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90年代ウィークへようこそ。この特集では直近10年間で最も魅力的な(そして最も過小評価されている)時計と、20世紀末を特徴付けたトレンドとイノベーションを再考していく。ダイヤルアップ接続を行い、クリスタルペプシ(無色透明のコーラ)を手に取って欲しい。
90年代半ば、パテック フィリップはある問題に直面した。時計への熱は1980年代初頭のクォーツ危機と不況の影響から回復しつつあった。90年代半ばまで、最も有名な高級時計メーカーであるパテック フィリップは、新興のドットコム(インターネットビジネスを手掛けるベンチャー企業)の資金で潤う市場と精巧な作りの時計、特にカジュアルでスポーティな時計を好む傾向に目をつけた。
では、何が問題だったのか。それは、パテック フィリップにモダンなスポーツウォッチがなかったことだ。
1996年まで、ジェンタ(Gérald Genta)がデザインしたノーチラスは20年近く前に発売され、ブランド愛好家のあいだで人気を博していたが、若い購買層はよりカジュアルでスポーティなものを選ぶようになっていた。1997年、パテック フィリップは初の年次カレンダー腕時計を発表してからわずか1年後、ラバーストラップのカジュアルなスポーツウォッチ、アクアノートを発表した。この時計はノーチラスよりも小型かつ安価でありながら、ジェンタが形作ったルーツを受け継いでいる。
当初の5060Aは、幅35.6mm、厚さ8.5mmのスティール製(“A”はフランス語で“acier”、つまり鋼鉄を意味する)である。19mmのラグ、サファイアクリスタル、頑丈なスティール製ケースバック、ねじ込み式リューズを備え、120mの防水性を実現した。ブラックダイヤルのみ販売されたオリジナルのアクアノートにはアラビア数字が使われ、夜光塗料が施されていた。まさにスポーティウォッチである。
当時も今も、アクアノートはパテック フィリップと、パテック フィリップで人気のある時計のひとつ(または複数)を手に入れようと奮闘した人々にとって、大きな意味を持つ。1997年、パテックのボスであったフィリップ・スターン(Philippe Stern)は、『Europa Star』のインタビューで、アクアノートは「伝統的なパテック フィリップの品質と、真のスポーツウォッチを求めるブランドの顧客の要望に応えたものだ」と語っている。前年の“中流層向け”年次カレンダー 5035の発表とは一見異質であり、またつながっているようにも見えるこの5060Aは、ブランドの広範な商業化に向けて新たな一歩を踏み出したと言えるだろう。大成功を収めた、長い歴史を持つノーチラスに続く完璧な第二子なのだ。
アクアノートは、カラトラバや複雑なパーペチュアルカレンダーとは異なり、頑丈で伝統的なものでなく、比較的安価なモデルだった(パテックの通常の価格帯を考慮すれば、この言葉に納得してもらえるだろう)。カラトラバが9000ドル(当時の日本円で約109万円)、パテックのパーペチュアルカレンダーが少なくとも45000ドル(約545万円)の時代、5060Aはおよそ5000ドル(約61万円)で市場に登場した(当時の定価は6900スイスフラン。1997年時点での為替レートは1米ドル=0.708スイスフラン。実際の希望小売価格は多少異なるかもしれないが)。
インフレ計算機を使うと、現在のアクアノートが9300ドル(約128万円)程度で手に入るようなものだとわかる。5167Aの現在の定価が、小売価格で2万1650ドル(約299万円)、流通市場では7万ドル(約966万円)以上であることを考えると、それほど悪くはないだろう。ハハハ。
5060A(と謎の5060/S。後述する)は最初の年には1000本限定だったとしばしば報告されるが、そのような主張の検証は見つけることができない。パテックの公式声明は、アクアノートの生産数はパテックがそのときに準備できたムーブメントの数によってのみ制限されたと述べている。
ムーブメントについて言及すれば、5060Aは3.5Hzで動き、48時間のパワーリザーブを有するパテックの330 S Cを搭載する。ジャイロマックスのテンプ、21Kゴールド製ローターを用いている。アクアノートのSS製ケースバックの下には、ジュネーブ・シールが刻印された330 S Cが収められている。
当初から、アクアノート 5060Aはブラックの“グレネード”文字盤にブラックのコンポジットラバーストラップがマッチし、兄弟モデルとの差別化がなされている。このストラップは、パテックが“トロピカル”と名付けた特殊なラバー素材を使用してデザインされており、頻繁な装着、汗、塩水、そして紫外線に晒されることなどの使用にも耐えられるよう配慮されている。
アクアノートの不思議な重要性を持つストラップについて調べていたところ、Collectabilityのジョン・リアドン氏が、その設計と開発に関する興味深い2つのディテールを教えてくれた。ひとつは、文字盤のパターンをストラップで再現していること。「パテック フィリップは以前からこのコンセプトを試みていましたが、いつもゴールドだったんです」とジョンは言う。「“トロピカル”というストラップのコンセプトは、まさにパテック フィリップのデザイン言語として画期的なものでした。パテック フィリップの時計でこの新しいトロピカルスタイルの文字盤とそれにマッチしたストラップを見ることになったのは、当時本当に衝撃的でした」
