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トレンドには周期性がある。当たり前のことを言っているが、ロイヤル オーク オフショアの栄枯盛衰を理解する上で重要な枠組みなのでご容赦いただきたい。ファッションの流行は、来ては去り、また巡ってくるのだ。この初歩的な方式はソーシャルメディアとインフルエンサー文化のおかげで、より複雑なものへと進化した。オフショアは1990年代初頭に誕生し、2000年代初頭に注目を浴びるようになったが、当時は競争の場はもっと均等なペースで、言い換えればトレンドにもう少し余裕が与えられていた。
基本から始めよう。トレンドが“注目を集めている”場合、一般消費者はそのトレンドに乗る可能性が高い(これを群集心理と呼ぶ人もいる。人間は社会的な生存や地位のために、自分自身を着飾ることに特に長けているのだから、これは当然のことだと私は考えている)。トレンドが一巡すると、問題のアイテムは陳腐化し、強い不支持の反応、鼻を向ける、つまり公開処刑を引き起こす可能性がある。例えば、スキニージーンズについて考えてみよう。1980年代前半から中盤にかけて頂点に上り詰めたスキニージーンズは、2010年代後半にはどん底まで転落した。心配しないで欲しい(もしくはパニックにならないで欲しい)。スキニージーンズは戻ってくるはずだ。
“トレンドに乗った”アイテムは、多くの場合、時代の流れの産物である。それらは現代の言説を反映しているのだ。さて、その言説は、過去10年間の言説を現代風にアレンジしたものかもしれない(フレアジーンズやキャンプカラーシャツなどのように)。ここで私が言いたいのは、トレンドはクラシックとは正反対のものだということだ。例えば、キャメル色のカシミアコートやシルクのバイアスカットドレス、メリノウールのVネックセーターなどである。クラシックは温厚で、臆病だ。トレンドは派手なもので、理論的には既存のファッションの常識を変え、型にはめ、破壊する。そして本当に優れたトレンドがあれば、アール・デコ調のジュエリーやダブルデニムのようにトレンドの泡を突き抜けてクラシックになることもある。
オフショアは1993年に誕生し、2000年代初頭に人気を博したのち、無数のリミテッドエディションやセレブリティとのコラボレーションのおかげで爆発的な人気を博し、 その後、ロイヤル オーク(2010年代に無用の墓穴から這い上がった)の影に隠れ、ゆっくりと粛々と衰退していった。
オーデマ ピゲにおけるロイヤルオーク オフショアの栄枯盛衰を理解するためには、まず、より広い文化的な物語におけるその役割を理解しなければならない。すべての時計は基本的に文化の表現であり、衣服がそうであるように、時計はポップカルチャー、テクノロジー、ファッションの反映として機能する。オフショアは大胆な転換点として上陸し、時計業界に急激な変革をもたらし、オーバーサイズウォッチのトレンドを確立した。
“ビースト”の愛称で親しまれた初代オフショア(Ref.25721ST)は、ラバーパッキンが露出し、リューズとプッシャーにもラバーが使用された42mmのステンレススティール製クロノグラフだった。前身となるロイヤル オークをパワーアップさせたモデルである。この時計は物議を醸した。ジェラルド・ジェンタの声高な不支持は、クラシック主義者たちのあいだで反響を呼び、それは現在でも続いている。
しかし、より広い文化的背景と照らし合わせた場合、サイズはそれほど過激なものではなかった。90年代、ファッション界全体のテーマがオーバーサイズであり、このテーマは文化や時代を超えていたのだ。オフショアのラバーアクセントとコミカルとも思えるオーバーサイズケースは、エクストリームスポーツの台頭と呼応していた(何しろXゲームは、そのわずか2年後に誕生したのだ)。1990年代はスケートカルチャーと巨大なバギージーンズが生まれた時代であり、だぶだぶのフランネルシャツを着たグランジファンから、巨大なプラグピアス(ボディピアス)で耳を拡張したパンクの申し子、そしてバックパッカーやかつてないほど大きなバーブワイヤータトゥーに至るまで、若者文化のブームが到来し、エンブレムも超大型化した。オフショアは高級時計製造という独自の分野、独自の領域にありながら、あらゆる個人的な表現において、より極端なサイズへの文化的なプッシュを人々が受け入れるという、より広範な対話の一部であった。
イノベーションは、最初のうちは我慢しがたく、私たちが注意深く考えてきた物質的なアイデンティティに対する冒涜のように感じられることもある。しかしファッションにおける変化は常に起こっている。ジョン・ガリアーノがヴェルサイユ宮殿のオランジェリーで行った1999年秋冬のクリスチャン・ディオールのクチュールショーは、その露骨なセクシュアリティと伝統的なクチュールコンセプトの脱構築で、会場にいたすべてのクチュールファンに衝撃を与えた。時が経つにつれ、このショーはファッション史における画期的なショーとなり、ファッション時代の転換点として常に言及されるようになった。同じことがマルタン・マルジェラと彼のタビにも言える。タビは“隠れた”靴であり、そのフォルムは足の親指を足の他の部分から分離する形状を持つ。当初は衝撃的であったタビは、今や商業的に不滅の存在となっている。大きなアイデアと先鋭的なデザインこそが、会話を前進させるのだ。
オフショアは、よりクラシックな印象の先代モデルに対抗する若々しいモデルとして誕生したが、1972年当時において、ロイヤル オークが先鋭的なモデルだったことを忘れてはならない。発表中には無数の批判にさらされたのだ。しかしいまでは成功していることをみて欲しい! この時計もまた現れては消え、そしてまた舞い戻ってきたのだ。トレンドには周期性があるからだ! オフショアに話を戻すと、ロイヤル オークの復刻ではなく、再解釈として意図的にデザインされた。そのため、オーデマ ピゲは“歴史を踏みにじる”ことなく、オフショアを踏み台にすることができた。このことは同ブランドがこの時計をリミテッドエディションのプラットフォームとして、また素材革新のためのキャンバスとして使用する芸術的ライセンスを得たことを意味する。
