げた考えだ。私がこのコラムを書いているのは、この脱進機が好奇心を掻き立てるからだ。また、この脱進機が提示する解決策は、現在でも完璧な解決策がなく、今後もないであろう、時計製造における最も古い問題に挑戦するものだ。ダニエルズが何をしようとしていたのかを理解すれば、もっと根本的なものを見せてくれるレンズなのだ‐“どちらが優れているか”とか“何が最高”という議論は、このレンズを通せば、時間の無駄であることがわかるのではないだろうか。

 私が出版業界に入ってしばらくして気づいたことがある。どの雑誌のどの号も、時間とお金のプレッシャーに折り合いを付けて妥協しているのだ。できれば妥協点をできるだけ少なくするのがコツで、それでうまくいくのである。脱進機のアプローチもそれと同じではないだろうか。

ここまで読んでいただき感謝する。また、興味深いコメントの数々にも重ねて礼を述べたい。

PS.マクスウェルの悪魔について詳しくはこちらを参照。