2つめの要素は、ストラップのテストに関することだ。「パテック フィリップは、トロピカルストラップがアメリカ食品医薬品局による低アレルギー性テストを受けていることを大々的に売り出したのです。1990年代にはアレルギーに対する意識が高まり、時計界でもストラップが話題の中心になるなど、低アレルギー性ストラップの需要が高まっていたのです」
また、5060Aのストラップに付属していたクラスプには“Nautilus(ノーチラス)”のサインが入っており(上図)、この最初のアクアノート リファレンスが完全なアクアノートではなく、“ノーチラス・アクアノート”であるという現実を明らかにする一助にもなっている。CollectabilityやHODINKEE Shopのレポートにもあるように、クラスプに“Aquanaut (アクアノート)”と単独で記されるのは、5066の発売以降なのだ。
5060Aは確かに最初のアクアノートだが、それはパテック フィリップが最初にいくつかの快適さを開発したようにノーチラスからの移行の段階を表している。 そして、早くても1996年にいくつかの広告に登場し始めた(A Collected Man、およびEuropa Starによるもの)初期のイエローゴールドのプレ・アクアノート、5060/Aが生まれる。多くのコレクターにとって、5060/Sはパテックがノーチラスを再設計する際の試金石であり、その結果がアクアノートとなったというのが定説である。
3800 ノーチラスに似たローマ数字の文字盤を持つ5060/Sは、従来型のラグのおかげで特筆すべき存在となっており、ノーチラス初のレザーストラップ仕様でもある。ノーチラスと初期のアクアノートのあいだに架け橋があるとすれば、5060/Sはまさにその架け橋といえるだろう。1997年、5060Aと5060/Sはともにアクアノート5060J(下図)として発表されたが、5060Aの最も大きな特徴のいくつかは欠落している。
多くの人がよく知っているように、アクアノートは初期のころから、パテックが期待した新しい、若い購入者にとどまらず、非常に人気があることが証明された。「我々は、すでに我々の時計を所有している顧客にある種のサービスを提供しています」とフィリップ・スターン氏は言った。 「同時に、我々はパテック フィリップの時計を購入したがっている若い消費者がブランドにアクセスできるようにしています」。 アクアノートは瞬く間にクロスオーバーヒットを遂げ、同社の歴史のなかで最も成功し需要の高いモデルのひとつとなった。
アクアノートの進化
アクアノートの進化は発売以来続いており、1998年に発表されたRef.5065 “Jumbo(ジャンボ)”は、幅38.8mmでディスプレイバックケースを備え、ブレスレットが付属していた。その後、小型のクォーツモデルやスチール製、イエローゴールド、ローズゴールドなど、さまざまなバリエーションが登場した。驚くべきことに、アクアノートに最初のコンプリケーションが与えられたのは2011年のことで、トラベルタイムを搭載した5164A(これは私のお気に入りのモダン・パテック フィリップのリファレンスでもある)だった。
過去25年間、アクアノートの人気は高まる一方だった。多くの購入者がノーチラスという伝統的なモデルを、より身につけやすく、よりスポーティで、より気負わずに使えるものにしたいと思ったからだ。 こんなことを言うと怒られるかもしれないが、私の目には、ノーチラスに対するアクアノートがロイヤル オークに対するロイヤル オーク オフショアのように映る。1992年に発表されたオフショアが、ロイヤル オークのエトスのなかでよりスポーティかつ若々しい製品であったことを忘れてはならない。聞き覚えはないだろうか?
リンゴとオレンジ? そうだ。しかし、異なる条件下ではあるが、ほぼ同様の状況で栽培された果物であることに変わりはない。 この2つの違いは、確かに昼夜の違いで、最終的には各ブランドのリーダーシップと精神に帰結するものだ。とはいえ、90年代の市場の勢いは、パテックやオーデマ ピゲのようなブランドに、自分たちの顧客とその未開発の可能性をよりよく理解するよう促したと思う。オーデマ ピゲにとって、それはより多くのことを意味した。パテックにとっての意味はより少ないものだった。あるものは大きく、あるものは小さくだ。
今日、緩やかなつながりのある時計のグループがジェンタがデザインした(あるいはそれから派生した)ノーチラス、ロイヤル オーク、アクアノートなどの時計よりも人気を集めていると想像することは難しい。どのモデルの価格も小売価格を大きく上回っており、こぎれいな5060Aは、現在の市場で4万5000ドルから5万5000ドルのあいだで取引されている。僕のように、長いこと5164Aに目をつけていたのなら、その市場は最近6桁に割れていると言っておこう。
一般的な入手のしやすさはさておき(ため息)、これは僕がずっと気に入っている時計のひとつ、初期のアクアノートへのラブレターのようなものだろう。僕はラバーストラップのパテック フィリップから出たラバーストラップの高性能スポーツウォッチを常に愛し続けるだろうし、この業界のなかで最高の名前がついていなかったら残念に思うだろう。アクアノート。
90年代がパテック フィリップにとって本当に問題のある期間だったとすれば、アクアノートはその当時も、そしてこの30年間の大部分においても間違いなく解決策であったと言えると思う。
リード画像クレジット:Europa Star. © Europa Star