オフショアなくしてコンセプトはあり得なかった。オフショアのサイズとデザインにアグレッシブさを感じる私たちにとって、コンセプトは実に醜く直感的な反応を引き起こすタイプの時計であることは間違いない。多くの愛好家の心のなかでは、腕時計の煉獄の片隅に追いやられるか、(架空の)埃っぽい棚に入れられ、“身につけることはおろか、本当に理解できないもの”というレッテルを貼られていることだろう。私はオフショアとコンセプトが多くの人の男らしさを脅かしていると主張するが、それはまた別の機会に議論したいと思う。さてコンセプトは、そのかさばる素晴らしさのすべてにおいて、時計のデザインとは何かということを考えるという点で、オーデマ ピゲを前進させた。勇気ある1歩だ。コレクターのために存在する時計であるため、多くのファンを必要としない。それがこの価格帯における厳しい現実だ。商業的に成立する製品という枠に縛られることなく、デザインチームがより大きく、より大胆に考え続けるためにはコンセプトが重要なのだ。
最終的にはオフショアとあからさまに先鋭的なデザインが受け入れられるようになった。オフショアは若々しく、深刻になりすぎなかったのだ。素材(ラバー、スティール、ダイヤモンド)と色のミックスは、新しいタイプの時計文化を象徴するステートメントだった。2000年代になり、ジェムセッティングされたオフショアは、47番街内で行われた文化的対話の副産物へと発展した。つまりヒップホップが時計文化に与えた影響から生まれたピンポン効果である。ダイヤモンドがセットされた時計は目新しいものではなかったが、崖から飛び降りるためにデザインされたようなSSの頑丈なスポーツウォッチを高級仕上げにし、わずか10年後にル・ブラッシュのジェムセッターによって貴石で覆われたフルゴールドバージョンが作られたが(まさにアフターマーケットの時計で起こっていたことだ)、それはこれまでとまったく異なるものだった。オーデマ ピゲはストリートカルチャーに傾倒し、ファクトリーを通してそれを実践していたのだ。
もちろんオフショアが時計界にもたらしたのは、素材やデザインの革新性だけでなく、文化的な魅力だった。ハリウッド、ヒップホップ、スポーツとの関わりをとおして、オフショアは2000年代にカルト的な人気を獲得した。オフショアはまたしても、より広範な文化的対話の場に登場したのである。セレブリティとの連携を通じて時計文化の変化を示し、その結果、ウォッチメイキングにおける報道記事の勢いを増した。これは初期のインターネット記事(フォーラム)の新しい夜明けだった。今日の時計文化(まさにこのウェブサイト)につながる道を開いたのである。
オフショアに対する私の評価は揺るぎないものとなった。今日、ファッションも時計も過去をロマンティックに語る時代から抜け出せずにいる。この時計は、これまでも、そしてこれからも、話題を前に押し進めるだろう。オフショアは失敗を恐れないブランドのものであり、前CEOのフランソワ-アンリ・ベナミアスの時代には、限界に挑戦することが生き残るために必要であることを熟知していたブランドである。オフショア文化は、間違いなくベナミアス時代のオーデマ ピゲの産物である。それは大きく、騒々しく、恐れ知らずなものだ。
極端なサイズというのは時代に合わせて決定されるため、時代を超越した美しさを実現するのにリスクをもたらす可能性がある。今日のオフショアは、もちろん今日の消費者のニーズと彼らの進化する期待により注意深く沿うように再設計されている。しかしオリジナルのビーストや2000年代前半に登場した数多くのモデルは、今やレトロなものと見なされており、1972年のロイヤル オークと同じように、オフショアがタイムラインを切り開くかどうかはまだわからない。私たちは、トレンドの振り子がその方向に戻るのを待つしかないのだ。
現在のオフショアは90年代から2000年代にかけての記念品として存在し、多くの人が“大きすぎる、無骨すぎる、味気ない”という分類に追いやった時計である。デザイナーと消費者があらゆる面で絶対的な限界に挑戦したこの10年間に生まれたこの時計は、まさに90年代のやんちゃさを、まさにその10年間を表現していたのだ! そして、30年周期で動くノスタルジア振り子理論(消費者が成長し、クリエイターになったときに何かが復活することを示す理論)によれば、いつカムバックしてもおかしくない。今日の“トレンディ”は、スピードと無思慮な消費を連想させる。逆説的だが、トレンドは人々がプロポーションや長さ、生地などの変化を実際に吸収する時間があった時代に上手く確立された。TikTokのアルゴリズムからトレンドが生まれ、光の速さで発展していくのであれば、ポストトレンドの世界に生きている私たちが何を着ているかなど誰が気にするだろうか?
しかし我々は時計デザインにおける会話を前進させ続けなければならない。つまり復刻を減らし、リスクを増や差なければならない。ジョナサン・アンダーソンのランウェイコレクションでは、サイバーカルチャーへの遊び心が常に表現されている。またデムナ・ヴァザリアは、バレンシアガとエレホンやクロックスといったブランドとのコラボレーションを通じて、社会に対するシニカルなコメントを発表している。私たちの業界において、そのような思考の弾力性を想像してみて欲しい!
よりオープンマインドで、より奇抜な逸品が増えることを期待したい。楽しいものを着ているからといって、あなたが誠実な人間でないとは限らないのだ。センチメンタルなノスタルジーは、ファッションの自然な進歩に反する。針を動かすのは、常に優れたデザインとイノベーションなのだから。
All images courtesy of Audemars Piguet